今回は嫌な感情に自分を乗っ取られそうになったときの対処法について。

     平常心とは、決して揺らがない石の心でなく、もう少しマシだった自分にいつでも立ち戻れることをいう。

     紹介するスキルは、いつにもまして特別なものではない。むしろ普段/自然に、多くは知らぬうちに、我々がすでに使っているようなスキルである。

     マインド・スキルというものは、知ってはいてもいざというとき使えないことが少なくない。特に悪感情に襲われそうになった場合には、リセット・スイッチを押すことはおろか、そんなスイッチがあることさえ忘れてしまうことの方が多い。
     
     では、人は悪感情に対していつも何の抵抗もなく心を明け渡しているかといえば、そんなことはない。
     たとえば精神的に追い詰められた人が、怒りを爆発させることがある。怒れる大人の多くは、恐怖や不安や傷ついた自尊心を覆い隠すために怒っている、といっても過言ではない。これは、恐怖や不安といった感情と怒りの感情が両立しないという人間の仕様を利用した対処法の例である。
     
     もちろん無意識に普段使いしているやり方がベストのものであるとは限らない。
     その場しのぎの即効的解決法は、長期的にはかえって問題をこじらせる副作用を持つ場合も多い。
     不安を怒りで紛らすことが習慣化した人は、自分や周囲の人間関係をほとんど常に怒りの炎で焼き続けてしまうかも知れない。気付いたら、人間関係の焼け野原にひとりきりということだってなくはない。
     もちろん、恐怖・不安と両立しないものは怒りだけではない。たとえば最初期に開発された行動療法である系統的脱感作法は、身体的弛緩が恐怖・不安と両立しないことを利用している。

     しかし今回は、感情に別の感情をぶつけるというガチンコなアプローチ(これらは難しく専門的なトレーナーを要する)以外のものを集めてみた。

     以下は、すでに使っている感情についての自分のスキルを思い出し、点検し、できれば善用するためのリストである。



    1 注意を変える

     不安や恐怖という感情は、推論という知的操作によって薪をくべられ燃え上がる。「もし〜となったら……」と未来を思い描くことなしに不安や恐怖は維持されない。
     このことを情報処理の面から見れば、不安や恐怖に陥る人は、ネガティブな未来予測に大切な認知リソースを消耗してしまい、他の知的作業に回せないことになる。平たく言えば、不安や恐怖によってアタマが悪くなる。情報処理能力が下がり、理解力が下がり、記憶力も下がる。
     より悪いことに、他の可能性を検討するための認知リソースも残らなくて、感情とそれを支える推論の悪循環から、ますます抜けにくくなる。

    circulus_vitiosus.png

     
     火を消すには、燃えるための条件を取り除けばいい。
     普通の火の場合は、温度を下げたり、酸素の供給をさまたげたり、可燃物を取り除いたりする。
     
     感情の火を弱めるには、その存続条件を除けばいい。悪循環ならば、そのループの連なりのどこかを弱めればいい。
     一つの方法は、注意という限りある認知リソースを別に振り向け、ネガティブな未来予測に費やされる分を減らすことである。



    (1)触覚に自分を譲り渡す

     思考・推論という高い水準の作業に振り向けていた注意を、より低い水準に振り向けなおす。
     一番簡単なのは触覚に注意を向けることだ。
     自分の置き所を、ぐるぐる思考の閉回路から、身体と外界の接触面に移すのである。
     
     「ライナスの毛布」が一番有名だが、触覚に注意を振り向けることで不安や恐怖だけでなく怒りなどの感情も沈める効果がある。
     いくらか時間が取れるなら、パンの生地をこねたり、粘土をいじるのもよい。

     しかしストレスフルな出来事は家の外にこそある。外出するのにいつも古い毛布やもふもふしたぬいぐるみを連れていく訳にはいかないし、ポケットにいつも生地や粘土を用意しておくのもあんまりだ。
     
     この効果は人間の仕様によるものだから、実は必ずしも、いつもの決まった毛布でなくても、手でもふもふしなくてもよい(いつもの決まった儀礼的行為は、それだけで効果が上乗せされはするが)。

     たとえば、座っていて手を膝の上に置いているなら、指先で触れている布の感触に意識を集中しよう
     頭のなかでどんな感触であるかを言葉にして実況中継してみるといい。悪い感情と悪い推論の連鎖が、いつのまにかゆるやかにほどけていく。

     集中するのはどの部分の触覚でもいい。顔に当たる空気の動きでも、腰を下ろしたソファの柔らかさでも、足がふれているカーペットの感触でも、普段意識していないものなら何でも利用できる。
     たとえばテスト中に我を失ったら、固く握り締めているペン軸の感触に一時的に意識を移すことで自分を取り戻せる。



    (2)聴覚の窓を開け放つ

     中には自分の感覚に意識を合わせることで悪感情のループに入っている場合もある。
     たとえば体に痛みがあり、それを和らげるために怒りを維持している場合などがそうだ。
     眠ろうと努力すればするほど、それに躍起になることで神経は興奮し、ますます眠りから遠ざかるのもそう。
     自分の状態に注意が向きすぎるなら、引き離そうと努めるよりも、別のこと=自分から離れたものに注意を移すのがよい。

    a.自分のそばの音を聞くことから始めよう。
      自分自身が発する音(鼓動、息の音)は避けた方がよい。

    b.次に、その音よりも、自分から離れたところから聞こえてくる、音を探す。

    c.次々により遠い音を探して、そこに意識を移動させることを繰り返す。
     たとえば部屋の中にいるときは、室内の音から始めて、室外の音に、そしてより遠い音に移っていく。

    d.目を開けてはじめても、音に集中していくと、自然に目を閉じる人も多い。
     目を開けていても、やがて何も見ていない(見えるものに気を止めない)状態になる。

    e.自分の状態と、自分の周囲の状況が気にならなくなったら、手元を見ることに戻ってこよう。



    (3)注意が必要な作業を始める

     まとまった時間が取れるなら、注意が必要な作業を行うことも使える。
     あらゆる作業はいくらか注意が必要だが、失敗してもどうってことないものがいい。
     
     勝ち負けにこだわらない場合のスポーツは、この条件を満たしている。
     たとえば飛んできたボールを打ち返すには、どうしたって注意を払わなくてはならない。
     
     体力なくて飛んだり跳ねたりが無理でも、たとえば片足立ちを続けたり、線の上から外れないように歩くことはできる。平均台から落ちれば痛いが、両足をついたり地面の上の線から外れても問題はない。
     
     手のひらの上に棒を立たせて、倒れないように頑張ってみる、というのもある。




    2 認知を変える

     我々の感情や行動は、我々が何をどう考えるかによって影響を受ける。
     ここまではいい。
     しかし自分の考えだからといって、必ずしも思い通りにできる訳ではない。
     ここが難しい。

     けれども思考を変えることはまるでできない訳ではない。
     実のところ、我々は普段から思考を変えることで感情の問題に対処している。
     この無自覚に行っている認知の変容からも、我々は学ぶことができる。



    (1)体験や感動のサイズを変える

     良い出来事を悪い出来事に、悪い出来事を良い出来事に、考えの方向を180度ひっくり返すのは大変だ。
     しかしその〈大きさ(サイズ)〉なら、我々は既に/普段から変えてしまっている。それが習い性になってさえいる。

