会計とは何か?なぜ必要か?

    ・会計とは、財産の状態を出入り(フロー)と残額(ストック)の面で管理することです。

     これをやらないと、儲かっているのか損をしているのかさえ分かりません。

     商品が売れた代金も、どこからか借りてきた借金も、出所が違うだけで、手に乗れば同じ100万円です。
     同じお金なので、どちらの場合も、給料の支払いや仕入れをするのに使うことができます。
     しかし、この後に起きることは、やらなくてはならないことは、お金の出所によってまったく違います。
     借金には利子がつくし期限までに返さなくてはなりません。
     商品の売上金の場合はそういうことはありません。

     だから今どれだけお金があるかを知るだけでなく、その出所がどこなのかも把握しておく必要があります。
     


    倉庫会計ー財産管理のはじまり

     会計の歴史でいうと、倉庫に入っている財産について、その一つ一つを書き出した財産目録をつくるのが最初でした。
     これを倉庫会計といいます※。
     
    ※現存する最古の倉庫会計の物的証拠は、紀元前650年ごろに活躍した「エジプト国庫記録官・王室記録長官・納税記録官・国立穀物倉庫総裁兼エジプト陸軍将官」のハップ・メンの石棺(Sarcophagus of Hapmen)で、大英博物館にあります。


    sarcophagus of hapmen
    (クリックで拡大)


    Sarcophagus of Hapmen
    Found in Cairo, Egypt
    26th Dynasty or later, 600-300 BC

     


     財産目録は、倉庫の中の財産の現状の〈写し〉です。
     いちいち倉庫を引っくり返さなくても、財産目録を見るだけで、財産の状態が分かって便利です。

     倉庫に入っている財産のひとつひとつと、財産目録の各項目は一対一に対応しています。
     おかげで倉庫の中を探し回らなくても、今何がどれだけあるか財産目録を見るだけで知ることができるのです。
     
     財産と財産目録の各項目の一対一対応を維持することが倉庫会計のキモです。
     そのために、
     新しい財産が増えれば、倉庫に財産が増えて、財産目録にも新しい財産を記入します。
     財産を手放したときは、倉庫から財産が減って、財産目録の方も、その財産がなくなったことを記録します(抹消線を引いたりして)。

     このやり方はたくさんの物品を管理するのに、今も現役で使われています。
     図書館の蔵書目録はそのひとつです。
     またお小遣い帳や現金出納帳なども、財産と目録の一対一対応を維持するという倉庫会計の考え方で運用されています。



    借方貸方会計ー価値計算のはじまり
     
     再び会計の歴史に戻ると、13~4世紀のイタリアで新しいタイプの会計が生まれました。
     
     この頃のイタリア商人は地中海貿易で活躍していました。
     海を船で荷物を運ぶ仕事は、当時はとても危険なものでした。
     難破などの海難事故で、財産も生命も失う確率がかなり高かったのです。
     しかし危険を冒してもやろうと思うくらい、とても儲かる仕事でもありました。
     
     この頃の地中海貿易には、2つのタイプの商人が登場します。
     船に乗って実際に海に出る貿易商人と、イタリア本土にいて彼らに資金を提供する大商人です。
     大商人は豊富な資金力をつかって、自分の命はかけることなく、地中海貿易から利益を得ることができます。
     貿易商人は仕入の資金を持っていなくても、大商人が資金を出してくれるので、大儲けできるかもしれない地中海貿易に挑戦することができます。
     つまり資金を実際に運用する者(貿易商人)と、資金を調達してくる者(大商人)が分離したのですが、これを背景に生まれたのが、現在の複式帳簿のルーツである借方貸方会計でした。
     
     〈借方〉とは、資金を実際に運用する貿易商人の方の記録にあたります。
     〈貸方)とは、資金を調達してくる大商人の方の記録にあたります。
     

     さっきの地中海貿易でいえば、ストーリーはこうなります。

    貸方借方の起源

     
    (1)大商人が資金を調達してくる。これは自己資金だったり借金だったりします。これは大商人の方=〈貸方)に記録されます。

    (2)大商人が資金を提供し、買い付けた貿易品が、貿易商人が乗る船に乗せられて航海へ出発。・・・どんな品が船に乗っているかは貿易商人の方=〈借方〉の記録となります。

    (3)貿易先で商品を売ってお金を得る。別の貿易品を買うこともあるでしょう。どれだけの金+商品がが船に乗っているかはやはり貿易商人の方=〈借方〉の記録です。

    (4)無事に航海が終わり船が無事に帰ってきました。1回の航海が終わったので清算します。
     売り買いの結果、船に載っているお金+商品の財産としての価値が、最初に提供された資金より大きければ儲けが出たことになります。
     必要経費や報酬を差し引いた儲けが、大商人に渡ります。つまり差額が利益として大商人の方=〈貸方)に記録されます。

     これが複式簿記のルーツであり、商業簿記の、そしてこれ以降の会計の、基礎になりました。



    財産管理と価値計算ー2つの会計の底にあるもの
     
     倉庫会計と借方貸方会計の、最大の違いは何でしょうか?
     それは、倉庫会計が個々の財産を個別に管理するものであるのに対し、借方貸方会計は全体的な財産を(言い換えれば《資本》を)把握しようとするところです。
     
     倉庫会計では、倉庫に何がどれだけ入っているか、個々の財産を正確に記録し把握することに関心があります。
     倉庫にしまい込まれたそれぞれの財産は(誰かが盗んだりしないかぎり)そのまま変わらないことが前提です。
     
     借方貸方会計では、帳簿に記載されたお金や商品が売り買いによって種類と量を変えることを前提に、そうして種類と量を変えながらも、全体の価値が増えたのか減ったのかを知ることに関心があります。
     
     これが、倉庫会計に由来する単式帳簿が財産中心・物量計算主義と言われるのに対して、借方貸方会計に由来する複式簿記が資本中心・価値計算主義だと言われる背景です。

     1494年『スムマ』(正式なタイトルは "Summa de Arithmetica, Geometria, Proportioni et Proportionalita" 算術、幾何、比および比例に関する全集)という数学書を著し、その第1章で公刊書としては初めて〈ベネチア方式〉つまり複式簿記の仕組みを説明したルカ・パチョーリは、この書の中でcavedaleという言葉を使いました。この中世イタリア語の単語がヨーロッパ諸語に伝わりcapital(フランス語、英語),Kapital(ドイツ語)の「資本」につながっていきます。


    summa.jpg
    (クリックで拡大)


    Summa de arithmetica, geometria, proportioni et proportionalita
    Lucas Pacioli
    Venice: Paganino de Paganini, 1523
    Book (first ed 1494), 31 x 22




     全体として儲かっているのか損しているのかを知るには、価値計算のための複式簿記が不可欠です。
     しかし、個々の財産が現在どういう状態にあるかという財産管理もまた大切です。現金(出納帳)や備品(台帳)など、財産の種類に応じた倉庫会計の末裔もまた、生き残ることになります。


     今でも、会計には、大きく分けて2つの役割があります。
     一つは、主として組織の内で、組織の状態を財産面から捉えて、組織運営のための「目」の役割を担うことです。倉庫会計以来、会計が担ってきた財産管理の役割です。管理会計と言われるのがこちらの側面です。

