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     これは問題解決を知らない人のために書いた文章です。
     
     問題解決について、最低限のことだけを説明します。
     
     問題解決とは何をすることなのか? それを知るとどんな得することがあるのか? といった、世の中の問題解決について書かれたいろいろなものよりも、少し手前にある話題についてです。

     


    問題解決って何?

     問題解決とは、自分で目標を決めて、それに向かってうまく行動していくことです。
     
     目標とは「こうしたい」とか「こうなりたい」と思うものです。「こんなのはいやだ」も、みがいていくことで目標になります。
     決まった目標について〈うまく行動する〉のは、ものによっては機械にもできます。
     アリやハチは、集団で協力してすばらしい巣をつくります。
     他にも〈うまく行動する〉お手本にできるものは多いです。
     
     ですが、目標を決めるのは人間だけです。
     問題解決をするのは人間だけなのです。




    問題解決-ない場合、ある場合

     問題解決をやらないと、うまくいくかどうかは、いつも運まかせになります。
     
     問題解決をやらないと、困ったことになっても、逃げ出すか、我慢するしかありません。


     問題解決をやると、逃げ出す/我慢する以外の、それよりましな行動を選ぶことができます(いつもではないにしても)。
     
     問題解決をやると、チャンスを、自分の知恵と意志の力で生み出すことができます(必ずではないにしても)。
     
     問題解決をやると、ピンチが、自分の知恵と意志の力を試し鍛える機会になります(はじめからうまくいかないにしても)。

     問題解決をやると、運命から人生を取り戻すことができます(すべてはないにしても)。




    誰もがやっている問題解決

     誰でも気付かないうちに問題解決をやっています。
     
     悩む人、考える人は大抵、問題解決の最中です。
     
     また、失敗したという人は問題解決をやった人です。
     「こうしたい」と思って行動してはじめて、〈失敗〉することができるからです。
     
     〈あきらめる〉ことさえも、問題解決の一種です。
     というか、実際には、最も多く採用される問題解決の方法です。
     いろいろやってみるためのエネルギーや時間やお金や材料などが足りないとき、〈何もしない〉ことが一番マシな行動である場合もあるからです。



    なぜ問題解決を学ぶのか?

     誰でもすでに問題解決をやっているのなら、どうしてわざわざ学ぶ必要があるのでしょうか?
     
     それは自覚してやる方が、問題解決の質が高まるからです。
     それに意識してやる方が、問題解決は上達します。

     無自覚にやる問題解決は、ワンパターンに陥りがちです。
     〈あきらめる〉という問題解決法でうまくいった人は、くりかえしこの方法を使いがちです。
     〈怒りを周囲にぶちまけて、我慢できなくなった周囲の誰かに問題解決を丸投げする〉という手で何度か味をしめると、もう他の問題解決のやり方があることを思いつけなくなります。
     〈あきらめる〉〈怒りをぶちまける〉という問題解決法は、繰り返しているとやがてその人の性格になり、さらに運命になります。
     
     しかし、ひとつの問題解決は、どんな場合でも、一番よいやり方であるとは限りません。
     問題解決を学ぶと、問題解決のやり方はいろいろあることを知ります。
     人間は、ワンパターンな問題解決を取りがちなことや、それを避けるためのやり方・考え方についても学びます。
     
     人が問題解決を学ぶのは、すでにやっている問題解決を反省して、その時々に応じた問題解決を探すことができるようになるためです。
     
     また、問題解決を学ぶと、違った人が違った状況で用いた問題解決を、自分の問題に応用することもできるようになります。
     つまり他の人から知恵を借りてくることを学ぶことにもなるのです。
     
     さらに、問題解決を学ぶと、〈あきらめる〉〈他人にまかせる〉以外のことが自分にも可能であることを知ることになります。
     何かを望んでそれを実現することが、自分にも可能であることを知ることになります。
     
     それは、自分の意志の力を知ることです。




    問題解決どんなときに役立つか?

