1.アカデミア・デラ・クルスカ辞典

    Vocabolario degli Accademici della Crusca: Con tre indici. (1612). In Venezia: appresso Giovanni Alberti.



    イタリアのアカデミーがイタリア語の純化確立政策から編集したもの。これは1920年代までイタリア語の規範であり続けた。



    2.アカデミー・フランセーズ辞典


    Dictionnaire de l'Académie: Le dictionnaire des Arts et des Sciences. Par M.D.C. de L'Académie Françoise. 2 tomes. (1694). Paris: Jean-Baptiste Coignard.



    フランスのアカデミーがフランス語の純化確立政策から編集。1935年には8版を重ねた。



    3.万有英語語源辞典

    Bailey, N., France., & Faculté de théologie protestante (Montauban). (1721). An universal etymological English dictionary comprehending the derivations of the generality of words in the English tongue ... And also a brief and clear explication of all difficult words ... Together with a large collection and explication of words and phrases us'd in our antient statutes, charters, writs ... and the etymology and interpretation of the proper names of men, women, and remarkable places in Great-Britain ... To which is added, a collection of our most common proverbs ... By N. Bailey. London: Printed for E Bell, J. Darby, A Bettesworth... [et 7 al..



     本格的な英語辞典は、この辞書Nathaniel Baileyの“An universal etymological English dictionary”(万有英語語源辞典)に始まる。収録語数約4万,語源を重視した一般英語辞典として注目を浴びた。チョーサー、シェークスピアなど文学者の引用句を含み、1727年改修版2巻はジョンソンの辞典出現までの権威であった。
     ベーリーは1730年新たに“Dictionarium Britannicum”(英国辞典)を刊行する。収録語数6万,図解を含み,当時最大・最良の英語辞典として,やがてサミュエル・ジョンソン博士が辞書を編集するに当たり,その底本として用いられることになる。


    4.ブリタニカ百科事典

    Smellie, W. (1771). Encyclopædia Britannica: Or, a dictionary of arts and sciences, compiled upon a new plan. ... Illustrated with one hundred and sixty copperplates. By a Society of gentlemen in Scotland. In three volumes. Edinburgh: printed for A. Bell and C. Macfarquhar; and sold by Colin Macfarquhar.



    エジンバラの版画家ベル Andrew Bell(1726‐1809)と印刷業者マックファーカー Colin MacFarquhar(1745ころ‐93ころ)が,印刷業者で学者のスメリー WilliamSmellie(1740‐95)に編纂を依頼,2段組み四つ折本100分冊を毎週各冊6ペンスで発行。完成後は2200ページを三巻に製本して初版とした。
     従来の百科事典の方針は〈科学を個々の術語に分解し,アルファベット順に並べて説明しようとする愚行〉だとして,科学の原理を体系的に叙述することを試みた。重要な項目,たとえば〈解剖学〉には166ページを費やしているが,一方,定義を記しただけの短い項目もある。


    5.ジョンソン『英語辞典』

    Johnson, S. (1766). A Dictionary of the English language... abstracted from the folio edition by the author Samuel Johnson,... To which is prefixed a grammar of the English language. London: A. Millar.



    ジョンソンは正しい英語の確立を目ざして、1755年に『英語辞典』A Dictionary of the English Languageを出版し、英語学と辞典の権威と認められた。これは、語数4万で、語釈の明確さと引用句の豊富適確さで知られていた。



    6.ウェブスター『英語辞典』


    Webster, N. (1831). A dictionary of the English language: Abridged from the American dictionary for the use of primary schools and the counting house. New York: White, Gallaher, & White.



     残念ながらノア・ウェブスターの最初の英語辞典A Compendious Dictionary of the English Language(1806)は全文表示できないので、ウェブスターの名を不朽のものにしたこちらを(このとき、ウェブスターはジョンソンの辞書を越えることを目指し、この辞書で越えることができたと考えた)。



    7.ディケンズ『ロンドン辞典』


    Dickens, C. (1879). Dickens's dictionary of London, 1879: An unconventional handbook. London: Charles Dickens, "All the Year Round" office, 26, Wellington Street.



    再びイギリスにもどって、ディケンズのロンドン辞典。



    8.イギリス伝記事典

    Stephen, L., & Lee, S. (1885). Dictionary of national biography: A-Z. London: Smith Elder & Co.



     『ブリタニカ百科事典』Encyclopaedia Britannica 『オックスフォード英語辞典』Oxford English Dictionary と並び称される『イギリス伝記事典』。2004年にはようやく、この新版として『オックスフォード・イギリス伝記事典(Oxford Dictionary of National Biography)』が出たが、長らく伝記事典のスタンダードであった。


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     ハワード・S. ベッカーの『論文の技法』(講談社学術文庫)は、論文執筆マニュアルというよりも、論文を書くのに苦しんでいる人のところへ行って「参与観察」したエスノグラフィのようなもので、マニュアルによくあるような、きちんと整っていて人を安心させる〈決まった手順〉などは書いていない。

