信じられない話ですが、日本では一時期、文学といえば私小説のことでした。

     笑い事ではなく、その災禍はいまも希薄化しながら続いているとも言えます。
     たとえば作家を〈自由業〉だと考える習慣は、この希薄化した災禍の一部です。
     私小説に反対した後続の作家たちの作品も、読者にはほとんど私小説であるかのように、その生活の反映であるかのように読まれました。
     
     では何故、私小説はそんなにも成功を収めたのでしょうか?
     それを知るには、日本の近代文学の歴史を簡単におさらいする必要があります。
     


    1.戯作者上がりの新聞記者

     江戸時代を通じて、執筆専業で食えたのは滝沢馬琴ひとりでした。
     幕末~明治初期にかけて活躍した仮名垣魯文も、戯作者の兼業としては伝統的な売薬を営み、維新後は商品広告である「引札」の執筆で禄をはんでいました。
     やがて日本でも新聞という新しいメディアがはじまり、その会社員となり定収を得ることで魯文ははじめて安定した生活ができるようになりました。
     この新聞社に雇われ安定収入を得るという作家のビジネスモデルは、尾崎紅葉から夏目漱石に至るまで、明治の作家のスタンダードになります。
     その後、魯文は『仮名読新聞』『いろは新聞』といった新聞を自ら創刊主宰し戯文や続き読物を発表していきます。
     これ以後、少なくとも明治18年頃まで、広く見れば明治の終わり近くまで、文芸作品を書いて生活することは、新聞記者となって新聞に作品を書くこととほぼ同義でした。
     
     
     
    2.学校上がりの言文一致

     こうした新聞という新メディアによって成立した文芸は、担い手を見れば江戸戯作の系譜を引き継ぐものでしたが、それとは別のところから、すなわち高等教育を受け外国語を学び外国文学を学んだ人たちから、新しい動きが生まれました。
     明治18年『小説神髄』を書いた坪内逍遙は江戸戯作に親しんだ後、名古屋県英語学校時代にシェイクスピアを知り、東京開成学校(東京大学)では高田早苗からヨーロッパ文学を学びました。『浮雲』で近代口語文体を完成させた二葉亭四迷は東京外国語学校露語科でロシア文学を学んでいました。



    3.新聞文語小説と徒弟制文壇

     一世を風靡した言文一致運動でしたが、それまでの欧化に対する反動が社会に広がる中、それと連動するかのように文芸でも口語から文語への反動が生じました。
     明治二十年代を席巻したのは、直接に江戸読本と連なるものとは別の、尾崎紅葉たちの文語小説でした。紅葉は、共に「硯友社」を結成した山田美妙と同様、逍遙の『小説神髄』の影響を受け、自身も英語を読み西洋文学を摂取しましたが、井原西鶴に傾倒しその手法と文体を模した風俗写実小説で多くの読者を集めます。
     明治20年帝大在学中に読売新聞社に入社し(同時期、坪内逍遥、幸田露伴も入社しています)、“読売の紅葉か,紅葉の読売か”とまで言われるほど文名を上げ,明治中期の最有力作家となったのです。
     紅葉は、その人気を背景に、弟子の作品に手を入れ自分の名前を冠して発表したり、弟子に発表の機会や新聞社での仕事を世話して文壇に君臨しました。江戸時代、戯作者になるためには、先行の戯作者に弟子入りし、その下で修行を積むのが普通でしたが、明治でもこの時期、紅葉に従った者は作家の道が開け、逆らった者には閉じられました。
     