     未知や未体験の出来事と遭遇したとき、
     知識や能力以上の課題が突き付けられたとき、
     やり方や、そもそも何をすればいいか分からないとき、
     つまり、どうしようもなくなったときに
     問題解決は役に立ちます。

     人間はあらゆることについて準備しておくことはできません。
     知らないことやできないことは、どうしてもやってきます。
     全知でも全能でもない人間に不安や恐怖の種はなくなりません。
     しかし問題解決があります。
     万能にはほど遠いですが、何もないよりはずっとましです。

     問題解決は、やり方を作り出すやり方です。
     今はない解決策を生み出すものです。
     「できない」「しらない」ことに発する不安や恐怖を消すことはできなくても、受けて立つことはできます。
     問題解決は、そのために磨かれてきた武器です。




    (問題解決の方法)

    問題に気付く/問題を見つける

     問題に気付くことから、問題解決は始まります。
     
     「問題解決」と言うように、「解決」はその半分でしかありません。
     
      同じ状況におかれても、そこに問題を見つける人もいれば、そうしない人もいます。

     一度、問題として捉えることができれば、いろんな手があります。
     他人の手を借りることもできます。
     しかし「問題」として取り上げることがなければ、何もはじまりません。
     
     「問題」として捉え直さないうちは、それは単なる〈不幸〉や〈不運〉や〈不都合〉でしかありません。
     嘆いたり怒ったりする以外に、できることはありません。
     
     しかし感情は、問題を見つけ出すためのシグナルとしても使えます。
     「これはおかしい。もっと何とかなってもいいはずだ」と考えたとき、〈不幸〉や〈不運〉や〈不都合〉を「問題」として捉え直したときから、問題解決は始まります。
     
     運命から人生を取り戻す戦いが始まります。




    問題を定義する、問題を設定する

     問題を定義することは、解決しようとしている問題がどのようなものかをはっきりさせることです。
     
     学校などで行われる試験の問題は、必ず解けるように作られています。でないと、問題をつくった人がヘマをやったと怒られます。
     
     普通の問題解決では、問題を解決する人が、問題じたいをつくらなくてはなりません。
     へたにつくると、解けるものも解けない問題になります。
     うまくつくると、あっさり解決策が見つかったりします。あるいはよりよい解決策ができるようになります。
     
     
     1個のオレンジを取り合う姉妹の小話がよく語られます。
     これを〈平等に分けるにはどうすればよいか?〉という問題として定義すると、オレンジを二等分して分けるしかありません。
     しかし、〈どちらも満足するにはどう分ければよいか?〉という問題として定義すると、ジャムをつくりたい姉は実の部分を、オレンジピールをつくりたい妹は皮の部分をとればよいことになります。
     重さで考えるとこのわけ方は不公平ですが、半分ずつを分け合ったときよりも、姉も妹も、作りたかったものをよりたくさんつくることができます。
     
     
     問題解決の上手下手は、そして問題解決の経験の差は、問題の定義の差に最もよく現れます。
     あざやかに見える解決策は、実はあざやかな問題定義によることが多いです。
     
     
     うまく解決策がみつからないときは、何度でも戻って問題をつくりなおす(定義しなおす)べきです。
     いいえ、本当は解決策を探す前に、幾通りにも問題を定義するべきです。
     
     問題解決が必要な場面は、当事者がひどく困っていたり追い詰められていたりすることも多いので、どうしても視野が狭くなりがちです。
     これでは、うまくいかない〈これまでのやり方〉以外の手を思いつくことはできません。
     
     幾通りにも問題を定義することで、問題のいろんな側面に気付きます。
     問題がおかれている状況をより広い範囲で、より大きな全体の中で、捉えることもできるようになります。




    解決策を考える

     解決策は多いほどよいです。
     
     問題解決が下手な人ほど、ひとつの解決策にこだわります。
     一つがダメだと「またゼロからだ」と落ち込み、これが数回つづくと、もう問題解決じたいをあきらめます。
     
     問題解決が上手な人は、最初からたくさんの解決策をつくります。これだと、一つがダメでも、すぐに他の解決策を試すことができます。
     
     
     エジソンは一つの発明に、たくさんの試作品をつくって試しました。
     たとえば蓄音機の音を出すラッパですが、何千という試作品(失敗作)が残っているそうです。
     
     
     複数の解決策を比べてみることで、問題の気付かなかった面を発見したり、思いつかなかった解決策にたどり着いたりすることがあります。
     ひとつひとつの解決策について、これを実施したらどうなるだろうと考えることで、問題をより深く理解することができます。
     そうすると、もっと別のやり方で問題を定義できるかもしれません(問題の定義に戻りましょう)。
     もっと別の解決策が浮かぶかもしれません(さらにもっと多くの解決策を考えましょう)。
     
