筆の遅い人はどの分野にもいる。
     
     けれども、主として井上ひさしの貢献によって、遅筆といえばまず劇作家を思い浮かべてしまう偏見がある。
     これはおそらく、他のジャンルよりも遅筆のイメージが印象的でユーモラスなことによるのだろう。
     すでに幕が上がっているのに台本が完成せず、舞台袖で残りの台詞を書いているようなイメージである。
     
     しかし劇作家のすべてが遅筆という訳ではない。
     たとえば北村想は、本人の表現を借りるなら、初演に台本が出来上がっているどころか、脚本集として出版済みであるほど、筆の速い人である。
     「書くのが遅いのをなんとかしたい」という相談に答える形で、北村想は、何故自分は筆が速いのか、筆の遅い劇作家と何が違うのかを説明している。
     遅筆癖をやめ、はやく書くための〈秘訣〉としても読めるその説明は、ほとんどの秘訣がそうなように、身も蓋もないものであった。




    今回の出典は

    高校生のための実践劇作入門―劇作家からの十二の手紙高校生のための実践劇作入門―劇作家からの十二の手紙
    北村 想

    白水社
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    具体的で身も蓋もないことしか書いてない、あらゆるジャンルで書き始めようとしている人が手元に置くべき実用書。





    遅筆から抜け出すための身も蓋もない教え

     北村想は何故はやく書けるのか?
     それは、筆の遅い劇作家が最後の最後まで作品を良くしようとぎりぎりまで努力と苦闘を続けるのに対して、自分は粘ってもそこまで大して変わらないだろうと、早々に完成させてしまうからだ、という。

     芸術家にあるまじき投げやりなスタンスだと眉をひそめる人もいるかもしれない。
     しかし芸術家が自身の芸術的衝動や霊感に従う義務を負っているとしたら、劇作家はまた別の義務を負っている。台本を間に合わせ役者や演出家やプロデューサその他関係者に犠牲を強要しないこと、その制約の中で(できるならなるべく良い)台本を書き上げることだ。でないと舞台公演は延期され、役者や劇関係者は仕事を失い、観客は何もみることができない。

    このような〈近代的〉な芸術家像は、料金の未払とかクライエントと揉めたりといった外的原因によってではなく、自らの創作的な意志と衝動によって作品製作を中断し、多くの未完成作品を残したミケランジェロを嚆矢とするというフォークロアがある。
     
     
     なるほどプロは仕事だから締切に間に合わせるのが当然だ。
     しかし誰に求められるでもなく好きに書いている自分には、その話に乗る理由がないという人もいるだろう。
     その心意気やよし。
     だが、上達のためには、「どのように書けばいいか」悩むよりも、最後まで書き終えることを優先したほうがいい。
     
     どう書こうか悩むことと、実際に書くことは、上達に関していえば等価ではない。
     言うまでもなく、実際に書いた方がずっと上達に寄与する。
     どんなものであっても(たとえ目を背けたくなるようなしろものであっても)書き終えることで、人は多くを知ることができ、次のステージに進むことができる。
     
     これらから導かれるのは次のことである。
     「もっとうまく書けるかも」という妄執をやめれば、人はもっとたくさん書くようにもなるから、最終的には、よりうまく書けるようにもなる。
     
     
     
    書き終えることでたどり着く地点

     これだけだと「お前なんかどう頑張ったって、うまく書けっこないのだからあきらめろ」とだけ言われているかのようで、書くことに真剣に向かい合う意識の高い文章書きさんは反発を覚えるかもしれない。
     なので、蛇足と思いながら、もう少し続けてみる。


     「もっとうまく書けるかも」という妄執に囚われていると、書き手はもっとマシな何かを書ける可能性を求めて、完成させることを引き伸ばすか、別の書き物に移る可能性が高い。

     〈完成させることを引き伸ばす〉という症状は、自分に対する要求水準の上昇といった形で現れる。
     「これだけ時間をかけてしまったのだから、並大抵のレベルでは満足すまい」といった心持ちが湧いてくれば、延期と要求水準の上昇の間で悪循環が形成され、完成はますます遠のいてしまうだろう。
     
     〈別の書き物に移る〉ことはこんな風に生じる。アイデアは新鮮な分だけ素晴らしく見えるものだ。より新しい思いつきは、今書いているものよりも〈新しい〉というだけで成功しそうな気がしてしまう。
     今書いているものがうまく行っていないなら、なおさら別の可能性を選ぶほうが利口で合理的な感じがする。
     
     言うまでもなく、これらは悪い選択だ。
     

     ヒトとしての成熟が、「自分はきっと何者にかなれるはず」と無根拠に信じていなければやってられない思春期を抜け出し、「自分は確かに何者にもなれないのだ」という事実を受け入れるところから始まるように(地に足の付いた努力はここから始まる)、書き手としての成熟は、「自分はいつかすばらしい何かを書く(書ける)はず」という妄執から覚め、「これはまったく満足のいくものではないが、私は今ここでこの文章を最後まで書くのだ」というところから始まる

    「どのように書くか how to write」につかまらない、また、つかまったとしてもできるだけすばやく抜け出すコツは、「何を書くか what to write」に注力することだ。「どのように書くのがよいか how to write」という問いは、「どのように振舞えば相手の好意を得られるか」にも似て、答えが無数にある問いである。
     
     これは可能性についての断念ではなく、(誰かに与えられた訳ではない)自分に対する義務を果たそうという決断だ。
     
     そうして書き続けても、書いている間中、それもひっきりなしに「違う!こうじゃない!」という感じに襲われるだろう。
     時には、思ってもみないほどスラスラと、まるで刷毛で撫でただけで土の中から遺物がどんどん現れるかのように、原稿用紙(エディタ)の上に書き言葉が生まれ出る場合もないではない。
     しかし、ほとんどの時間、書き手は違和感という壁に繰り返し頭をぶつける。
     はっきり言って不愉快だし、不快な感じばかりが続けば、「こうまでして書かなきゃいけないものか」という気持ちに襲われる。ついには書き続けられることができなくなる。
     
     しかし、この違和感は、書き手を押し留める障害であるだけではなく、書き手に力を与え、次に進む足掛かりにもなる。
     こうしたギャップに繰り返し頭をぶつけ、未だ形をとらない〈表現〉と思い通りにならない〈書き言葉〉の間を繰り返し往復して、はじめて人は本当の意味で〈考える〉ことができるようになる。

     では最後まで書き終えれば、書き手はこの違和感から解放されるのか?
     否。
     むしろそこで分かるのは、(すぐにかき消えてしまう、つかの間の高揚感を除けば)「違う!こうじゃない!」という違和感から書き手が解放されることは、ほとんどないという事実である。
     しかし、これこそが書き終えた者だけが手にすることができるギフトである。
     《最後》まで書き終えて始めて、人は書きたいと思っていたことが本当は何であるか、自分が現に書いたものはそれといかに違っているかを知る。
     思っていたようには決して書けないということ、書こうとしていたもののすべてを書くことは決してできないのだと思い知る。
     
     このすぐ先に、「うまく書けない」(あるいは「書き方がわからない」「才能がない」)なんてことは、書くことを回避したり、書き終えることを引き伸ばす理由には全くならないのだと、覚知する瞬間がやって来る。こうして書き手としての幼年期は終わりを迎える。
     


     「この先は荒野です。道がありません」
     「そうか。では進もうか」

     

    (参考記事)






     
     
     
     翻訳家の世界では「辞書は金で買える実力」という。
     今回は無料かつ合法的に手に入る実力=辞書の話を。
     
     国立国会図書館が所蔵する明治・大正・昭和前期の資料を公開している近代デジタルライブラリー(http://kindai.ndl.go.jp)には、当然ながら、この時期に出版された多くの辞典・事典が含まれる。
     