    4.勤務しない自然主義

     明治36年、尾崎紅葉が亡くなり、紅葉を中心とした文壇は次第に解体していきます。日露戦争を経て、これまでの通俗新聞から脱却しようとしていた朝日新聞は文芸でもこれまでの戯作路線をやめるために、明治36年に二葉亭四迷を、明治40年には英国留学帰りの英文学者で『ホトトギス』で人気を博していた夏目漱石を入社させます。
     一方、紅葉に冷や飯を食わされていた田山花袋が息を吹き返し、ゾラら自然主義文学を矮小に勘違いしつつ、新進の作家と差をつけるために身を切る戦略に出ます。
     すなわち女弟子との、みっともない関係を赤裸々に暴露した『蒲団』で、その後の日本文学に瀰漫する私小説に先鞭をつけました。
     この時期の自然主義文学を担った人たちは、進学率の上昇による読者層の拡大を背景にしたジャーナリズムの発展によって、原稿料が上がり、執筆だけでなんとか食えるようになっていました。つまり先輩の作家たちとは違い、紅葉のような師匠のご機嫌を伺うこともなければ、新聞社の勤め人になることもしなかったのです。
     作家が自由業になる時代がやってきました。
     こうして師弟関係からも労使関係からも〈解放〉された彼らに残った桎梏は、(意識の上では)自分の家族関係だけだったわけです。そこで彼らは社会についてではなく、自分の家族(年長の者は自分の妻子や愛人との関係、年少の者は自分の親との関係)についてだけ書くようになりました。



    5.不満インテリの理想としての小説家

     困ったことに、自分や自分の家族についてだけ書いた私小説は売れてしまいました。
     先ほど触れたように、私小説の登場が、ちょうど工業化が進んだり学校が増えたりして読書人口が増加するタイミングとマッチしたところもありました。
     かつては上の学校へ進むのは、人口全体から見ればごく一部のエリートであり、本を書くのも読むのももっぱらこの人たちでした。
     新しく読書人に加わったのは、学校は出たもののエリートにはなれないインテリたちでした。
     学校が増えたおかげで増加したインテリでしたが、働き口はそれに見合って増えた訳ではありません。学校は出たけれど、思ったほど恵まれた職業につけない人が大部分であり、こうした不満階層が新しい読書人の中心でした。
     不本意な職業につき、生活のためには節を曲げていかねばならない不満なインテリたちは、師弟関係からも労使関係からも〈解放〉されて筆一本で生活できるようになった作家というものに、自分の果たせなかった理想の生活を見い出します(今でもこうしたイメージを抱いて作家を目指す人がいますね)。
     こうした不満なインテリたちが、作家の生活を綴った私小説の読者になりました。彼らが買い支えることで、自由業としての私小説作家の生活は維持されたのです。



    6.私生活の商品化
     
     さて新聞社から給料をもらわなくても作品が売れて食っていけるようになった作家たちは、自分たち同業者の小社会、すなわち文壇をつくります。
     文壇では、自分たちプロの作家が書くような私小説こそが文学なりという認識が高まりました。
     これに対して、そもそも文学なんかやらなくても食えるし社会的に高い地位におれる鴎外や、文学なんかやらなくても帝大教授として食えたくせにユーモア小説やディレッタント向けの書斎小説しか書かない漱石などは、(やっかみもあって)文壇の人たちからはクロウト作家とは見なさなくなりました。
     第二次大戦後まで、今日文豪と呼ばれる鴎外・漱石は終わったコンテンツ扱いでした。
     
     赤裸々告白系の私小説は、志向として反=技巧的でした。
     節を曲げて生きなければならない不満インテリである読者は、作家の〈嘘をつかなくても生きられる生活〉にあこがれたので、文章の技巧より、〈ありのまま〉に実際の生活が書いてあることを求めました。
     しかし実際の生活を技巧なしに〈ありのまま〉に書くことなら、作家でなくてもできます。私小説作家は、〈嘘をつかなくても生きられる生活〉を構成する2つの要求=嘘をつかない+生活できるの両方を満たさなくてはなりません。自分の生活を〈ありのまま〉に書くことによってずっと生活していかなくてはならないのです。
     しかし読者は残酷なもので、ただ赤裸々であることに飽きると、より強い刺激を求めていきます。
     文学上の工夫/技巧なしにこれに応えるためには、何しろ「嘘のない生活」が売り物なので、実際に生活の方をより波乱に満ちたものにするしかありませんでした。
     徳田秋声(この人もかつて紅葉に冷や飯を食わされた一人です)のように、あとで波乱万丈の私小説を書くために、実験としてヤバい恋愛をして、わざわざ人生をメチャクチャにする人まで現れました。



    FC2 Management
    少女:先生を見てると、物心ついたときから触れている私達の方がネットを使いこなしてない気がします。

    司書:そうでしょうか?

