読んでいる人が居ることがつぶやき(Twitter)で分かったので続きを書いてみる。

     「自然科学は激高する」のつづきで、第2回である。我々はようやく社会科学を取り扱う。

     しかし長くなりそうなので、「科学である」との自己表明の度合いが高そうな経済学、心理学を扱うナイーブ編と、いろいろとぐずぐず言ってる人類学、社会学を扱うリカーシブ編とに分けることにした。


    ナイーブ編 社会科学はいかにして科学であると主張するか?


     
     さて、今回は特別ゲストとして、自然科学の中でも、もっとも自己確信的に「我々は科学をやっている(生物学あたりになるとずいぶん怪しい)」と思っていそうな物理学に参加を願うことにした。社会科学の中で、最も自己確信的に「我々は科学をやっている(社会学なんて文学に過ぎない)」と思っていそうな経済学がいろいろ言い出しそうなのを見越しての措置である。


    経済学「経済学は科学である。なぜなら反証可能性を備えている。確かに経済学の中でも、実証的な部分と異なる規範的な分野があるが、少なくとも実証的な部分は科学である。経済学の抽象的モデルは、計量経済学という部門で現実のデータと突き合わせられ、検証をされている。古典的な例で言えば、マクロ経済学で、所得と消費の関係をあらわす消費関数は、当初ケインズが想定したモデルでは、現実のデータと合致しなかった。そのため、さまざまな消費関数が提案され、理論は発展して来たのである」

    物理学「笑止。経済学の予想は当たらぬことで有名ではないか。『来期は今期と同じだろう』という素人だとかbotの予想の方がまだ良く当たるくらいだ。本当にデータと合致しない仮説を本当に廃棄しているなら、経済学は今頃何も残っていないだろう。つまり丸ごと反証されるという訳だ。経済学者がやっているのはその逆で、非現実的で都合のいい仮定をいつまでも固辞し続けている」

    科学哲学「まあ、いまどき反証可能性なんて基準で、科学と非科学の線引きができるなんて信じてるのは、物理学者と経済学者くらいだけどなあ」

    物・経「「こんなのと一緒にするな!!」」

    心理学「経済学の現実離れした概念構成体(でっちあげ)は、その先祖の社会思想を継承してるのだろう。数学的には《洗練》されたとはいえ、いまだ理論社会科学の域をでないのはそのためだ。その意味いうと、近年の行動経済学や実験経済学の台頭は、遅ればせながらも望ましい進展だ。これには心理学からも多くを提供している。心理学もまた哲学から分化した歴史があるが、当初から生理学などの実験科学からの血を入れて、その方法論を洗練し、実験社会科学として自立して来た。心理学の仮説はむろん実験によるテストを受ける。もし心理学が科学でないというなら、多くの実験科学もまた同様だということになる。あ、念のために言っておくが、精神分析なんか、心理学とは何の関係もないぞ」

    科学哲学「そうか、まだ心理学がいたか。だから反証じゃダメなんだって。反証と見える事象があっても、補助命題で補ったり実験手続きの不備だってことにして、いくらでもごまかして、守りたい仮説を保持することは可能だし、実際よく行われてもいる」

    物理学「本当の科学者はそういうことはしない」

    科哲「じゃあ物理学の事例を出すが、年周視差が観測されないことは、コペルニクス説の明白な反証例だったのに、コペルニクスの支持者たちは、恒星が遥か彼方にあるというアドホックな仮説を付け加えることで、反証をやりすごしたじゃないか?」

    物理「ニュートン以前のことなど知ったことか!!」

    科哲「じゃあ、マイケルソン=モーレーの実験と相対性理論の話は? 通俗的な科学史の解説じゃ、マイケルソン=モーレーの実験によってエーテルが存在しないことが実証されたために古典的な世界観が修正をせまられ、ローレンツらの試みを経てアインシュタインの特殊相対論が生み出されたみたいに説明するが、実際はマイケルソン=モーレーの実験が古典電磁気学の反証とみなされるようになるのは、特殊相対論がでた後、つまり後づけじゃないか?」

    物理「科学史など知ったことかア!!」

    経済「あんた、もう帰っていいよ」

    物理「いや、心理学に一言いってからだ。初期の精神物理学はまだしも、あの質問紙ってのはどうなんだ? あんなもの本人の自己申告にすぎんじゃないか? いろいろ統計処理して体裁を整えてるが、あんな主観まじりのくそデータで、実験科学が聞いてあきれる!」

    行動心理学「我々は外的に観測可能な行動だけを扱うので、そうした問題はクリアーしてる」

    認知心理学「行動主義は、確かに心理学が科学になるために役立った時期もあったが、なによりも心理学の扱う領域とアプローチをあまりに狭くしてしまった。非人間化したとも言える」

    行動心理学「きさまか。スキナーが巨大なスキナー箱で娘を育てて発狂させたというデマを流してる奴は?」

    科哲「心理学が多すぎるぞ。最近は、精神分析も、対照群を用意して、精神分析を受けた人とただおしゃべりしただけの人の脳をfMRIなんかで撮って比較したりしてるけど。「物理的データ」が取れるようになって、さて精神分析は科学になったんだろうか?」

    心・行・認「「「そんな訳ないだろ! 精神分析の理論はそもそも反証できるように出来とらん」

    経済「あとマルクス主義の理論もな」

    科哲「ポパー大明神は、今日も霊験あらたかだなあ」

    人類学「あのお、出番まだ?」

    物・心・経「「「おまえの出番は永遠に来ん!! よくもこの『科学の間』に顔を出せたもんだ!」」」

    人類学「だって、そこに科学哲学だっているじゃん」

    物・心・経「「「きさま、いつのまに!?」」」

    科哲「いや、最初から」



    (個別面談:経済学)
    科哲「なんかインタビュアーにされてたんだけども。自然科学の側からは、データはどうなってるんだ、という疑惑があるみたいだ」

    経済「だから実験経済学だけが科学だなんて、トンデモ発言が出てくる。だったら実験物理学だけが科学だというのと、同じじゃないか。実験経済学と言っても、これまでの経済学と切り離されてるわけではない。もしそうだとしたら、わざわざ「経済学」と名乗らなくてもいい訳だ。実験内容も、経済学の蓄積を前提にしてる」

    科哲「いや多分、発言の真意は、旧ソ連だとか業績主義の下の富士通(笑)みたいに嘘のデータを報告するインセンティブがあるところで、報告され集められるデータ自体が信頼できるのかって話と、あと実験経済学の成果を反映したような理論構築なり改訂なりが行なわれてないことに疑問を投げかけているのでは? これは、経済学が前提にする、経済合理性というのが、実際の人間の行動からすると、とんでもなく強引すぎる仮定に感じられるからじゃないかな。もちろんモデルがシンプルにできるというメリットがあるんだろうけど」