     半世紀以上も前につくられた辞書なんて使い物にならない、と最初から切って捨てる人もいるかもしれない。
     しかし大部の辞典・事典を出版するという企画は、そもそも簡単に実行できることではない。実行したとしても完成にこぎつけるには長い時間がかかる(広辞苑程度の1冊ものの辞書ですら10年近くかかるのだ)。長い年月と膨大なマンパワーを投じれば、当然値段も高くなる。買い手は限られる。その辞書が前人未到のものであればあるだけ、それを過去のものにする辞書はなかなか(ほとんどの場合ずっと)現れないのだ。
     
     つまり、それにかわる新しい辞典・事典が未だに存在しない(おそらくこの先も登場しそうにない)ような空前絶後な巨大辞書は、著作権が切れようとも未だに現役である。
     未だに現役であるだけに、これら巨大辞書の中には現在も復刻版が出ているものが少なくない。つまり金を出さえすれば手に入るのだが、ここでもう一つの属性を考慮しなければならない。スペースの問題だ。
     これらの巨大辞書は、大部ゆえに個人所有するには高額であり、加えて本棚を占拠するスペースも、床にかかる重量も小さくない。だからこそ、これらの辞書は従来、プロだとか無類の辞書喰いでもないかぎり手元に置くものではなく、図書館に行かなくてはお目にかかれない書物であった。
     
     近代デジタルライブラリーから入手できる電子データ(PDFファイル)は、ブラウジングの快適さや一望性・一覧性その他の点で紙の書物に劣るが、何より省スペースであり、図書館にしかない類の辞書を手元に置くことができる。(容量が許せば)スマホに入れて持ち歩くことさえできる。喫茶店で打ち合わせをしながら『大語園』を引いたり、交差点で信号が変わるのを待ちながら『広文庫』を引いたりできるのである。
     
     もともと辞書という書物は、他にもまして、他の書物や知識と突き合わせ絡み合う場面でこそ力を発揮する。小さくなること、軽くなることは、この上ない朗報である。
     
     もうひとつ、空前絶後というわけではなく、今も同種のより新しいものが手に入る辞書がある。国語辞典や百科事典といった、我々にとってより馴染み深いものたちだ。
     辞書は作られた時代の意識や関心をその身に深く刻んでいる。
     国語辞典や百科事典のカテゴリーに入る古い辞書は、時代性を強く刻印されているが故に、現在の辞書との引き比べを促し、此彼の隔たりを考えさせる別の魅力を備えている。

     今回紹介するのは、そうした辞典・事典たちである。


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    000 総記
    020 図書・書誌学
    日本古刊書目 吉沢義則 著 (帝都出版社, 1933)

     奈良時代から文禄末年までの刊本の目録。
     奈良、平安、鎌倉、室町の4期に分け、各図書について書名、巻数、所蔵個所等を記した書。
     巻末に日本古刊書目年表、日本古刊書文献年表、日本古刊書目索引を付ける。
     

    日本古刻書史 朝倉亀三 編 (朝倉亀三, 1909)
     
     770年の陀羅尼経から1610年ごろの角倉本にいたるまで約850年間に日本で出版された、いわゆる古版の由来と沿革を記した書。


    国書解題 佐村八郎 著 (吉川半七[ほか], 1904)

     古代から慶応3年までの和書約25000部の解題書。
     収録範囲は宗教、法政、史学、地理、遊技、科学などあらゆる分野に及び、解題中にかなり詳しい著者の伝記を含む。
     著者、分類、字画の索引がある。


    漢籍解題 桂五十郎 著 (明治書院, 1908)

     中国研究者として参考にすべき漢籍と日本で普及している漢籍の約1500種に解題書。
     経、史、子、集、政治、地理、金石、目録、小学(言語)、修辞、類書、雑書、叢書の13門をさらに細分化し、それぞれ時代順に配列してある。
     各門ごとに門名の意義沿革を説明し、各書について、誰がいつ書いたどういう内容の本なのか、どういうふうに書かれているのか、版本や注釈にはどういうものがあるのか、題名、作者、体裁、伝来、注釈、参考の6項を詳説する。
     目次に収録書名を列記し、巻末には字画、仮名、異名、著者について索引がある。

     中国語・漢文の学習サイト 青蛙亭漢語塾で、これに簡単な検索機能をつけた「◯WEB漢籍解題」が公開されている。


    叢書全集書目. 第1~5輯  (東京古書籍商組合, 1934)

    明治から昭和10年代までに出版された全集・叢書のほか講座もの、大系もの、および 重冊書について、どの叢書にどんな作品、内容がおさめられているかを網羅した内容細目一覧。
    第1〜2輯 不分類篇 約150タイトルを収録。
    第3輯 政治・社会・法律・経済類篇 約400タイトルを収録。
    第4輯 歴史・考古・風俗・地誌類篇 約500タイトルを収録。
    第5輯 宗教・哲学・思想・教育類篇 約650タイトルを収録。


    書物語辞典 古典社 編 (古典社, 1939)

     書物(図書、読書、書誌学、古書、出版、印刷、用紙に至るまで)に関する百般の用語(普通語、術語、慣用語から、外来語、隠語その他一切)を実用的立場(?)から編集した小辞典。数行程度の簡潔な記述だが、取り上げられた項目、少し偏見を交えた事情通ぶりなど、中々読ませる。愛書家必携の書。




    030 百科事典

    嬉遊笑覧 喜多村信節 著[他] (成光館出版部, 1932)

     江戸時代の類書。喜多村節信(ときのぶ)著。12巻,付録1巻。
     江戸時代の庶民生活に関する事項を、故事古説に照らして考証した、近世風俗の研究に欠かせない書である。初版は文政13(1830)年。
     内容は、居処・容儀(巻一),服飾・器用(巻二),書画・詩歌(巻三),武事・雑伎(巻四),宴会・歌舞(巻五),音曲・弄(巻六),行遊・祭祀・仏会(巻七),慶賀・忌諱・方術(巻八),娼妓・言語(巻九),飲食・火燭(巻十),商賈・乞士・化子(巻十一),禽虫・漁猟・草木(巻十二)。など28分類に及ぶ。


    倭漢三才圖會 寺島良安 編纂 (日本随筆大成刊行會, 1929)

     大阪の医師寺島良安が天地人を知って医術は生かせる」という師の教えに従い30余年を費やして1712年に完成させた江戸時代中期の図説百科事典。
     中国の『三才図会』に範をとり,和漢古今の事物を天文、人倫から草木まで96類の分類順に配列し、平易な漢文で各事物に簡明な説明と図を入れている。先行の文献を参考にするだけでなく、広く国内を旅して実地踏査し、種類、製法、用途、薬効などを明記して客観的、合理的な解説を施した。図解は分析的である。神社仏閣の場合には歴史よりも縁起をとり、公卿や有職は伝承のままを記さざるをえなかったと断り書きするところにも編者の姿勢が伺える。江戸時代の文化を知る有益な文献であるだけでなく、明治期にも繰り返し刊行され、発刊後200年あまり用いられた。



    守貞漫稿 喜田川守貞 著 (江戸後期)
    類聚近世風俗志 : 原名 守貞漫稿 喜多川守貞 著 (国学院大学出版部, 1908)(更生閣書店, 1934)

     江戸時代後期の風俗、事物を説明した一種の類書。著者自身による1600点にも及ぶ付図と江戸と上方を比較した詳細な解説によって、近世風俗史の基本文献とされる。



    日本随筆索引 太田為三郎 編 (東陽堂, 1901) (岩波書店, 1926)