     もう一つは、組織の外に対して、組織の状態を価値の面から要約して伝える、情報提供としての「口」の役割を担うことです。借方貸方会計以来の、出資者へ向けた価値計算会計です。
     これは、商法や証券取引法でルールづけられた情報提供としての会計であり、そこでは貸借対照表と損益計算書などの財務諸表が主役をつとめ、個別の財産を管理するための財産目録や会計帳簿はその向こうに隠されます。
     


    商業会計と工業会計ー経済発展に伴う価値計算の進化

     リスキーな東方貿易に端を発する、価値計算のための複式簿記は、その後、どのように発展していったのでしょうか。
     
     まず航海以外の商業にも、あたらし会計方式は浸透していきます。
     
     商業とは、ざっくり言えば、お金で商品を買い、そのあと商品を売ってお金を得ることです。この売り買いの差額が利益の元になります。

     借方貸方会計を生んだ貿易では1回の航海ごとに清算していましたが(というより船が無事に帰ってくるまで清算できなかったのですが)、陸の上に店を構える普通の商店だと日々いろんな商品を売ったり買ったりしています。「一回の航海」のような区切りがありません。
     しかし区切りをつけて清算してみないと、最初にいいましたが儲かっているのか損をしているのかも分からないのです。
     そこで人工的に一定の期間(たとえば1年)を定めて、切れ目をつくってやらなければならなくなりました。会計年度の登場です。

     
     時代が進んで、工業の時代になると、さらに新しい会計が必要になってきました。

     工場の設備は、設置するのに大きな費用がかかりますが、一旦設置すればしばらくの間動き続けます。しかも設備によって、その寿命もバラバラです。
     1会計年度で何もかも清算という訳にはいかず、複数年度にまたいで、設備に使った資金は製品を作り続けていくなかで少しずつ回収していくのだ、と考えた方がよいことになります。
     つまり費用は一度にどかんと大きく、売上はちびちび小さいがずっと続くことになります。

     儲かっているのかどうか知るために、工場設置にかかった一時的かつ大きな費用と、長期的かつ小さな売上を、うまく結び付けてやる必要があります。
     ここに費用を製品1個当たりに割りあてる原価計算が生まれ、また設備の価値が減っていく部分を生産物やサービスの価値のなかから生産費の一部として回収するという減価償却という考えが必要になりました。



     
     
     これは、小論文を書くのが苦手な人のために書いた文章です。

     文章の言い回しや磨き方よりも、そもそも何を書いたらいいか、どう考えたら書くものを思いつけるのか、について分かるように書きました。


     小論文がどういうものであり、何を書くことを要求しているかが分かれば、少なくとも「何を書いたらいいか」分からず困ることがなくなると思います。
     「何を書いたらいいか」をどうやって思いつくか、必要な材料をどうやってアタマから引き出すかについても説明しました。
     

     文章を書くこと自体が苦手という人は、末尾にリンクを置いた参考記事が参考になるかもしれません。

    ※論文らしい文章の書き方については、以下の記事を参考にしてください。








    時間がない人のための要約


    ◯自分語り系の小論文
    (「私の仕事観」「私の抱負」)
    ・体験前の自分→自分を変えた決定的な体験→体験後の自分という《体験による成長ストーリー》を書く

    ◯課題文ありの小論文
    (「次の文章を読んで〜について論じよ」)
    ・課題文から「著者の主張」と「主張への賛成意見」「主張への反対意見」を抜き出す。
    ・自分でも主張への賛成意見と反対意見を書き加える
    ・書き加えた後、反対意見が上回ったら、著者の意見への批判を主張し、反対意見からその根拠を作る。
    ・書き加えた後、賛成意見が上回ったら、基本的には著者の意見に賛成し、付け加えの主張して、賛成意見からその根拠を作る。


     

    小論文が難しい理由

     小論文を難しく感じる一番の原因は、書き慣れていないこと(書き手側の問題)ですが、「小論文」の方にも悪いところがあります。
     かなり違うものが一緒くたされて、同じ「小論文」という言葉で一くくりにされてきたことも、話を余計にややこしくしていると思います。
     例えば、「大規模災害への備えとして情報科学技術をどのように活用するか,アイディアとその効果を述べよ」というのも「『私の夢』という題で大学生活の抱負を述べよ」というものも、どちらも「小論文」だというのです
     
    それどころか「一般会計税収・所得税・法人税・消費税の推移を示す図表を見て、その関係を整理し歳入・歳出の変化について書きなさい」や「アルカリ金属元素の名称とそれらの元素記号を可能なかぎり記し,共通する特徴や性質を述べよ。」といった小論文まであります。


     こうした「いろいろごった煮」の小論文への対策には、大きく分けて二つのアプローチがとられてきました。
     
     ひとつは「違うものは分けて扱う」アプローチです。
     もうひとつは「種類を越えて通用するやり方を考える」アプローチです。
     

    ◯違うものは分けて扱う

     たとえば、小論文を「論文系の小論文」と「作文系の小論文」に分けて、別の書き方をするというのが、これに当たります。
     
     論文系の小論文というのは、主張を立てて、その根拠を述べるという組み立ての小論文で、いわば学術論文の縮小簡易バージョンだと考えることができます。
     基本的に論文の書き方と共通するところが多いはずで、これから論文を書かなくてはならない大学生候補者に、つまり大学受験で主として必要となるのはこちらのタイプです。
     作文系の小論文というのは、書き手の経験や考え方(人柄まで)を知りたいという目的で要求される小論文です。就職試験の小論文は、今でもこちらのタイプが少なくありません。
     
     小論文のタイプ別に対策を考えるメリットは、場合分けすると、それぞれのやり方はシンプルにできることです。また自分に必要なタイプが過去問などから分かれば、そのタイプだけを学べばよいので効率もよいことになります。
     デメリットは、異なるタイプの小論文を受ける必要がある場合は、場合分けした分だけ、別々のやり方を学ばなければならず、学習コストがかさみます。
     あと、どのやり方を使うのがいいか迷うようなケースも出てくる可能性もあります。たとえば論文系と作文系のどちらでもあるような随筆系(?)の小論文といったものもあります。
     

    ◯種類を越えて通用するやり方を考える

     プチ論文である論文系小論文にも、自分語り的な作文的小論文にも、どちらにも通用するやり方があれば、それに越したことはないでしょう。
     
     実は、自分語り的な作文的小論文も、見方を変えれば、主張を立て、それを根拠づけている、と見なせなくもありません。
     書き手の経験や考え方(人柄まで)を知りたいという目的で要求される作文系小論文の「主張」は、「私(この小論文の書き手)は○○な人間である」というものです。もっとはっきり言うなら、就職試験なら「私は御社で働くべき○○な人間である」です。
     この「主張」は、言葉として直接はっきり書かれる訳ではありません。しかし「主張」の確からしさを支える「根拠」の方は、しっかりと書き込まれます。書かれるのは、書き手を変えた決定的な経験・体験というやつです。これは論文におけるデータにあたります。
     普遍的・一般的なことを主張する論文ではあまりよいデータではありませんが、書き手個人のことを主張する作文では、「書き手個人の経験・体験」はまさにうってつけのものです。
     このように考えていくと、論文の書き方と流用して、自分語り的な作文的小論文を書くことができそうに思えてきます。