    経済「確かにそこでつまづく入門者も少なくない。ただ、そういう単純すぎるモデルで、現実のパターンをかなりのところまで説明できてしまう。研究者だって、一事業者なんだ。モデルにかけるコストと、モデルから得られるベネフィットの両方を考えて、経済合理的には(笑)、自分が取り扱おうとしてる事象を説明できるなら、なるべくシンプルなモデルが選ぼうとすることは自然だろ?」

    科哲「『かなりのところまで説明できている』と、経済学者じゃない者はあまり思わないのかもしれないな。だけど、経済学者の経済モデルは少し面白いな」

    経済「研究者だって飯を食うし、時にはうまいものだって食いたくなる。あとこんなことも説明できるぞ。主流の位置にいない研究者がニッチを狙って、複雑系だなんだ、というのも、経済合理的だ(笑)。物理学を参照している風なのも、うなずける。経済学は何度となくそういうことをしてきたからな。エントロピーとか(笑)」

    科哲「経済学の均衡概念は、静力学でいうダランベールの定理からの借用らしいね」

    経済「経済学から貸したものだってある。インフレーション宇宙(笑)。非現実的な仮定の話でもうひとついうと、モデルがうまくいかない時にも、できるだけシンプルなところからはじめて、前提条件をすこしずつ足していく方がいい。最初から複雑なモデルでスタートすると、はずれたとき何がまずかったのか、どう手を加えたらいいのか、わかりにくい。あと、教育上の配慮もある。大抵の場合、もっとも単純なモデルから教科書はスタートする」

    科哲「だけど、もっとも単純なモデルは、もっとも現実からの解離が大きくて、余計に親しめないってことがあるかもしれないな。あと予想があたらない話については、何か言い訳ある?」

    経済「医者に対して『わたしはいつ風邪を引きますか?』『いつ癌になりますか?』と聞くバカはいないだろ? だが経済活動にどこか不具合が生じているなら、その原因やメカニズムは経済学者にだってわかる」

    科哲「じゃあ風邪を引いた経済を前にして、経済学は正しい処方ができる?」

    経済「少なくとも何をしたらいけないか、どうしたら症状を悪化させるかは言える」

    科哲「古いジョークだけど、経済学者が10人いると、処方箋が11枚出てくるというのがあった」

    経済「経済学者の間で処方が一致しないことは認める。ただこの国は、経済学とは無関係に、特定の利益団体や政治的立場に寄り添って吠えるエコノミストが多すぎる。前半は、教科書の程度の知識を広げてみせて確かに間違ったことを言ってる訳じゃないが、結論はいつも経済政策は無効だの一点張りの輩とか(笑)。そういう似非ノミストを除けば、処方はそれほど大きく違ってるとは思わない」

    科哲「それも経済学者の尺度で計った違いと、それ以外の人が思う違いのスケールは差があるかもしれないな」

    ((下)リカーシブ編につづく)




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     大学の先生が推薦図書をあげるというと、妙に「人文系」してしまって、本人達は「古典」みたいなのを並べたつもりでいるのだけれど、3位に『ゲーデル、エッシャー、バッハ』みたいなクズ本が混じったり、生物系ではブラック・リストに載せるべきスティーブン・グールドまで10位に入ったり、それどころか1位が『カラマーゾフの兄弟』だったりして「文学年齢」が10代で止まってる連中のそれはそれは多いことを表立たせて、なんともやり切れない気分になるが、今回紹介するものは、ちょっと違う。

     話は少し迂回する。
     まだ無線通信が知られない1873年、フェルディナント・ブラウンという科学者(電位計やオシログラフ、そしてブラウン管などを発明してる)が鉱石の単偏導性を発見した。
     さまざまな天然・人工の金属硫化物や鉱物の結晶で、電流の方向や大きさ、流した時間によって、抵抗値が大幅に変動する場合があることを知ったのだ。
     そうした半導体的な挙動によって整流・検波作用がもたらされる(のだが、その原理は、現在でも解明されたとは言えない)。
     また、鉱石には光や熱を受けて微小な電位差を生じる性質があるが、この起電効果も検波に一役買っている(らしい)。

     鉱石と針とが、点で結ばれた、シンプルで複雑な世界。

     ブラウンは1897年に鉱石検波理論を発表し、1901年には実際に検波器を製作した。
     かくて鉱石ラジオの時代が始まり、やがて性能のよい真空管やゲルマニウム・ダイオードが量産化されるまでの四半世紀、ラジオといえば鉱石ラジオのことだった

     といったようなことを頭におくと、上記のブックガイドで木村宗弘氏が「技術立国を支えるラジオ少年」という題で、『実用電子回路ハンドブック』( CQ 出版社)を推薦しているところなど、感慨深いものがある。
     木村氏が言っているように、「初版が35年前に出ている古い本であるが、電子回路がもっとも生き生きとしていた時代の本」なのだ。

     また「結局は、原典に学ぶ必要がある」 というタイトルで武井由智氏があげる本は(古典でなく原典というところに注目である)、B.W. カーニハン、D.M. リッチー著『プログラミング言語C 第2版』 (共立出版)なのだ。
     コンピュータ・サイエンスは、原典が直接参照される、あらまほしき領域なのである。
     物理学徒がニュートンを、生物学徒がダーウィンを参照するかどうか想像してみるといい。

     あと田中泰司氏の「天才は本を選ばない」も、アンチ・ブックリストしていて面白い。
    “クラスメートには速読術に長けた者が数人いた。彼らはどんなに難解な本であっても、一語一句の全てを記憶に焼き付けることで、驚異的な速度で学習していく。およそ500頁にわたり、数式が羅列されているような本でも1時間を要せずに読破する。簡単なものであれば(それでも一般的には難解な書籍だと思うが)10分ほどでマスターできるらしい。なるほど、本当の天才というのは本を選ぶ必要がないのだな、というのが私の感想である”。

     じゃあ、あんたは何を選ぶんだ、と出して来るのが、チモシェンコ『材料力学(上)』である。初版が1930年、日本語訳は1957年 、以来75年もの間、多くの国で工学系の学生や技術者に愛読されている。これなども古典などではなく、単に名著である。


    実用電子回路ハンドブック (1)実用電子回路ハンドブック (1)
    (1972/01)
    トランジスタ技術編集部

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    プログラミング言語C 第2版 ANSI規格準拠プログラミング言語C 第2版 ANSI規格準拠
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    材料力学 上巻材料力学 上巻
    (1957/04)
    チモシェンコ

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    ■補数って?