     江戸時代の代表的な随筆450種から約4万項目を選び出し、それぞれに文例や記述内容を掲げ、出典と掲載個所をまとめた総索引。内容は天文地理、人事、宗教、衣食住など、あらゆる分野に及び、近世風俗についての百科事典として用いることができる。


    古事類苑 神宮司庁 編 (古事類苑刊行会, 1930)

     明治政府により編纂が始められた類書タイプの百科事典。日本唯一の官撰の百科全書。
     古代(国初)から慶応3年(1867)までの様々な文献から引用した例証を分野別に編纂しており、日本史研究の基礎資料とされている。
     類書とは、編纂者みずからが著述するのでなく、項目ごとに過去の文献の該当箇所を引用し編纂したもので、つまり過去の書物の引用だけでできた百科事典である。中国では、六朝時代から清代にいたるまで、歴代王朝の国家事業としてそれぞれ当代の知識人を結集して編纂された。
     このタイプの百科事典が漢字文化圏で発達した理由は、経書を頂点とする文献知識の秩序が長い間保持され、しかし一方では変化する時代情勢に対応する必要があったからである。つまりリソースの方は時代を経ても相変わらずなのに対して、ニーズの方は変化するので、リソースを組み替えてニーズに応ずる形態すなわち類書が発展した。
     各項目について新しい知識(人類の現時点での到達点)を知るには向かないが、かつて日本人がそれぞれの項目についてどのように捉えていたか、それはどの文献のどこにどのように書かれているかを知るために重宝する。
     理想的には多数の一次文献に自らあたるべきなのだが、あらゆる事項について理想的に取り組むと、人の短い人生はすぐに尽きてしまう。
     あらゆる辞典は、あなたの時間を節約するために存在する。
     そして従来図書館で見るしかなかった、この手の大部な辞書を手元に(ハードディスク内に)置くことは、図書館との往復時間を節約する。
     なお、古事類苑は、様々なところでデータベースが利用できる。
    ・◯古事類苑全文データベース (国際日本文化研究センター) 
    ・◯古事類苑ページ検索システム (国際日本文化研究センター) 
    ・◯古事類苑データベース (国文学研究資料館) 
    ・◯ジャパンナレッジ




    群書索引 物集高見 著 (広文庫刊行会, 1917)

     辞典や百科事典はどう頑張ったて、たかだか当世の「高名な学者たち」なんかが執筆するにすぎない。基本的にとってもコンテンポラリーなものだ。
     しかし知りたいのが、たとえば「犬」についての近年の研究成果などではなく、「犬」についての古人の考えやイメージ、彼らは「犬」の何を知り、また彼らにとって「犬」とは何だったかを知ろうと思えば、それぞれ古い文献に当たるしかない。
     けれど人が文字を書き始め、記録を取り始め、考えを記しはじめたのは、昨日今日の話ではないのだから、古来より蓄積の上に蓄積されてきた膨大な「書かれたもの」をいちいち調べて、「犬」が載っている載ってないをいちいち探すのは、とっても骨折れだ。
     しかし、ここに、もう「犬」について古文献を探してくれている人がいた。それどころか約5万の項目について「どの文献の、どこに載っているか」を彼は調べておいたのである。なんという便利!その名も物集高見(すごい名前だ)、そして本の名前は「群書索引」である。
     「群書索引」によれば「犬」については、「大和本草」の十六の三や「和漢三才図絵」の三十七の二……等などに書いてあることが分かる。


    広文庫 物集高見 著 (広文庫刊行会, 1918)

     しかし、手元に、あるいは足を運んだ図書館に「大和本草」や「和漢三才図絵」がなかったらどうすればいいのか。せっかくの文献名も、載ってる場所も、わかったのに、もはやなす術はないのか。
     しかし(今からこの記事の中で最も大切なことをいう)、

     本というものは、たとえその存在を知ったとしても、基本的には「ない」か「手に入らない」ものなのである。

     とりわけ、今より発行部数が少なく、流通機構の発達していない時代はそうだった。本そのものが貴重品で、持っている誰かを捜し当てても、見せてもらえないことなど日常茶飯事だった。
     しかし我らが物集高見は、期待を裏切らない。「どこに載っているか」だけでなく、「どんなことが載っているか」を抜き書きした本を、ちゃんと作っておいてくれたのである。
     それが『広文庫』である。
     国学者・物集高見が個人で編纂した類書型百科事典。類書としては最後の、つまり最新のもの。全20巻。
     類書の多くは、先に述べたように歴代王朝の国家事業としてそれぞれ当代の知識人を結集して作られたのであり、これを個人でやってしまおうという変人は少ない。日本でも、同時期に後述する『古事類苑』は国家事業として取り組まれている。
     データベース化が進む『古事類苑』に対して、今のところそうした話がない『広文庫』を手元に置くために、近代デジタルライブラリーからの入手は現実的な方法である。
     また個人編纂の『広文庫』は、50音順であることと、国家事業の『古事類苑』が切り捨てたような雑書からの確かならぬ引用・奇談伝説の類もたっぷり採り入れて奥行きが深い(時々に帰って来れなくなりそうである)。
     
      たとえば「犬」の項には、以下のような小項目が立項されている

     「犬の歳」「犬、雲を悦ぶ」「白狗」「五色の狗」「五足の犬」「角ある犬」「両首の犬」「人面の犬」「犬、雛雉を育む」「雉、乳犬を養はんとする」「犬、牛を養ふ」「犬、子を御帳の内に生む」「犬子、脇より生まる」「雄狗、子を生む」「犬、主人を護る」「犬、主人に銭塊をとらす」「犬、主人を救ふ」「犬、主人の屍を守る」「犬、主人の忌日に精進す」「犬の殉死」「犬、位を賜ふ」「犬にも友誼あり」「孝犬」「義犬」「日参の犬」「犬、消息の使をす」「犬に荷物を牽かしむ」「犬の自殺」「犬、讐に報ゆ」「犬の怪」「人、犬に生まる」「犬、狐と交る」「人、犬と交る」「人と犬の夫婦」「犬、地中より出づ」「狗人國」「犬のたまひ」「犬の肉」「犬の皮」「犬頭の社」「犬塚」「犬寺」「犬の法事」「酒屋の狗」「犬、石に吠ゆ」「犬、常に変わるを吠ゆ」「犬の遠吠」「犬、天上に吠ゆ」「一犬、形に吠え、千犬、声に吠ゆ」「狗を磔にす」「桀の狗」「南犬、雪に吠え、風に吠ゆ」「煩悩の犬」「犬と猿と」「犬を一疋、二疋といふ」
     
     多くの事項は、ただの百科事典や動物事典、それに『古事類苑』にも載っていない。




    百科全書 (文部省,1873〜)

     文部省の肝いりで進められた明治初期の百科事典の翻訳。
     編輯寮頭であった箕作麟祥がチェンバーズの『国民知識事典』Information for the People第5版2巻(無刊記)の全訳を1873年(明治6)に開始し、『百科全書』と命名。74~84年93編でほとんど全訳、83~85年に丸善(まるぜん)はこれに索引をつけて3巻として発行した。


    日本社会事彙 田口卯吉著(経済雑誌社, 1891)

     日本で最初の西欧的百科事典。全二巻。1890~91年(明治23~24)発行。
     編者の田口卯吉は1878年(明治11)大蔵省官吏を辞退後、『泰西政事類典』『日本人名辞書』『国史大系』などを出版、『群書類従』を再刻するなど大出版を継続したが、その目的は、本格的大事典の『日本百科事典』を編集して、当時イギリスから発行されていた国際的百科事典である『ブリタニカ百科事典』に対抗するにあった。
     これら一連の出版のために用意されていた資料を用いて、『日本社会事彙』は編集された。
     内容は、日本の政治、社会、経済など広い領域にわたり、日本文化を取り入れ、集約し、評論したものだった。