     
     大抵の問題には、複数の解決策があります。
     
     どうしてもひとつしか解決策が思いつかない場合は、「なにもしない」「すべてやめる」「現状維持」といった(自覚されないだけで頻出の)問題解決法を付け加えましょう。
     
     「もしも何の制約もなかったできる理想の解決法」も、たくさんの解決策を生み出す呼び水になります。取り除いた制約を少しずつ加えていって、少しだけ現実的な解決法を次々考えるのです。
     「もしも~だったら」と考えることは、理想の状態以外でも、問題についての理解を深め、解決策を増やします。たとえば実際よりも制約を増やして、発想に刺激を与えることもよく使われます。
     「あべこべにする」「他の解決策の一部を取り替える」のも、複数の解決策をつくるのに、よく使われる手です。




    新しいことをする

     まだ誰もやっていない〈新しいやり方〉をはじめるのは、問題解決の王道です。
     大抵の問題解決の本には、このことばかり書いてあります。
     問題解決のプロの人たちも、提案してくるのは〈新しいやり方〉ばかりです。
     〈新しく〉ないとお金が取れないからです。

     
     しかし自分で問題解決するときは、別に〈新しく〉なくても、うまく行けば、それで良いのです。
     試したこともないのでうまくいくか未知数なところと、うまくいくまで試行錯誤が必要なことを考えれば、〈新しいやり方〉は危険が高く手間もかかります。
     同じくらいの効果なら、〈新しく〉ない方が得です。
     
     それでも〈新しいやり方〉が問題解決の王道なのは、わざわざ問題解決のことを考える場合は、今までのやり方ではどうやってもうまくいかなくて行き詰まっていることが多いからです。
     このことは〈新しいやり方〉を見つけるのに、これまで探したことがないところを探さなくてはいけないことを教えてくれます。




    人に尋ねる

     よく知っている人に尋ねたり相談したりするのも、よく使われる問題解決の方法です。
     
     中でも専門家は、専門としている分野について、他の人よりもずっとよく知っています。
     自分が取り組もうとしている問題が、どの分野のものか分かるなら(たとえば病気になったら医者という専門家に相談することを大抵の人は知っています)、専門家は役に立ちます。
     
     専門家は、あなたよりよく知っているだけの人ではありません。
     あなたとは違う見方をしてくれる人でもあります。
     たとえば医者は、ただ人間の体や病気に詳しいだけではなく、あなたの体や病気について、あなたとは違う見方をしてくれる人です。
     こう考えておくと、専門家に問題解決を丸投げしたり、責任を押し付けたり、あるいは最初から馬鹿にしたりすることなく、問題解決の大切なパートナーとして専門家と付き合うことができます。
     
     問題解決の必要を強く感じるとき、今までのやり方ではダメなことが多いのですが、自分だけでは古いやり方から抜け出すことは難しいことが多いです。
     だからこそ、専門家があなたとは違う見方をしてくれることが役に立ちます。
     
     逆に取り組んでいる問題について、あなたが専門家である場合、そして専門家のあなたがいろいろやってみてもうまくいかない場合は、他の専門家や時にはド素人に尋ねてみることもよいかもしれません。
     他の専門家は、あなたが解決しなければならない問題と、別に付き合う義理がないので、あなたとは違う見方で問題を見ることができます。
     ド素人は、その問題について、あなたが持っているような知識がないので、あなたとは違う見方で問題を見ることができます。
     
     どちらが正しいかは、あまり重要ではありません。
     問題に対して、いろんな見方ができることが重要です。
     
     それに問題解決に、答がたった一つであることは、ほとんどありません。
     そして、どのような解決策も、少なくとも部分的には合っています。
     これまでに一番の解決策も、もっと駄目な解決策に触れることで、なお良くなっていくことがあります。




    似ている問題解決を探す

     〈新しいやり方〉ばかりが問題解決ではありません。
     また〈新しいやり方〉も、100%完全に新しいことはありません。
     
     似たような問題について、かつて成功した解決法は、そのまま使えなくても、ヒントをくれます。
     失敗した解決法さえも、部分的には正しいことがあります。状況が変わって、今のほうが役に立つことすらあるのです。