     10、100,1000……から、ある数を引いた残りの数のことを(基数の)補数というが、今回の主役は、
    それよりも1少ない、いわゆる減基数の補数(注)である。
     10進数だと、ぶっちゃけ足して(各桁が)9になる数(の組)だ。


     具体例を出すと「9−1=8」だから、8は1の補数である。いうまでもないが、1は8の補数である。


    ■まずは「おつり算」


     日常生活で最も多い計算は「おつりを計算すること」だろう。
     これは補数を使った計算の第一歩にちょうどいい。

    速算に 10000−3452=?

    を計算することは、3452の基数の補数をもとめることだけれど、

    まず減基数の補数を求めちゃえばいい。そしてこれは次の方法で反射的にできる。
    減基数の補数は基数の補数よりも1だけ少ないということを心に留めておくと、

    次の表を覚えておく(というより反射的に出るようにしておく)だけで、
    「繰り下がり」なんかに希少で貴重なワーキング・メモリを費やさずに、反射的に計算ができる

     0 なら 9
     1 なら 8
     2 なら 7
     3 なら 6
     4 なら 5
     5 なら 4
     6 なら 3
     7 なら 2
     8 なら 1
     9 なら 0


     表の中身は、なんてことない「足して9になる数字の組」なので覚えるまでもないが、反射的に出るようにしておくのが、ポイント。


    ■実際の計算


     9999 + 1 =10000
     3452

     ↓↓↓↓(反射的に置き換え)

     6547(減基数の補数) + 1 = 6548(基数の補数)

     何桁の引き算だろうと、最も上の位から十の位までは、自動的に置き換えることで済む。
     一の桁だけ、プラス1することを忘れなければよい。
     さらに良いことは、上の桁から計算ができるので、口頭で数字が与えられた時でも、数字を読み上げられているさなかに計算が開始できるので、数字を一旦アタマの中に蓄えなくても計算できる。
     おかげで、これまたワーキング・メモリを消費しなくて済む。


     100000000000000000
      43512809838428374
     −)
      56487190161571626

     こんな桁数が多くても大丈夫である。
     最後の一の位だけ、忘れず1プラスしておくこと。
     というより「999……9」から始めたんだ、ということだけは忘れずにいること。


    ■引き算と足し算を相互に変換する


     「おつり算」を反射的にできるようになることは、補数を反射的に計算できることである。
     実は、補数は、引き算を足し算にするのに用いられる。
     オーバーフロー(桁あふれ)を無視すれば、ある数で足し算することは、その基数の補数を引き算することに等しい。
     例を示そう。

     38+99
    =38+(100−1)
    =100+38−1
    =100+37
    =137

    ステップを細かく分けているが、99なら100を足しておいて1引く、なんてことは誰でも思い付くだろう。ここで1は99の基数の補数である。

     38+86
    =38+(100−14)
    =100+38−14
    =100+24
    =124

    やってることは同じ。頭の使い方は、「38+86だと、どしたって100超えるよな。下二桁は、86→(補数に変換)→14を足しときゃいいか。100と24だ。」といった感じである。





    (注)
     基数の補数を使え、と書いてあるものがあるが、却って鬱陶しい。なぜそろばんの珠は、10から9を表すものに「進化」したのか、考えてみるといい。
     なお基数をもっとちゃんと定義しとくと、
    b 進法において、自然数 a を表現するのに必要な最小の桁数を n としたとき、

      * bn − a を「b 進法における a に対する基数の補数(b の補数)」
      * bn − a − 1 を「b 進法における a に対する減基数の補数(b - 1 の補数)」

    という。
     例えば、10進法において、自然数 61 に対する基数 10 の補数は 102 − 61 = 39、減基数の補数は、102 − 61 -1 =38。つまり「足して9になる数」に各桁を置き換えることは、減基数の補数を求めているのである。
     2進法において、自然数 100102( = 1810) に対する基数 2 の補数は 25 − 18 = 11102( = 1410) 、減基数の補数は011012と1と0を入れ替えた数になる。




    計算術のようなものは、ほとんどこの本に網羅されている。

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    アーサー・ベンジャミンマイケル・シェルマー

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     前回( サルでも分かる人文科学/社会科学/自然科学の見分け方)は、科学史や科学哲学、それに知識社会学や科学社会学などの予備知識を前提にしないで、えいやっと「線引き」をやってみた。そのかわり、改めて検討することなく、次の2つを「ほらこんな風に言われてるでしょ」と前提に用いた。

    ・科学には、人文科学/社会科学/自然科学がある。(学の総称としての科学)
    ・学問は、以上の3つの科学のいずれかに分類される。(例外の棚上げ。どこにも入りづらいもの(たとえば数学)や、複数にまたがってるもの(たとえば「人類学」とひとくくりにすると、その範囲は自然科学から社会科学へと渡っている)、それに応用科学たち)

     言い落としたトピックはそれこそ無数にあるのだが、何もかもを一度に取り上げると書くのも読むのも大変である。
     そこで、今回は、もっとも自己確信的に「我々は科学をやってる」と思っていそうな自然科学とその研究者を取り上げる。
     社会科学と人文(科)学についても語ることは多いが、よりややこしい話になるので、これには第2回目、第3回目をそれぞれ充てようと思う。そんなに長く引っ張っても、尻すぼみになるのがオチだが。

     一応の予定のタイトル:
     第2回 社会科学は言いよどむ/社会科学者は、なぜ「方法」ばかりを論じるのか?
     第3回 人文科学は消えていく/(サブタイトル未定)
     


     科学が何から生まれて、何から離れて、どんな風に変わって行ったか、という話(科学史)は、こんがらがった現状を整理するのに使えるかもしれない。
     また、何が科学であり、また科学でないかについて論じること(いわゆる線引き問題)も、「○○が科学だなんて変だ」という人の心を落ちつかせるかもしれない(大抵は、線引きは絞りすぎるか広げすぎるか、その二つのヘマを同時にやるかして、逆効果だったりするのだが)。
     また、前回の分類がどういった立場からなされているかを説明することで、学問の分類がもつ問題性から、社会構築性に話をもっていくこともありかもしれない。

     しかし、科学史や科学哲学の知見は、自然科学の研究者に広く共有されている訳ではない。
     いや、奥歯に物が挟まった言い方をしてしまった。
     自然科学者は、科学史や科学哲学について、ほとんど関心を持っていないから、知っていることも少ない。
     これでも、まだ手控えがある。
     自然科学者は、自分達以外のものが科学について語るのを、おもしろく思っていないので、科学哲学や科学史を無視するか蔑んでいる。