    少女:さっきもそうですけど、どこそこの図書館のアーカイブでこんな資料を見ることができるとか、教えてもらってばかりな気がして。

    司書:それはたまたま私がその資料のことを知っていたからでしょう。

    少女:そうかもしれませんが、「たまたま」じゃない気がするんです。

    司書:では、こういうことかもしれません。インターネットを使い始めたとき「なんと便利なものだろう」と思いながら比べていたのは、足を運んで図書館や文書館へ行き、書誌やカードを繰り書架の前を行ったり来たりしながら文献を探すことでした。半日、時には何日もかかった作業が、すべてではないにしろ自室でほとんど数分でできる(ことがある)、という比較の仕方をしていたのです。

    少女:私達にとっては、最初からそういうものというか、日常になってます。

    司書:ええ。それで思い出したのですが、私たちの世代の人間にとっては、調べ物というのは、どこか〈よそゆき〉の仕事であったように思います。たとえば、図書館で調べものにつかう書物は大抵、個人では揃えるのが難しいような高価なものでした。出始めたころの商業データベースなどもそうです。そして、そんな高い敷居の向こうにあるのは、日常生活では決して目にしないだろう光景や、出会うことがないと思える人の考えであり、知識でした。大げさに言えば、調べ物は日常を越え出る旅のようなものだったのです。そしてインターネットは、これも誇張した表現だと思われるでしょうが、一部ではあってもそんな非日常への回路を自室に引き込んだものに思えました。

    少女:私達にはなんだか実感しにくいです。

    司書:あなたの世代にとっては、ネットは〈普段着〉の世界であり、選択の余地のない日常の延長なのかもしれません。たとえばリプライ(返信)しないことが、対面で話しかけられているのにわざと顔を背けて無視することに等しいような。

    少女:確かにあまりに日常的だから、かえって広がりにくいというのはあるかもしれません。普段ネットを介してやり取りするって、ほとんど会って話をする人だし。

    司書:私たちの場合は、近くにインターネットをしている人はほとんどいませんでした。我々の世代にはやはり、いくらか敷居が高いもので、これも大げさに言えば、わざわざ〈挑戦〉するものでしたから。実際、ネットを介して知り合った人たちはみな遠方に住んでいました。

    少女:さっきの話で言うと、日常生活では会うことのないような人たちとやりとりする手段だったということですか?

    司書:ええ。付け加えるなら、彼らの多くはパソコン通信からのユーザーで、一種の〈刷り込み〉なのでしょうか、「ネットする」というのはパソコンと通信回線を介して何かを「読み書きする」ことだと無意識に思い浮かべるようです。写真や動画を投稿したり見たりするのでなく。そういえば、あなたに魚のおろし方の動画を紹介してもらいましたね。

    少女:そういえば、そんなことも。

    司書:あの時、いくつか魚のおろし方の書物を集めていたのですが、最も参考になったのは、実際に料理人の方が魚に包丁を振るっている映像の方でした。そして自分の探し方もまたbookishなものに偏っていることを思い知りました。

    少女:ええ、そんな。

    司書:もう一つ。ある英文に出てくる「lollipop lady」という言葉の意味を尋ねられたことがあります。辞書を引くと「学童道路横断監視員, `緑のおばさん'」(リーダーズ英和辞典)、「学童交通整理員,緑のおばさん」(ランダムハウス英和大辞典)とあるのですが。

    少女:小学生の登校や下校の時間に横断歩道に立って子どもたちが安全に渡れるよういてくれる人ですね。

    司書:では何故 lollipop なのか分かりますか?