    ◯この記事の構成

     この記事では、少し長くなることを覚悟して、どちらのアプローチも採用することにしました。
     つまり、第1部で作文系小論文の書き方を、第2部で論文系小論文の書き方を扱い、おまけで論文系のやり方を使って作文系小論文を書くやり方を説明します。
     
     作文系小論文しか必要ない人は、第1部だけを読めば用が足りるはずです。
     
     すでに論文の書き方に慣れている人は、第2部+おまけを読めば、作文系・論文系のどちらも書けるようになると思います。



    第1部:作文としての小論文

     このブログで以前、読書感想文の書き方を説明したことがあります。




     読書感想文の難しさは小論文の難しさと似ています。
     何を書いたら読書感想文になるのか普通説明されることはなくて(多分出題者もよく分かっていなくて)、努力しようにもその方向が分からないところです。
     
     先の記事では、読書感想文は、その本を読んで読み手(=読書感想文の書き手)がどのように変わったかという《読書による改心》を書くもの、と問題設定しました。
     そして、作文としての小論文もまた、何か決定的な経験・体験を経て、書き手がどのように変わったか(成長したか)を書くものなのです。
     
     もう少し詳しく言うと

     以前の自分 → 決定的な経験・体験 → 変化・成長した自分
     
     という《体験による成長ストーリー》が「作文としての小論文」で書くべきものです。

     

    ◯どうして成長ストーリーなのか
     
     なぜ作文系小論文では《体験による成長ストーリー》を書くことが必要なのでしょうか?
     
     それは、作文系小論文を書かせて出題者側が知りたいのが、書き手がどういう人間であるか、ということだからです。
     例えば「私は有能で正直で真面目で努力家です」と書いてあるだけでは、出題者側はそれを信じていいのか分かりません。言葉でそう書くのは誰でも、有能でも正直でも真面目でも努力家でもない人にとっても、簡単だからです。
     では、どうすれば信じてもらえるのでしょうか?
     もっともよいのは行動です。実際にやって見せること、例えば有能で正直で真面目で努力家らしく行動することです。
     しかし小論文は文章だけで勝負しなければなりません。
     行動の代わりになるのが、過去の行動=経験・体験を書くことです。
     一般的に「おれはすごかった」と書くことは誰でもできます。
     しかし、具体的に詳細に自分の経験を書くことができれば、「これは本当に体験した人でしか書けない」と説得力が増すでしょう。
     出題者側も、納得しやすくなります。
     
     そしてもう一つ大切なことがあります。
     出題者側が知りたいのは現在のあなた(小論文の書き手)がどうであるかです。
     過去にどれだけすごくても、今どうなのかが重要です。
     しかし書くことができるのは過去の体験だけです。
     過去の経験と現在のあなた(小論文の書き手)を結びつけ、納得できるようせつめいするのが《経験による成長ストーリー》です。
     
     人間はよく物語仕立で物事を理解する動物です
     大げさに言えば、人間の認知構造の一部は物語的に構成されているのです。
     物語は効きます。
     さらに良いことに、同じような物語でも登場人物やシチュエーションが少し違えば、また同じように楽しむことができます。
     あなただけのディティールを盛り込めば、同じような成長ストーリーでも(いやむしろ、だからこそ)効果があります。
     
    「なんで更正した不良がエライのか。最初からずっと真面目な方が偉いじゃないか」という苦情がありますが、これも物語の力に人がやられる例証です。「以前は不真面目でいい加減だった→決定的な経験:それでひどい失敗をして大切な人を傷つけた→改心して少しずつだが真面目に取り組むようになった」という、既によく知った物語のパワーです。



    ◯「私を変えた経験」型という基本モデル

     こういう訳で、作文系小論文で武器となるディティールとストーリーを備えた基本モデルは、以下のような「私を変えた経験」型となります。


    0.(課題・テーマとの接続/引用)
    1.自分を変えた経験・出来事を端的に書く
    2.その経験の詳しい説明(真実らしさを示すのに必要なだけのディティール)
    3.経験・出来事の分析(なぜ/どのように自分に影響を与えたか・自分はどのように成長したか)
    4.未来の自分と絡めてさりげなく決意表明でまとめる



     基本モデルだけあって、多くの作文系小論文が変形することによって、この「私を変えた経験」型に落とし込むことができます。

     まず《過去の経験を問う》タイプの小論文は、そのまま「私を変えた経験」型を使うことができるでしょう。
     「学生時代に力をいれたこと」「これまでに最も打ち込んだこと」「学生生活で得たもの」「いちばん感動したこと」「これまでに苦労したこと」のような課題・テーマの小論文がこれに当たります。
     0.(課題・テーマとの接続)で、課題・テーマを反復・引用して、1.自分を変えた経験・出来事へつなぐとよいでしょう。
     例えば「これまでに最も打ち込んだことは、スキーである。2年前の春スキーで、それまでの人生観が変わる経験をした。それは_______」という感じです。
     
     
     《関心・興味を問う》タイプの小論文、たとえば「最近読んだ本」「見た映画」「私の趣味」「休日の過ごし方」のような課題・テーマも、「私を変えた経験」型に持ち込むことは難しくないでしょう。
     その本を読んだこと、映画を見たことを、自分を変えた体験として捉えて、自分の変化を軸にして、内容に触れていくのです。
     こうすることで、単に読んだ本、見た映画の要約+よかった・おもしろかったという小学生並の感想に終わらず、自分の変化・成長を切り口に語ることができます。
     あるいは「私の趣味」という課題・テーマなら、「半年前に___を始めた。これによって自分は____のように変わった」と、自分の変化を軸にすれば、自分にとってその趣味がどういう意味がありどんな価値があるか、説得的に伝えることができます。何よりあなたという人間の重要な部分が伝わります。

     
     《抽象的テーマ投げ出し》タイプの小論文、たとえば「夢について」「友情について」「ふるさとについて」「幸福について」「私の仕事観」のようなものも、「私を変えた経験」型に持ち込むことができます。
     こうした抽象的なテーマを抽象的なまま取り扱うのは中々難しいですが、「私を変えた経験」と絡めると、経験・出来事の記述で具体性が得られ、地に足の着かない議論が避けられます。経験というあなただけの武器で、抽象的なテーマと戦うことができます。
     なにより作文型小論文では、出題者はあなたがどういう人間かを知りたいのですから、友情について哲学者の議論を披露しても仕方がないのです。(あなたが哲学に詳しいということは伝わりますが)。
     あなたの変化・成長がポイントなので、たとえば「友情について」なら、


    ・経験前  「かつては友情とは____なものだと考えていた。」(常識一般な友情観)
       ↓
    ・クリティカルな経験 「しかし____な体験をして、その考えは一変した。」
       ↓
    ・経験後 「その結果、友情について____と考えるようになった。」



    という「友情観の変化」という形で《経験による成長ストーリー》に持ち込むことができます。

     つまり「○○(抽象的な言葉)について」→「私の○○観」→「私の○○観の変化」→「私の○○観の一変させた決定的な経験・出来事」という変形を施すことで、「私を変えた経験」型の小論文にすることができるのです。
     
     《経験による成長ストーリー》とすることで、単に○○(抽象的な言葉)について抽象的に論じるよりも、経験のディティールによる本当らしさと物語の力による説得力を持った小論文にすることができます。
     