     大人の態度がとれるものは「敬して遠ざける」態度をとるが、マックス・ウェーバー(『職業としての学問』)がいうところの「自然科学の研究室に時々居るおおきな子供」たちは、科学哲学や科学史をあしざまに罵ることも辞さないだろう。



     科学とは我々がやっていることであり、それ以外は似非科学に違いない。
     ほかのもの、たとえば社会科学が、「科学」を名乗るなどおこがましい。
     科学史家などいう歴史相対主義者は、科学者達の積年の努力を水泡に帰そうとする、悪魔につかえる黒司祭であり、万死に値する。
     では、科学哲学者は? 科学をそれ以外のものを峻別しようという彼らの努力はどうなのだろう? 自然科学者から見れば、その競技をやったこともないのに科学者を叱咤激励したり、監督面をする厚かましいファンでしかなく、よくても後援会長に過ぎない。

     科学は、改めてその資格を問うようなものではなく、我々科学者に(あるいは物理学教室のメンバーに)よって「体現」されているものである。それは研究室に入れてもらい、次第に正規メンバーとして認められるにしたがって身につけていくものだ。
     角度を変えて同じプロセスを見なおすと、明文化されない慣習と伝承を受けいれ、自ら同調して行く度合いに応じて、次第に正規メンバーとして参加を受け入れられる、と言い直すこともできる。
     何が科学か、どうすることが科学的に研究することなのかは、そうした中で習得され醸造され体現されていく。
     
     改めて「科学とは何か?」を論じたりするのは、いまだ研究室のやり方に馴染めない青二才か(彼自身が変わらなければ、同調しないこの者は、研究室からも、そしてこの分野の研究からも、リタイアすることになるだろう)、そもそも科学とは何の関わりもない「外」の評論家(彼らはせいぜい、科学の外を、遠くからぐるりと回ってみるくらいが関の山だ)だけだ。結論:連中(やつら)に科学を語る資格はない。

     しかし、あまり知られていないが、もっと質の悪い連中が居る。
     知識社会学者や科学社会学者の連中である。
     最初は連中も、ただ遠巻きに自然科学の研究者や論文の数を数え、統計をとったりするだけだった。
     しかし、このぶしつけな連中は、分かりもしない科学の内容にまで口を挟むようになった。それまでは、そんな下品な振舞いをするのはマルクス主義者(連中の非=科学ぶりは科学哲学者でさえ指弾するほどだ。なのに連中の名刺には「科学的社会主義」と書いてある。なんというただ乗り野郎ども!)と相場が決まっていたのだが!
     連中は科学や科学者について見当違いのことをつぶやくだけではない。連中はフィールドワークと称して、スラムや精神病院に潜りこんでは、「参与観察」などというものをやってきたらしいが(よそ者に何が分かるというのだ!)、今度は科学研究室にまで潜りこんで来た。
     『サモアの思春期』という人類学者が書いた本を読んだかね? 未開民族はセックスについ文明人よりよほど「解放的」だというんだ。実際は、その人類学者の奉じる「性の解放」とやらを、未開人の上に投影していただけという訳だ。聞いてあきれる。あの連中こそ、どこに言っても、自分の見たいものだけを見るじゃないか。
     「データの理論負荷性」?デュエム=クワイン・テーゼ? そんな大層なものじゃない。連中はただ、自分の思いこみと事実とを、区別する術を知らず、そうしたトレーニングを受けていないド素人というだけだ。
     そんなものが、どうして科学と言えるかね? フィクションと自覚がある分、文学者どもの方がまだマシなくらいだ。



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     昨日はニューヨーク公共図書館の電話レファレンスの記事を書いた。

     昨日のエントリーへのはてブのコメントで、書物蔵(id:shomotsubugyo)さんから紹介いただいたように

    日本レファレンス史のミッシングリンク(完結篇) - 書物蔵 日本レファレンス史のミッシングリンク(完結篇) - 書物蔵 このエントリーをはてなブックマークに追加

    日本にもレファレンス・マインドを持った先人がいたのである(ご紹介いただいたエントリーは熟読に値するぞ)。

     そんな訳で、今日は日本の図書館のレファレンスについて書く。

     全国の図書館でのレファレンス事例(こんな問い合わせがあったので、こんな風に探して答えた)を集めたレファレンス協同データベースというものがある。
     今日は、2万件のレファレンス事例から選りすぐった過去のおすすめ事例の中から、さらに5つを厳選してみたので、紹介したい。

    Q1. 明治頃に出ていた「馬鹿の番付」を掲載している資料、本を教えてください。
    Q2. 食べられる菊の花「もってのほか」の事について知りたい。
    Q3. 大阪の飲食店「くいだおれ」のキャラクター「くいだおれ太郎」の弟「くいだおれ次郎」と従兄弟が現在どこに展示されているか知りたい。
    Q4. イギリスの客船の船長、あるいは軍艦の艦長が船が沈むとき船と運命を共にする習慣はいつごろどのように始まったのか。またその起源はイギリスか?
    Q5. ホタルの光の点滅は、関東と関西では周期が違うと聞いたが本当か


    Q1. 明治頃に出ていた「馬鹿の番付」を掲載している資料、本を教えてください。
    「二つの『馬鹿の番附』」(※1)によると、「馬鹿の番付(番附)」は『馬鹿の番附』と『新撰 馬鹿の番附』2種類あるとのことです。(それで全部だとは書いていません)
    当館所蔵資料では、『番付集成 下』(※2)、「二つの『馬鹿の番附』」、『社会経済論』(※3)、『明治文化全集別巻 明治事物起原』(※4)(※5)で見ることが出来ます。ただし、「二つの『馬鹿の番附』」のほうは印刷状態が悪く、読みにくいかと思います。
    また、当館には所蔵していませんが、『ビジュアル日本の歴史2004/11/30発売号 (第45号)』(※6)の目次には「〜嗚呼、西洋かぶれランキング〜馬鹿の番附」とあります。( http://www.fujisan.co.jp/Product/1281680519/b/73145/  )
    「二つの『馬鹿の番附』」の紙面では、その両方が写真で掲載されていますが、すでに書いたとおり、不鮮明です。
    一方、『番付集成 下』には、そのうちの一つ『新撰 馬鹿の番附』のみ掲載されていますが、内容は鮮明に読み取れます。
    『社会経済論』『明治文化全集別巻 明治事物起原』はともに『新撰 馬鹿の番附』のみ掲載ですが、『番付集成 下』と比べると鮮明度が落ちます。
    『ビジュアル日本の歴史』は所蔵しておりませんので、内容はわかりません。
    なお、『馬鹿の番附』と『新撰 馬鹿の番附』(あるいはその他の版)を見分けるため、東西大関のみ、「二つの『馬鹿の番附』」本文より引用いたします。(横綱はありません)