    少女:ランダムハウスには、「lollipop(棒付きキャンディー)に似た標識を持っていることから」ってありますけど、キャンディに似た標識って一体?

    司書:私も同じ疑問を持ちました。氷解したのは、Adrian RoomのDictionary of Britain (Oxford University Press,1986)を翻訳した『英国を知る辞典』(渡辺時夫 監訳、研究社出版, 1988)を見てからです。原著のDictionary of Britainは、当たり前すぎて文献にわざわざ書かれないような、イギリス文化のあらゆる領域における〈日常の秘密〉を解きあかしてくれる辞書ですが、訳者たちは原著にはない写真(イギリス滞在中に訳者たちが撮影したものです)をたくさん翻訳書に追加してくれています。「lollypop lady」の例は、訳者たちの序文にも出てくるのですが、写真を見れば「lollipopに似た標識を持っている」というのは一目瞭然です。


    英国を知る辞典英国を知る辞典
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    少女:ほんとだ。この本、すごく面白いです。

    司書:ですが今では、Googleで単純に「lollipop lady」を検索すれば、辞書や事典とともに画像まで見つかります。

    google_lollipop.png


    少女:簡単すぎて、ちょっとがっかり。旅行に出かけそこなった気分です。

    司書:そう思われるのはおそらく、我々が先に〈寄り道〉をしたからでしょう。旅というなら、行き先に到着することだけが目的ではありませんから。

    少女:『英国を知る辞典』って辞書、知りませんでした。Googleで探していたら、すぐに答えはわかったけれど、この辞書と会うことはなかったと思います。

    司書:検索エンジンのような全文検索が使えない時代には、「それは何に属するのか?」を推測することが探しもの主たるアプローチのひとつでした。「何に属しているか」から「どの本に載っていそうか?」を推測し、その本を一通り見てダメなら次の候補に当たる、という繰り返しです。そこでは〈寄り道〉は、半ば強いられたものでした。ある特定の事項だけを一本釣りで引き上げることはできないかわりに、どんな分野にどんな探し物のツールがあるのかを実地に当たっていく訳です。探しものに関して、あなたと比べて私がより多く持っているとすれば、こうしたまわり道や寄り道の経験なのだろうと思います。

     思うところあって、誰もが知っているような書物を紹介することをはじめます。
     
     読むのがあまり得意でない人にも読んでもらおうと思ったので、なるべく分かりやすく書くことに加えて、簡単なことを最初にひととおり済ませて、難しいことは後でやり直す方法を採用しました。
     繰り返しが生じる欠点があるけれど、途中で読むのをやめてしまってもいくらか得るものがあるだろうと思ったのです。
     
     第1回めはトーマス・クーン『科学革命の構造』。
     次回は、いつになるか分からないけど、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』をやります。





    1 『科学革命の構造』に書いてあること

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    科学革命の構造科学革命の構造
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    bebrief.pngこの本は科学が科学革命をへて発展すると主張しています。
    革命だから、それまでの科学は一度壊されて新しく再建されるので、科学の発展は切れ切れに続いてきたもの、ということになります。
    言い換えれば、新しく発見・発明された科学知識が積み重なることで科学が発展してきたという、これまでの科学発展の考え方はウソだと言うのです。


    shownchart.pngこの本の著者クーンが考える科学発展のステップを図に書くと以下のようになります。
     『科学革命の構造』は全部で13の章でできていますが、序論「第一章 序論・歴史の役割」とまとめ「第十三章 革命を通じての進歩」をのぞくと、科学発展の順番に各章を割り当てて、それぞれを説明しています。これも一緒に図に入れてみました。


    ssr-hist-cont.png
    (クリックで拡大)


     この図にも、これからの説明にも、繰り返し出てくるので、「パラダイム」という言葉を簡単に紹介しておきます。

    bebrief.pngパラダイムとは、科学者たちが研究をするお手本となるような具体的な業績のことです(「考え方の枠組み」みたいなものだとよく勘違いされますが)。
     たとえばニュートンの『プリンキピア』がそうです。
     もう少し詳しい説明は、後でもう一度出てきます。