    ◯未来志向の作文系小論文

     小論文で未来の展望・抱負を書くことが要求されることがあります。
     確かに今のあなたも重要ですが、ルーキーとして迎えられるあなたが今後どうなっていくかをより重要だと見なすのは不思議ではありません。
     
     このパターンの小論文も、時間のスパンの取り方を工夫することで《経験による成長ストーリー》の型に落とし込むことができます。
     
     この場合、小論文の構成は、たとえばこんな感じになるでしょう。
     


    0.(課題・テーマとの接続/引用)
    1.夢の宣言・抱負・未来の自分を端的に書く
    2.その夢を抱いたいきさつ(自分を変えた経験・出来事)を述べる(過去の自分)
    3.目標とそれに到達する具体的な方法(自分を変えるであろう経験:現在から未来への自分)
    4.課題の決定とそれに到達する決意表明でまとめる



     「夢・抱負・未来」が実現するかどうかは、それを追いかける本人の動機付けに左右されます。
     つまり「夢・抱負・未来」実現の担保として、あなたが今現在差し出せるのは、あなたの実力・性向の他は、動機付けの強さしかありません。
     あなたが夢を実現できる実力・性向をすでに身につけており、なおかつ十分な強さの動機付けを既に得ていることを示すために、自分を変えた経験・出来事と、それを軸とした《経験による成長ストーリー》を使うのです。
     キャッチフレーズ的に言えば「未来は既に始まっている」、自分を変えたあの経験・出来事によって、という訳です。
     





    第2部:プチ論文としての小論文

     第2部では、論文としての小論文の書き方を説明します。
     
     作文としての小論文では、その説得力はディティールとストーリーの力に支えられ、一番伝えたい「私は○○な人間です」「私は貴社で働くべき○○な人間です」というメッセージは直接的に言葉にされませんでした。
     
     論文としての小論文では、これとは逆に、伝えたい主張は明確に記されなければならず、主張が正しいことを支える根拠はデータと論理的推論をもって構成される必要があります。
     
     つまり論文系小論文に不可欠の要素は《主張》と《根拠》であり、《根拠》は〈データ〉と、データと主張を結びつける〈推論〉から成ります。
     

     trig-3.png



    ◯根拠付き主張文の汎用性

     《主張》と《根拠》が不可欠であり、〈データ〉と〈推論〉によって《根拠》が構成されるというのは、学術論文でも同じです。
     というより学術論文に要求されることが、その縮小版である小論文にも当然に要求されるのです。
     大学で書かなくてはならないレポートもまた、プチ論文としての性質を引き継ぎ、同じことが要求されます。
     レポート・卒業論文を含めて、大学生になると多くの論文・プチ論文を書かなくてはならないのですから、論文の書き方をマスターしておけば使い回しが聞きます。
     逆に小論文を学ぶ中で論文の書き方を知れば一石二鳥でもあります。
     
     書き言葉を用いたコミュニケーションということでいえば、自分語りの作文よりも、根拠付き主張文の方が汎用的です。いろんなところで使います。
     たとえば仕事で書かなければならないのは根拠付き主張文の方であって、自分語り文の方ではありません。
     自分語り文は主に私的領域を、根拠付き主張文は公的領域を担当します。
     書かなければならない文章というのは誰かに求められたものですから、公的領域に属するもの、つまり根拠付き主張文であることが多いのです。
     
     こうしたこともあって、就職試験の小論文でも、自分語りの作文系小論文よりも、《主張》と《根拠》が不可欠である論文系小論文が要求されることが多くなってきました。
     
     選考試験で自分語り文が小論文として求められることがあるのは、下手すると文章だけでなく本人がやって来てしまうからであり、その前に本人のことが知りたいからです。
     すでに本人が一員になっているのであれば、小論文など書かさずとも仕事をぶりを見ればよいはずです。
     
     
     
    ◯論文にはない小論文の制限

     論文系小論文の書き方は、基本的には学術論文の書き方が準用できるはずが、試験に出されるという側面から、学術論文にはない制限がいくつかあります。
     まず数十分という試験時間内に書かなければならないという時間的制限、そして、これともつながることですが、せいぜい1000文字前後という分量(字数)の制限です。
     そして基本的には外部の資料を使うことはできず、データを集めるため調査や実験を行うこともできません。
     そのため試験の小論文では、時間内に自分のアタマの中にあるものだけで、主張を組み立て、主張を支える根拠を構成しなければなりません。
     
     
     後でアタマの中から小論文の素材を引き出すいくつかの方法を紹介しますが、それらはこうした小論文に課せられた制限から必要になります。
     
     
     

    主張を立てる

    ◯主張とは何か?

     小論文には《主張》が必要です。
     そして当然、《主張》が小論文の中心となります。
     
     《主張》の作り方を見る前にまず、《主張》はどういうものであるかを見ておきましょう。
     
     小論文に必要な《主張》とは、賛成したり反対したりできる意見や考え(を言葉にしたもの)です。
     
     たとえば「郵便ポストは赤い」というのは主張ではありません。これは事実の報告です。事実と合致しているという意味で正しかったり、食い違っているという意味で間違っていたりはしますが、賛否が問えるようなものではありません。
     これに対して、今のを少しだけ変えた「郵便ポストは赤くなくてはならない」というのは主張です。「そうだ、そのとおり」と賛成することや、「いや青でも構わない」「むしろ白くすべきだ」と反対することができるからです。
     
     目印にしやすいものを挙げれば「〜すべきだ」「〜すべきでない」「〜である必要がある」「〜必要はない」という言葉を含んでいるなら、主張だと言えます。
     
     たとえば「日本人は平均して年間2080時間働いている」というのは事実であって、主張ではありません。
     しかし「日本人は働きすぎである」というのは主張です。欠けてる言葉を補うと、「日本人は働きすぎで、労働時間をもっと減らすべきだ」ということだからです。
     
     「幸福とは他者への貢献である」というのも主張です。欠けてる言葉を補うと「幸福とは他者への貢献である、と考えるべきだ(考えるのが良い)」ということになるからです。
     幸福についての考え方・定義は様々にあり得ます。「幸福とは他者への貢献である」という人は、他人にまでこの定義で考えるべき(押し付けよう)とまで主張していないとしても、他の様々な幸福の定義ではなく、それらよりも「幸福とは他者への貢献である」が選択するのがよいと考えているのです。ここには価値判断があり、この判断のために、「幸福とは他者への貢献である」は主張であると言えます。
     


    ◯疑問文で与えられる課題・テーマ

     小論文では、与えられる課題・テーマが、何を主張にすればいいか、教えてくれます。
     
     疑問文の形で小論文の課題・テーマが与えられているタイプの小論文が、一番わかりやすいでしょう。
     ほとんど機械的に、小論文の主張を決めることができます。
     たとえば「高校に制服は必要か、あなたの考えを述べなさい」みたいなのがそうです。この課題・テーマに対しての小論文に書くべき主張は、「制服は必要である」または「制服は必要でない」のいずれかです。


    ◯是非を問う形に変換できる課題・テーマ

     小論文の課題・テーマの与え方には、他に一つの言葉を挙げて「◯◯について、論じなさい」とか「◯◯について、考えを述べよ」というタイプのものもあります。
     
     たとえば「成果主義について考えを述べよ」みたいなのがそうです。
     こういう課題・テーマだと、成果主義について自分の知っていること(だけ)を書いてしまう人が少なくありません。しかし知っていることだけを書いても、主張がないので小論文にはなりません。