    大日本百科辞書 大日本百科辞書編輯部 編 (同文館, 1912)

      欧米の百科事典にならう総合的な事典の出版を計画したのは同文館であった。同文館は1901年に計画を発表し、商業大辞書6巻,医学大辞書8巻、工業大辞書12巻、経済大辞書9巻、哲学大辞書7巻、教育大辞典3巻など分野別大辞書を刊行し,それらを併せて《大日本百科辞書》と名付けた。この性急な出版事業は莫大な経費を要し、12年に同文館は倒産した。



    や此は便利だ! : ポケツト顧問 下中芳岳 著(平凡社、1914)

     学校では数年しか学ばなかった独学者 下中弥三郎は、自らの経験から独りで学ぶ者にとって最も必要なツール/学習環境がエンサイクロペディアであると考えていた。自らこれを編纂したいとの欲求を抱いていた下中は、埼玉師範学校で教鞭をとっているとき、常識的な外来語・流行語・新聞用語を学生たちがほとんど答えられないのを見て「新聞語の解説と文字便覧とを一本にすれば喜ばれはせぬか」と考えこれを執筆、成蹊社という出版社に持ち込んだ際に出版社社長の口から出た「や、これは便利な本ですな」をそのままタイトルした。しかしこの出版社が潰れ、やむなく下中自身の手が出版するために1914年平凡社を設立、小百科事典『ポケット顧問 や、此は便利だ』はベストセラーとなった。


    大百科事典 平凡社 編 (平凡社, 1935)

     エンサイクロペディアの意味で「事典」という言葉を使った最初の百科事典。この成功により、「事典」という言葉は日本語に定着した。
     平凡社は昭和初期の円本ブームの波にのり、30種、700巻以上の円本を刊行し「円本全集の総本山」と呼ばれたが、1931年には経営破綻寸前となった。こうした中、下中の念願であり、自らが企画した『大百科事典』を、半年後に第1巻を発売するハードスケジュールで1931年11月刊行(1934年に完結)、これにより起死回生の成功を収めた。平凡社は経営を立て直し、百科事典の平凡社としての名を高めた。
     平凡社のこの百科事典は、第二次大戦後、 林達夫を編集長に迎え、日本を代表する百科事典に成長する。
     


    児童百科大辞典 小原国芳 編 (児童百科大辞典刊行会, 1933)

     イギリスで 完全図解百科I See Allを始め、子ども向け教育、参考書を数多く企画、編集した天才辞書編集者アーサー・ミーが編集した最初の近代的な児童百科『The Children’s Encyclopaedia』(1908)は、これは豊富な挿絵と生き生きとした文章でテーマ別に展開したもので、工夫された索引も相まってイギリスやアメリカで大成功をおさめた。
     大正時代に新教育運動を主導し成城学校を創設した沢柳政太郎が、後に玉川学園を創立する小原國芳への外遊土産としてイギリスから『The Children’s Encyclopaedia』を持ち帰り、これに触発された小原たちが玉川学園から出した日本初の児童向け百科事典がこれである。ミーの事典に触発されて分野別であり、学校の教科に対応させた〈学習百科〉とは異なる、子どもの好奇心にこたえつつ文化の核心を生き生きと伝えようとする傑作。
     第二次大戦後、このうちの自然科学部門の10巻分を大幅に増補改訂したものが、一般向け科学事典として重宝がられた『玉川新百科』10冊。


    学習資料百科全書  (東洋図書, 1925)



    明治節用大全 : 伝家宝典 博文館編輯局 編 (博文館, 1894)

     節用集はもともと〈いろは引きの辞書〉の字引だったが、18世紀後半から付録の内容の拡大にともない作法書・教養書の性質を持つものが現れ、字引と大型化の二極分化が進んだ。
     明治に入り、翻訳百科事典によって新知識を得ようとしたのは一部の知識階層だけで、多くの人々は,さまざまな新制度・新風俗など生活のための新知識を、室町以来の歴史を持つ大型化・教養書化した節用集で得ようとした。《明治節用大全》はそんなもののひとつである。
     内容は皇族一覧、武家家系集から家事経済、民間医療、肥料分析、古今遊技指南、手紙の文例、和歌の作り方、作文の栞、万国宗教大意、世界地理の案内に、内外事物の起源紹介、男女の礼儀作法、最後は本朝大地震年表で締めくくるという充実ぶり。




    050 逐次刊行物
    朝日年鑑 大阪朝日新聞社 編 (朝日新聞社, 1926〜1949)

     最も古くから2000年まで続いた年鑑・統計本の、創刊から1949年版までが近代デジタルライブラリーで公開されている。
     日本と世界の各団体が取った様々な統計データをまとめて掲載したほか、国会議員、著名人、企業の住所録などを掲載。長らく『読売年鑑』(読売新聞社刊行、1949年~)とともに総合年鑑として知られたが、2000年に休刊となった。


    毎日年鑑 大阪毎日新聞社 編 (大阪毎日新聞社, 1927〜1937)




    080 叢書. 全集. 選集


    群書類従 塙保己一 編 (経済雑誌社, 1893)  (内外書籍, 1937)
    続群書類従 塙保己一 編 塙保己一 編 (続群書類従完成会, 1925-26)

     塙保己一による、日本の古書を収録・翻刻した大叢書。
      江戸時代初期以前の古文献について、正編は 1270種の文献を 530巻に,続編は 2103種の文献を 1150巻に収め,正続ともに神祇,帝王,補任,系譜,伝,官職,律令,公事,装束,文筆,消息,和歌,連歌,物語,日記,紀行,管絃,蹴鞠,鷹,遊戯,飲食,合戦,武家,釈家,雑の 25部に分れる。
     古代・中世文献が中心に収録史料は多様であり、当初の編集方針により小冊子が中心に集められたこともあり貴重な資料集。


    少年叢書漢文学講義 (興文社[ほか], 1891〜)

     明治24年以来長期にわたり刊行された漢文の叢書。本文に返り点・送り仮名を付け、語釈(字解)と現代訳(講義)を付す。


    漢籍国字解全書 早稲田大学編輯部 編 (早稲田大学出版部, 1926)

     明治42年から大正6年にかけて刊行された漢文についての叢書。収録作品についてはこちら
     『書経』『詩経』『老子』『荀子』など経子が中心に扱い、『楚辞』『古文真寶』『文章規範』『唐宋八家文』『唐詩選』を含む。
     「先哲遺著」とあるのは、江戸の儒者(林羅山・荻生徂徠・熊沢蕃山など)が行った漢籍への注釈と内容についての解説、そして時に文法事項の解説を集めたものであることから。


    国訳漢文大成 国民文庫刊行会 編 (国民文庫刊行会, 1924)

     大正11年から刊行された叢書。経史子部二十冊と文学(集)部二十冊とで構成(収録作品についてはこちら)。主要な中国古典から白話小説の『水滸傳』『紅樓夢』や元曲の『西廂記』『琵琶記』『牡丹亭還魂記』まで含む。すべてに書き下し文を示しているのが「国訳」の意味。くわしい句解もついている。
     水滸伝については露伴が訳している(つまり訓読している)。




    100 哲学
    180 仏教
    仏書解説大辞典 小野玄妙 編 (大東出版社, 1935)

     和漢仏教書の全てを、大は一切経に入る数千の経典から小は市井に埋れるパンフレットまで、大部数のベストセラー本も貴重な写本も、一切の仏教典籍を収め尽してこれらの諸典籍一々に内容解説を施し所在を明示した辞典。


    国訳大蔵経 国民文庫刊行会 編 (国民文庫刊行会, 1918)

