恐怖は不快な感情であり、現実もしくは想像上の危険、喜ばしくないリスクに対する強い生物学的な感覚である。
     生き物として避けるべきことを示すサインであり、安全への退避行動を起こす役目を果たすものである。

     恐怖をもたらす対象を避けようとすることは至極当然の行動だと言える。
     たとえば、人間が恐怖状態に陥ると、心拍数や呼吸数の増加し、脚などの筋肉に血液が集中し、回避行動の準備に入る。

     しかし、恐怖をもたらすものに、繰り返し触れようとする嗜好が存在する。
     恐怖を主題として読者に恐怖感を与えるためにつくられた創作物は数多い。
     また遊園地に設置されている遊具(アミューズメント・ライド)の中で、絶叫マシン(スリル・ライド)と呼ばれるジャンルが今も優勢を誇っている。
     これらはすべての人に愛好されている訳ではないが、根強い人気を誇っており、中でも愛好者は繰り返しこれら恐怖刺激に触れることを嗜好する。

     これら恐怖へのアディクトはどんな風に形成され維持されるのだろうか?
     これに答える仮説のひとつが、獲得動機(acquired motive)に関する相反過程説 opponent-process theoryである。

    ※ Solomon, R. L. & Corbit, J. D (1974)., An Opponent-process Theory of Motivation : Temporal dynamics of affect, Psychological Review, 81.


    相反過程説 opponent-process theory

     相反過程説によれば、刺激は2つの対立する過程を起こすとされる。

     刺激によってすぐに起こる生体の反応をaプロセスと呼ぶ。
     これに対して、恒常状態を保とうとする生体においては、aプロセスが生じると、それに対応して反対の方向のプロセスが生じる。これを bプロセスと呼ぶ。
     生体が感じるのは、aプロセスとbプロセスの引き算の結果である。

    aプロセスの特徴
    ・刺激によってすぐに生じる。
    ・強さと継続時間は刺激によって決まる。
    ・繰り返し経験してもさほど変わらない(が、少しずつ小さくなる)。

    bプロセスの特徴
    ・aプロセスよりも遅れて生じ、刺激が消えaプロセスがなくなった後、遅れて消えていく。
    ・繰り返し経験するうちに、aプロセスに対する遅れは次第に短くなり、消える速度も緩やかになる。



     相反過程説は、刺激がもたらす感情の強さと質の時間的変化を説明する仮説である。

     SolomonとCorbit(1974)がまとめた例の一つをアレンジして説明しよう。

    1.何気なく歩いていると、好きな人にばったり出会う。
    2.言葉を交わしていると喜びの興奮と幸福感が高まっていく
    3.それを続けているとやや落ち着いてくる
    4.互いに用事があるので別れると、しばらく寂しい気持ちがおそってくる
    5.しかし時間とともに、その気持も落ち着いていく。



    同じことは不快な刺激についても言える。今井(1988)が挙げる例を見てみよう

    ※ 今田寛(1988)「獲得性動機に関する相反過程理論について 1」『人文論究』38(1),pp.45-62

    1.平静な状態から高温のサウナ室に入る
    2.しばらくすると熱のために苦痛と不快におそわれる
    3.しかし、それをしばらく我慢していると馴れがおこってやや耐えられるようになり、それがしばらく続く
    4.次にサウナ室を出ると、ほっとした開放感を伴う快さを経験する
    5.しかし時間とともに再び感情はもとの平静なベースラインの状態に戻っていく



    快/不快のどちらの場合も、グラフにするとこんな感じとなる。

    sdpattern2.png
    (クリックで拡大)

    出典:今井(1988)、図1

     刺激は横軸の網目で表した時間だけ続くとする。
     刺激がはじまると、快刺激なら快感情が、不快刺激なら不快感情が、一次的感情として急速に高まり、刺激が続くと順応が生じて安定水準のレベルまで下がって落ち着く。
     刺激がなくなると、一次的感情とは反対の後反応が生じて、快感情から不快感情へ(あるいは、不快感情から快感情へ)と反応は振れ、これもしばらくすると収まる、というように時間的に変化していく。