     確かに「成果主義について考えを述べよ」というのは、何だか言葉足らずです。
     「考えを述べよ」だって?もっと(たとえば肯定せよとか否定せよとか)どうして欲しいのか言ってくれないと、どうしようもないだろ、と思ってしまいます。

     しかし、これは小論文の課題・テーマというフレーム(枠組み)の中で示された指示です。
     小論文の課題・テーマであることと合わせて考えれば「成果主義について考えを述べよ」みたいな足りない言葉でも、何をすべきかが決まります。
     つまりさっきの疑問文タイプのように、言葉を補って作り変えればいいのです。
     
     たとえば以下のように、是非を問う疑問文から主張へと変換することができます。
     


    課題・テーマ「成果主義について」
      ↓
    問いに変換「成果主義は必要か」「成果主義を導入すべきか」
      ↓
    主張「成果主義を導入すべきである」
       あるいは
      「成果主義を導入すべきでない」


     
     しかし、さっきの「高校に制服は必要か」と比べると、まだ少し足りないところがあります。
     「高校に」というのがそれです。
     わずか3文字ですが、これがあるのとないのとでは小論文を書くのに大違いであることが分かるでしょうか?
     
     「成果主義」の例に戻りましょう。
     世の中のあらゆる場面に成果主義が必要かどうか考えるよりも、どこか特定のところに必要かどうか考えた方が、主張が明確にならないでしょうか?
     この課題・テーマをうまく限定することが、「○○について論じよ」というタイプの、テーマ放り投げ型小論文をスムーズに書き進めるコツです(これは大学で卒論をはじめとする論文を書くようになると痛感するでしょう)。
     しかし始めて論文を書く人が、大きすぎるテーマを掲げてしまうように、経験のない人にとって、一番難しいのがテーマを自分で絞り込むことのようです。
     与えられたテーマから書き手自身が絞り込むのが大学受験生には難しいために、大学入試の小論文では、テーマ丸投げ型の小論文はほぼ駆逐され、課題文や資料がヒントとして与えられる形態がほとんどになりました。


    ◯定義を問う形に変換できる課題・テーマ

     小論文の課題・テーマには、「幸福について」のように抽象的な概念を丸投げしてくるものもあります。
     この手のテーマは是非を問う形には変換しにくいでしょう。今の例だと「幸福」というのは良いものであるのが前提で、是非を問うものではないからです。
     この種の課題・テーマは定義を問う形に変換します。したがって主張すべきことは、与えられた抽象的な概念についての、自分なりの定義です。
     
     今の例だと
     


    課題・テーマ「幸福について」
      ↓
    問いに変換「幸福とはなにか?」「幸福とはどんなことを言うのか?」
      ↓
    主張「幸福とは____である」「幸福とは____である状態である」
      (幸福についての自分なりの定義)



     では、自分なりの定義をどうやって考え出せばいいのでしょう?
     比較的やりやすいアプローチは「理想状態を考える」ことです。
     言い換えると、現実的には取り除けない制約や条件をすべて取り除くことができたとしたら、どのようになるだろうかと想像してみるのです。
     
     
     
    ◯問題解決を問う形に変換できる課題・テーマ

     小論文ではよく、時事問題や社会問題が課題・テーマになることがあります。
     さっきの「幸福について」のような課題・テーマとは反対に、この場合は悪いものであることが前提されており、したがって問題の解決について論じるように求められていると考えることができます。
     たとえば「日本における女性の社会進出の遅れについて、日本の現状を踏まえて、自分の考えを述べなさい」という課題であれば、「遅れ」というくらいだから出題者はこれを問題として解決を求めている訳で、以下のように変換できます。


    課題・テーマ「日本における女性の社会進出の遅れについて」
      ↓
    問いに変換「日本における女性の社会進出の遅れをどのように解決すべきか」
      ↓
    主張「日本における女性の社会進出を進めるために___すべきである」
      「日本における女性の社会進出を進めるために___という対策を行うべきある」




     
    ◯課題文・資料が与えられる小論文

     では、テーマが1語で放り投げられるのではない、一定の長さの課題文を読んでから、あるいはグラフ・図表を読み解いてから、「○○について論じよ」「考えを述べよ」と求めてくるタイプの小論文では、どのように主張を決めればいいのでしょうか?
     
     課題文の主張を抜き出して、その主張に賛成するか反対するかして、小論文の主張にすればよいのです。
     たとえば「復興には雇用の拡大が必要だ」と課題文が主張しているなら、「復興には雇用の拡大が必要である」あるいは「復興には雇用の拡大は必要ではない」というのを、自分が書く小論文の主張にするのです。
     
     ここでもコツのようなものを付け加えるなら、単純に賛成・反対するよりも、限定や条件をつけた方が、小論文は書きやすいです。
     今の例だと、課題文の主張に反対するとしても、さすがに「復興には雇用の拡大は必要ではない」とまで言い切ってしまうと、うまく主張できないし、根拠も整わないのであれば、
    「復興には雇用の拡大も必要だが、他にも_____が必要である」
    という部分的賛成しつつ異論も付け加える形の方が書きやすいです。



    根拠の引き出し方・磨き方

     小論文の主張は、基本的には、与えられる課題・テーマから(課題・テーマに合わせて、あるいは反対することで)作り出すことができました。

     しかし自分の主張を支える根拠は、外部の資料など当てにできない試験の小論文では、自分の頭の中から得られる材料を使って、作り上げなくてはなりません。
     
     そこでまず、アタマの中から小論文の素材を引き出すやり方をいくつか紹介します。
     それぞれに長所短所がありますが、簡単なものから順に紹介します。



    1.極端なケース・最悪を考える

     日常会話でもよく使われるので比較的親しみやすい根拠の作り方に「極端なケースを考える」というものがあります。
     
     たとえば何かをおねだりする子供は、それが手に入ったらどれほどすばらしいか(理想状態)、それが手に入らないとどれほど残念か(最悪の状態)を訴えるというのをよくやります。
     人の思考は極端に偏りやすく、したがってこのアプローチは人の思考にとって「自然」に親しんでいるものだと言えます。
     

    ◯「〜が必要」→「もし〜がなかったら?」

     「〜〜が必要である」という主張に対して、根拠が何も思いつかない時は、「もし〜〜がなければ、どんなひどいことが起こるか?」を考えてみましょう。
     最悪の状態を具体的に列挙できれば、それだけでも「必要である」根拠にできます。
     例えば「消費税率を上げる必要がある」という主張の根拠を考えだすには、「上げないと、どんなひどいことが起こるか?」を自問自答します。
     逆に「消費税率を上げるべきではない」という主張の根拠は、「上げると、どんなひどいことが起こるか?」と問うことで得られます。
     

    2.反対側を考える
     
     しかし思考の癖のままに極端に走るだけでは、小学生並みの根拠にとどまります。
     自説に有利な証拠だけでなく、不利な証拠も無視せず取り上げることができれば、「この書き手は物事を広い視点から見ており、主張はその分客観的で信頼できる」と読み手に思わせることができます。
     自説に不利な証拠を取り上げることは「自然」な思考の働きではないという意味で、少しトレーニングが必要ですが、それゆえに価値があります。
     これは「この書き手は思いついたことをただ書いているだけでなく、少しは考えている」と思わせるための第一歩であり、つまり小論文が「物事を論じた文章」となるための第一歩です。
     