     経部14巻、論部15巻、戒律研究2巻よりなる。
     厖大な一切経の中から最も基本的な経論と律蔵を選択し、それらに開題・国訳・註記・漢訳原文を付したもの。訳には総ルビを付す。


    日本大蔵経 日本大蔵経編纂会 編 (日本大蔵経編纂会, 1920)

     日本仏家300余人撰述の教典、律論および章疏等945部2,200巻の原典が編入された48巻の日本独自の蔵経。


    仏教大辞典 望月信亨 等編 (武揚堂, 1916-1936) 
     「望月仏教大辞典」として知られる、現在でも、量において最大、質についても声価の高い大型仏教辞典。
     現在、1,2,3,5巻及び付録(仏教大年表)を公開。
     




    200 歴史
    210 日本史
    国史大辞典 八代国治 等編 (吉川弘文館, 1926)

     吉川弘文館からは明治時代と昭和時代に2度にわたって大部の日本史辞典が刊行されているが、これは明治に出版されたものに大正期に大増訂が加えられたもの。
     明治維新以後の「現代史」こそ扱っていないが、国初以来のあらゆる時代あらゆる分野をまとめて編集された歴史辞典はこれが日本初の画期的なものであり、大きな成功をおさめた。


    国史大図鑑 国史大図鑑編輯所 編 (吉川弘文館, 1933)

     古代から明治末年までの史的遺蹟および文化財についてモノクロ写真(一部原色)2684点を収録した日本史図鑑。
     1上古・奈良・平安時代、2源平鎌倉時代、3吉野・室町・桃山時代、4江戸時代、5明治時代の5巻に、風俗篇の6巻を加え儀式・祭礼・服飾・調度などを分類し、それぞれに解説を加える。
     

    国史大年表 日置昌一 著 (平凡社, 1935)

     日置昌一もまた学歴のない独学者で在野の歴史家。小学校卒業後東京にでてはたらきながら、17年間上野の帝国図書館にかよいつづけて膨大な書物を読破し、ノートは一切とらず、すべてを暗記した。『国史大年表』はそのような日置がおのれの学問を世に問おうとした、神武天皇から昭和9年までの出来事を日付入りで記述した力作で、昭和9年1935(昭和10)年、これも独学者の下中が創立した平凡社から刊行された。新聞には「著者は学歴のない、篤学者の少壮史家」などと紹介された。アカデミズムは出典が明記されてないなどとこの大著を冷淡に扱ったが、昌一の息子、日置英剛が現在、こうした批判に応える『新 国史大年表』を刊行中である。



    ◯大日本史料 東京大学史料編纂所 編 (東京大学, 1922〜)

     年代順による日本歴史についての最大の基礎史料。東京大学史料編纂所で編纂,現在も刊行中。
     律令政府の修史事業の六国史のあとをうけて,宇多天皇の仁和3 (887) 年8月から明治維新直前の慶応3 (1867) 年までの 980年間について、政治,経済をはじめ,各方面の事件に関する史料を年月日を追って配列し,漏れなく掲載したもの。
     史料を裸で載せているのではなく、出来事ごとに綱文を立てて一項目としているのが特長。
     東京大学史料編纂所 公開用データベース http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/db.htm
    の「大日本史料総合データベース」検索表示可能だが、この度近代デジタルライブラリーにも登場。



    ◯国史大系 経済雑誌社 編 (経済雑誌社, 1901)

     日本史研究に関する基本的な文献を集め,校訂して出版した叢書。 明治の代表的啓蒙史家田口卯吉編纂。 神代から江戸時代末期に及ぶ正史や,個人の編纂した歴史書,制度法令集,文学,伝記集,系譜などの基本的なものを集めている。第2次世界大戦で失われた写本を利用しており,文献研究のうえからも貴重。


    ◯史籍集覧 近藤瓶城 編 (近藤出版部, 1926)
    ◯続史籍集覧 近藤瓶城 編 (近藤出版部, 1917)

     古代から江戸時代にかけての記録,史書類を集録,編纂したもの。和装本 468冊。近藤瓶城編。 1881~85年刊行された。『群書類従』のあとをうけて,その逸漏を補い,通記類 36種,編録類 96種,類聚類5種,雑纂類 201種,以伝類6種を収める。次いで 93~98年に続編 70冊が出された。『群書類従』と並んで貴重な史料である。


    220 東洋史
    東洋歴史大辞典 全9巻  平凡社 編 (平凡社, 1941)
    昭和12年から同14年にかけて刊行された歴史辞典。
    この時期の編纂であるにもかかわらず、現在でもなお有用・現役である辞典。1986年に臨川書店から縮刷復刻版(図書館で我々が見掛けるのはこちらだろう)が刊行したほど。




    280 伝記
    日本系譜綜覧 日置昌一 編 (改造社, 1936)

     天皇家を始め諸貴族・武門の系図から宗教者・芸術家・学者の各人脈、更に工芸・芸能・碁将棋・相撲など大衆娯楽の諸流派の系統まで、日本の家系と系譜を集大成した書。



    前賢故實 菊池容斎 (武保) 著 (雲水無尽庵, 1868)

     江戸後期成立の伝記集。菊池武保(容斎)編・画。天保七年~慶応四年刊。神武天皇から後亀山天皇までの明君・賢人・忠臣・烈婦など585人を時代順に肖像化し、漢文で略伝を記したもの。
     日本の歴史上の人物を視覚化したものとして画期的であり、明治期の美術、特に歴史画において、図像の典拠や有職故実の教科書として多大な影響を与えた。



    名将言行録 岡谷繁実 著 (玉山堂, 1869)岩波文庫 版 (岩波書店, 1944)


     戦国時代の武将から江戸中期の武士(赤穂浪士の討ち入りを指揮した大石良雄など)まで、著名な人物192人の言行、逸話を集めた人物列伝。幕末の館林藩士・岡谷繁実著。
     入念な調査、検証を行ったものではなく、史実と乖離している部分もあるため歴史学的には評価が高くないが、有名武将の多彩なエピソードを集めているところからしばしば時代物のフィクションで参考にされる。
     

    大武鑑 橋本博 編 (大洽社, 1935)

     江戸時代、諸大名や旗本のすべてについて出身、格式、職務、石高、家紋など、武家の大要がわかるように列挙した書物を武鑑と呼ぶ。寛永年間 (1624~44) に出た『治代普顕記』所収のものが原型といわれ、正保4 (1647) 年に出た『正保武鑑』が形式の整った。
     刊行当時職員録としての需要にこたえたことはいうまでもないが、後世の研究にも便利で、森鴎外や野村胡堂は常に座右に置いて執筆した。
     『大武鑑』は江戸時代に出た武鑑を集大成して橋本博が編集したもの。



    ◯日本擬人名辞書  宮武外骨 編 (半狂堂, 1921)
     擬人名とは、人・物・事柄の性質や形状を人名になぞらえたもの。「骨皮筋右衛門」「飲ん兵衛」「承知の助」「ちび助」「石部金吉」「助平」の類をいう。
     この辞書は、あの宮武外骨がそんな擬人名ばかりを集めたもの。
     これに類するものでは幸田露伴に「当流人名辞典」(『讕言』収録)があるが、外骨はほぼ全ての項目に参考文献からの引用を挙げて、辞書の体裁を整えている。項目数も段違い。




    日本紳士録 (交詢社, 1911〜1944)

     1889年から隔年で2007年まで出された日本を代表する紳士録。
     日本の実業界、政界、官界、教育界、芸術界、その他各方面で活躍中の人物を登載。肩書、出身地、出生事項、学歴、趣味、住所、電話、配偶者などを記載している。日本在住の主要な外国人も含まれる。
     1911〜1944年まで近代デジタルライブラリーで公開。


    人事興信録 (人事興信所, 1911〜1948)