     たとえばあなたは良い結果を出して、誰かが褒めてくれたり高く評価してくれたとしよう。
     慎み深いあなたは「いや、たまたまうまくいっただけですよ」とか「いや、もっとすごい人がいます。私なんか全然です」と口にしたり心のなかで言ったりするだろう。
     そうして喜び過ぎないように、良い出来事の大きさ(サイズ)を小さくしてしまう。
     加えてこうした割引行為は、日本社会だと〈謙虚さ〉として美徳の一つに数えられるので、周囲にも受けがよくて習慣化しやすい。

     しかしここでのポイントは、(誰もがとは言わないが)多くの人が、ものの見方を変えて感情をコントロールするスキルを、既に習得済みであるどころか常用さえしていることである。
     
     スキルとして自覚できれば、トレーニングすることだってできる。使いどころや使う方向を変えることもできる。
     似たようなことを言ってる人がいないか探してみると、ミルトン・エリクソンの弟子のひとりスティーブン・ランクトンが、そういうエクセサイズを奨めていた。

     日本の読者向けにいうと、ドラえもんの〈オーバーオーバー〉(てんとう虫コミックス第13巻、初出 小学五年生76年12月号)を毎日脱ぎ着してみるのである。
     体験の意義や意味を〈小さくする〉ことに慣れているなら、逆方向の〈大きくする〉を意識的にやってみる。心の前屈が癖になっているなら時には後ろに反ってみる。

     S(スモール)サイズの幸運や幸福な出来事を、〈オーバーオーバー〉を着てL(ラージ)サイズに感じてしまう人を想像する。そしてその人が何と言って感動するかをセリフにしてみる。
     アホらしい。
     ではSサイズの不運や不幸な出来事をLサイズに感じてしまう人は? そして自分が普段そうしていないと誰が言えるだろう。

     このオーバー・オーバー・エクセサイズには望外の効果がある。
     SS(極小)サイズの幸運や幸福な出来事を拾い上げることのできる感度が身につくのだ。なんだか毎日を丁寧に行きている幸せな人っぽいではないか。
     しかし好事魔多し。当然、SS(極小)サイズの不運や不幸な出来事を拾い上げることだってできるようになる。
     だが、このことは生活の質QOLをあまり悪化させない。何しろSS(極小)サイズだし、そいつらを見下ろすことだってできるからだ。
     我々を苦しめるのは、不幸というよりも、見上げてなくてはならないような我々を圧倒するほどの不幸の大きさだったことを知る。



    (2)誰かの視点から眺める

     Lサイズの出来事をSサイズにしてしまうことで思い出した。
     
     漫画家の水木しげるは、何百年生きる妖怪から見れば人間の悩みなんてどうってことない、みたいなことをどこかで言っていた。

     妖怪の視点に立つことが無理でも、他の人の視点から物事を眺めるぐらいだったら何とかなるかもしれない。

     映画監督のビリー・ワイルダーは、師匠のエルンスト・ルビッチの名前を入れたモットーをオフィスに掲げていた。


     How would Lubitsch have done it?
    (ルビッチならどうする?)




     マイケル・マハルコはもっと贅沢に、伝説の名経営者や歴史上の偉人たちからなるドリーム・チーム的な役員会(賢人会議)を想像して、そこに重要な案件を検討してもらうという発想法を紹介している。「◯◯たちならばどう考える? How would ◯◯ have thought it?」という、複数人分版だ。
     そう想像するのだが、あなたが招集したい偉人たちが口にした名言や著作からの引用などを普段から集めておくと、この作業はやりやすい。ビジネス向け私淑である。


     たとえ偉人で無くても、誰か他の人の視点で考えるエクセサイズを普段からしておくことは役立つ。
     ピンチの時、たとえばジェームズ・ボンドなら余裕を持ってこの危機に冷静に対処できる(はず)と考えても、そうできない自分を落ち込ませるだけかもしれない。
     むしろ些細なことに動揺しまくって際限なくモノを落としまくるウッディ・アレンを思い浮かべた方が心の慰めになる気もする。
     慰めにならなくともウッディ・アレンを思い浮かべた時点で勝ち負けで言えば勝ちだ。

     誰の視点に立つかは、それまで重要ではない。有能そうな人間のマネをしているつもりになっても賢くなっているわけではない。

     しかし(自分でない)誰かの視点に立つだけで、我々はいくらかの冷静さを取り戻すのである。



    (3)間MAをあける(MA:Moments of Awareness)

     問題状況にはまり込んだ自分から完全に抜け出すことは不可能でも、自分の向きを変えることならできるかもしれない。
     
     いくつか方法があるが、簡潔に洗練されたものに、以下の方法がある。
     
     問題状況と自分の間に隙間をあけて、向きをかえるためのスペースを生み出す。
     欠点は、多くのマインド・スキルと同様に、このテクニックを知っていても、悪感情に我を忘れてしまい使うべき瞬間には思い出せないことが多いことだ。
     テクニックを使うことを思い至れるほど冷静になれるならば、ほとんど問題は解決しているじゃないか、という批判もある。
     
     それでも紹介する理由は、実際に使えなくとも、利用可能なテクニックが存在すると知っているだけでも、自分を取り戻すことに少しは役に立つからだ。
     「ああ、さっきこの手を使えばよかった」と事後的に思い出すことを繰り返すうちに、少しずつだが必要な場面で使えるようにもなる。


     テクニックは3つの自問用の質問と深呼吸を伴う1つの自分への指示からなる。
     
    (質問1)今この瞬間に何が起きているのだろうか?
      (次の補足質問を加えてもいい)
          ・私は今何をしている/感じている/考えているのだろうか?

    (質問2)今この瞬間に私は何を望んでいるのだろうか?

    (質問3)今この瞬間に自分が望む結果を手に入れることを私は邪魔していないだろうか?
      「私は〜〜を選ぶ」と自分に言って問いかけを終える。

    (深呼吸)深呼吸して、前に進もう


     たとえばこんな風にして使う。
     
     プレゼンや発表の後、質問者から自分が知らない文献やデータがひどく重要なものとして紹介され、あなたのプレゼン・発表との関連について尋ねられた。
     第三者として見ればたいしたことのない状況だが、プレゼン・発表だけで一杯一杯だったあなたは軽いパニックに陥る。頭は真っ白、あくまで友好的な質問者の表情さえも、あなたの無知を嘲笑しているみたいに感じてしまう。自分の不勉強・準備不足がうらめしい。こんなことも知らないなんて聞いている人はさぞかし自分を馬鹿だと思うだろう……。
     しかし幸いにしてパニックになったら見るようにといわれたカードを手元に置いていたことに気付くことができた。

    (質問1)今この瞬間に何が起きているのだろうか?
    →(答1)私はプレゼン・発表中である。答えられない質問を受けたせいで、今まさにパニックに陥っている。


    (質問2)今この瞬間に私は何を望んでいるのだろうか?
    →(答2)私は無事にプレゼン・発表を終えることを望んでいる。この質問タイムが過ぎれば終えることができるのに。


    (質問3)今この瞬間に自分が望む結果を手に入れることを私は邪魔していないだろうか?
    →(答3)邪魔している。私はここにもう居たくないのに、私が何か話さないと質問は投げられっぱなしで、この場に縛り付けられたままだ。司会だって終わりにすることができない。何か言えば、持ち時間は来ている、終了だ。私は、答えられないにしても何か話すことを選ぼう。