     今、「消費税率は引き上げるべきだ」という主張について、その根拠として「消費税率を上げないと生じる悪影響」を考えついたとしましょう。これを「非・増税→悪影響」とします。
     そうしたら、さらに(2)〜(4)のような3つを考えます。


    (1)「非・増税→悪影響」…「消費税率を上げないと生じる悪い影響」

    (2)「  増税→好影響」…「消費税率を上げると生じる良い影響」

    (3)「  増税→悪影響」…「消費税率を上げると生じる悪い影響」

    (4)「非・増税→好影響」…「消費税率を上げないと生じる良い影響」



     この4つのうち(1)と(2)は、「消費税率は引き上げるべきだ」という主張を賛成する理由となるもの、これらに対して(3)と(4)は「消費税率は引き上げるべきだ」という主張に反対するものです。
     


    3.フランクリンの表(比較衡量表

     主張に対して、賛成の理由と反対する理由をいくつか書き出すことができたら、それらを比較します。
     賛成の理由と反対する理由を列挙し、賛成の理由が反対する理由を上回る(下回る)のであれば、すべきである(すべきでない)と結論付けることができます。

    procon-summertime.png
     
     この表はシンプルなものですが、いろんな場面で使うことができます。
     たとえば、課題文が与えられた小論文なら、課題文が上げる主張の根拠から、賛成理由と反対理由を拾い上げて表に整理してすることができます。根拠をきちんと押さえて課題文を読むことに使えるのです。
     さらに、課題文から作った比較衡量表に、自分なりの賛成理由と反対理由を付け加えることもできます(表に整理していると「自分ならこう思う」というアイデアが思いつきやすいです)。

     例えば課題文から作った比較衡量表では賛成理由が多かった(だから課題文ではその主張をしているのでしょう)のに、自分なりの賛成理由と反対理由を加えた後には反対理由が多くなっていれば、しめたものです。
     あなたは課題文に反対する主張を小論文で唱え、あなたが理由を加えた比較衡量表を根拠付けに使うことができます。



    4.切り口チャート:複数の視点を得るために

     フランクリンの表(比較衡量表)にたくさんの賛成理由と反対理由が並ぶためには、主張や主張が扱っている事柄について、多くの視点から眺め、様々な側面を取り上げることが必要です。
     しかし複数の視点から物事を見ることは簡単ではありません。試験という短い時間の中でやろうとすれば、なおさらです。
     
     複数の視点に気づき、さまざまな側面について功罪を考えるための手助けに、こんなチャートを作る手があります。

    kirikuchi2.png
    (クリックで拡大)





     このチャートは


    ・類似のものと比較し「どこが違うか?」を考えることで独自性/特徴に気づく
    ・複数出た独自性/特徴ごとに、長所短所を書き出していく




    という2段構えで、多くの視点から眺め、様々な側面を取り上げるものです。
     主張についても、主張が扱う事柄についても、使うことができます。
     



    5.自問自答表

     主張をサポートする根拠とは本来、自分が主張を述べた後、誰かに「なぜそう言えるのか?」と問われた質問に対する返答として述べるものです。
     
     大学のゼミナールでの発表における問答や指導教官の指導(ツッコミ)への応答など、すべてこの「なぜそう言えるのか?」を巡って行われます。
     
     論文は、そうした受け手(読み手)が抱くかもしれない疑問への応答を、あらかじめ行っている(そしてそれを内蔵している)文章です。これが「論文は根拠付きの主張文である」ということの意味です。
     
     このことに立ち戻るなら、主張についての根拠を生み出す作業は、主張に対して「なぜそう言えるのか?」と自問自答することだと言えます。
     根拠として述べたことに対しても、さらに「なぜそう言えるのか?」という疑問が出てくるならば、それにも応答することになります。
     主張についての根拠を生み出す作業は、こうした自問自答の繰り返しです。
     
     主張に対して「なぜそう言えるのか?」を繰り返し自問自答していく方法は、シンプルかつ強力ですが、制限時間がある試験小論文で使うには、問題があります。時間がかかるのです。
     もうひとつ、適切なツッコミや疑問を出してくれる人がいないと(大学のゼミナールでの発表における問答や指導教官の指導は、このための経験です)、未経験者には難しい面があります。


     しかし自問自答法は、論文の骨子を作るための、本来的で汎用の方法であり、トレーニング法でもあります。
     やり方は主張に対して「なぜそう言えるのか?」とそれへの返答を繰り返していくだけですが、ノートを左右に二分割していくとやりやすいでしょう。

    (1)ノートの真ん中に縦線を引いて左右に欄を分け、左を自説欄、右を反論・疑問欄とする
    (2)まず自説欄の最初の行に〈主張〉を書き、同じ行の反論・疑問欄に「何故そう言えるのか?」と書く
    (3)以下、自説欄では反論・疑問欄に書いた疑問や反論への返答を、反論・疑問欄には自説欄へのさらなる疑問・反論を書いていく




    論文系小論文の構成

     ここまでで小論文を構成する「具」については出揃った事になります。
     最後に、小論文の構成をみながら、これまで作ってきた主張や根拠といった「具」が、小論文のどの位置に来るのか確認していきましょう。


    0.(課題・テーマとの接続)

     (課題文等がある場合)問題として取り上げる部分を課題文・資料から引用
     (テーマ放り投げの場合)テーマについての通説を読み手と書き手の共有前提として最初に置く。「◯◯については〜〜と言われている。」
     

    1.(問題提起と主張)

    ・問題提起=主張がその答えとなるような疑問文「〜〜は〜〜であるか。」
     (テーマ放り投げの場合)テーマを変換した問いをここに持ってくる。
     (是非を問う形に変換できる場合)「成果主義は必要か」「成果主義を導入すべきか」
     (定義を問う形に変換できる場合)「幸福とはなにか。」「幸福とはどんなことを言うのか。」
     (問題解決を問う形に変換できる場合)「(問題を)をどのように解決すべきか」
     
    ・主張=問題的に対する書き手の答えを端的に書く「〜であると考える。」
     

    2.主張の展開と根拠

    ・主張の展開=(必要なら)主張の補足説明
    ・根拠=何故そのような主張をするのか事実を挙げた根拠づけ(複数)
    ・(必要なら)主張への反論と、再反論……主張に反対の意見をここで使う

     
    3.もう一度主張を繰り返す

     主張=問題的に対する書き手の答え
     「以上の理由から、~であると結論することができる。」




    おまけ(作文系小論文を論文の書き方で)


     おまけとして「論文系小論文の書き方を流用して、自分語り的な作文的小論文を書く」やり方を説明します。
     
     論文系小論文は、見てきたように、主張を立て、これを根拠付けることで構成され、根拠はデータと、主張とデータを結ぶ推論からできています。
     うまく主張を立てることができれば、自分語り的な作文的小論文も、論文系小論文の書き方で書くことができるはずです。
     