    『馬鹿の番附』
    東 外国人を婦に持通弁雇ひ入れの月給にて身代潰す洋学者
    西 夷人を女房に持男女同権と威張られて困って居る洋行生徒

    『新撰 馬鹿の番附』
    東 米穀を食ずしてパンを好む日本人
    西 国産の種油魚油を捨て舶来の石炭油を用いる人

    補足情報ですが、「二つの『馬鹿の番附』」によると、『馬鹿の番附』は「記名はないが明治初年の奇僧佐田介石が編集したものと云われている」とのことです。『明治文化全集別巻 明治事物起原』でも佐田介石の編とされています。
    「二つの『馬鹿の番附』」は『素人学者の古書探求』(※7)にも収録されていますが、こちらは『馬鹿の番附』の写真は掲載されていません。ただ、本文にある、内容についての若干の解説は読めます。(雑誌掲載のほうでも読めます)
    ※1〜7は参考文献参照

    ■参考資料
    ※1「二つの『馬鹿の番附』」橋本万平著 掲載は『日本古書通信』昭和55年10月号(45巻10号) 日本古書通信社 <Z02305/8>
    ※2『番付集成 下』林英夫、芳賀登 共編 柏書房 1973年<031.5/8/2>
    ※3『社会経済論』明治文化叢書 佐田介石著 本庄栄治郎解題 日本評論社 1941 <331.3/38>
    ※4『明治文化全集別巻 明治事物起原』石井研堂著 日本評論社 1969年<081.6/23/29>
    ※5『増訂明治事物起源』石井研堂著 春陽堂 1926年 ほか、いくつかの版違いあり(当館未所蔵)
    (注)※4、※5の原と源は原文ママです
    ※6『ビジュアル日本の歴史2004/11/30発売号 (第45号)』デアゴスティーニ・ジャパン(当館未所蔵)
    ※7『素人学者の古書探求』橋本万平著 東京堂出版 1992年<020.4AA 158>

    馬鹿の番付け

    Q2. 食べられる菊の花「もってのほか」の事について知りたい。

     山形県は食用菊の生産量では全国一位を占めています。植物分類では観賞用の花と全く同じですが、苦味が少なく香りが良く、ほのかな甘さのあるものをと選抜されてきたのが食用菊です。
     その代表的なものが「もってのほか」と独特の名で呼ばれてる正式には延命楽という品種です。
     「もってのほか」という愛称で呼ばれている由来は、「天皇の御紋である菊の花を食べるとはもってのほかだ」とか「思いがけず、ことのほかうまい」といったところから言われてきたようです。
     専ら料理される花は花弁を抜き取り、酢を入れたお湯でさっと色よく茹で、おひたしや和え物、酢の物にきゅうりと一緒に漬物や甘酢漬け、塩漬けなどの素材としても好まれています。

    「もってのほか」の味覚は、花は八重で花びらが筒状に丸まった管弁なので茹でても崩れにくく、しゃきしゃきとした歯ざわりと、ほのかな香り、ほろ苦くふっと甘い、独特のうまさと評価されている。
    「もってのほか」は食用菊の中で最も晩成で、10月下旬頃から花摘みされる。

    ■参考資料
    山形のうまいもの/山形県農産物マーケティング推進協議会/編
    花の山形山形県生涯学習人材育成機構/偏
    植物ことわざ事典/足田輝一/編 東京堂出版/1995.7 P206-208


    Q3. 大阪の飲食店「くいだおれ」のキャラクター「くいだおれ太郎」の弟「くいだおれ次郎」と従兄弟が現在どこに展示されているか知りたい。

    (株)くいだおれ総務部に問い合わせると、下記のような回答を得た。
    社史には「次郎」、「楽太郎」の記載はない。「次郎」は、国民的なお祝い事、または大阪にとってのお祝い事があるときに限り登場し、普段は外へ出ていない。「楽太郎」は、くいだおれ裏側の「ウラ・くいだおれ」に不定期に登場する。

    ■回答プロセス
    (1)聞蔵、日経テレコンを「くいだおれ」と「人形」で検索すると、それぞれ101件、46件ヒットする。「次郎」と従兄弟に関連する記事はない。父親に該当する初代「くいだおれ太郎」については下記の記事を参照。
    ・「わてが父親や 初代復活、なにわ名物くいだおれ人形」朝日朝刊1999年6月9日
    (2)Wikipediaでは「くいだおれ」で検索すると、「くいだおれ太郎」の記事があるが、弟と従兄弟についての記載はない。社史は下記の資料である。本学に所蔵しない。
    『ばかたれ、しっかりせ:くいだおれ会長山田六郎伝』/柿木央久著 ISBN:4062083000406
    (3)Googleで「くいだおれ太郎」を検索すると、exciteニュースで下記の記事を見つける。
    「くいだおれ一族」の謎に迫る。この記事で従兄弟の名前は「くいだおれ楽太郎」であると判明。
    (4)(株)くいだおれ 総務部に問い合わせ。


    Q4. イギリスの客船の船長、あるいは軍艦の艦長が船が沈むとき船と運命を共にする習慣はいつごろどのように始まったのか。またその起源はイギリスか?

    起源についての資料はなかった。
    (1)(2)の中に、船員法第12条「船長の最後退船の義務」が船長を船と運命を共にさせることになったと述べられている。また、同法は改正され、船長も緊急避難に関する刑法37条の通用を受けるようになったとある。日本海事史学会のアドバイスにより、この法律の根拠をさかのぼってみたが不明。また、海難審判の歴史からもアプローチできるのではないかということで、日本海法会、日本海難防止協会を紹介。
    (1)の中に、船と運命をともにした日本船の事例があり、船員法第12条「船長最後退船義務」への批判の声を日本船長協会があげていたとあったので、改正にむけての、船長の退船の事例調査を同協会が行った可能性を考え、あわせて紹介した。

    ■参考文献
    (1)「生きるための海 −海のサバイバル」(558.8/N94)
    (2)「船長の職責」(558/Ta84)
    (3)「内航近海官庁団体リスト」(RM.06/N28/'96)


    Q5. ホタルの光の点滅は、関東と関西では周期が違うと聞いたが本当か

    ゲンジボタルの場合、明滅の周期は関東が約4秒、関西が約2秒(但し、気温、時間等で相違があり一概にはいえない)

    当館所蔵のホタル関係資料のうち、東京ゲンジボタル研究所/編『ホタル百科』(丸善)2004年刊のP20及び、大場信義/著『ゲンジボタル』(文一総合出版)1988年刊のP61より