    (深呼吸)深呼吸して、前に進もう

    →スーハー、スーハー、スーハー。「ご、ご質問ありがとうございます。大変興味深いのですが、簡単にお答えできるほど、よく理解できていないのが残念です。できれば後ほど詳しくお話できたらと思います。」





     〈間をあける〉の中の3つの質問は、問題を解決する魔法の言葉ではない。
     考え方の向きをほんの少し変えるために、問題と自分の間に、少しの隙間をつくるためのものだ。
     
     困難の真っ只中にいる人には全世界そして過去現在未来のすべてが敵(どっちを向いてもダメ、いつまでたってもダメ)に感じられるものだ。
     しかし将来にわたって全面的に苦境が広がっているとしても、対することができるのは今ここの一点だけである。
     だから(質問1)は、自分が困難に接している、今現時点のこの一点に、自分を連れ戻す。
     (質問2)で、大きな問題の方ではなく、ささやかな自分の欲求の方へ自分を連れ戻す。
     そして(質問3)で、ささやかな欲求を実現するための、自分の中にあるかぎりの障害に目を向けさせる。今この瞬間に変えることができるのは、全世界の中で自分だけだから。
     こうして最も小さいフィールド〈今・ここ・自分〉で実施可能な最低限の方策に立ち戻させるのだ(たとえば「もっと勉強すればよかった」という時間的に長期に関わることは、その通りだとしても、今ここで考えることではない)。



    (4)推論のはしごを降りる

     技法としてはこれまでのものより大掛かりであり、とっさに使うためのものではない。
     本来は、相容れない相手や理解できない信条をもつ者や行動をする者と折り合うためアプローチであり考え方である。

     しかし〈自分〉という時々相容れなくなる相手と付き合うにも有用であるので紹介する。 


     我々が「事実」として受け取り、取り扱うものはすでに推論やさまざまなデータの統合した人工物である。

     たとえば同僚たちが大勢いる中、あなたは上司に厳しい口調で叱責されているとしよう。
     この情景をビデオカメラで撮影したものを、異なる惑星の我々と組成の違う知的生命体(たとえばアンモニアベースの体液が流れ、メタンガスを呼吸し、音波ではなく臭いを放って互いにコミュニケーションをとる知的生命体)に見てもらうとしよう。激しく揺れながら音を発している上下に長いたんぱく質の塊(これが上司だ)の近くに、あまり動かないより小さなたんぱく質の塊(これがあなた)が見える。その向こうに、同種のたんぱく質塊がいくつか(これらが同僚)あるのは分かるが、それだけだ。
     〈怒り〉や〈叱責〉といったものは、この情景を文化的に解釈して(あるいは文化的解釈を当てはめて)はじめて認識することができるものである。
     
     我々はこうした解釈をほとんど意識せず自動的にやってしまうが、〈生の事象〉に何重ものかぶせられる解釈や推論を、細かく分けてみると以上のようになる。
     
    ladder_of_inference.jpg

    (下から上へ)
    1.(ビデオに記録できるような、生の)observable data
    2.事実の中から自分が注意を向け選択したもの selected some details
    3.その選択された事実に、自分が付け加えた意味 added meanings , based on the culture around me
    4.その事実の意味に基づいた推論 assumptions based on the meanings
    5.推論から導かれた結論 drawed conclusions from the assumptions
    6.結論から生まれた確信 beliefs about the world
    7.確信に基づく行動 actions based on my belief


     同じ場面に置かれても、そのどこに注目して意識するかは人と場合によって異なる(ことがある)。
     同じものに注目しても、それにどんな意味づけを与えるかは人と場合(とくにその人がどんな文化の内にいるか)によって異なる(ことがある)。
     同じ意味づけを与えたとしても、それを元にどんな推論を行うかは人と場合によって異なる(ことがある)。
     同じ推論をすすめたとしても、そこからどんな結論を得るかは人と場合によって異なる(ことがある)。
     同じ結論を得たとしても、そこからどんな信念が生まれるかは人と場合によって異なる(ことがある)。
     同じ信念が生まれたとしても、どんな行動に及ぶかは人と場合によって異なる(ことがある)。

     先の「同僚たちが大勢いる中、あなたは上司に厳しい口調で叱責された」にもどってみよう。
     あなたは感覚データの中から、上司の表情や声(と言葉)に注目する。周囲に同僚がいることにも気付いている。
     注目した事柄から、上司が怒りを覚えていること、その怒りの矛先が自分に向けられていると解釈する。こうして「上司に厳しい口調で叱責されている」という認識ができあがる。
     しかしあなたの認知プロセスはここで止まらない。さらに「同僚たちが大勢いる中で叱責した」という側面が合わされ、「ただ叱責するだけなら他に誰もいないところでできたはずだ。上司はわざと自分に恥をかかせようとしているのだ」と推論する。
     これまでの上司とのネガティブなやり取りを記憶から引っ張り出され、「上司は自分を嫌っているのだ」という結論や、さらには「こいつは部下の叱り方も知らない冷酷な人非人に違いない」「こんな奴が出世するなんてこの会社は~」という信念にまで行き着くかもしれない。
     
     強い感情を帯びた推論や信念をとっさに対象化して分析するのは、大抵の人間にはまず不可能である(あえて言えば、状況を宇宙人として眺めるやり方は、独立して採用できるかもしれないが、これは先に述べた(2)誰かの視点から眺めるの一バリエーションである)。
     
     時間をおいてでさえ、自分の強い感情を帯びた推論や信念を対象化して分析することは難しい。
     強い感情を向けられた相手になっている場合も無理だ。
     岡目八目、激しい感情のやり取りから第三者的な距離をとれてはじめて分析は可能となる。
     自分自身の感情については、安全圏に逃れ、十分時間をおいて頭が冷えてから、怒りの内容を書き言葉など外に出してみて、さらに時間をおいて見直してみるなど、何重にも距離を置く工夫がいる。
     
     しかしまるで不可能かというとそうではない。
     いきなりはできなくても、少しずつトレーニングすることは可能である。

     自分や身近な相手について分析するのは難しいから、まずはまるっきりの赤の他人についてやってみるのがいい。
     激しい感情(例えば怒り)を表している人を選び、どんな推論のはしごを上りつめて怒っているかをステップごとに考えてみるのだ。
     分析結果を相手に伝えると間違いなく仲違いにつながるから、最初は対面しようがない、フィクションの登場人物や三面記事で報道されている人など、結果を伝えようのない相手を選ぶ。
     
     激しい感情(例えば怒り)を持っている人について、次のことを考え書き出していく。
     
    ・何を信じて怒っているのか?
    ・どんな結論を得て、そう信じているのか?
    ・どんな推論を経て、そう結論したのか? とくに、今その場で起こっていないどんな出来事と結びつけたのか?
    ・どんな意味づけを元にして、そうした推論は行われたのか?
    ・どこに注目して、そんな意味づけをしたのか?
    ・元の出来事について、映像と音声だけで記録できるのはどんなことか?