     主張を立てるための、課題・テーマの変換は、論文系小論文の書き方の中で「主張を立てる」という章でやりました。
     以下は、その拡張オプションです。


    ◯価値観を問う小論文の場合

     「私の就職観について」「私にとって働くとは」のような、書き手の価値観を問う小論文の場合は、かなりシンプルに「主張を立てる」ことができます。
     この場合、瑣末なことを論じても仕方がないので、自分にとって何が重要であるかを考えます。
     つまり何を重要であるとするかに自身の価値観が反映する訳です。
     たとえば「私にとって働くとは」ならば、「仕事で重要(大切)なのは___である」という主張を立てることができます。
     
     次に何故「仕事で重要(大切)なのは___である」のかという問いに答えて、主張の根拠を作っていきます。
     重要なものは、おそらく必要なもの、なくてはならないものでしょうから、極端・最悪のケースを考えて、「それがもしなかったら、どんなひどいことになるか?」を考えることで、根拠のいくつかを手に入れることができるはずです。
     


    ◯過去の経験を問う小論文の場合

     「大学生活で力を入れたこと」「私が挑戦したこと」のような、書き手の過去の経験を問う小論文の場合も、自分にとって何が重要であるかを問うことが取っ掛かりになります。
     瑣末な経験を取り上げても仕方がないので、書くべきは自分にとって重要な経験であるはずです。
     
     単に「こんな経験をした」だけを書いても小論文としてはダメで、プラス「この経験は____という理由で私にとって重要である」ことを示さなければなりません。でなければ読み手は「そういう経験をしたのか。で、それがどうしたの?」と尋ねたくなるでしょう。
     「_____という経験は、私にとって重要である。」というのが、この場合の主張になります。
     そしてこの主張を支える根拠は、経験によって生じた自分の変化であり、その変化が現在の自分を創りだしたという因果関係です。
     
     根拠はデータと推論から構成されます。
     データとして自分の経験の前と後、そして経験の詳細が、データと主張をつなぐ推論として、体験と変化の関係付けを書くことになります。



    ◯未来の希望・抱負を求める小論文の場合

     「私の夢」「〜するにあたっての抱負」「入って何がしたいか」といった、書き手の未来を問う小論文の場合があります。
     「志望動機」を書く小論文も、広い意味でこのカテゴリーに入ります。
     
     基本的に「私は____したい」ということを書くわけですが、これは「何故私は___したいのか」「何故私にとって____することは重要なのか」という問いに変形することで、「____することは、私にとって重要である」という主張に結びつけることができます。
     あとは「何故私にとって____することは重要なのか」という問いに答えることで、主張の根拠を作っていきます。



    (参考記事)

    ◯文章を書くこと自体が苦手という人に






    ◯わかりやすく誤解されない文章にするために



     
     少しでも文章を書いたことのある人なら誰でも、滑るように快調に書き進んでいた手がいつしか重くなり、そのうち行き詰まってしまった経験があるだろう。
     そして行き詰まったまま途中で放り出してしまった、未完結の文章がいくつもハードディスクの底に眠っている。
     まだ書き始めていない人が「何をどう書いたらいいのか分からない」というのは、まだ分かる。
     けれど、さっきまで散々書いていた人が、「何をどう書いたらいいのか分からない」状態に陥るのはどうしてか?

     初期の知覚研究が錯覚を研究対象にしたように、あるいは誤答の研究が問題解決の重要な部分を明らかにしたように、「書けない」ことの分析は「書くこと」の本質のようなものに光を当てるかもしれない。

     正解かどうか分からないが、答えの一つはこうだ。



    内なる仮想の読み手

     我々が何か書いているとき、話すときなどと違って、受け手がいま目の前にいる訳ではない。
     つまり話すことと違って、受け手(聞き手)からのリアルタイムの反応を受け取り、それによって何をどのように話すのかについて不断に調整する、といったことができない。
     フィードバックを受け取るために、書き手は、自分の中に仮想の読み手をつくり上げる。
     仮想の読み手は、書き手の内にいるが、機能的には書き手から一応独立している(仮想の読み手は、書き手の言いなりにならない)。
     書き手は、多くは無意識に、自分の内の仮想の読み手の反応を受け取って、何をどのように書くのかを、不断に調整していく。
     これが我々が執筆している間に生じていることである。

     仮想の読み手から得られるのは、多くはネガティブなフィードバックだ。
     「そっちじゃない」「それ、やりすぎ」「そんなのでほんとにいいの?」という否定的な反応があるからこそ、我々が書く文章は、そうひどくは道を踏み外さなくて済む。

     書き手自身の言いなりにならない仮想の読み手を構築するために、書き手は自分以外の言葉や思考や論理やルールや価値観、あるべき理想などを素材としてかき集める。
     仮想の読み手からのフィードバックのおかげで、書くことは真っ暗闇の中をデタラメに走り回るようにはならない。
     書いたものは支離滅裂でなく、完璧ではないにしてもいくらかのまとまりを持ったものになる。

    writeread in the brain

     仮想の読み手は、大げさに言えば、書き手の内側に仮構された社会だ

    あるいは、社会とは、内側に〈仮構された社会〉を持つ人たちによって/彼らのやりとりを通して、構築され維持されるのだと言ってもいい。

     そして、誰でもない仮想の読み手に読まれるように書くからこそ、そうして書かれた文章は不特定多数の読み手に対して開かれたものとなる。
     書き手以外の人にも、書き手がまだ知らない誰かにも、読むことができるものになる(可能性を持つ)。
     書いたものがただ物理的に存続するだけでは、書き言葉は集団や共同体や時代を越えて広がる可能性を持たなかっただろう。
     
     仮想の読み手が、書き手の言いなりにならないことは不可欠なことだが、しかし、良いことばかりではない。

     あなたの心の何処かから浮かび上がる、文章に対する自己否定的な思考や感情はもちろん、言いなりにならない仮想の読み手から生じてくる。
     「小学生向きの小説の書き方」で紹介した、書き手を苦しめ、その自由を奪い、最後には書けなくしてしまう「内なる編集者」もまた、この仮想の読み手の別名なのだ。





    書くことは何故苦しいのか?

     書くことは何故かくも苦しいのか?
     それは、書くことが半ば必然的に自己を分裂させるからだ。

     書く際に、前に進む力も、それを留める力も、我々の内側から生じてくる。
     一方向の情動ならば、我々を翻弄するにしても、我々をかくも激しく引き裂いたりはしない。
     互いに背き合う力が、書くことには必要だ。

     しかし、その力はしばしば、書くことに対して破壊的に作用する。
     書き手を苦しめ、書く手と心に鎖をかけ、すでに書き終えられたものすら廃棄させたりもする。

     事が書くことの本質に根ざすのであれば、回避することはできないのだろうか。
     イエス。
     しかし我々は何もできない訳ではない。


    ではどうすればいいか?