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    レファレンス協同データベース レファレンス協同データベース このエントリーをはてなブックマークに追加
     『広辞苑』という国語辞典が、今ではちょっと信じられないほど「権威」を持っていた頃、日本人は岩波書店の辞書編纂室に電話して、自分じゃちょっと答えが見つかりそうにない質問を尋ねたりしたのだそうだ。
     
     そんな時、アメリカ人なら図書館に電話する。
     過去形ではない。
     この検索エンジンの時代に、だ。

     君が誰でも、何歳でも、どこからでも、そしてどんな質問でもいい、何かわからない事があったら、この番号に電話して尋ねてみるといい(もちろん国際通話料その他のコストは君もちだ)。
     国際アクセス番号(たとえば010)+アメリカの国番号(1)+ニューヨークの地域番号(212)、あとは340−0849。
     ニューヨーク公共図書館(New York Public Library)電話リファレンスサービス、通称"TelRef"につながるはずだ。

     さっきは南アフリカから、レーニン像って世界中にいったいいくつあったんだ?という電話があった。
     ある作家は、独立戦争時にジョージ・ワシントンが率いたシンシナティ協会の(無論、当時の)住所を問い合わせて来た。
     それからコニーアイランドで休日を過ごす約束をしていた少年が、手のひらをかえしたパパをやり込めるために電話をかけて来た。
    「コニーアイランドのなるだけ近くにある文化施設を教えて」
    「どうしたの?」
    「パパがまず勉強になるところへ行ってからだ、っていうんだ」。

     日本の司書なら「私たちは何でも知ってる訳じゃないです。自分が知っていることを説明するのではなく、利用者が必要としている回答が載っている資料を探し出し、それを紹介するのが司書としての仕事です」と答えるだろう。

     "TelRef"のスタッフの一人は言う。
    「みんなが想像するより、ずっと知ってると思うわ」

     どんな質問がかかってくるか、それに"TelRef"はどう答えるのか、長い間、チーフを勤めたBarbara Berlinerが本を書いている。その名も、
    The book of answers : the New York Public Library Telephone Reference Service's most unusual and entertaining questions.(ニューヨーク公立図書館電話リファレンスが受けたとびきり変で楽しい質問)。
     キャロル・ボルトの単なる抜き書き本と一緒にしないでもらいたい。
     質問と答えは、ご想像の通り「トリビア」のかたまりのようなものだが、言えばアメリカ人(に限らないのだが)の好奇心とそれに答えるアメリカのプロ司書の応酬として読んで欲しい。

     さて、"TelRef"のスタッフはどんな質問にも、5分以内に回答する。
     図書館の内規で、5分以内に答えなくてはならない、というルールがあるからだ。

     でも何故?

     "TelRef"のチーフはこう説明する。

    「じゃないと、うちのスタッフはみんな、答えを見つけるまで絶対に探すのを止めないから」



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    Barbara Berliner

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    The New York Public Library Desk ReferenceThe New York Public Library Desk Reference
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    http://ja.rindoku.wikia.com/wiki/Rindoku_Wiki


    外部のレジュメへのリンクがほとんどだけれど(レジュメがまだない本も2冊ほどあるけれど)、今のところ登録があるのは、本でいうと以下のような感じ。

      Gilbert Strang (1991), Calculus.
      Gintis (2000), Game Theory Evolving.
      Gombrich(1995),The story of art.
      Guyton(2006), Textbook of medical physiology 11th ed.
      Hal R. Varian(1992),Microeconomic Analysis.
      Kandel & Schwartz(2000), Principles of Neural Science, Fourth Edition.
      Sider,Hawthorne, Zimmerman(2008), Contemporary debates in metaphysics.
      Scott(2000),Social network analysis : a handbook.
      アトキンソン(2002)『ヒルガードの心理学(第13版)』
      クラーク(2009)『10万年の世界経済史』
      デカルト『方法序説』
      ノースロップフライ (1980),『批評の解剖』
      ヘーゲル『精神現象学』長谷川宏訳(1998)
      武隈愼一(1998)『マクロ経済学の基礎理論』
      繁桝、他(2006)『ベイジアンネットワーク概説』
      高橋康(1994),電磁気学再入門 : QEDへの準備
      高橋康(2000)『量子力学を学ぶための解析力学入門』
      黒沼悦郎, 藤田友敬編(2007)『企業法の理論 : 江頭憲治郎先生還暦記念』


     知らない人のために、簡単に紹介する。

     輪読レジュメWikiプロジェクトは、輪読で用いたレジュメを共有しリユース(使い回し)することで、本を楽に読もうというプロジェクト。
     既存のレジュメを共有し利用することで、
      * 本の概要や全体像を手早く知ったり
      * 難解な箇所を理解するのに役立てたり
    といったことができる。もう少し突っ込んで、他の可能性に触れると
      * レジュメを出し合うことで、非同期な《輪読会》みたいなものができる
      * 同一書、同一箇所のレジュメが複数集まってくると、もっと面白くなる

     すでに「ゆるふわモテ形而上学読書会」さんが、レジュメを上げて来てくれている。
     他の読書会や輪読会も、どうぞ続いて下さい。お待ちしてます。

     とりあえず、参加者が増えて扱う本が増えてレジュメが増えていくと、マタイ効果ないしスノーボール効果で雪だるま式に発展していくはずなので、そのクリティカル・マスまでこの調子で続けていく。
     
     この本のレジュメが欲しいというリクエストも(すぐには応じられないだろうけど)、プロジェクトを活性化させるので、募集します。


    RindokuWiki.jpg

    難しい本を最後まで読むのに人間が昔からやってきたこと 読書猿Classic: between / beyond readers 難しい本を最後まで読むのに人間が昔からやってきたこと 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加

    輪読のレジュメを共有できるWikiがつくれないかと思ってる 読書猿Classic: between / beyond readers 輪読のレジュメを共有できるWikiがつくれないかと思ってる 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加

    輪読のレジュメを共有できるWikiをもう少し具体的に考えてみる(もとい妄想してみる) 読書猿Classic: between / beyond readers 輪読のレジュメを共有できるWikiをもう少し具体的に考えてみる(もとい妄想してみる) 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加
    五月二十三日

     八時に起きる。藤田高田二君からの葉書と金星会へ二戸の小田嶋孤舟からの歌が来た。

     “病院の窓”の筆を進めて62枚目。

     昼頃、On the eve を読み終った。ツルゲーネフは矢張十九世紀の文豪で、予は遂に菊坂町の下宿に居て天下を狙って居る野心家であった。彼は死んだ人で、予は今現に生きている……