     かつての問題解決を行った人(昔のあなた自身かもしれません)が知らなかったことも、今のあなたは知っているかもしれません。
     するとかつての問題解決者と、今のあなたでは、問題の見方が違うかもしれません。
     ならばかつての問題解決者の解決法を見直すことで、問題についての違う見方を手に入れることができるかもしれません。
     
     
     
     
    試行錯誤する
     
     思いつきだけでは、問題を解決することはできません。
     
     どんなに良さそうなアイデアも、一流の専門家が立てたプランも、試してみないことには、実際にうまくいくかどうか分かりません。
     今までどおりのやり方で大丈夫な場合か、あるいはまぐれ当たりでもするのでなければ、どうしてもこの作業が必要です。
     
     新しいことをやるのに、試行錯誤は絶対に欠かせません。
     
     問題解決がうまくいかない人は、ここのところで手を抜くことが多いです。
     
     
     試行錯誤と〈行き当りばったり〉の違いは、試すことをマネジメントしているかどうかです。
     そのために、試行錯誤するときは、何のために何をやったか、その結果はどうだったか、ちゃんと記録をとります。
     
     1回の試行ごとに記録すべき事項は、少なくとも次の5つです。

    (1)事前想定  どうなると予想するか?
    (2)試行  何をしたか/何に対して、どのように/いつ、どこで
    (3)結果  その結果どうなったか?何が、どのように起こったか?
    (4)分かったこと/うまくいったこと
    (5)分からなかったこと/うまくいかなかったこと

    (5)まで書き終えたら、次の試行を考えて、また(1)から書いていきます。
     そして何度も読み直します。

     書いたり、読み直したりしているときに思いついたことも、必ず書き残します。
     どんなにくだらないことも、当たり前だと思えることも、書いて出します。
     
     本当に大切なアイデアは、こうしたところから生まれてくることが多いのです。
     

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     今回は、すべて直球でいく。

     新書は薄くて、安くて、易しい。
     あとは内容が伴えば、読書ビギナーに第一推薦できる条件が揃う。

     日本の書籍のシリーズものの中で、名著が集中する度合いについて最強なのは、岩波新書の青版である。
     
     これは周知の事実だから、個人運営のマイナー・ブログがわざわざ言わなくてもよさそうなものである。
     しかし、言わずもがなのことを言わずに済ますなら、このブログはもう書くことがないのである。
     加えて言えば、言われなくても分かっているべきと前提扱いされるものの多くは/少なくない人にとっては、言われないと分からないのである。

     だから言わずもがなのことをあえていう。

     何を読めばよいかと探しているのなら、岩波新書の青版を読むと良い。

     岩波新書の青版のうち、どれを読めばよいか迷っているのなら、以下のものを読むと良い。
     


    日本の思想 (岩波新書)日本の思想 (岩波新書)
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     なんとなく、繰り返し勧めている気がしていたが、探してみるとかなり昔にメルマガの「読書猿」に書いたものしか見当たらなかった。
     あそこに書いたことを、言葉をかえて繰り返せば、次のようになる。
     これは、アタマが悪いとはどういうことかを書いた本である。
     日本の思想を素材にして日本語を読む人のために書いてあるが、取り扱う問題はもっと普遍的なものである。
     〈思想〉というと、勉強しすぎた人が勢い余って取り組むもので、学問に縁遠い自分には関係ないと思う人がいるが、それは間違いである。
     もっとも頑固な人、凝り固まった人、妄執にとりつかれた人は、「自分は信じる」とは言わず「自分は知っている」と言う。たとえば「学問なんか役に立たない。私はちゃんと知っている」と言う。知から最も遠い距離をとる反知性主義も、知に対する最も激しいルサンチマンも、信念・信仰ではなく、ほとんど無自覚に、知の形をとる。
     この本で扱われるのも、意識的に練り上げられ積み重ねられた知識の蓄積というより、ほとんど無自覚にとられる/とられてきた知のあり様の方である。
     そのために、半ば必然的に、そして徹底的に、日本(の思想)の褒めたくなる面/すばらしい面ではなく、情けない面/残念な面に光が当てられる。精神年齢の低い人には、この本の著者は日本が嫌いで、日本(の思想)の悪口を言っているのだと思えるほどである。
     けれどもこの書は、著者が日本の思想を素材にして日本語を読む人のために書いたものである。考えたり論じたりする時に、ほとんど無自覚のうちに陥ってしまう情けない面/残念な面を取り上げ分析することで、それらの呪縛をなんとかして少しでも解きほどくことを目指したものである。
     一言で言えば、あなたが賢くなるために書かれているのである。
     