     ではクーンが考える科学の発展について、図に沿って説明します。



    (1)前パラダイム期から通常科学へ

    ssr-hist-1.png


     自然の研究は、パラダイムができることで(より正確に言えば、あるパラダイムを科学者共同体が受け入れることで)自然科学となります。
      
     パラダイムがないと、学術コミュニケーションは論争が中心になります。
     こうした場合、学者の仕事は(典型的には)ライバルを名指ししその学説を批判する形で発表されました。
     相手を論破するために、相手の説では解けない問題や説明がつかない事例が示され、相手が前提とする土台や、時には学問とは関係ないところまで互いに攻撃することになりました。
     このやり方は今までの前提を疑ったり、学問の基礎を掘り下げるには良いのですが、前に進みません。
     比喩で言うとこれは、将棋の駒の種類や盤の大きさをあーでもないこーでもないと議論しているようなものです。ゲームのルールがぐらぐらしていては、知見が蓄積されず(違うルールのものでの記録は役に立ちません)、定石だって生まれません。

     
    (2)通常科学

    ssr-hist-2.png

     問題が限定されるから、解けたかどうか分かるから、集中できる





     パラダイムができると(少なくとも同じパラダイムをシェアする科学者共同体では)研究は論争からパズル解きに変わります。通常科学のはじまりです。
     パラダイム(となる具体的な業績)から科学者は、解くべき問題と解き方の指針を引き出すからです。
     もはや「そもそも論」や互いの研究の前提を攻撃しあうことで互いに消耗することはありません。
     つまり何が解くべき問題か、どうやって解くのがアリか/ナシか、そしてどうなれば解決なのか、基準なり指針ができるので、科学者は安心して研究に打ち込むことができます。
     また社会的には重要だがどう取り組んだらいいか分からないような問題に煩わされることもありません(パラダイムには科学者を科学者共同体の外から守る機能もあるのです)。科学者はパラダイムの元で解ける見込みがありそうな問題に集中することができます。
     これらのことは研究の効率を高めます。他の知的生産に対して、科学が優位を保ち続けている一因です。


    (3)変則事例(アノマリー)

    ssr-hist-3.png

     通常科学が進むほど、変則事例は出現する






     しかし通常科学は確かに効率がよいのですが、あくまでパラダイムが引いた線路の上を行く営みです。
     それまでとは一線を画する画期的といえる業績、古いパラダイムにとって変わる新しいパラダイムはどうやって生まれてくるのでしょうか?
     通常科学が進むことによって、逆に通常科学の内では(つまり今のパラダイムの内では)解決できないような変則事例(アノマリー)が生まれてくるのだ、とクーンはいいます。
     通常科学が進むと、理論と測定の精度があがります。こんな場合はこうなるはずだ、という予測がより精密にできるようになります。
     そして予測が精密になればなるほど、科学者は予測から外れた事象に気づきやすくなるのです。
     ゆるゆるの予想しかできなかった頃には「理論どおりじゃないけど、まあこれくらい誤差って事もあるよな」とスルーされていた現象も、予測が精密になれば「こんなはずがない!(今の理論からすればこんなこと起こるはずがない!)」ということになります。
     
     しかし既存の理論で説明つかない変則事例が出てきても、すぐに既存理論が捨てられたり、「よっしゃ新しいパラダイムでいこう!」となるわけではありません。
     変則事例が出てきても最初はスルーされます。
     現行のパラダイムがいよいよ持たなくなって、盛んに次の手が模索される頃に「そういえば、この説明できない現象って、随分前から言われてはいたんだよな」と思い起こされるくらいです。
     