     1903年から続く日本を代表する紳士録(官僚、大企業の役員、芸術家など著名人のうち、存命で活躍している人物の情報を掲載したもの)。
     1911〜1948年まで近代デジタルライブラリーで公開。



    現代人名辞典 古林亀治郎 編 (中央通信社, 1912)

     日本図書センターの『明治人名辞典』上下(1987)に改題復刻された人名辞典。


    日本現今人名辞典  (日本現今人名辞典発行所, 1901-3)

     日本図書センターの『明治人名辞典2』上下(1988)に改題復刻された人名辞典。


    大日本人物誌 成瀬麟, 土屋周太郎 編 (八紘社, 1913)

     日本図書センターの『明治人名辞典3』上下(1994)に改題復刻された人名辞典。


    大正人名辞典 東洋新報社 編 (東洋新報社, 1917)

     日本図書センターの『大正人名辞典』上下(1987)に改題復刻された人名辞典。


    大衆人事録 帝国秘密探偵社 [編] (帝国秘密探偵社[ほか], 1940)

     日本図書センターの『大正人名辞典2』(1989)、『昭和人名辞典』第1巻東京篇、第2巻 北海道・奥羽・関東・中部篇、第3巻 近畿・中国・四国・九州篇、第4巻 外地・満支・海外篇(いずれも1987)に改題復刻された大正/昭和初期の人名録。


    大日本博士録 全5巻 (発展社, 1930)

    日本で学位授与を開始した明治21(1888)年から昭和4(1929)年までに授与された博士について、出生、学歴、業績の他にも趣味嗜好、家族、現住所、電話番号等の詳細な記述があり、明治、大正、昭和初期の博士論文を調査するのに使える。一部の博士については肖像(欧文頁のみ)と自署を収録。



    290 地理. 地誌. 紀行
    大日本地名辞書 吉田東伍 著 (冨山房, 1907-10-17)

     吉田東伍もまた数年しか学校に通っていない独学者で、小学校教員となって仕事の傍ら史論を投稿し、やがて学者の注意を引くようになり、読売新聞社から招かれて上京、のちに早稲田大学教授となった。
     日本の地名の変遷を記した研究がないことに気付き,独力で多くの困難と闘いながら,13年かかって《大日本地名辞書》を完成させた。原稿の厚さ5mに及ぶ質量とも古今未曾有の大地誌で、全国を道、国、郡の順に配列し、各郡内はまた『和名類聚抄』の「郷」に分けて、郷内の山、川、野、津、潟、寺社、島、谷、滝、城址等と主要村落の起源、耕地(田数)について、六国史などの中央的史書、地方誌・地方名跡志からさらに詩歌・俳句まで引用して、特定区域の歴史地理的事象を合記併載して叙述する。


    大日本地誌大系 大日本地誌大系刊行会 編[他] (大日本地誌大系刊行会, 1917) (雄山閣, 1933)

     江戸時代に編集された『風土記稿』『御府内備考』『新編会津風土記』など主要な近世地誌を網羅した叢書。
     明治30年代設立の日本歴史地理学会は、近世地誌の翻刻・刊行を企画し、大正前期に『大日本地誌大系』14冊を刊行したが、この事業は未完に終わった。
     昭和に入り出版社 雄山閣が改めて刊行に着手し、当初から編輯に参画していた蘆田伊人が中心となり、昭和8年(1933)『大日本地誌大系』全40巻が完結した。



    日本地名大辞典 日本書房 編 (日本書房, 1938)


    大日本読史地図 吉田東吾著、蘆田伊人修補 (富山房, 1937)

     歴史の地理、地理の歴史として相互の関連をはかる意図から、吉田東伍『大日本地名辞書』の姉妹編として編まれた日本地図集。『大日本地誌大系』による蘆田伊人修補。上代から近代までの各時代の多くの地図を集めており、各地図についての略説もある。歴史地図として利用しやすい。


    沿革考証日本読史地図 : 附・略説.図説 河田羆 等編 (富山房, 1897)



    世界地理風俗大系 新光社 編 (新光社, 1932)

     総ルビ付きの地域別科地理風俗事典。写真多数。



    日本国誌資料叢書 全14巻 太田亮 著 (磯部甲陽堂, 1924-26)


    ◯万国名所図絵 : 世界旅行. 全7巻 青木恒三郎 編 (嵩山堂, 1886)

    ◯日本名所図絵 : 内国旅行. 全7巻 上田維暁 (文斎) 著 (青木嵩山堂, 1890)

     全ページに緻密な銅版画を配した旅行ガイドブック。
     『万国名所図絵 : 世界旅行』の成功を受けて、『日本名所図絵 : 内国旅行』が引き続き刊行された。
     本文は文字も挿絵もすべて洋紙銅版摺で、当時の擬似洋装本を踏襲している。



    ◯日本名勝旅行辞典 日本旅行会 編纂 (日本旅行会, 1931)


     昭和初期の日本の観光名所が網羅されている。どのような温泉が、神社が、当時の日本人に観光地として認識されていたかを知ることができる資料。
     「時代性を強く刻印されているが故に、此彼の隔たりを考えさせる別の魅力を備えている」レファレンスの一つ。



    380 風俗習慣. 民俗学. 民族学
    神話伝説大系  (趣味の教育普及会, 1935)

     インド・ペルシャ、エジプト・アッシリア・バビロン、ギリシヤ・ローマ、支那・台湾・朝鮮、スペイン・アナン・アジア、ドイツ、日本、フィンランド・セルヴィア、フランス・ロシア、ヘブライ・パレスチン、北欧、メキシコ・ペルーの神話と伝説を収めた世界神話全集。


    大語園 巌谷小波 編 (平凡社, 1936)

     日本・中国・印度に伝わるあらゆる伝説・説話の類を集めんとし、8365話を集成した事典。児童文学と御伽噺の父、巌谷小波が企画、弟子の木村小舟と息子の巌谷栄二が完成させた。全10巻。
     なぜ児童文学で名を挙げた小波が、伝説・説話を集めようとしたのか。それは、「人間を写し得た物より、鬼神を描いた物の方が、事実を描いた歴史や、人情を描いた物語より、想像を原とした神話や、夢幻を主とした伝説の方が」子どもをよく喜ばせるし、小波自身を喜ばせたからである。
     レファレンスも充実しており、登場する地名や人名、神仏、鳥獣魚虫、物の怪などからも引けるので、仙人伝事典や名僧伝事典、神話事典や妖怪事典などにもなる(ウィキペディアを見ると『大語園』をレファレンスしているのは、「のっぺらぼう」「一目入道」「百頭」など妖怪の項目ばかりである)。
     和・漢・印に伝承される物語の基層、原モチーフをカバーしているともいえるので、物語作者の創作にも活用される。吉川英二と手塚治虫が使っていたという記事を以前書いた。小波の孫、栄二の子である巖谷國士によれば、(童話や児童文学は嫌いだと公言していた)澁澤龍彦はこの全巻ほしさに、復興版が出たとき解説を引き受けたらしく、晩年書かれた小説にその影響を見て取ることができる(澁澤の書棚にも見ることができる)。


    日本民俗学辞典 中山太郎 編 (昭和書房, 1935-36)
     始めてまとめられた民俗学辞典。長大な類聚(分類)索引を備える。編者中山太郎は、柳田國男・折口信夫らと同時代に活躍した民俗学者で、フィールドワークではなく文献史料を重視し、読書から得られた膨大なカードをもとに、巫女・盲人・売笑・婚姻・若者を通史的に論じる学風は、柳田をして「上野の図書館の本を全て読もうとした男」と言わしめた(斯様なBookishな人物を看過することはできない)。
     柳田・折口と絶縁したこともあり、その後の評価は高くなかったが、着眼は先駆的であり、柳田が避けた性や差別についての研究も多く、近年評価が高まってきている。