     
     もちろん当てずっぽうになるが、分析結果が正しいことよりも(心理描写のちゃんとした小説などを素材にすると〈答え合わせ〉もできなくはないが、作者が何らかの〈答え〉を提示しているとしても、それもあり得る解釈のひとつである)、出来事から感情までの間に何段階ものステップがあることを体感することの方により大きな意義がある
     段階があることを実感できれば、怒りの理由をつかまえて他人に伝達可能な形で表すための道筋が開けるからだ。
     出来事が自分をダイレクトに怒らせるのだ(←受身・自発の助動詞が用いられているのに注意)、という者と、出来事について自分はこう考えた、その意味をこう受け取ったから怒っているのだ(←私を主語とする発言に変わっている)、という者とは、雲泥の差がある。



     
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     この本に書いてあるのは、ほんとに〈基本的〉なことです。
     
    ここで〈基本的〉というのは
    (1)大抵の人が実行可能で
    (2)多くの人にとって有益であることが理解できるけれど
    (3)実際に実行する人はそれほど多くない
    という意味です。

     そういう〈基本的〉な、本の読み方(情報の読み取り方、ものごとの筋道の追いかけ方)、問いの立て方と問い直し方、受け取った情報を元にした思考の組み立て方、文章の書き方そして考え方について書いてあります。
     
     ちゃんとした学問をちゃんとやっている人が、そうなるまでに身につけるような、頭脳と身体の使い方について、その一番大切な核(コア)にあたる部分を、できるだけ分かりやすく説明してくれています。
     
     この本を読むと、引用文を並べて感想コメントを付け加えただけのレポートなんて書けなくなるでしょう。
     この本を読むと、「自分の頭で考える」なんて能天気なことをのたまう人たちから得られるものは何ひとつないことに気付くでしょう。
     この本を読むと、ヘンなもの(これさえあれば世の中の物事はなんでもぶった切れる特別なもの、という格好をしていることが多いです)にハマって学生生活や人生を棒に振ってしまう危険性が半分くらいに下がるでしょう。
     この本を読むと、たとえば時々ネットでも見かける、Twitterでとりわけ見かける、どこかで聞いたようなことをヒステリックに振り回している恥ずかしい学者や批評家先生に欠けているものが何なのか、はっきり言葉にすることができるようになるでしょう。


     たとえば文庫版の前書きにはこんな一節があります。
     
    「自分で考えろ」というのはやさしい。「自分で考える力を身につけよう」というだけなら、誰でもいえる。そういって考える力がつくと思っている人々は、どれだけ考える力を持っているのか。考えるとはどういうことかを知っているのか。本を読みさえすれば、考えることにつながるわけでもない。自分で何かを調べさえすれば、考える力が育つわけでもない。ディスカッションやディベートの機会を作れば、自分の考えを伝えられるようになるわけでもない」
    (知的複眼思考法 誰でも持っている想像力のスイッチ(講談社プラスアルファ文庫、6~7ページ)

      
     こうした問いかけのすべてに、この本は答えを出してくれている訳ではありません。
     もちろんヒントや例解(たとえばこんなやり方がある)については、さまざまな例をあげて詳しく説明しています。
     しかしこの本が教えてくれるのは、もはや唯一の正解なんてない領域に私たちが踏み込んでいるのだということ、だからって「何でもあり」という訳でないこと、つまり「正解探し」とは違う努力をしなければならないこと、不安になるかもしれないけれどそんな不安を抱えながら進んでいくのだということです。
     
     短く言えば、この本が教えてくれるのは、考え方や読み方・書き方についての〈解答〉ではなく〈課題〉です。
     まともにこれらの〈課題〉に応じるためには、この本に書いてあること以外/以上のことにも挑むことになるでしょう。
     だからこそ、真っ先にこの本を読んで欲しいと思うのです。



     蛇足と思いながら、付け加えます。
     
     〈基本的〉なことというのは、少しのコストで多くが得られるものではありません。
     むしろ手間や負担がしっかり必要なことが多いです(だからこそ、実際にやる人、やり続けることができる人は多くなくて、誰にもできることを続けるだけで多くの人が届かない域に至ることがあるのですが)。

     大人と付き合いはじめた若い人にとっては、これだけで敬遠しがちになります。
     というのは、すでに何年も前からはじめている人たちに対して、若い人たちが〈基本的〉なことで立ち向かっても、先行する人たちが有利に決まっているからです。
     一発逆転を狙って、抜け道や邪道を探したくなるのは自然な感情です。
     
     ですが、なぜ抜け道が抜け道であり邪道が邪道であるのかを、知ってから飛び込むのと知らずに飛び込むのは違います。
     
     だからこそ、真っ先にこの本を読んで欲しいと思います。



     
     今回取り上げるThinking At the Edge(以下、TAEと表記する)は、言葉にならないもやもやした感じを言葉にする方法であり、そこからさらに、雑多だが豊かな非定型データ・資料と取っ組み合い、理論(仮説)を立ち上げるまで進むことができる方法論である。

    ※直訳すれば「辺縁で考える」となるが、ドイツ語では「Wo Noch Worte Fehlen」(「未だ言葉に成らざる所」)と名づけられている。

     このTAEは、フォーカシング(focusing)で知られる臨床心理学者であり哲学者でもあるジェンドリンが、シカゴ大学での理論構築の授業で用いていた方法を、2004年にジェンドリンとメアリー・ヘンドリクスが14のステップにまとめたものである
     
    ※Gendlin, E. T. & Hendricks, M. N. (2004) Thinking At the Edge (TAE) steps. The Folio, 19(1), 12-24.
    https://www.focusing.org/tae_steps.html(英語原文ほか日本語、中国語、ドイツ語、スペイン語、フランス語、イタリア語訳あり)



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     フォーカシングは、ジェンドリンの体験過程療法における主要技法だが、ざっくり言ってしまうと、自分の中にある「言葉にならないんだけど何かあるんだよ」とか「あああ、この辺まで出てきてるんだけど言葉にならん」という感覚(これをフェルトセンスfelt senseという)に焦点を合わせることである。そうしておいて、この感覚に合う言葉を探して、ぴったりなものが見つかるまで試行錯誤をくり返す。

     フェルトセンスはうまく言葉で表現できないが、付き合っているうちに、いろいろと言葉を呼び寄せる。また言葉がフェルトセンスを呼び出すこともある。この言葉でいいかどうかも、「ああ、そうそう、これだよ」という感じでフェルトセンスが教えてくれる。
     
     この、言葉にならない感覚と付き合い、言葉を突き合わせるところからはじまって、何十年かけてより大量で複雑なデータを扱い理論を構築することができるまでジェンドリンたちは進んだ。これがTAEである。
     
     応用としては、先の文献にあるように、書くのが苦手な人の文章表現やエスノグラフィーの分析などの質的研究(qualitative research)への応用のほかに、少し工夫すれば集団での活用も可能であり、現場の暗黙知を汲み上げて共有化することや、広義の問題解決にも用いることができそうである。

    ※例えばエンジニアの実践知をTAEの手法をつかって分析したものに得丸さと子(智子) (2010b) 「感性」を扱う質的研究 感性工学 10(2), 99-102.がある。



     TAEの14のステップは大きく分けると3つのパートに分かれる。

    TAE14Step.png


     もやもやしたものをアイデアの形にするだけなら、パート1「もやもやから言葉をつかみ出す」をやるだけでよいかもしれない。
     何か書いていたり作っていたりすると、「なにか違う」とか「あー、なんかもっとこう」と言葉にならない感じにぶつかることが結構ある。そんな時は、このパート1をやって、とりあえず言葉にしておくと、正解に行き当たらなくても、とにかく先に進めたりする。