     このあたりの事情を、クーンは「黒いハートや赤いスペードという変則カードを混ぜたトランプ実験」を例に説明しています。

    black4ht.jpg  red6spad.jpg

     私たちはハートは赤いもの、スペードは黒いもの、と思い込んでいるので、黒いハートや赤いスペードのカードと出会っても、ほとんど気に留めずスルーします。「今のカードは?」と聞いても「ハートです」と答えるだけで「何色でした?」と尋ねても「赤です(ハートだから当たり前でしょ、へんなこと聞くなあ)」と答えるのです。
     混ぜる黒いハートや赤いスペードの数を増やしていくと、そのうち「ん?何か変なカードが混ざってる」と気付く人が出てきます。
     一度気付いてしまった人は、さっきまでのようにはスルーできず、いちいち黒いハートや赤いスペードに気づくようになります。
     

    (4)パラダイムの危機

    ssr-hist-4.png


     変則事例の出現が科学者に認知されても、そのままパラダイムの危機に直結する訳ではありません。
     
     「理論とあわない現象によって反証されるからこそ科学なんだ(反証されないものは科学じゃない)」とポパーは主張しましたが、クーンは「いや、理論に合わない現象が出てくることなんて日常茶飯事で、それこそ通常科学のうちで解くべき問題として科学者の飯のタネなんだ」と考えました。
     たとえばニュートンの『プリンキピア』は、天体や地上の運動を統一的に扱える画期的な仕事でしたが、問題を解決するだけでなく、多くの問題を生みました。つまりニュートンの理論に合わないことがたくさん見つかり、科学者はそれを通常科学の中でパズルとして解く(ニュートン力学のパラダイムの内で解決する)仕事を何世紀も続けることになります。
     
     しかし変則事例が無視できないばかりか、現行のパラダイムでの問題解決ではにっちもさっちもいかなくなるとパラダイムの危機が訪れます。ここでの科学者の対応は3通りあります。

    ア.理論にいろいろ追加したりして現行のパラダイム内でなんとか解決する
    イ.棚上げして次世代に期待する
    ウ.新しいパラダイム候補を探す

     危機に至っても、新しい方へ行くよりも、何とか変わらずにいようとする力が強く働きます。
     しかしこの変わらずにいようとする志向、言い換えれば「現行のパラダイムの内で解くべき問題はすべて解けるのだ」という確信こそが、わき目も振らず通常科学に科学者を打ち込ませるのです。これこそが通常科学の知的生産の効率性を支え、さらには精緻化・精密化から変則事例を科学者の目に触れやすくし、結局のところ科学革命を準備するのです。
     クーンの科学革命論のキモは、科学研究におけるこうした革新的な志向と保守的な志向との本質的緊張が科学を発展させる、と考えるところです。
     

    (5)科学革命

    ssr-hist-5.png


     研究のやり方を変えるのは非常にコストがかかることでできれば避けたいのですが、危機が深まるとそうとも言ってられません。
     いよいよ現行のパラダイムがやばそうになると、科学者を制限していたパラダイムのたががゆるみます。
     これまでのやり方とは外れたアプローチがいろいろ試されます。例えばそれまでまともな科学者なら避けるべきだった哲学的議論なんかも交わされたりもします。
     この状態は、パラダイムができる(=あるパラダイムを科学者共同体に受け入れられる)以前の状態、すなわち前パラダイム期に似ています。
     目下解けない問題=変則事例のすべてを解くものではないけれど、そのいくつかには解答(つまり部分解)を与えるやり方が提案され始めます。
     しかし解けない問題もたくさんあるので、すぐには誰もが採用するという風にはなりません。
     しかし目下解けない問題=変則事例の多くを解くやり方が現れ、どうにかして支持を集め、多くの科学者がその元に集まると、これを新しいパラダイム=以降の研究のお手本となる業績として、新しいステージの通常科学がはじまります。
     こうした繰り返しを経て、科学は発展していくとクーンは言うのです。

    shownchart.pngせっかくなので、この繰り返しが分かるようにフロー図でも書いてみました。
     
    ssr-flow2.png
    (クリックで拡大)






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