     SolomonとCorbitは、こうした時間的変化を〈感情の動的変化の標準パターン〉(Standard Pattern Affective Dynamics)と呼び、やや複雑にみえるこうした時間的変化を説明する内部プロセスとして、先述の時間差のあるaプロセスとbプロセス、そしてその間の引き算を想定した。

    a-b_graph.png



    刺激が繰り返される場合

     相反過程説のキモは、こうした快/不快をもたらす刺激を、反復経験した場合の予測と説明にある。
     
     刺激に即座に反応するaプロセスは刺激を繰り返しても変わらないかやや小さくなるだけだが、bプロセスは刺激を繰り返すと、より立ち上がりが速くなり、しかも長引くようになっていく(下グラフの中段)。

     するとaプロセスとbプロセスの引き算で生まれる〈感情の動的変化の標準パターン〉は、下のグラフの上段のように変化する。

    OpponentProcLearn2.png
    (クリックで拡大)

    出典:今井(1988)、図5


    快刺激の場合

     つまり、快をもたらす刺激の場合は、繰り返すことで快レベルは下がり、その反対に振れる後反応による不快レベルは増し、しかも長引くようになる。
     恋する者の例に戻れば、繰り返すうちに、会うことの喜びは減り、離れていることによる悲しみは深く長く続くことになる。
     この例は、たとえばアルコールやタバコのような嗜好品を摂取する経験に、そして薬物をはじめとする様々な依存症の問題に応用できる(むしろこれらの例の方が分かりやすい)。

     たとえば喫煙が習慣化すると、一服の煙草が与える快感は最初の頃よりも減少し、以前と同じ効果を得ようとすれば、より強い/より多くの煙草が必要になる。
     さらに吸い終わった後の煙草への渇望感はより強く、またより長く続くようになる。そうして不快な渇望感から逃れるために次の一服が必要となり、これらのメカニズムがチェーン・スモーキングを(他の薬物なら薬物依存を)引き起こすことになる

    ※ 相反過程説は、薬物耐性(tolerance)や薬物依存(dependence)、嗜好(addiction)について一定の説明を与えるが、相反過程説だけでは説明できない部分も少なくない。例えば、相反過程説に依拠すれば、刺激の繰り返しすなわち薬物の反復使用だけで薬物耐性ができることになるが、実際の耐性の形成は状況依存的であり、他の諸条件が関与している。

    dependent.jpg

    出典:Koob GF (2013) Addiction is a reward deficit and stress surfeit disorder. Front. Psychiatry 4:72., FIGURE 3
    http://dx.doi.org/10.3389/fpsyt.2013.00072




    不快刺激の場合

     不快をもたらす刺激の場合も同様に、繰り返すことで不快レベルは下がり、その反対に振れる後反応による快レベルは増し、しかも長引く。
     サウナの例に戻れば、暑さによる不快感は小さくなり、サウナから出ることの快感は大きくなり、より持続することとなる。

     そしてこの例は、我々の探求テーマだった〈恐怖の嗜好〉について応用できる。
     Epstein(1967)は、落下傘兵(parachutist)の落下経験(回数)と感情の関係を調べ、初落下時の恐怖は経験を積むにつれて薄れ、代わって多幸感(euphoria)を感じるようになること、そしてこの多幸感が落下傘兵を続ける強い動機になっていることを報告している

    ※ Epstein S. (1967) Toward a unified theory of anxiety. In: Maher BA (ed) Progress in experimental personality. Research, vol 4. Academic Press, New York, pp 2–90.

     我々がバンジージャンプやスカイダイビングを楽しめるようになるのは、恐怖刺激に対する反動(bプロセス)がもたらす多幸感(euphoria)が反復によって強くなっていくからだが、同じことが、たとえば人を傷つけることに関しても生じ得る。
     初期の研究者が考えていたのと異なり、相手を殺して失敗してしまうのは経験の浅い拷問人ではなく、むしろベテランの拷問人の方がである。拷問人の中には、拷問を繰り返し行うことによって苦痛が減り、反動(bプロセス)がもたらす多幸感(euphoria)を求める者がいるのである。怖い話になってしまった。

    ※ Baumeister, R. F. (2012). Human evil: The myth of pure evil and the true causes of violence.
    in Mikulincer, Mario (Ed); Shaver, Phillip R. (Ed), The social psychology of morality: Exploring the causes of good and evil. Herzliya series on personality and social psychology., (pp. 367-380).