     分析対象(比較事例など)をすでに明瞭に切り出すことができているなら、パート2「実例に語らせる」のパターン抽出して、交差(Cross)させるところから、はじめる手もある。
     また最初期のTAEは、このパート2までで終わっていた。すべての場合でパート3「理論を立ち上げる」まで進む必要はない。

     すでに他の手法などで分析を進めているものがあるなら、いきなりパート3「理論を立ち上げる」を試みるのもよい。
     

     それぞれのパートで興味深い手法が取り入れられており、部分的に使っても役立ちそうだが、今回はとにかく一通り紹介してみたい。そのため手続き面に集中することにし、背景理論や哲学についての解説は上記の書を参照されたし。
     
     以下では、上記文献のうち『ステップ式質的研究法』で紹介される、得丸氏によって工夫されたシートを用いて、TAEを実際に試してみた。
     フィールドノートなどの分析はボリューム的に断念し、かわりに上記の文献でもコンパクトな使用例として使われている感想文書きをやってみる。
     長らく、個人的に「なんか書きたいことはあるんだかうまく言葉にできない」ものとして持ち続けている、玉川重機『草子ブックガイド』の感想文を題材としてみた。

    草子ブックガイド(1) (モーニングKC)草子ブックガイド(1) (モーニングKC)
    玉川 重機

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    パート1 もやもやから言葉をつかみ出す


    ○「この感じ」に意識を合わせる

    ステップ1:よく知っているが未だに表現できないものの「この感じ」からはじめる

     パート1でやることは、次の「マイセンテンス・シート」1枚にまとめられている。


    mysentence.png


     シートの①には、取り組もうとしている課題を書いておく。
     そうして課題についてどんな感じがするかを身体感覚として味わい、その感じを捕まえておく。
    「この感じ」をこの後ステップごとに繰り返し呼び出すことになる。

     人によっては、このステップが一番難しく感じるかもしれない。 曖昧ではっきりしなくて何をしたらいいか、何が出来ればよいのか分からなく感じるのだ。
     
     このステップで必要なことは2つある。

     ひとつは、取り組もうとしている課題について、昵懇(じっこん;親しく心安いこと)になっていること。
     取り組むべき大量かつ複雑な資料(データ)がつみあがっているなら、繰返し読み、必要ならば印をつけ、メモと取り、とにかく資料すべてを一旦は自分の中を通らせること。

     そしてもう一つは、課題に親しむ中で育っていく、言葉にしがたいが何かあるという「感じ」を丁寧に扱うことである。
     
     後段の「感じ」を扱う際に必要なのは、何かをやること(たとえば正解を求めることや正しい手順でできているか気に病むこと)よりも、むしろ感じながら(あるいは感じられるまで)待つことである。
     
     「ああ、ここまで出掛かってるんだけど」という「ここ」(それは喉元かもしれないし胸の辺りかもしれない)に意識を向ける、向け続けることが基本になる。
     「なんか、こう、もわっとしてる」なら、その「もわっ」が身体の中のどのあたりにあるかを感じて、そこに意識を合わせるのだ。
     そして、感じてるもののについて「よく分からんが、ひょっとして○○かな、いや違うな、××かも……」という気持ちが起こるまで、「この感じ」に意識をあわせたまま待ってみる。
     「○○かな、いや違うな、××かも……」あたりまできたら、そうして感じているものを書き出していくのである。

     そもそも言葉でうまく言い表せないものを扱っているので、ぴったりとした言葉は、なかなか出てこない。いや、結局出てこない、と言ってもいい。
     とりあえず「何か something」と呼んでみたり、「~みたいな何か」「~のようなやつ」と比喩を用いたり、あるいは(まったく偏見だが関西出身のアートディレクターみたいに)強引に擬音やオノマトペで表してみると(いずれも言葉が足りないときに我々が普段用いている方略である)、「この感じ」に少しは触れた感じになって先に進めることがある。
     
     こうして出てくる言葉の断片をシートの②に書いていく。


    ○「この感じ」がみつからないとき


     資料に十分まみれたとしても、最初は、意識をあわせるべき「この感じ」が見つからない、あるのかないのかもよく分からないことが少なくない。
     実践的には、それでもとりあえず「マイセンテンス・シート」を埋めてみることを勧める(このシート自体に言葉しがたいものを言語化するステップがいくつも組み込まれている)のだが、以下は、もう少しちゃんとやりたい人のための対処法(トラブルシューティング)である。
     
    (0)大前提として、「この感じ」とやらは、以下で出てくる技法のようなものを使わないと、それも正しく用いないと、感じられないようなものではない。
     言葉にしがたい何かを抱えて、なかなかぴったりとした言葉が見つからないまま過ごし、しかしやっとのことでそうした言葉を探し当ててスッキリという体験は、多くの人が持っている。
     人に自然に起こりうる現象としてのフォーカシング(言葉にならない感覚に注意を向け、その感覚と共に過ごすこと)があることを前提に、それがうまくいくように助けるために、技法としてのフォーカシングは組み立てられているのだ。手段と目的を取り違えないこと。

    (1)感じているのに気付いていない、ということも多い。つまり、もっとすごいものが来るはずだと期待が大きすぎるのである。
     フォーカシングをやってみて「なにも感じませんでした」という人に、どんなふうに感じなかったかと詳しく話してもらうと、「喉に少しだけ違和感があるけど、夕べは寒かったし風邪を引きかけかもしれないから無視しました。胃の辺りの少し変な感じがあったけど、座りなおしたら消えたから、座り方が悪かっただけでしょう。胸の真ん中で何か広がっていく感じがしたけど、そういう風に感じたかったからそうなっただけだと思いました。だから何も感じませんでした、といいました」といったことを言う場合がある。
     「喉の違和感」も「胃の辺りの変な感じ」も「胸の真ん中で何か広がっていく感じ」も、しばらく意識を置いてみるべき「この感じ」である。
     ここまで分かりやすいツンデレ・フォーカシングもあまりないが(ほんとよく覚えてるよな、この人)、この人から得られる教訓は、何もないのに限定も否定もできない、ということである。つまり「単なる」とか「少し~」とか「~だけ」とか「~にすぎない」とか「~には意味がない」のような限定的・否定的表現が頭の中をよぎったら、その限定・否定されているもの(感覚)こそ、しばらく付き合ってみるべき「何か」である可能性が高い。
     
    (2)では、誰でも感じていそうな、ちょっとした違和感だとか、どこそこが「暖かい」とか「ざわざわしてる」とか、そういう「感じ」みたいなものを見つけて、それから何をすればいいのか?
     からだの状態も注意の向く先もどんどんと変化するから、しばらく付き合うために、その「感じ」をとりあえず描写してみる、あるいは名前をつけてみる。そうすると呼びかけやすいし、注意がその「感じ」に留まりやすい。
     どんな描写/名前がいいか? しっくりくるものなら何でもいい。まったく浮かばないなら「何か something」でもいい。もう少し色をつけるなら「暖かい何か」とか「ざわざわする何か」とか。「ぽかぽかさん」とか「ざわざわちゃん」とか。
     しっくり来ないなら別のものにすればいいだけだ。
     「何か……ざわざわする何か……ざわざわちゃん?……は、ないわな。……ただのざわざわじゃなくて、ちょっと固い感じもするし……ざわかち?……ハードざわ?……色でいうと、白……というよりシルバー……しるざわ?……ちがうなあ……」
     というのを延々やって(というのがフォーカシングの基本である)、何故だかつながりのない「タイコさん」みたいなところに落ち着くこともある。
     