     彼は小説をあまりに小説にし過ぎた。それがもし真の小説なら、予は小説でないものを書こう。

     予は昨晩彼と競走しようと思ったことをここに改めて取消す。余の競走者としては、彼はあまりに古い。話上手だ、少し怠けた考えを持って居る。予は予の小説を書くべしだ。


              +→失恋→涙→意気地なし→死。
              ↑
    誕生→恋→熱烈な恋→+→結婚→+→善良なる夫→父→死。
                   ↓
                   +→夫婦喧嘩→意気地なし→死。


    これ(上図)は十九世紀までの小説に現われたる人の一生であるが、今はよほど変わった(下図参照)。


            +→失恋→第二の恋→第三の恋→……死。
            ↑
       恋    ↑ 「わが心君を忘るる、天地
    誕生→恋 暴風→+→に家するしらぬ浪人といへ」→コスモポリタン→死。
       恋    ↓ と歌う人
       恋    ↓
            +→結婚→+→不安→苦悶→第二の恋→第三・第四→……死。
            ↓    ↓
            ↓    +→父→平凡なる悲劇の主人公→死。
            ↓
            +→生殖の器官→無意義→死。


    (石川啄木 明治41年5月の日記  亀井勝一郎篇『世界教養全集別巻3 東西日記・書簡集』(平凡社)収録)




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    OPERATORS





    MAKE the paper into a hat.
    HAVE the hat.
    PUT the hat on the head.
    TAKE the hat from the head.
    KEEP the hat here.
    LET the hat go.
    GET the hat from someone.
    GIVE the hat to someone.
    SEND the hat to someone.
    GO from this place.
    COME to this place.
    BE doing.
    SEEM to be (doing).
    DO any act.
    SAY somethinng.
    SEE something.


    DIRECTIONS



    AT  The ball is at the edge of the table.
    WITH  The black brick is with the ball.
    FROM  The ball is going from the hand.
    AGAINST The black brick is against the white brick.
    TO  The ball is going to the hand.
    ACROSS  The black rod is across the white rod.
    AFTER  3 is after 2.
    AMONG  The ball is among the bricks.
    BEFORE  1 is before 2.
    ABOUT  The bricks are about the ball.
    THROUGH  The rod is through the board.
    DOWN  The ball is down.
    BETWEEN  The ball is between the bricks.
    UP  The ball is up.
    UNDER  The ball is under the arch.
    ON  The ball is on the table.
    OVER  The arch is over the ball.
    OFF  The ball is off the table.
    BY  The ball is by the arch.
    IN  The ball is in the bucket.
    OUT  The ball is out of the basket.





     Basic Englishは、イギリスの心理学者、言語学者のチャールズ・ケイ・オグデンによって考案された人工言語、というより英語のサブセットである。
    使う単語は基本単語が850語(および国際的な単語が78語)だけ、それにもかかわらず、オグデンによれば英語での表現と同じような表現ができるという。
     語数自体は、あまり驚くにあたらない。ESL(English as a Second Language)、つまり英語を母国語としていない人々向けの英英辞典は2000語程度の単語だけで、辞典に収録されている何万語を説明している。
     また最初のESL向け英英辞典として、A・S・ホーンビーが作ったThe Idiomatic and Syntactic English Dictionaryは、CODに匹敵する規模を持ち、英語学習者向けに文型を細かく分類し、名詞が可算か否かなどを説明し、慣用句を揃えているが、1000語だけを使って語義を説明している。

     語彙を絞り込むと、どうしても欠かすことができないものが自ずと残ってくるが、Basic Englishに残った動詞come, get, give, go, keep, let, make, put, seem, take, be, do, have, say, see, send, may, will、それからほぼそのまま残った前置詞about, across, after, against, among, at, before, between, by, down, from, in, off, on, over, through, to, under, up, with, as, for, of, till, thanは、その中核である。

    基本動詞とそのイメージ

     なぜ動詞がここまで少なくできるか、そのカラクリを言えば、基本動詞+抽象名詞で、ほとんどの動詞が表現できてしまうからである。しかもその方が、細かい調整がしやすい。

     たとえばBasic Englishには、connectはないけれどconnectionがある。
     have a (the) connection withで「コネがある」、get a connectionで「連絡がつく」、get a permanent connection to the Internetで「インターネットに常時接続する」である。抽象名詞を形容詞で修飾できるので、「常時接続する」なんて表現が作りやすい。細かい調整がしやすい、というのは、こういうところだ。
    「インターネット接続を回復させる」だと、get one's Internet connection backでいい。make a connection between A and B「AとBを結びつけて考える」、make a connection at A with B「A(駅)でBに乗り継ぐ」なんてのもある。句動詞は丸暗記しようとすると厄介だが、アルス・コンビナトリア(結合術)と考えると楽しいし応用も効く。
     これには、基本動詞のコア・イメージをつかむことが必要だが、基本動詞は、モノのやり取りとして記述できる。モノが事物の場合もあれば、抽象的観念の場合もあるだけだ。事物として取り扱える方を、視覚化したのが1枚目の絵である。


    前置詞とそのイメージ


     アルス・コンビナトリア(結合術)をやろうとすると、欠かすことのできないもう一つが前置詞だ。
    じつは
    物書きが悪魔と契約する前に試すべき7つの魔道具 読書猿Classic: between / beyond readers
    にでてくる「2 関係アルゴリズム relational algorithm」のディスクB(関係ディスク)に書かれているのは、2つのアイテムを結びつけるのに用いられる42語をCrovitz, H. F.がベーシックイングリッシュ850語の中から、抜き出した前置詞だった。

     Basic Englishには、Full English(普通の英語のことをBasicサイドから見てこういう)のものをほとんどフルセット継承している。これなしでは、モノとモノの関係を記述できないからだし、英語は空間的配置を隠喩的に使っていることがとても多いからでもある。

    He was in his room.(さっきまで彼は部屋の中にいた)
    He is in a hurry.(いまは,「あせり」の中にいる。彼は急いでいる。)

     誰かが,ある心理状態であることを,ある場所に居るのと同じような形で記述することができる。つまり心理状態もまた,世界の区分のひとつなのだ。

    彼が急ぐ理由は何か?彼女に会いたいからだ。
    He's in a hurry, because he wants to see her.
    では,なぜ彼女に会いたいのだろう。それは彼女に恋しているからである。
    He wants to see her, because he's in love with her.
    彼は部屋にいたように,恋の「中」にいる
    He was in his room.(彼は部屋にいた)
    He's in love with her.(彼は彼女に恋している)
    I'm in big trouble. (すごく困ってる)
    恋(love)にしろ,困りごと(trouble)にしろ,人はそれを自由に手に入れたり手放したりできない。
    人は恋(love)や困りごと(trouble)を持つというより,恋(love)や困りごと(trouble)に人の方が抱え込まれているような感じだ。