    論文の技法 (講談社学術文庫)論文の技法 (講談社学術文庫)
    (1996/09)
    ハワード・S. ベッカー、パメラ リチャーズ 他

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     そんな中から提案になっていそうなものを拾ってみると、何でもいいからとにかく書けるだけ殴り書いて、それから切ったり貼ったりで構成を考えようじゃないかという、とてもフォーマルでないやり方になる。
     もっとも書き物が手順どおりに進むなら誰も苦労はしない訳で(確かに手順があればしなくていい苦労というのもあるのだが)、最終的に不格好でもやり遂げなければならない場合には、なりふり構わず、いつしかベッカー流になっていたりする。

     どうかもう少しだけ、おおまかに〈手続き化〉したものが、今回紹介するアウトライナー・ストーミングである。
     もともとアウトライン・プロセッサーを使う時にやってた手順なのだが、テキストエディタでも同じようにしている。

     正直言うと、誰もがこんなふうにして書いているのだろう、と思っている。
     しかし、自分が思い描く〈当たり前〉ほど当てにならないものはないと、思い返す程度の経験はある。
     世の中には、方解石を割るかのごとくアウトラインを細分化していくだけで、平仄の整った文章を指定字数通りに書ける人もいる。
     また、自分の思いつきにそこかしこで魅了されて、脱線に脱線を重ねたあげく、どこにも行き着けぬまま力尽きるのを常とする人もいる。
     自分の場合、そうした両極端の間にいて(随分と後者寄りなのだが)、結局、構成から細部へという流れと、細部から構成へという流れの両方を、行ったり来たりするしかない。
     その往復の範囲を限定することで、いくらかでも時間を稼ごうという目論みだ。
     不器用だが仕方がない。

     具体的には、次のようなステップを踏む。詳しくは後述しよう。

    1.構成・あらすじを書けるだけ書く
     ・粗いところは粗いままでいい。
     ・細かく書けるところはできるだけ書く。

    2.構成・あらすじから一項目を選んで、その項目に関して何でもいいから書く
     ・数をかせぐ。要はトピックを限定したブレイン・ストーミングである。
      ・順不同、カテゴリーの大小、その他にはこだわらず。
      ・素材、連想、データ、引用、きめゼリフ、その他何でもいいから書き出す。
     ・自分の場合は、その時点で一番粗いところから取りかかることにしている。
     
    (構成・あらすじのあちこちで、2.の作業を繰り返して、それなりのボリュームが出てきたら)
    3.これも好きなところから、並び替えして整理する
     ・コツとしては「くずかご」という項目を作って、不要に思える項目を放り込む。
      ・削除するかわりに、見える形で〈片付ける〉ことで代用する。
      ・削除となると、後悔の前払いとも言うべき躊躇する気持ちが作業を滞らせる


     おおまかにはこんな具合で、これだけで十分(というかお腹いっぱい)な気もするが、もう少しだけ実例を示して説明しよう。


    1.構成・あらすじを書けるだけ書く。


    (タイトル)
     ・調査オンチが知らない3つの「考え方」
     ・レトリックで検索する、考える
     ・グーグルで使えるレトリック技法
    ……
    (構成)
     ・シネクドキで探す
     ・メトニミーで探す
     ・メタファーで探す
     ・まとめ


    なんと、これだけだ。息継ぎができない人の水泳のように短い。


    2.好きなところを選んで、とにかく何でも書き加える。


    (タイトル)
     ・調査オンチが知らない3つの「考え方」
     ・レトリックで検索する、考える
     ・グーグルで使えるレトリック技法
    ……
    (構成)
     ・シネクドキで探す
      ・〈花見〉と行って〈桜を見る〉
      ・花⊃桜
      ・下位カテゴリーから上位へ
       ・〈ヘミングウェイ〉でダメなら〈アメリカの作家〉で探す
      ・上位カテゴリーから下位へ
       ・〈大統領の誕生日〉で見つからないなら、〈ケネディ/ニクソン/レーガンの誕生日〉で探す
       ・※〈大統領の誕生日〉で探すと2月の第3月曜日がヒットする。これはアメリカ合衆国の法定祝日で 公式名称はワシントンの誕生日 (Washington's Birthday)。←どうでもいい

     ・メトニミーで探す
     ・メタファーで探す
     ・まとめ




    ある程度の量になったら
    3.好きなところを選んで、整理。不要なものは消さずに〈くずかご〉へ



    (タイトル)
     ・グーグルで使えるレトリック技法
     ・(くずかご)
      ・調査オンチが知らない3つの「考え方」
      ・レトリックで検索する、考える
    ……
    (構成)
     ・シネクドキで探す
      ・〈花見〉と行って〈桜を見る〉
      ・花⊃桜
      ・下位カテゴリーから上位へ
       ・〈ヘミングウェイ〉でダメなら〈アメリカの作家〉で探す
      ・上位カテゴリーから下位へ
       ・〈大統領の誕生日〉で見つからないなら、〈ケネディ/ニクソン/レーガンの誕生日〉で探す
      ・(くずかご)
       ・※〈大統領の誕生日〉で探すと2月の第3月曜日がヒットする。これはアメリカ合衆国の法定祝日で 公式名称はワシントンの誕生日 (Washington's Birthday)。←どうでもいい