    400 自然科学

    格物入門. (雁金屋清七, 1869)

     中国(清国)の開国は日本よりも半世紀早く、上海に在住した英米の宣教師は中国語を学び、中国の知識人と共同作業で多くの洋書を漢文に翻訳した。これら漢訳洋書は、日本でも洋学吸収を目的に設立された蕃書調所によって収集され、幕末から明治初期にかけて、幕府の沼津兵学校(当時唯一の事実上の理工科大学)や築地の海軍兵学寮などで教科書として用いられ、また当時出版された多くの啓蒙書の種本ともなり、西洋知識の普及に貢献した。全7巻。
     アメリカ長老会宣教師として1850 年に中国に渡り、のちに北京大学堂(北京大学の前身)の初代学長になったウィリアム・マーチンによる漢文による理工書(マーチンは東アジア各国に多大な影響を与えた『万国公法』の漢訳者でもある)。水学、気学、火学、電学、力学、化学、算学の7巻から成り、算学では広く応用数学のトピックを取り上げ、物理学になぜ代数が必要かについても解説している。この本で使われた術語は、以後の日本語の教科書に採用され、日本の自然科学の用語法に強い影響を与えた。
     中国(清国)の開国は日本よりも半世紀早く、上海に在住した英米の宣教師は中国語を学び、中国の知識人と共同作業で多くの洋書を漢文に翻訳し啓蒙書を著したが、これら漢訳洋書は、日本でも洋学吸収を目的に設立された蕃書調所によって収集され、幕末から明治初期にかけて、幕府の沼津兵学校や海軍兵学寮などで教科書として用いられた。オランダ語を含む西洋語よりも漢文を理解できる人材の方がはるかに多かったことから、この時期の西洋知識への接近法としては理にかなっていた。さらに当時出版された多くの啓蒙書の種本ともなり、西洋知識の普及に貢献した。



    万有科学大系 (万有科学大系刊行会, 1926)

     総ルビ付きの分野別科学事典叢書。写真多数。


     
     
    博物学辞典 東京理科学会 編 (水野書店, 1912)

     〈かつてあったもの〉として、すなわち「博物学史」の対象として、回顧されることはあれども、学問分野として現存しないために、編まれることが望めないものに博物学辞典がある(スミソニアン協会 (監修)のこんな図鑑が近年登場しているが)。
     この辞典は、中学校の科目として存在した時代のもの。本編750頁を超え、索引の他に検索表を設けた本格的な辞典である。
     


    490 医学
    ◯標準医語辞典 : 独・羅・英・仏・和  賀川哲夫 編 (南山堂, 1936)
     現在も南山堂より刊行されてる(1972年の改訂版が2000年で34版を重ねる)医学用語辞典の初版。
     当時の新語を含む10万を超える豊富な語彙を収めた本格的なもので、訳語の正確さ、平明な解説にも定評がある。
     ドイツ語・ラテン語を中心に編まれており、医学文献の中心が英語に移って久しいことから、これにかわる辞書はこの先も登場しそうにない。
     「序」にこの辞書をつくることになったきっかけのひとつとして、Circulus vitiosusを「生活環」と解している医学論文に出会った出来事を取り上げていて、ホロリとする。




    500 技術

    588 食品工業
    明治屋食品辞典(上中下巻合本) (明治屋東京支店, 1936)
     
     明治屋は言わずと知れた輸入食品を扱う老舗。1885年(明治18年)に横浜で創業して以来、日本人の知らない〈舶来品〉を数多く紹介してきた。この辞典は、1930年頃明治屋で取り扱った品々をプライスリストから選定し、その後の新商品を追加した上で、それぞれに原語での綴りを示し、原産や輸入元、効能、利用法など解説を付けたもの。巻末に飲食物文化史年表を付す。



    700 芸術
    700 芸術. 美術
    芸術資料 金井紫雲 編 (芸艸堂, 1941)

     金井紫雲もまた学歴は小学校中退の独学者で、坪内逍遥の薫陶をうけ、独学、雑誌編集の経歴により、中央新聞から都新聞(現在の東京新聞)へと記者として活躍。特に都新聞では美術担当の記者を長年勤め、美術と動植物に詳しく、京都芸艸堂発行の芸術叢書といわれる『~と芸術』の題名の本を10冊出版した。
     主著は、モチーフ(画題)ごとに多くの作品をまとめたこの『芸術資料』48冊(芸艸堂、1936-1941)、故事伝説、歴史上の事件など多岐にわたる東洋画題を本格的に解説した事典『東洋画題綜覧』18冊(芸艸堂、1941-1943。1997年、国書刊行会から復刻)。


    720 絵画. 書道
    ◯日本絵巻全集 東方書院 編 (東方書院, 1928)


    書体大字典 野本白雲 編 (平凡社, 1940)



    780 スポーツ・体育
    武術叢書 国書刊行会 編 (国書刊行会, 1915)

     「本朝武芸小伝」「撃剣叢談」などの武芸史の貴重資料、「不動智」「天狗芸術論」「五輪書」など武術関連の伝記、秘伝書、実技指導書などを一冊にまとめたもの。武道関係の古典は活字化されたものが少ないため貴重であり、時代小説、特に剣豪小説を書く際には登場人物の造型に用いられた種本でもある。




    800 言語
    810 日本語
    字源 簡野道明 著 (字源刊行会, 1931)

    幼少から聡明で知られ、わずか15歳の若さで地元の小学校の教員になった簡野道明は、学問への志やまず、27歳のときに上京し、東京高等師範学校(現在の筑波大学の前身)の国語漢文専修科で学び、31歳で卒業した。教師をしながら中学校用の漢文教科書を編集し好評を得て、『故事成語大辞典』でも成功。その後、49歳となった簡野は、教職を辞し、執筆のため別荘を購入して、漢和辞典に打ち込んだ。
     こうして完成されたのが『字源』である。
     語彙の意味の正確さ、明記された出典の他に、音訓語彙索引を工夫し、同部首・同画数の親字の配列を音読みの50音順とし、漢和辞典を画期的に引きやすいものにした。


    詳解漢和大字典 服部宇之吉, 小柳司気太 共著 (富山房, 1943)

     親字を頭字にする熟語だけでなく、親字を尾字とする熟語表をつけた漢和辞典。


    大日本国語辞典 上田万年, 松井簡治 著 (富山房, 1929)

     上田万年・松井簡治共著(実際は松井著)の国語辞書。
     上古から現代までの、普通語・学術用語・専門語・外来語・漢語を広く収集し、約19万前後の見出しを歴史的かなづかいの五十音順に配列する。それぞれ通用の漢字をしるし語釈を施し、豊富な用例をあげて出典を示し、ときにさし絵を加える。また慣用句・ことわざについても、1万余項をそれぞれその首部の単語の下に収めて、同じく解説し出典をあげる。
     方言は取らず(さすがは標準語による国語統一に尽力した上田万年※)、固有名詞は神仏の名称以外収めていない。確実かつ必要なもののみを記すことを方針することから、語源の説明は原則してない。
     規模が大きく編纂方針も整備され,のちの国語辞書の一つの範ともなり、『日本国語大辞典』はこの辞書を引き継ぐ性質を持つものだった。