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    時間がない人のためのまとめ

    short_fingermethod.png






     二足直立歩行の適応によって手が解放された人間にとって、道具は人体の感覚器官や運動器官の延長であり、拡張であった。「はかる」行為も同様であり、その道具は、まずもって人体寸法を基準に創りだされた。
     古代オリエントにおける長さの基礎はひじの長さに始まるキュビト(約50cm)で、のちにイギリスのキュービット cubitに引き継がれ、またその2倍に相当する単位(イギリスのエル ell、ドイツのエルレElle など)やさらに2倍に相当する単位(イギリスのファゾム fathom、ドイツのクラフテル Klafter、フランスのブラッス brasse など)をもたらした。
     他にも、4本の指を並べた幅(日本のつか、イギリスのパーム palm)、親指の幅(中国の寸、ドイツのダウメン Daumen、オランダのドイムduim )、人差指または中指の幅(イギリスのディジット digit、フィンガー finger など)、げんこつの大きさ(ドイツのファウスト Faust)を元にするものがあり、さらに指を広げて事物にあてがうという動作から、イギリスのスパン span、ドイツのシュパンネ Spanne、中国の尺、日本のあた(咫)などの単位が生まれた。
     特に指の幅に由来する身体尺は、古代エジプトではdjeba、メソポタミアではubānu、古代ギリシアではδάκτυλοςと呼ばれ、ローマのdigitusを経て、ディジットdigitとなり、10本の指が算術の指=数字の呼び名ともなる。
     
     自然物による度量衡の標準とするメートル法が席巻して久しいが、今回はどんな原始的な測定器も持たずに、この身一つで離れた場所との隔たりを測る技を思い出すことにする。



    手の分度器で天を測る

     天体観測の経験のある人なら、腕をいっぱいに伸ばした時の、手や指の幅がつくる角度がどれくらいか知っているだろう。

     もちろん、おおよそだが

    ・親指一本分の幅が2度(小指なら1度)
    ・握りこぶしの親指から小指までの幅が10度
    ・親指と人差し指をいっぱいに開いた幅が15度

    hand_ang.png

    である。

     星や星座の位置を大まかに伝えるのに「地平線から20度、つまり握りこぶし2つ分上がったところ」といった具合に使うことができる。
     北斗七星が、こぶし3つ分=角度でいって30度の大きさがある、なんてことが言えるようになる。
     星座盤で分かった角度を使って、空を探すのにも、もちろん利用できる。

     この方法の利点は、道具いらずで簡便なところ、そして腕の長さと手/指の幅の比率をつかっているので、一応は体の大きさに関わらず使えるところだ。
     これは「体の大きな人は、その分腕は長くて、手も大きいだろう」という、大らかな前提に基づく。
     もちろん指や手の大きさ、腕の長さ、そしてその比率は個人差があるが、それ以外の原因からくる誤差の方が大きいので、そこにこだわっても見返りが少ない。
     という後ろ向きな理由から、一応は体の大きさに関わらず使えるのである。



    手の分度器で地上を測る

     正確さを求めない用途であれば、この「手の分度器」は他にも利用できる。

     たとえば、川向こうに乗用車が止まっている。腕を伸ばして人体分度器をやってみると、ちょうど指一本(の幅)で車の全長が隠れた、とする。
     乗用車の大きさは、もちろん車種によって異なるが、いまの文脈に照らしてお雑把に言うと、おおよそ全長4m、正面から見た幅は2m、高さは1.5mである。

     1/tan 2° = 28.63……だから、大雑把にいって4m×30=120m離れたところに、その車はあることが分かる。

    calc_trig.png

     この方法の欠点は、誤差が大きい(桁数と四捨五入した最初の数字くらいが分かる程度、と思っておけば腹も立たない)という最大のものを除くと、対象の実際の長さを知っていないと距離を導けないところだが、逆に言えば、街でよく目にするものについていくつか覚えておきさえすればいい、とも言える。
     細かい数字は必要ない(どうで誤差のなかに掻き消える)のと、こういう遊びを何度か実際にやってみると、意外と覚えていられるものだ。
     