    (3)しかし「誰でも感じていそう」と決め付けるのはよくない。今書いているのは「この感じ」が見つからない人のためのものだ。
     ではまず、どこをどう探せば見つかりやすいのかを言おう。
     目立たないものを見つけるには、ヒトが違いには敏感であることを利用するのが一つの手である。
     たとえば胸の感じと腹の感じを比べて違いはないかと点検してみよう。からだのいろんな場所の感じの違いを比較することで、「感じ」の在り処が分かることがある。
     違いが見つかったらあったら、さらに細かく比較をくり返して、たとえば腹の右側と左側を比較するなどして「違い」の在り処を絞り込んでいくといい。

    (4)これでもまだ、「この感じ」とやらが感じられない場合は、先に声をかけてみる手がある。「ハロー(こんにちは)」でも「えーと、いま大丈夫ですか?」でもいい。どうせ「この感じ」が見つかったときは、名前をつけて呼びかけるのだが、これを先にやってしまうのだ。
     暗闇の中、相手がいるのかどうか分からないけど「おどかしてごめん、でも怪しいものじゃないよ」と友好的に声をかけてみる感じである。
     誰もいない場合アホらしい振る舞いだが、だからこそ居ることを信じている=前提にしているのだと伝えることができる。
     そしてごく小さな反応があっても分かるように、身体の内部に意識を置きつつ、心持を静かにしてしばらく待つ。
     何かしら感じの変化みたいなものがあれば、すかさず「(返事してくれて)ありがとう」とお礼を言って既成事実をつくる。あとは恐ろしく内気で口下手な者に、おだやかに話しかける感じてやっていけばいい。
     
    ※哲学者でもあったジェンドリンはフォーカシングを説明するのに空間的メタファーを用いたが、弟子のアン・ワイダー・コーネルは擬人法(これもメタファーである)を用いることで、臨床家にとっては、ずっと分かりやすい説明とインストラクションを生み出した。

    (参考文献)
    やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方
    アン・ワイザー コーネル,Ann Weiser Cornell,大沢 美枝子,日笠 摩子

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    (5)それでも返事(反応)がない場合は、「邪魔して(脅かして)ごめん。今日は退散します。じゃあ、また」と礼儀正しく言って引き下がろう。(4)を大真面目にやれたのであれば、日をあらためて何回かやるうちに、かすかなものであれ反応が得られるだろう。
     得られなかったとしても、それであなたの世界が縮小してしまう訳ではない。
     繰り返しになるが、「この感じ」が見つからない原因の多くは、結果をあせりすぎること、擬人化が恥ずかがってやり切れないこと、そして期待が大きすぎることである。

    (6)擬人化の方が後の展開はやりやすい。取り組みたい課題についての「この感じ」を得るのに、「○○なんだけど、どんなもんだろうね?」と言葉を使って質問する形で行えるからだ。もっとも、その課題よりむしろこっちを、という反応が返ってくる場合もある。あなたにとってより重要で火急の用件がある場合などがそうだ。そんな場合は、重要・火急の用件を紙に書き出すなどして、後回しにするがちゃんと取り組むとコミットメントしておくとよい。

    (7)擬人化といっても、感じたい何か、「この感じ」(フェルトセンス)が、あなたが投げかけた問いに、口を開いてべらべら喋り出してご神託を投げ返してくれる訳ではない。
     起こるのはせいぜい、あとから見ると「ひょっとして、あれがそうだったの?」と思うくらいささやかな、ほかの場所とはわずかに異なる感覚や、さっきまでと少しだけ違う感覚の変化でしかない。
     しかもその「感じ」に気長に付き合い、「こうだろか、それともああだろうか」といろいろ言葉を試しながら名前をつけてやって、なんだか腑に落ちるところまで至った、そのまた後に、やっと「この感じ」が意味していたのは「なんだこういうことだったのか」と分かることがある、というじれったさである。急がず期待せず待て。短気は損気。
     
    (8)「こんなの結局アタマで考えてるだけじゃないか」や「感覚なんてお天気次第で、気分次第で変わる、当てになるもんか」は頻出の否定評価である。ビギナーだけではなく経験あるフォーカサー(フォーカシングする人)の心にも繰り返し現れる。内なる懐疑論者は誰の中にもいる。
     しかし懐疑論者は懐疑するだけで検証しない。その意思も術も持っていない。
     我々が少しだけ有利なのは、内なる懐疑論者が持っていない検証手段を持っていることだ。フォーカサーなら、出てきたものを「からだに戻す」ことで合っているかどうか確かめる。TAEをやる人は、この先の作業を続けることで確認できる。
     
     とりあえず「マイセンテンス・シート」を埋めていこう。


    ○「この感じ」を文にしてみる

    ステップ2:「この感じ」から出てくる言葉を取り出し、その中からいくつか選んで短い1つの文を作る。その短文の一カ所に空所を作り、そこに入る語を「この感じ」に従って選ぶ。

     浮かんだ言葉があらかた吐き出せたら、シートの②に書き出した言葉を読み返して、大切そうなものに線を引く。
     これが終わったら、さっき感じた「この感じ」にぴったりきそうな短文をつくってみる。完璧にマッチしなくても、どこか一部分フィットしていればいい。線を引いた言葉を組み合わせるとできることがあるし、書きだした中で一番気になる言葉に何か別の言葉を足してできることもある。
     次に進むきっかけになる程度のものだから(つまり後で直してもいい)、あまり悩まず、いくつか書いてみて、いちばんましなのを選ぶ。
     短文は理屈が通らなかったり訳が分からなかったりしてもいい。他人にはもちろん、自分にも理解できないものであってもいい。むしろ分からないものの方が、いろんな思考や言葉を呼び起こしやすいかもしれない。
     短文として外に出してみることで、おそらく「ほんとはこうじゃないんだけど」という違和感が生じるだろう。これこそ望むべきものだ。この違和感が次に進む原動力となる。
     
     
    ○キーワードをみつける

     短文が選べたらシートの③に書く。これを仮マイセンテンスと呼んでおく。
     次に仮マイセンテンスの核になっていそうな言葉に線を引いておく。線を引いた言葉がキーワード1である。

     仮マイセンテンスからキーワード1にした部分を空所(ブランク)にしたものをシートの④に書いておく。
     
     今分かっているキーワード1を⑤に書く。
     そして⑤に書いたキーワード1について、辞書に載っているような通常の/常識的な意味を⑥に書いておく。
     
     次に④に書いた空所(ブランク)を持つ文をつかって、キーワード2と3を考えよう。空所(ブランク)を埋めてみてしっくりくるような他の言葉がないか捜すのだ。見つかったらキーワード2を⑦に、キーワード3を⑧に書き入れる。
     これらについても辞書に載っているような通常の/常識的な意味を⑧と⑩に書いておく。