    ※上田万年「標準語に就いて」『国語のために』収録(→近代デジタルライブラリー)あるいは次の引用を参照。
    「我々は日本言葉と云ふものを統一して、日本言葉を正しく、明かに話すやうにし、一本の言葉を以て話すやうにしなければならない、方言の如きものは、成べく避けるやうにする、勿論方言と申しましても、是は地方々々の人の習慣上今日まで存在して居るものでありますから、日本言葉の一つの流れであつて、決して是はいやしむべきものではありませぬ。いやしむべき所でなく、日本の教育の統一と云ふやうな上から申しますれば、成べく方言は話さないやうにして、四海兄弟、皆一つ言葉を以て話すやうに統一したる言葉を作り出す、此大目的の為に成べく方言は避けるやうにして進むやうにしなければならないのであります。さう云ふやうにしようと致しますれば、勢ひ方言の性質、起源を調べ、又方言を如何にして矯正して行くか、方言を標準語に統一したものに直して行かうと云ふのには、如何にして進んで行くかと云ふと、此度此次の講義にありますやうに、音声学の学理に照して、音声学の学理で方言を調査し、方言を矯正する、正して行くと云ふことをしなければならないであらうと思ふのであります。」(上田万年「放送講座国語の為に開会の辞」音声学協会(1931)『ことばの講座』収録)。




    大辞典 平凡社 編 (平凡社, 1935)

     『大百科事典』を刊行し立ち直った平凡社が満を持して出した、いまでも最大の語彙を収める巨大国語辞典。
     現役最大の『日本国語大辞典(第二版)』で50万項目のところ、『大辞典』は70余万の項目数を誇る。
     先に紹介した『大日本国語辞典』とは反対に、方言や人名・地名などの固有名詞、近接語族の語彙など、考えられるありとあらゆる語彙を集めたところに特徴がある。


    大言海 大槻文彦 著 (富山房, 1935)

     大槻文彦による国語辞典。同じ著者の『言海』を増補改訂したもの。
     初め松平円次郎,浜野知三郎がその編集をたすけ,のち,かつて《言海》の編集にたずさわった大久保初男が加わった。中途で松平,浜野の2人はしごとを辞したが,大久保のみは,1928年大槻文彦が死んだのちもその業をつづけた。大槻文彦の死後には,兄の大槻如電(によでん)が編集を監督し,また,関根正直,新村出の指導を仰いだ。
     《言海》に比すると、方言や近代語をも多く収めているが、古語辞書としての価値が最も大きい。
     見出し語には単にその釈義のみならず,出典をもかかげている。『大日本国語辞典』とは反対に、大槻文彦色を前面に出した大胆な語源の解釈が特徴である。


    難訓辞典 井上頼圀 等編 (啓成社, 1907)
    上古より近世に至る史書・和歌・俳諧・漢詩・小説・随筆・物語・日記・歌学・俳論・神道・仏教・本草・有職故実・字典・事典等264書に見えるいわゆる難訓を採り、人名・姓名・地名・神祇・職官・器服・有職・故実・仏事・時令・称号・その他にわたって、訓み(正訓・戯訓*省略訓・惜訓等)の諸訓を与え、2.意義・解釈を加えた辞典。



    日本類語大辞典 志田義秀, 佐伯常麿 共編 (晴光館, 1909)

     日本における「類語辞典」の嚆矢にして、空前絶後の規模を誇るもの。戦後、講談社はこの複写版を復刻し、近年は講談社学術文庫で同じものを『類語の辞典』として出していた。
     活字化を断念したのは、原書の発刊当時に使用されたが、その後使われなくなった文字を含む膨大な語彙を収録するからである。
     人が使用しうる域を遥かに超えてこの辞書がひらく言葉の大海は、失われた日本語の深さを広がりを不明な現代人にも知らしめる。



    ◯秘密辞典  自笑軒主人 著 (千代田出版部, 1920)
     会話に出てきて意味がわからないが、親兄弟や教師に聞くわけにもいかない(聞いても「そんなことは知らなくていい」といって答えてもらえない)ような言葉を集めた辞典。400頁近くある。
     多くは、あまり上品からぬ隠語や俗説、符牒、略語、流行語などから成るが、その限りではない。たとえば巻末の「付録1 記号符牒の解釈」で「【@】 atの略にして単価を示す。即ち@¥1.50 for 50''」は50吋(インチ)あたり1円50銭の意味だとの解説もあり、意外に有用である。
     どう考えても筆名くさい自笑軒主人であるが、その正体として神保町系オタオタ日記のjyunku氏は、この辞典の【あをまめ 青豆】と『日本民俗学辞典. 補遺』の【アオマメ[青豆]】の項に着目し、『日本民俗学辞典』の編者 中山太郎がその人ではないかと指摘している(→当該記事)。
     今日では、どちらも近代デジタルライブラリーで確認できる。



    日本語アクセント辞典 日本放送協会 編 (日本放送出版協会, 1943)
     改定を重ね現在も刊行しているNHK日本語発音アクセント辞典の元祖。



    820 中国、その他の東洋の諸言語
    ◯漢訳対照梵和大辞典  荻原雲来 編 (漢訳対照梵和大辞典編纂刊行会, 1943)
     唯一の学術レベルの梵和辞典であるために、現在でも一冊にまとめた版が講談社から刊行されている辞典。
     訳仏典の訳語との対比が詳しく、総語彙約10万6000語を収録する。
     現在、全16巻中1~6巻を公開中。


    830 英語
    ◯新英和大辞典 岡倉由三郎 編 (研究社, 1929)
     いわゆる「岡倉英和」として知られる英和大辞典。現行の研究社新英和大辞典は、この辞書から数えて第6版にあたる。研究社はこの辞典を持って、三省堂と肩を並べる辞書出版社にのし上がった。



    870 イタリア語
    ◯伊太利語辞典 井上静一 著[他] (第一書房, 1942)
     日本におけるイタリア語辞書の成立は随分遅く、この辞書(初版1936年)以前には1876年に曲木如長『仏伊和三国通語』績文社があるばかりであり、この書が実質的に最初の伊和辞典である。
     著者の井上静一はイタリア・ミラノの総領事を勤めた人物で、個人的に書き溜めた4万語近い数のイタリア単語カードを元に伊和辞典の編集に着手した。問題は、当時数少ないイタリア語学習者の数からして出版しても採算をとれる見込みが無いことだが、第一書房がこれを引き受け4年の歳月をかけて刊行された。著者の井上はこれを待たず逝去したが、1940年には日独伊三国軍事同盟が結ばれたことで売上を伸ばし、1942年には増補版が出版された。


    880 ロシア語
    ◯白水社露和大辞典 南満洲鉄道株式会社東亜経済調査局 編 (白水社, 1933)
     最初の大辞典レベルの露和辞典。10万語余を収録。旧文字法による。



    900 文学

    日本文学大辞典 藤村作 編 (新潮社, 1935)

     古代から大正末期までの日本文学・国語学および芸術・外国文学などの関連項目を網羅的に集め、各専門家が詳細に解説し評価した初の本格文学辞典。
     別巻に増補項目と総索引、難読索引、日本文学年表を収める。
     人物については本名、別号、生没、家系、閲歴、芸風、著作を、図書については著者、名義、成立、刊行、内容、価値などその項目に適する小見出しを設けて詳説し、参考文献をあげる。図版も多い。



    俚謡集 文芸委員会 編 (国定教科書協同販売所, 1914)

    1905(明治38)年、文部省は全国道府県に管内に伝わる郷土の歌(俚謡・俚諺・童話・古伝)について報告することを求めた。呼びかけに応えなかった府県もあり、完全なものとは言えないが、1914(大正3)年、文部省文芸委員会がこれをまとめ、日本において最初に網羅的に集められた民謡(民間の俗謡)の歌謡集となった。

     

     去年もやったけれど、今年一年間に書いた記事をまとめてみる。
     
     振り返ると、書こうとしてたものの半分も書けていないことが分かるけれど、来年も多分こんな調子な気がする。


     ともあれ読んでいただいた方々、今年もありがとうございました。


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