     

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     知的作業にカードを使うこと自体は、古くからあって、読書猿で取り上げたものだけでも、幸田露伴の少年ビジネス小説『番茶會談』にも「カード式の便利は唯商業簿記のみに限らず」という章があるし、古くは菅原道真が六国史をバラして『類聚国史』を作るときにも使っている。カードではないが、ひとつ上の本を書いた丸山眞男も、二百字詰め原稿用紙にアイデアを順不同に書いて、それを部屋中に並べて一心不乱に考えたといわれる。

     比較にならない小さな例で、しかもまったく個人的なことだけれど、修士論文のための調査旅行に出発する直前に父親が急死して、その後の細々したことを処理するのに、実家にしばらく張り付くことになった。
     パソコンなし、当然ネットなし。持ち込めたのは数冊の本とB6カードだけ。 
     隙間の時間ができれば、2枚でも3枚でも、とにかくカードを書いた。
     書きためたカードを床に広げて、並べ替え、またカードを書いた。
     いわゆる「京大式カード」を広めたこの本のお陰で切り抜けた、と書ければ、お話としてはきれいなのだが、当時の作業の進み具合や方法の反省なんかを書いたノートを見ると、よほどこのやり方に自信がなかったらしく、文句と愚痴ばかり言っている。
     もっとも慣れないことに挑戦する場合、それに使う複数の方法を評価したり取り替えたりすることも平行させなくてはならないのは(どこまでやるかは別にして)珍しいことではない。
     実際、その文句と愚痴からこそ、多くを得たと思う。
    (そしてその後、カードをトランクの底に入れて行った調査旅行の旅先で『知的生産の技術』の記事をメルマガの「読書猿」に書いた)。

     今でも『知的生産の技術』を読む価値があるのは、個別の出来合いの〈技術〉よりも、どんな必要に直面し、どのような〈技術〉をつくりだし、どのように実用レベルに仕立て上げるか、その筋道であり考え方である。
     その前提として、知的営為を〈生産〉そして〈技術〉という不躾な切り口で捉え、その代替可能性(他のやり方だってあり得る)の地平を開いたこと、我々は我々の使える資源と身の丈に合わせて、自身のやり方を探していいのだと教えたこと。
     情報技術が想像を超えて急速に変化しても、だからこの書が生み出したものの残響は、今も我々の耳に響く。






    科学の方法 (岩波新書 青版 313)科学の方法 (岩波新書 青版 313)
    中谷 宇吉郎

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     岩波新書の青版には、それぞれに生物学、天文学、機械工学、地質学を学ぶ者が〈言われなくても読んでおくべき〉、シュレディンガー『生命とは何か―物理的にみた生細胞』だとか、堀源一郎『太陽系―その力学的秩序』だとか、曾田範宗 の『摩擦の話』だとか、貝塚爽平の『日本の地形――特質と由来』だとか、自然科学の分野でも名著と呼べる書が少なくない。
     科学史も含めると、人力,畜力,水力,風力の時代の原動機と機械を扱った平田寛の『失われた動力文化』や、矢島 祐利の『アラビア科学の話』や薮内清の『中国の科学文明』や、さらには奥村正二の『火縄銃から黒船まで―江戸時代技術史』、同じく『小判・生糸・和鉄―続江戸時代技術史』、これも忘れることが出来ない、村松貞次郎『大工道具の歴史』もある。
     どれ一冊をとっても並べるだけなんてもったいない、このラインナップをコメント抜きで通り過ぎる咎は、何によって贖われるかといえば(と自分で言っては元も子もないが)、中谷宇吉郎のこの書を推すことによってである。
     正直に言うと、最初に読んだ時はそこまで面白いと思わなかった。
     こんなの当たり前じゃないか、と思った。
     「科学は直線的に進化していない」
     「自然には科学の方法ではけっして理解できない広大な領域がある」
     「人類が火星にいけるようになったとしても、テレビ塔の上から落ちる紙の行方はわからない」
     「科学が力強いというのは,ある限界の中の話であって,その限界の外では,案外に無力なものであることを,つい忘れがちになっている」