     街で見かけるものの大雑把な長さと、指・手の幅に対応させた、〈手の距離計・早見表〉を挙げておこう。

    quick_dist2.png

    hand_mult.png

     対象までの距離(単位:m) = 対象の大きさ(単位:m) × 倍率



     例えば、電柱がちょうど親指一本分の幅なら、大雑把に言って0.3m×30=9mぐらい離れたところに、その電柱はあることになる。
     早見表で言うと、「親指の幅」の行と「電柱の幅」の列がクロスしたところ「9」(m)が、対象との距離である。


     同じく、電線の高さがちょうどこぶし一つ分なら、大雑把に言って5m×6=30mぐらい離れたところにある。
     早見表で言うと、「にぎりこぶし」の行と「電線の高さ」の列がクロスしたところ「30」(m)が、対象との距離である。



    ふたたび天の仰ぎ見る

     もう少し遠くのものについても、手の距離計で測ってみよう。

     月の直径は、この方法だと小指のちょうど半分ぐらいに見える(五円玉の穴とちょうど同じくらい)。

     月の直径は約3500kmだから、115倍すると、ざっと40万kmとなる。

     地球の中心と月の中心との間の平均距離は38万4400kmというから、正確ではないが、絶望するほどひどい結果ではない。



    手の分度器の軍事利用

     ご存じの方はうずうずしているはずだから申し添えておくと、主として軍事関係で使われるmil(angular mil)という角度の単位を、手や指の幅で測る方法がある。

     mil(angular mil)は、円周を6400に分割した角度単位で、1milは、ほぼ1km先の1m幅の物体を見るときの角度(視角)にあたる(もう少し正確には1kmで0.982mほど)ので、距離を計算するのに便利である。次の式で計算できる。

     対象までの距離(単位:km) = 対象の大きさ(単位:m) ÷ mil

     先ほどと違って、割り算であることと、対象までの距離と対象の大きさで単位が違っていることに注意。


     ライフルスコープや軍事用/海事用の双眼鏡等には、Mil-Dotというmilを目で測るための目盛り(reticle)がついている。

    traditional_mildot.png

     身長180cmの人をスコープで見るとこんな感じになる。

    mildot_man.gif



     しかし、こうしたものが手元になくても、腕を伸ばして指や手の幅を使うやり方が使える。

    Mil_estimation.jpg
    (出典)Figure 8-7. Hand and fingers used to determine deviation. in Army Field Manuals
    FM 3-21.94 The Stryker Brigade Combat Team Infantry Battalion Reconnaissance Platoon
    CHAPTER 8 COMBAT SUPPORT


    同じものが https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mil_estimation.jpg にあり。


     これで先程の例である、川向うの乗用車(全長4m)が指1本の幅だった場合の距離について再び計算すると

     4m ÷ 30mil(指1本の場合) ≒ 0.133kmで、およそ130mということになる。



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    グレマスの行為者モデルは、あらゆる言述(discours)の根底にある意味作用を説明できることを企図していて、扱えるのは魔法昔話のような物語や神話だけではない。

    行為者モデルの復習


    行為者モデル Le modèle actantiel(行為者図式Le schéma actantiel)を知らないと始まらないので、簡単に復習しておく

    ※フランスの国語教育だと、コレージュ第1学年(日本の小学校6年生~中学3年生までの4年間が中等教育前期のコレージュに当たる)の教科書に登場する。
    (参考)飯田伸二(2013)「教科書のなかのお伽話 : 国語教科書編集理念解明のためのノート」『Stella』32, pp.123-136, http://ci.nii.ac.jp/naid/120005372218



    ロシアの魔法昔話を100話分析して魔法昔話を構成する要素として31の〈機能〉を抽出したプロップは、魔法昔話の登場人物を次の7つに類型化している。

    1.加害者、2.贈与者、3.援助者、4.王と王女、5.委任者、6.主人公、7.ニセの主人公

    グレマスの行為者モデル Le modèle actantielは、登場人物相互の相関関係に注視し、テニユールの統辞論やスーリオ『二十万の演劇状況』の演劇《機能》の目録を参照しつつ、プロップの7類型を整理しなおしたものである。

    グレマスプロップ
    送り手王と委任者
    対象王女
    受け手主人公
    援助者援助者と贈与者
    主体主人公
    敵対者加害者とニセの主人公