     ・メトニミーで探す
      ・〈赤ずきん〉で、それをかぶった少女を指す
      ・〈馬を射よ〉的隣接性
      ・地元の名店を見つける検索=(キーワード)+"教えたくない" "お店"
      ・医療情報を検索するのに素人サイトを除く→「鑑別」(英語ならdifferential)を検索語に加える
       ・(例)「low back pain.」と「differential low back pain」
       ・(例)「腰痛」と「鑑別 腰痛」

     ・メタファーで探す
      ・「白雪姫」
      ・類似性=シネクドキの往復
       ・白い肌→(アップ)→白いもの(カテゴリー)→(ダウン)→雪
      ・look like検索
       ・"remind me of" +(キーワード)
       ・"similar to" +(キーワード)
       ・"sounds like" +(キーワード)
       ・google より 人気” /“google より 優れた”

     ・まとめ






    問いを持たないと、知識はあなたを素通りしていく。
    けれども、知識がないと問いは形をなさず崩れていく。
    問いと知識は、循環的因果性で結ばれている。
    砕いて言えば、鶏と卵の関係にある。

    問いは既に知っているところから、その「外」へと踏み出すところに生まれる。
    知らなければ、問うための足場がない。
    知っているところに留まるならば、問いは得られない。
    人は知と無知(未知)の境界で問う。

    知ることは、知識を増やすが、知と無知の境界も増やす。
    しかし知識の増加に比べると、境界の増加は遅い。
    球体をたとえに使うなら、体積(知識の量)が8倍(=2の3乗)増えるとき、表面積(知と無知の境界)は4倍(=2の2乗)しか増えない。
    知識は問いを減らしはしない。だが、知識ほどには問いは増えない。

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    問うこと自体は難しいことでも、珍しいことでもない。
    知りたがりの動物である人の内には、たくさんの問いが詰まっている。
    しかし、知識に祝福される問いは多くない。

    人が抱く問いの大半は、そもそも答えることができない。
    たとえば、ある時期の子供は、大人に何か言われると「なんで?」と問い返す。
    そうすれば、考える番(ターン)は相手に移ると、学習したのだ。
    けれど、考える機会を相手に譲り渡すことの意味に、その子は気付いていない。
    考える機会を手放し続けた者が行き着く境遇がどのようなものであるかを、まだ知らない。

    「なんで?」という質問の多くには、答えがない。
    しかし、無意味というわけではない。
    これは、質問の素振りのようなものだ。
    子供は、「なんで?」の繰り返しで、質問の間合いのようなものを学ぶ。
    多くを知らなくても、こうして反復練習はできる。
    しかし、やがては「生きたボール」を打つことになる。
    また、そうでなくてはいけない。

    素朴な問いは、他人に向かって放っているうちは、幼稚な問いでしかない。
    自分に振り向けるようになったとき、素朴な問いは根源的なものになる。
    やはり、その多くには答えがない。
    だが、そうした問いを長く自問自答することで、人は答えのない問いの存在を思い知る。
    それは特定の問いに対する答えを見つけることより、ずっと大切なことだ。
    そして人が持ち得る知識の中で、最も古いもののひとつでもある。

    答えのない問いが存在することなんか、少し考えれば分かりそうなものだ。
    いや、考えるまでもなく、発した問いが何度も空を切るのを見ていれば気付くはずだろう。
    しかし「答えてもらえない」ことと「答えがない」ことは違う。
    「答えてもらえない」のは、ただ単に自分の周りが「バカばっかり」なだけかもしれない。
    あなた自身が「気付いてない」だけかもしれない。
    別の「答え」を見つける人もいる。
    たとえば「自分は愛されていない」とか、そういう答えだ。

    最後のタイプの答えは、釣針のように「返し」がついていて逃れにくい。
    「自分からいやな臭いがでてる」と信じる人に「そんなことないよ」と言っても、気を使って嘘をついているのだと思われるだろう。
    反対に「その通り。すごく臭いよ」と言っても、「ああ、やっぱり」と信念を強くしてしまうだろう。
    「人付き合いが下手だ」とか「落ち込みやすい」といった、「私は~だ」というタイプの「答え」はこのタイプに陥ることが少なくない。

    「私は~だ」といったことと、ある問いに答えがあるかどうかは、まるで関係がない。
    傍目に見ていると、こんなことはすぐに分かる。
    しかしこのことを知るには、「自分の在り様」と「世界の在り様」の区別をつける必要がある。
    これは素朴なものの見方の「外」にあるものだ。
    人は、自分が悲しいと、世界自体が悲しく見えてしまうようにできている。
    「ものを知る」ことは、世界が、自分の感じ方とは独立して在ることを、承認するところにはじまる。

    これは放っておいても維持できるような、「自然」なスタンスではない。
    姿勢を保つのに、どうしても努力が必要になる。
    だが、あなたとは違う別の誰かと、知識を分け合うには必要となる。
    手を伸ばして届くその域を越えて、誰かとつながる可能性がこうして開く。

    知るとはつまり、こういうことなのだ。