     あの頃の自分に老婆心から忠告するなら、まずこの書が書かれた年代に注意するように言うだろう。
     二十歳の自分は、すでに科学批判も科学史ブームも通り過ぎた時代の中にいた。一方、中谷は1958年に出版されたこの書でこう書いた。
     「自然科学がこのごろ非常に長足の進歩したために、科学万能的な傾向が、風潮になりつつあるように思われる。」
     しかし科学論/科学哲学の論点を少なからず先取りしている点が、この書の魅力なのではない。そんなことが知りたいなら、科学論の本を読めばいいのだ。
     むしろ中谷にとって、科学の限界を知りまた考えることは、科学から遠ざかることでは全くない。単純な話、それは科学することの一部なのだ。
     そのことは、たとえば科学に対するルサンチマンに駆動され、科学をくさすためならどんな言葉/論法を使うことも辞さない人たちの言説と、中谷が科学のさまざまな限界の示すのに用いる的確な例とを、比較すれば明らかだ。
     中谷は、科学の限界に多面的かつ細心の注意を払いながら、同じ口調で科学の楽しさを語る(楽しさについて直接語らなくても、自ずから科学の喜びを照らし出している)。人が科学に、自然を知ることに、いかに惹かれてやまないか、それこそがどれほど科学に力を与えているかを。
     たとえ科学が、悪に加担し不幸を養生し破局の引き金を引いて地獄への道を舗装しようとも、人が科学に、自然を知ることに、惹かれてやまないが故に、それを批判し修正し正道に立ち戻らせる動きが必ず人びとから生まれてくるだろうことを、まるで確信しているかのように。




    歴史とは何か (岩波新書)歴史とは何か (岩波新書)
    E.H. カー,E.H. Carr,清水 幾太郎

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     この本もまた〈言われなくても読んでおくべき〉本だが、こちらは実際に「読んでおけ」と言われることが多そうだから、ドイッチャー(岩波文庫青版にはあの『非ユダヤ的ユダヤ人』が、それから『ロシア革命五十年史』がある)を思い出してもらう方を選択する手もあった。が、なにしろ今回は直球勝負と決めたから、このままいく。

     さて、上に紹介した本の中で、中谷は「科学は、自然と人間との共同作品である」(p 22, 23, 197, 202)と繰り返し言っている。
     カーもまた言う。
     「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話である。」(p. 40)
     
     この本を読んで、歴史家の解釈から独立した「客観的な歴史」はない、だから歴史はどこまでいっても相対的だ、なんてことを書いてくる人が今でもいるが、それはビートルズを「イギリスの四人組ロックグループ」と紹介するにも等しい、間違っていないだけで大間違いな所業である。

     もっとも〈共同作業〉や〈対話〉の比喩がピンと来ないのは、いくらか詮方無いことだ。
     同年齢集団と一日の大半を過ごす時期には特に、自分と異なる者を相手に〈共同作品〉を作り上げたり、真摯で対等な〈対話〉を交わせる機会は希少だから。
     〈対話〉が、同調圧力に息を潜めて身を委ねたり、一方的に恣意を押し付けたりすることとは違うことだとは知り得ても、具体的にどういうことなのか、そして何から始めればよいのか、なかなか分かりづらい。

     この本はその意味でも、読む価値がある。
     無数の事実を突き合わせ、その軽重を判断し、取捨選択した後でなければ〈歴史的事実〉すら浮かび上がっては来ない。
     そして、そうした判断を下す歴史家もまた、歴史的社会的な条件に繋留され、時に翻弄され、フリーハンドで価値観を抱いたり判断を行ったりできる訳ではない。
     好き勝手に事実を結びつけ、自分の判断に〈事実〉を屈服させれば、彼は歴史家でなくなる。
     しかし〈判断〉を断念し、無数の事物が与える刺激に屈服するだけでは、彼は語ることすらできなくなる。
     自らの前に置かれた〈事実〉がどのような〈判断〉に基づいているか、不断に遡っては確かめ、自らの〈判断〉を他の〈判断〉や〈事実〉と無数に突き合わせ、何度も様々な過去と様々な現代を往復した果てに、手に残ったほんのわずかな〈事実〉と〈判断〉を、最後にそっと差し出すこと。
     何故このようなしちめんどくさい作業を歴史家が続けることができるかといえば、仮初の真理を作っては壊し作っては壊す間だけ、人は真理への道の途上にあることを知るからである。
     あるいはこうも言える。
     現在と過去との間の際限のない対話を続けていく間だけ、人は本当に未来への希望を語ることができると知るからである。