    構成要素の点から見ると、主人公が「主体」と「受け手」に分けられたことと、援助者と贈与者が「援助者」にまとめられた以外に違いはないが、重要なのは、グレマスが6つの行為者を次の3つの軸によって密接に関連付けている点である。

    3axe.png


    欲望の軸 Axe du vouloir (désir)

    「主体」は「対象」を欲する

     例:円卓の騎士は聖杯を求めて旅立つ


     プロップがもたらした知見で最も重要なのは、魔法昔話の主人公がかならず何かを求めて行動する(探索の旅に出る)という指摘である。
     主人公が求めるのは、たとえば竜によって奪われた王女であり、地下世界や地の果てに隠された魔法の宝である。
     グレマスはこれを受け継ぎ、「主体」と「対象」の間に成立する関係、言い換えると、欲望するものと欲望されるものの間に成立する関係を、欲望の軸として行為者の図式Schéma actantielの中央に置く。
     
     「主体」は普通、物語ではその主人公であり、「対象」は主人公が求め、手に入れようとするもの(宝とか愛とか)である。


    伝達の軸 Axe de la transmission(communication)

    「対象」は「送り手」から「受け手」へ向かう
    「送り手」は「受け手」に「対象」を約束する

     例:王様は姫を勇者に与える
       (物語のはじめでそう約束し、
        物語のおわりで約束は履行される)


     プロップでは〈主人公〉という一人の登場人物であったがものが、グレマスが分けた「主体」と「受け手」に分けられている。
     実は、プロップが分析した魔法昔話は、ほぼ例外なく「主体」と「受け手」が融合した、ある意味、特殊なジャンルなのである。

     しかし「対象」を求める「主体」が、最後には必ず「対象」を受け取るとは限らない。
     例えば、プロメテウス(という「主体」)は、火(という「対象」)を求めるが、彼はその火を人類に与える。つまり、このプロメテウスの物語では「受け手」は人類ということになる。

     何故、この軸が伝達(transmission / communication)の軸と呼ばれるのか。
     魔法昔話に戻ってこのことを考えよう。
     たとえば、王様はただ気まぐれに姫を勇者に与えるのではない。事前に、王様は「竜によって奪われた王女を取り戻してきた者を王女の婿とする」と触れを出す。
     勇者は名乗りを上げ、王様は上記のお触れを追認し、勇者が成功した場合のことを約束する。
     冒険が終わり、成功を収めた勇者に対して、王様は約束を果たし、勇者は約束通りに姫を手に入れる。

     つまり物語は、「送り手」(今の例では王様)と「受け手」(今の例では勇者)の間の、約束の締結で動き出し、約束の履行で終わる。この約束が、物語(世界)の枠組みを形作り、この枠組によって「主体」が「対象」を求める探索が、物語の中心に据えられるのである。
     つまり「送り手」から「受け手」への受け渡し(transmission / communication)は、単なるモノの移動を意味するのではない。それは繰り返しなされるコミュニケーションであり、結び直されるコミットメントである。だからこそ物語世界に秩序と構造を与える。


    能力の軸 Axe du pouvoir 

    「主体」は「補助者」に助けられ、「反対者」に邪魔される。

    例:よい魔法使い(あるいはアイテム)が主人公を助ける
      わるい魔法使いが主人公を邪魔する


     魔法昔話では、勇者(=「主体」)の冒険(探索)は、よき魔法使いや魔法アイテムによる援助を得て進み、わるい魔法使いや様々な障害/試練によって邪魔されるだろう。

     ところで「補助者」と「反対者」は両義的であり、魔法昔話でも、物語の最中でしばしば入れ替わりさえする。
     というのも、何が〈助け〉であり〈邪魔〉であるかは、「対象」へ向かう「主体」の願望とのかかわり合いにおいて、益になる、あるいは害になると判断されるからである。


    (出典)
    Sémantique structurale (3e édition)
    Sémantique structurale (3e édition)A.J. Greimas

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    構造意味論―方法の探求
    構造意味論―方法の探求A.J. グレマス

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    今この邦訳は品薄だが、今回の話程度なら「行為項モデルに関する考察」(『構造意味論―方法の探求』邦訳p.223-251、これ以降「邦訳」と頁数で参照箇所を示す)で足りる。






     復習を終えたら、物語の外へ赴こう。



    哲学という探求(クエスト)