    (1)受け入れる

     一番手っ取り早く効果が高いのが(人気はイマイチだろうが)、仕方がないと受け入れることだ。

     実は、先程までの長い前口上は、そのために(何も失わないという意味で都合の良い解決策を断念するために)書かれている。

     書くことが要請する自我の分裂は〈仕様〉だと認めることは、あまりなぐさめにはならないが、皆が同じ状況にいることを気づかせてくれる助けにはなる
     そして、痛みに必要以上の関心を払うならば楽しむ機会をいくらか失ってしまうだろうということを、思い出させてもくれる。

    自分が本当に凡庸であると認めることは、思った以上に難しい。

     苦痛は決してゼロにはならない。
     が、それが何故かを知ることは、少しは苦痛を耐えられるものにする。
     本当に苦しいのは、苦痛そのものではなく、苦痛が無意味であることだから。

     加えて、ひとつ良い知らせがある。
     このブログでも繰り返し(こことかここで)書いてきたように、不安や恐怖などの悪感情は、回避すればするほど悪化増強する性質がある。
     苦痛を受け入れることは、その反対の結果を生む。すなわち、それ以上ひどくならないという効果が得られる。


     以下に続く、長くないリストの方法は、苦痛を回避するために常用すると逆効果であるという認識を、利用の前提とする。
     
     
    (2)象徴的に殺す

     前に小学生向きの小説入門を書いた時は、こうした書くことについてのダークサイドについては触れずに済ませた。
     過保護で気の利かない、悪い意味での大人的な気遣いだったと思う。
     代わりに内なる編集者を象徴的に殺す儀式を置いた。
     概して、子供は大人より「ごっこ遊び」が得意で、本気で打ち込める。

     これは科学というより呪術に属するアプローチだが、呪術の本質を理解すれば、その効果は予測できる。
     呪術が扱うのは、融通無碍で様々に定義し直せる《状況》という奴である。
     状況を定義し直すことで、事実それ自体は変わらなくても、事実の意味は変わる。

     再録しよう。

     君のなかの編集者を追いだそう

     君が書いたものに、下手だとか、クソだとか、いろいろ言ってくる奴がいるだろう?
     そう、君の心のなかにいる奴だ。

     そいつは男だろうか、女だろうか? 若い?年寄り? 何を着て、どんな顔をしてる?
     姿を想像して、下の箱の中になるべく詳しく描いてみよう。

    InnerEditor.png

     描けた?
     そしたら、切り抜いて4つに畳んで、タンスの奥か、洗濯かごの底か、机の下の引き出しに突っ込むか、なんなら君のペットの犬小屋に預けてしまおう。
     さあ、これでもう、君が書くのを邪魔する奴はいない。



     バカみたいだが、強すぎる「内なる編集者」の力を、一時的にだが弱める効果がある。
     書けなくなっている人が書き始めるには、それで十分なことも多い。
     ポイントは、クソ真面目に本気で取り組むこと。時間は数分もかからない。



    (3)速さで振り切る

     反省的思考は、認知的リソースを消耗するから、それほど素早くはない。
     
     以前、紹介した以下の方法は、内なる仮想の読み手を一時的にであれ置き去りにするアプローチである。



     ポイントは、制限時間を設けることである。

     これも再録しよう。



    (1)このワークに取り組む時間を決める

     1セット15分とか20分でやってみる。
     もっとやりたくなったら、もう1セット繰り返せばいい。

     
    (2)タイマーをセット

     紙(ノート)と筆記具、あるいはパソコンとテキストエディタなど書くために必要なものを準備する。それからタイマーを自分で決めた時間でセットする。


    (3)タイマーが鳴るまで書き続ける

     スタート。自分が決めた時間が過ぎるまで、何でもいいから、とにかく書き続ける。
     
     手を止めてはならない。読み返してはならない。消すなんてもってのほか。
     
     言うまでもないが、書き誤りや句読点や文法、改行や段落なんて気にしない。漢字が出てこないならひらがなでもカタカナでいい。レイアウトなんか犬に食わせてしまえ。

     しつこく言うが、文章を評価するあらゆる基準を無視すること。
     パクリ、月並み(クリシュ)でどこが悪い。
     筋道立てる必要だってない。さっき書いたことと、今加工としていることが、いやそれどころか主語と述語がチグハグだって、単語の繰り返しだって構わない。
     〈自己満足〉なんて僥倖(すごいラッキー)は期待するな。不満足のまま進め。
     っていうか考えるな。ひたすら言葉を吐き出すのだ。
     

    (4)もうだめだ、書くことがない、となったら

    「もうだめだ、もう書くことがない」と書け。なんでこんなことしなきゃならないんだ、と思ったら、そう書け。とにかくタイマーが鳴るまで手を動かせ。


    (5)ヤバイところに突き当たったら

     怖い考えやヤバイ感情に突き当たったら(高い確率でそうなる)、「ようやくおいでなすった」と思って、まっすぐ飛びつけ。少なくとも書こうとせよ。
     おそらくは、それが書くことを邪魔してるメンタル・ブロック(か、それにつながるもの)である。
     同時にそれは、どこかで聞いてきたようなお行儀のいいコトバ以上(以外)を書くためのエネルギーの源泉になる。




    (4)思考を離れ感覚にもどる

     手の動きが止まり、指先から生まれる言葉より、頭の中をぐるぐる回る言葉が上回りだしたら、それをねじ伏せようと頭がヒートアップしてますます訳が分からなくなるなったら、スイッチを切り替えるために感覚に戻る手がある。
     
    ・涼やかな音がする小さな鐘を用意しておいて、その音に耳をすませる
    ・もふもふしたものを両手の中につつんで、もふもふする
    ・匂い袋を用意しておいて、匂いをかぐ

     そうして文章に戻る際にも、感覚器官が受け取った刺激を言葉に変換する一種の機械になったつもりで、言葉をしばらく出力していく(不要なら後で消せばいい)。
     自分の内側に言葉を探すのでなく、刺激を言葉に逐語変換するような感じで。

     慣れると、外部の刺激なしにも〈感覚器官モード〉に切り替えられるようになる。



    (5)アクターを増やす
     
     書き手としてのあなた v.s. 内なる仮想の読み手

    という1対1の関係が煮詰まる原因だとすれば、そしてどちらも取り除く事ができないのだとすれば、関係を変えるためにできるのは、減らすより増やすアプローチということになる。
     事態はよりややこしくなるので、書くために使える認知リソースが余分に消費される欠点があるが、しかし場合によってはデッドロックを回避する妙手になる可能性がある。
     

    (a)特定の読者を想定する
     ある意味、伝統的に活用されているアプローチである。
     不特定多数のまだ見ぬ読者を代替するのが〈内なる仮想の読み手〉だとすれば、ひとつの方法は、特定の読者を想定してその相手に向けて書くことである。特定の読者を味方につければ、〈内なる仮想の読み手〉からネガティブな反応が返ってきても「いや、こういうのが〈特定の読者〉は好きなんだ」「こういうのを求めてるのだ」と反論できる。
     利点はそのまま欠点にもなり、うまく扱えなければ、〈内なる仮想の読み手〉と〈特定の読者〉がタッグを組んで、書き手のあなたを責めさいなむこともあり得る。

    (b)架空の書き手を導入する
     読み手でなく書き手の方を増やすアプローチである。
     例えば誰か特定の人物のゴーストライターをやっているという想定で文章を書く。
     稚戯のようだが、本当のあなたなら書かない(〈内なる仮想の読み手〉が許さない)ようなことも書くことができるのに気付くだろう。
     これもまた文学では伝統的なやり口である。


    (参考文献)
     
    〈内なる仮想の読み手〉というアイデアは、岡本夏木『ことばと発達』やG.H.ミード『精神・自我・社会』を参考にした。

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