    インドで考えたこと (岩波新書)インドで考えたこと (岩波新書)
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     名著である。ベストセラーでもある。いつ読んでも抱腹絶倒するのだが、「この本を読んでどんな得があるのか」という不躾な質問に、茶化さず答えられる自信がない。

     なので、この本についての誤解をいくつか解くことで、紹介にかえることにする。

     この本は旅行記ではない。インドについて書いてあるわけでもない。
     堀田は確かに1957年にインドで行ったが、それはアジア作家会議の事務局の一員をつとめるために向かったのである。仕事である。自分を探しに行ったのでも、思索を深めるために行ったのでもない。
     もっとも、この時にインドでアジア作家会議が開かれたのは偶然以上の歴史的地理的社会的必然があるし、この時期の日本文学界にこうした国際的共同作業が堀田以上に務まる人間がどう考えてもいなさそうなことも、どうやら確かである。

     しかしインドの環境は過酷である。
     暑い。ものが考えられなくなるほど暑いかといえば、それ以上に暑い。
     つまり、考える以外に何もできなくなるくらいに暑い。
     列車に乗り合わせたインド青年は、5時間の行程のうち4時間半堀田めがけてしゃべり続け、あとの半時間は眠っている(これは考えるというより、単なるおしゃべりである)。
     こんなわけで、この国は政治家までもみな哲学者になってしまうのかと、ちょっと考えたら言わないほうがよいようなことも、堀田は考える。そして書く。

     アジア作家会議とは言うのは、アジアのあちこちの国/社会から、作家が集まって会議をするのである。
     その準備のために、会議開催に先んじて集まった事務局の7人のメンバーはすべて違う国から来た作家である。
     アジアの言語は本当に様々なので、会話をするにも、お互いにコミュニケーションに使えるのは、どうにもヨーロッパの言語である。
     それどころか、作家ばかりが参加する会議だというのに、お互いによその国の作家が書いたものを読むことができないのである。つまり相手が作家であるのかどうか、本当には確認することもできないのである。
     そしてお互いの国の文学が読めないのだから、作家同士の共通の話題になるものと言えば、これまたヨーロッパの文学なのである。
     おまえの書いたものは読むことができないが、ドストエフスキーなら読んだことがある、というのである。お前もそうか、おれもお前の書いたものは読めないが、ドストエフスキーなら読んだことがある、というのである。
     こうした事態は50年以上経った後も、さほど変わっていないように思われるのだが、どうか。
     どうするどうなるアジア作家会議。

     会議には、アジアのあちこちから、16か国の参加があった。
     発言の順番を決めるにも一苦労である。侃々諤々あって、国名のアルファベット順という穏当なところに落ち着いたのもつかの間、その段取りで会議をはじめてみると、いきなりインド代表から緊急動議があって、インドからは17つの言語ごとにそれぞれ代表がやってくる、だからアッサムが最初に発言すべきだと抜かして、参加国がいきなり17個増えたような事態となる。
     しかも出席者はすべて、言葉を生業にし、言葉のためには死ぬと書くこと辞さない文学者たちなのだ。

     しかし堀田は後で発見する。
     先程は、アジアの作家たちの共通言語はヨーロッパ語で、共通知識はヨーロッパ文学だと言ったが、それは日本人の堀田を含めるからそうなのであって、彼をのぞけば別の状況が生まれるのである。
     困難な仕事を協働することで仲良くなった事務局メンバーは、会議の合間にピクニックへ言った。作家たちなので、興が乗ると、みな詩をつくって吟じ出す。しかも、どの詩も長い。しかもアラビア語である。ホッタ、おまえもなんかやれ、とリクエストされるが、さすがの堀田もこれには応じることができない。
     アジアの西から東の端まで、どこの作家もアラビア語で長い詩をいきなりつくる素養があり、互いに文学者である証をたてることができるのである。
     こうした事態は50年以上経った後も、さほど変わっていないように思われるのだが、どうか。
     