     出発点として、グレマス自身が例に挙げている〈古典の世紀〔17-18世紀フランス〕の哲学者 〉を取り上げてみる。

    ※邦訳p.234-5

    greimas-Philosophe.png


     魔法昔話で勇者に割り当てられた役割は、ここではもちろん〈哲学者〉に割り振られる。「主体」である〈哲学者〉は、「対象」である〈世界〉を(知ることを)欲している。
     その探求の枠組みを与えるのは、「送り手」である〈神〉が「受け手」である〈人類〉に対して結ぶ約束である。すなわち「対象」である〈世界〉は、〈神〉によって送り出され、〈哲学者〉の探求の対象は、やがて〈人類〉が受け取ることが予定されている。
     そうした「主体」である〈哲学者〉を助けるのは「補助者」である〈精神〉である。〈物質〉は西洋哲学の伝統的に〈精神〉に対立し、〈哲学者〉の認識を邪魔する「反対者」として扱われている。

     つまるところ(古典の世紀の)哲学とは、「送り手」である〈神〉と「受け手」である〈人類〉がつくる枠組みの中で、「主体」である〈哲学者〉が、〈世界〉を「対象」として行うクエストである。

     図式化というものはそういうものなのだが、分かりやすいことは分かりやすいけれど、実に身も蓋もないことになっている。
     あらゆる言述を取り扱いたいとはいえ、ちょっとやり過ぎな感じもするが、そのおかげで似たようなものをいくつも思いつくことができる。


    キリスト教の基本構造

     たとえば、キリスト教について同様の図式を描いてみるなら、こんな感じになるだろう。

    greimas-Χριστός


    ※夏目絵美(2001)「生命の契約:『マタイによる福音書』を読んで」を参考にした



     「主体」である〈キリスト〉は、「送り手」である〈神〉にかわって、「受け手」である〈人類〉に、「対象」である〈永遠の生命〉を授ける。
     ここで〈恩寵〉が「主体」を助ける「補助者」であり、〈罪〉が「主体」を邪魔する「反対者」である。

     細かい要素を剥ぎとってしまったので、先に触れた哲学者の探求が、焼き直しのように、キリスト教の基本構造と重なり合うのを見ることができる。
     〈恩寵〉を〈精神〉に、〈罪〉を〈物質〉に、置き換えることはさほど抵抗感をおぼえる作業ではない。
     「対象」である〈永遠の生命〉が、つまるところ〈救済の教え〉に他ならないことを思い出せば、哲学者が目指す〈世界の認識〉との間に、違いよりむしろ同型性が見て取れる。


    マルクス主義のめざすもの

     これもグレマスがやっているものだが、マルクス主義についての図式を並べてみるとこうなる。

    ※邦訳 p.235


    greimas-marxism.png


     「送り手」は彼岸に住まう超越者ではなく、人の織りなす〈歴史〉である。ただし図像化にあたっては、ギリシア神話に登場する文芸の女神ムーサたちの1人、「英雄詩」と「歴史」を司るクリオΚλειώ, Kleiōを用いた。
     「送り手」である〈歴史〉が、「受け手」である〈人類〉に約束するのは〈階級のない社会〉であり、「主体」である〈人間〉(図像化にあたっては直截に〈革命家〉のイメージを使った)は、この〈階級のない社会〉を「対象〉として求める。
     もちろん「補助者」は〈労働者階級〉、「反対者」は〈ブルジョワ階級〉である。



    ビジネスプランの図式
     
     グレマスはさらに、ビジネスプランを語る投資家へのインタビューを素材に、次のような図式を挙げている※。

    ※邦訳 p.238


    greimas-business3.png


     「主体」である〈投資家〉の投資行動に前提を与えるのは、契約の自由など経済活動を支える経済制度である、これが「送り手」となる。

     少し興味深いのは、魔法昔話の〈勇者〉とちがって、(少なくとも自己陳述のなかでは)〈投資家〉は「主体」と「受け手」を兼ねない。つまり〈勇者〉は求めた〈財宝〉や〈姫〉を自分のものにするのに、〈投資家〉は求める「対象」の最終的な受け取り手ではない、と主張する。
     〈投資家〉によれば、「受け手」は〈企業〉自身であり、〈企業〉が受け取るもの、そして「主体」である〈投資家〉が求める「対象」は、企業が存続し将来にわたって(無期限に)事業を継続していくことそのもの、だという。
     つまり、「主体」と「受け手」が融合していた魔法昔話と違って、ここでは「対象」と「受け手」が融合しているのである。