    前置詞のコア・イメージがつかめないと、比喩的な表現が理解しにくい。
    しかし前置詞のコア・イメージは空間的なので、視覚的なイメージ化が可能である。

    先の2枚目と3枚目の絵は、前置詞のコア・イメージを、文字通り1枚にまとめたものである。


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    I.A. リチャーズクリスティン ギブソン

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    (2006/08)
    I.A. リチャーズクリスティン ギブソン

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     ソサエティはシニア・フェロー(senior fellows)とジュニア・フェロー(junior fellows)より構成されている。

     シニア・フェローは、ハーバード大学法人より選任された教授と理事と学長と学部長の9人よりなり、その会の運営とジュニア・フェローの選考の責任を負っている。

     ジュニア・フェローは、知識と思想に将来大きく貢献する前途有望な研究者として、教授その他の有識者より推薦され、シニア・フェローによって選抜された20才〜30才までの若者である。
     毎年、約6名が選ばれる。その採用任期は3年で、一回の更新が可能である。
     こうして選ばれたジュニア・フェローが常時ソサエティには約24名いる。
     彼らは食事と部屋を無料で提供され、研究に必要な費用は授与される。
     また、彼らはハーバード内のあらゆる社会的な資源(すべての課程、演習、実験室など)を無料で利用できる。
     さらに、関心があり重要と思うことについて知的冒険をする自由を保障されている。

     ジュニア・フェローは全く自由に研究すればよいが、彼らにも守らねばならない義務がある。
     ソサエティの創立者たちは、多様な関心と専攻を持つ学者間での自由でインフォーマルな交流が常に彼らの独創的な知的成長を促進すると確信していた。
     そこで、この自由でくつろいだ交わりを持つために、毎月曜日、シニア・フェローとジュニア・フェローは夕食を共にする事にした。
     この夕食会に出ることが彼らの公的な唯一の義務である。
     その夕食会には、ソサエティの先輩も、ジュニア・フェローによって招待されたゲストも出席する。


     ジュニア・フェロー(1934-1939)であった社会学者ホーマンズは夕食会の様子を次のように記述している。
    「シェリー酒を飲みながら、ゲストが紹介される。かつてのジュニア・フェローが帰ってくることも歓迎される。また、いずれのジュニア・フェローもゲストを連れて来ることもできた。その後、夕食が告げられる。委員長が∩字型の食卓の上席に座り、他の人々は自由に座った。その際、ゲストとシニアが隣り合わないように、その間にジュニアが座った。年齢やランクは無視された。ポテトと青野菜を添えられたビーフ・テンダーローインが食卓に並ぶ。食事が進につれ、ワインを片手に、生き生きとした会話が、食卓の上を行き来する。こちらではアフガニスタンの外交政策が、あちらでは、社会科学における操作主義が、むこうでは、ネズミの行動実験が、語られている。そこには、講演も論文発表も決められた話題もない。ジュニア・フェローはただ自然に出るに任せて自分の研究について話す。多くのフェローとゲストは夕食後も、客間に移り、椅子を引き寄せて話を続けたり、新しい話題を始めたりする。時には深夜に及ぶ」(Homans & Bailey, 1948, p.20)。

     すぐれたエスノグラフィとして名高い『ストリート・コーナー・ソサエティ』の著者である社会学者ホワイトもまた、ジュニア・フェロー時代(1936-1940)の夕食会での体験を次のように述懐している。

    「L.J.ヘンダーソンには、調査方法と理論構築上で大変お世話になった。彼はザ・ソサエティ・オブ・フェローズの委員長として、自宅における家長のように、その月曜日の夜の夕食会の万事をとり仕切っていた。夕食会には、A.ローレンス・ローウェル、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド、ジョン・リビングストン・ローウェス、サユエル・エリオット・モリスン、アーサー・ダービィ・ノックも出席していたが、何といってもジュニアー・フェローに人気のあったのはヘンダーソンであった。彼は若い社会科学者にかみつくのを楽しんでいるようであった。私が初めて出席した月曜夕食会で彼は私をつるしあげ、社会に対する私の考えがいかに甘いセンチメンタリズムに根ざしているかとやりこめるのであった。私は、ヘンダーソンの鋭い批判に腹を立てたこともたびたびであったが、その都度、自分の現地調査だけは彼がいうようなものにはしないぞと決意を新たにするのだった」(『ストリート・コーナー・ソサエティ』寺谷訳 17頁)。

     会話によってのみ、人の思考はその考えを鋭くされ、また、新しい考えを得るのだと、このソサエティの創立者であるヘンダーソンやローウェルやホワイトヘッドは考え、そのように実践した。
     このような夕食での会話は、設立時からずっと続けられており、今もジュニア・フェローの唯一の公的な義務となっている。

    その成果
     1983年、ソサエティは50周年を迎えた。その時、ここで学んだジュニア・フェローたちは12個のノーベル賞や多くのピューリッツァ賞を受賞し、また、ハーバードの教授の10分の1を占めていた。現在はもっと増えていることであろう。著名なジュニア・フェローを何人かあげてみよう。

    J.バーディーン(John Bardeen ノーベル賞を2度受賞した物理学者)
    B.F.スキナー(B. F. Skinner 行動心理学者)
    W.V.O.クワイン(W. V. O. Quine 哲学者・論理学者)
    G.バーコフ(Garrett Birkhoff 数学者)
    K.ウイルソン(Kenneth G. Willson ノーベル賞受賞の物理学者)
    T.S.クーン(T. K. Kuhn 科学史家)
    P.サミュエルソン(Paul Samuelson ノーベル賞受賞の経済学者)
    N.チョムスキー(Noam Chomsky 言語学者)
    A.シュレジンガー(Arthur Schlesinger Jr. 歴史学者)
    M.バンディー(McGeorge Bundy ケネディ大統領のブレーン)
    E.O.ウイルソン(E. O. Willson 社会生物学者)

     後に犬猿の仲となるスキナーとチョムスキーはともにジュニア・フェローであった。先に登場したホーマンズは、スキナーの徹底的行動主義から強い影響を受けているし、多くのエスノグラフィを自らの小集団研究の素材にしている。

     最近では『ヤバい経済学』のスティーヴン・レヴィットと、『ヤバい社会学』のスディール・ヴェンカテッシュが、ともにこのソサエティのジュニア・フェローとして、このソサエティで知り合うことになった。

     多くのジュニア・フェローは、ザ・ソサエティ・オブ・フェローズの贈り物である「ありあまる自由」と「自由な知的交流」こそが、もって生まれた才能を開花させたと確信している。

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