    ○辞書以上/以外の意味をつかむ

    ステップ3、4:選んだ語の辞書上の意味を確認した後、その意味に納まりきらない独自の意味を書き出す。

     さて、もう一度③の仮マイセンテンスや④の空所(ブランク)を持つ文をキーワード2や3で埋めた文を見てみよう。
     これらのおかしな文は、キーワード1,2,3を普通の辞書的な意味で解釈しても、意味が通らないことが多い。
     これらキーワードが重要なのは、通常の意味以上の何かを担う、いやむしろ無理からに通常以上の意味を担わされているからである。いつも以上の、今回だけの特別な意味合いを押し付けられているのであれば、辞書的意味との比較で、それを明らかにしておこう。言葉に無理強いしなければ表せなかった何かこそ、何かこう言いたいんだけど言葉にできなかったものへの手がかりだ。

     パート1ではここが山場である。

     今回限りに込められた特別な意味をほぐすことで、また様々な言葉が手に入る。
     そうしたら、それらを⑭に書き出しておこう。


    日常使いのTAE(TAE FOR DAILY USE)では、まさにここのところをエッセンスとしている。
    これは1行に短くまとめられたTAEとでも言うもので、

    心動かされる言葉に出会ったとき、こう自問自答するのだ。
    「もしその________という語句が言いたい意味を、正確に言おうとすれば、あなたがその語句で言い表したいものは、本当はなんだろうか?」




    ○マイセンテンスをつくる

    ステップ5:以上の過程を経た上で、「この感じ」を短文(マイセンテンス)で表現する。


     特別な意味をほぐしたときに現れたこれらの言葉は、あなたが感じた「この感じ」から出てきている。正確に言うことはまだできない。ぴったりした言葉はおそらくまだ見つかっていない。しかし手垢のついた言葉を、複数重ねて何とか言おうとしていることを、できるだけ短く言いなおしてみよう。理想は「AはBである」とか「AであるときBである」程度のものだが、それより長くてもいい。十分に言い切れなくても、今はとにかく文にすることが先決だ。これを⑮に書いて、マイセンテンスと呼ぼう。
     言い足りないことは、解説・補足説明として⑯に記録しておく。
     こうして、もやもやからはじめて、不十分ながらひとつの言語表現に変換するところまで来た。





    パート2 実例に語らせる

     パート2は、TAEの中で最も作業量が多いパートである。
     その甲斐あって、もっとも豊かに言葉が出てくる/収穫できるパートでもある。
     パート1のフォルトセンスをつかむのが難しい人は、このパート2からでもいいので、やってみることをお勧めする。
     
     このパートでは、複数の事例を抽象化した上で、互いにぶつけ合わせ/掛け合わせて、事例のもつ複数の側面を際立たせることで、事例が含み持つ可能性を多面的に掘り起こしていく。
     
     使うフォーマットは「パターン・シート」と「交差シート」である。今回は複数の事例・パターンを1枚でまとめて扱う表形式のものを使ってみた。
     扱う事例が多くて、1枚のフォーマットでは扱いにくい場合には、事例・パターンごとに1枚ずつ別れたフォーマットを使うといい。
     
     
    ○事例をあつめる

    ステップ6:「この感じ」や「マイセンテンス」をよく表現する事例を集める。


     まずは分析にかける事例をあつめていく。
     パート1を済ませているなら、その中でつかまえた言葉にし難い「この感じ」が、そして、それを何とか言語化したマイセンテンスが導きの杖となる。
     
     つまり「この感じ」に照らして何だかひっかかる事例、あるいはマイセンテンスの例となりそうな事例、そこまで明確なことは言えないがなんとなく関係がありそうな事例を拾っていく。
     
     マイセンテンスは、未だ言い足りない(あるいは完全には言い当ててない)言語表現だが、不完全でも文の形にしておくと、個々の事例に当たってみて「あり」「なし」がなんとなく分かることが多い。

     この段階ではなぜこの事例を選んだか明確にできなくてもいい(それはこれからの作業の中で次第に明確化してくる)。


    ○事例からパターンを得る

    ステップ7:それぞれの事例に表れている、他にも適用できる一般的パターンを見出す。

     パターンとは、事例の中に繰り返し現れる可能性のあるものである。
     以下の手順で、事例集め(ステップ6)とパターン抽出(ステップ7)は同時平行して行っていく。
     
    (1)集めた事例を「パターン・シート」の①にひとつずつ記入していく。
    (2)事例を記入するごとに、事例を中心となるものを短く要約しパターンをつくる。「AはBである」とか「AであるときBである」程度のものがいい。
    (3)事例ごとに起こしたパターンを、②の列に事例に対応させて、書き入れておく。
    (4)事例Aから得たパターンが、事例Bの中にもみつかるかもしれない。たとえば、新しい事例を検討していて、これは新しくパターンをつくるより、既存のパターンを使った方がよいと感じる場合が出てくるだろう。
     こうした場合は、事例から新たにパターンを作る代わりに、既存パターンの欄にある③類似例の欄に事例を書き入れる。
    (5)類似例が加わったことにより、複数の事例にまたがるよう、必要ならばパターンを修正する
    (6)以上の作業中に気付いたことは、検討していた事例の行にある④の欄に記録しておくと、パターンを作ったり修正する際に役立つ。

    pattern_sheet.png
    (クリックで拡大)





    ○事例&パターンを交差させる

    ステップ8:パターンと事例を総当り的にぶつけて交差させる。この交差から事例のさまざまな側面を明らかにし、隠れていた知見を見い出す。

     事例独自のパターンを得るか、他の事例から生まれたパターンの類似例に割り当てるかして、取り上げたすべての事例についてパターン・シートに入力し終えたら、ステップ8に進もう。 
     
     ステップ8では、交差シートを作成していく。
     交差シートとは、事例・パターン×パターンのクロスした表であり、すべての事例・パターンに、すべてのパターンをぶつける形になっている。
     
     交差シートを埋めていく中、パターンの形でゆるく抽象化した事例と事例を互いにぶつけ合うことで、事例・パターンについてさまざまな側面から検討する機会をつくりだす。
     これは自分だけでは思いつけない側面・観点から事例を検討することであり、たくさんの発見・気付きを生み、様々なアイデアやそれを評価する観点を作り出す作業である。
     また多面的な検討は、抽象化への足がかりともなる。
     
     
    (1)交差シートの表の左端に、事例・パターンの組が縦方向に並べる。これが〈A.交差される側〉になる。

    (2)表の上端に、パターンの組が横方向に並べる。これが〈B.交差する側〉になる。

    (3)交差したマス目ひとつずつについて、次のような問いについて自答したものを書き入れていく。

    問1:A交差される事例・パターンの中の何がB交差するパターンに似ているか?
    問2:A交差される事例・パターンの中の何が、B交差するパターンの問いに答えるか?
    問3:B交差するパターンから見ると(パターンの《メガネ》をかけると)、A交差される事例・パターンはどのようなものだといえるか?
     
     落語文化圏に住む我々にとってはむしろ、このパターン同士を交差するこのステップは「なぞかけ」に似ている、といった方が分かりやすいかもしれない。
     あの「○○とかけまして、××と解く。そのこころは?」というやつである。
     
    問4:A交差される事例・パターンとかけまして、B交差するパターンと解く、そのこころは?