     投資行動に対する「補助者」は、当然ながら投資に先立って行われる各種の調査であろう。
     これに対してグレマスが挙げる例では、「反対者」には何故だか〈科学技術の発展〉が現れる。
    「主体」を挟んで、対立する「補助者」と「反対者」の関係を念頭に置いて考えると、次のように理解できるかもしれない。
     調査は、投資対象とすべきある企業の、他のライバル企業に対する優位性(強み)を探し当てるだろう。こうして調査は、投資家の助けとなる(「補助者」)。
     対して、〈科学技術の発展〉は社会全体のレベルで生じ、一企業から見れば優位性の前提の変更、(そのまま有効な対応ができなければ)優位性の陳腐化・喪失につながる。それ故、調査が見つけ出した投資機会を押し流すものになり得る(「反対者」)。



    科学研究という営み

     いくつかの図式を見てきたので、自然科学研究について同様の図式を描くことはさほど難しくはない。

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     科学研究とは、〈自然〉という送り手と〈科学者コミュニティ〉という受け手が創りだす枠組みの中で、〈科学者(科学研究者)〉という主体が、〈発見〉という対象を目指すクエストである。

     哲学者のクエストを祖型としているが(自然というテキストを通じて神の存在を読み解こうとする、自然哲学を源流とするので当然である)、科学を科学たらしめているのは、何を求めるか(その「対象」)ではなく、どのように求めるかによる。つまり〈科学的方法論〉である。
     
     〈科学的方法論〉は、科学者のクエストを、科学研究を助ける「補助者」であるが、その出処は〈科学者コミュニティ〉である。
     実際には、〈科学者コミュニティ〉への新規参加者が〈科学者コミュニティ〉の中で揉まれる中で科学研究に必要な〈科学的方法論〉を身につけていく。

     では科学研究において「反対者」を何か。
     いろいろありすぎて短く表現するのが難しいが、ここでは諸々をひっくるめることができそうな、フランシス・ベーコンのイドラを持ってくることで決着をつけた。

     ベーコンは、観察と実験の重要性を説く一方で、実験・観察には誤解や先入観、あるいは偏見がつきまとうことにも注視し、人間が錯誤に陥りやすい要因を分析し、『ノヴム・オルガヌム』の中で4つのイドラにまとめている。

    種族のイドラ(自然性質によるイドラ)
     人間の感覚における錯覚や人間の本性にもとづく偏見で、人類一般に共通してある誤り

    洞窟のイドラ(個人経験によるイドラ)
     個人の性癖、習慣、教育や狭い経験などによってものの見方がゆがめられる、各個人がもつ誤り

    市場のイドラ(伝聞によるイドラ)
     社会生活や他者との交わりから生じる、言葉の不正確ないし不適当な規定や使用によって引き起こされる偏見

    劇場のイドラ(権威によるイドラ)
     先行する思想や学説によって生じた誤りや権威や伝統を無批判に信じることから生じる偏見




     さて、図式の中のイドラの図像は、4つの中の特に〈劇場のイドラ〉に合わせてある。
     科学研究における〈劇場のイドラ〉は、科学的方法と同様に、科学者コミュニティに由来するものである。

     魔法昔話に立ち戻って、「補助者」と「反対者」は物語の最中でさえ、しばしば入れ替わりさえする両義的なものであったことを思い出せば、研究者に力を与え科学研究を可能にする〈科学的方法〉と科学研究を阻害する〈劇場のイドラ〉もまた、科学史の中で入れ替わり得ることに思い至る。

     むしろ、この両者はいつでも明確に分けることができる訳ではなく、少なくともその一部は、クーンがいうパラダイムのように、ある時期には研究を助ける「補助者」であったものが、別の時期には研究を邪魔する「反対者」となり得る。クーンに与するなら、その移り行きこそが科学史のダイナミズムを形成する、とすら言える。

     そうして、「補助者」から「反対者」への移り行き(あるいはその逆の移行)は、科学史の大きな流れの中でだけ生じるのでもなく、一研究者の研究生活の中ですらしばしば生じている。


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