    子どもの図書館 (岩波新書 青版 559)子どもの図書館 (岩波新書 青版 559)
    石井 桃子

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     このブログでも、図書館のことを書くことがあるから、この本を外すことはできない。
     『くまのプーさん』の翻訳や、『ノンちゃん雲に乗る』の作品で知られる石井桃子は、『岩波少年文庫』の企画編集をしていた岩波書店を辞め、1954年ロックフェラー財団研究員として欧米に留学し、そこで児童書出版や児童図書館の実情をつぶさに見て回った。
    「まわってきた国々では、児童図書館というものが、よい創作活動を推進し、またその結果を本にする出版事業の支えになり、さらにまた、その本を直接子どもの手にとどけるという三つの仕事を一つでひきうけていた。」
    帰国後、数年を経て、石井は自宅を開放して58年に小さな図書室を開く。この小さな図書室「かつら文庫」の最初の7年間の活動をまとめたのが、1965年に出版されたこの本である。





    犯科帳―長崎奉行の記録 (1962年) (岩波新書)犯科帳―長崎奉行の記録 (1962年) (岩波新書)
    森永 種夫

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     これまたすごぶる(下世話な意味でも)面白い本である。
     (歴史家ではなく)年代記作者なら、あまり書き残したくないようなみっともない事柄も、犯罪裁判の記録ともなると書かないわけにはいかない。

     この書は、長崎県立図書館に保存されていた、寛文6年から慶応3年まで200年間にわたる長崎奉行の判決記録「犯科帳」を、郷土史家である著者が著者が一般にも分かりやすく、翻訳・紹介・解説したもの。
     長崎ならではの密貿易や偽金づくりから、地域・歴史をこえてあまり変わり映えしない痴情のもつれや強盗殺人まで、長崎に暮らす庶民の生活の諸相を活写して止まない。




    私は中国の地主だった―土地改革の体験 (1954年) (岩波新書)私は中国の地主だった―土地改革の体験 (1954年) (岩波新書)
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     自分をコントロールすることは難しい。

     たとえば、眠ろうと努力すればするほど、それに躍起になることで神経は興奮し、ますます眠りから遠ざかる。


     誰でも、あまり躍起になってしまうのはマズいと分かってはいるのだが、人は何かをしない努力は苦手である。

     緊張していることに注意が捕まると、それを何とかしなきゃと躍起になって、ますます緊張する。

     過剰に自分の状態に注意が向いたら、引き離そうと努めるよりも、別のことに注意を向けるといい。

     
    1.自分のそばの音を聞くことから始めよう。
      自分自身が発する音(鼓動、息の音)は避けた方がよい。

    2.次に、その音よりも、自分から離れたところから聞こえてくる、音を探す。

    3.次々により遠い音を探して、そこに意識を移動させることを繰り返す。
      たとえば部屋の中にいるときは、室内の音から始めて、室外の音に、そしてより遠い音に移っていく。

    4.目を開けてはじめても、音に集中していくと、自然に目を閉じる人も多い。
      目を開けていても、やがて何も見ていない(見えるものに気を止めない)状態になる。

    5.自分の状態と、自分の周囲の状況が気にならなくなったら、手元を見ることに戻ってこよう。


     書き物していて煮詰まった時や、試験開始前や競技のスタート前のリラクゼーションなどにも役立つ。



     もっと手っ取り早くやるには、音を使う。
     たとえば鐘の音は、その実用例からもわかる通り、意識を引っ掛け振り向かせる。

     ベトナムの僧侶たちは、この音を自分に立ち返るために用いる。
     短い詩を引用しよう。

      体、言葉、心をまったく一体にして、
      鐘の音に寄せて、この気持ちを伝える。
      聞く人が乱れた心から目覚め、
      すべてのあせりと悲しみを超えるように。


     ベトナムの仏教寺院では、鐘の係の人が、上の詩を黙唱した後に、鐘の音を鳴らす。
     いや「鐘を叩く」とか「鐘を鳴らす」という言い方はせず、「鐘の音を招く」という。

     そして鐘の音を聞いた人は、思考を休め、
     三度息を吸って吐いて、次のような句を唱える。

      聴け。聴け。
      このすばらしい音が、
      私を真の自己に戻す。



    templebell.jpg



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