    パート2ではここが山場である。

    「気づき」とは、どこかに隠れている何かを探してみるかるものではなく、いろいろな相互関係が交差する中で新たに生まれてくるものなのである。


    交差シート(部分)
    cross_part.png
    (クリックで拡大)


    交差シート(全体) (Excelファイル cross_all.xlsx



    ○交差する数が多すぎる場合は

     「AとかけてBと解く、そのこころは?」と「BとかけてAと解く、そのこころは?」、あるいは「BのメガネをかけてAを見ると?」と「AのメガネをかけてBを見ると?」とでは、出てくる答えが異なりうる。したがって本来は、交差するもの/されるものが逆転した組合せについても考えた方がいい。
     
     こうしていくと10個のパターンからは、10×9=90個の交差が生じる。パターンの数が30を越えると、総当りでは交差の数は千近くなり、さすがに効率化(手を抜くこと)を考えたくなる。
     
     ジェンドリンとヘンドリクスのオリジナルなTAEでは、4つの事例=4つのパターンから4×4の交差をつくろうという指示になっている。
     交差の威力をまず実感したい場合には、これくらいでやってみるのがよいかもしれない。
     
     交差させる実例・パターンの数が多い場合には、次のような工夫が考えられる。
    (1)すべての組合せの交差が、有用なものを生み出すとは限らないから、有望そうな交差だけを選んで考える。
    (2)パターンをカード化して床にばら撒いて見回し、並べ替えながらペアになりそうな(そう「この感じ」が教える)パターンの組が見つかったら(これとこれで交差しそうだと感じたら)拾い上げ、交差の結果は別に書きとめていく。書きとめた後は、パターン・カードは、他のカードの中に戻し、また別のパターンの組を見つける作業をくり返していく。

     しかしあまり考えやすい/分かりやすい交差だけを扱っていては、新しいものが見つかりにくい。解し難い〈なぞかけ〉からこそ、思ってもいないものが見つかるからだ。

    (3)むしろあまり考えず、半ばランダムにパターン・カードを2枚拾い上げて、拾った以上は必ず交差を考える方が(つかれるが)よい結果が得られるかもしれない。
     
     
    ○交差から新しいパターンを得る
     
     交差から得られた気付きや思い付きを書きとめた後、その中心となるものを新しいパターンとして、やはり「AはBである」とか「AであるときBである」程度に簡潔にまとめておく。

     交差シートのマス目は気付いたことや思いつきを書きながら作業を進めていくと、次第に、別の組合せによる交差でも、似たようなことを書いていることに気付きはじめる。
     交差シートから生まれる気付きやアイデアは、一見むやみに発散していくようにみえるが、作業をすすめていくといくつかのまとまりに収束していくことが多い。
     収束する理由の一つは、ひとつのフェルトセンス(「この感じ」)、ひとつのマイセンテンス(「この感じ」を何とか言語化したもの)に照らして事例を集めたからである。
     もうひとつの理由は、事例からパターンを抽出することと、事例とパターンに別のパターンを掛け合わせることが、いずれも抽象化へ向かう圧力をかけていることになるからである。

     交差のあちこちに生まれる互いに似たものは、この先で理論を立ち上げていく際に、重要な足がかりとなるものである。
     
     

    ○これまでの作業の成果を仮に/自由にまとめる

    ステップ9:これまでの作業のまとめとして、気づいたことを自由に書く。

     ステップ8まで終わったら、ステップ9では、これまでのシートを見直して、これまでの成果を簡単にまとめておく。
     箇条書きでもいいし、数百文字程度の文章でもよい。簡単なチャート図を書くのもよいだろう。
     これらは事例の突き合わせから生まれた発見を、仮にまとめたものである。
     
     
     

    パート3 理論を立ち上げる
     
     パート3では、これまでの作業で得られた成果を元に、素材とした事例以外に適用可能で、他の人に伝達可能なレベルへ抽象化を進めていく。
     パート3での目標は、理論の構築である。TAEでは理論を概念の構造体と考える。これまでの気付きや発見を包括できるような、互いに絡み合った概念の組を見い出すことが目指される。
     このため抽象概念を無理やり結びつけて(当然この段階では意味の分からない命題の化け物ができる)、この化け物がちゃんと立つことができるよう補い訂正するためにあてがった言葉の中から、相互に連関した抽象概念を取り出していく。
     
     パート1では、辞書的な意味とぶつけることで、それ以外/以上に言葉に込められた意味を掘り起こして、言葉にならない「感じ」を言語化する手がかりを得た。
     パート2では、複数の事例とその抽象であるパターンをぶつけ合うことで、事例のもつ複数の側面を際立たせて、事例が含み持つ可能性を掘り起こす手がかりを得た。
     パート3では、そのままでは結びつかない諸概念を強引に結びつけることで、その矛盾や不合理を解消しようと呼び集められる言葉たちから、パート1とパート2で得た多くの発見を包括しうる概念の構造体をつくる材料を得ようとするのである。



    ○包括する3つの言葉(ターム)を選ぶ
     
     ステップ10を始める前に、これまでの成果を包括できるような3つの用語を選ぶ。
     
     ステップ9での仮まとめが参考になるが(そこに出てきた言葉が候補になるかもしれない)、より手堅くやるには次のような作業を行うといい。

    (1)これまでに検討したキーワードやマイセンテンス、事例から抽出したパターン、それに交差シートを埋める中で見つかった新パターンなどをカード化する。
    (2)カードをすべて平面に並べ、まとまりがつくよう並び替えて配置する。
    (3)配置し終わったカード全体を包むような大きな三角形を描いたとき、三角形の3つの頂点に配置すべき言葉を考える。

     こうして選んだ3つの言葉を以下ではタームと呼ぼう。
     
     
     
    ○「であるシート」でタームの相互関係をさぐる

    ステップ10:「この感じ」をよく表現する用語を3つ選定し、2つずつペアにして”is”(「である」)で結ぶことを出発点として必要な語を加え、相互に関連づける。

     ステップ10では、「であるシート」を使う。
    (1)先ほど選んだ3つのタームA,B,Cから、ペアをつくり
    「AはBである」
    「BはCである」
    「CはAである」
    という3つの文を作る。
     念を入れて、さらに
    「BはAである」
    「CはBである」
    「AはCである」
    の3つに文を加えて、合計6つの文について以降の作業をしてもいい。

    (2)こうしてできた3つの文は、それだけでは意味が通らない不完全な、あるいは言い過ぎであるような強すぎる主張になっているだろう。これらがまともな主張となるよう、いくつか言葉を補っていく。
     たとえば 
     「AはBである」→修正→「AはBの一部である」
     「BはCである」→修正→「BはCとなる可能性を含む」
     「CはAである」→修正→「新しいCがAから生まれる」
     
    (3)加筆した文のそれぞれについて、何故そう言えるのか/いったい何を主張しているのかを、他人にも分かるような書き方でメモ欄に書いていく。

    (4)抽象概念の候補になりそうな言葉はキープしておくために、「タームの書き出し」として別に抜書きしておく。

     加筆を行う中で付け加えられた言葉や、メモ欄に書いた解説の中で使われた言葉の中に、このあと理論を立てていく際につかえるようなものがある。少しでもひっかかる、あるいは光る言葉はキープしておくために、「タームの書き出し」として別に抜書きしておく。
     
     
     その他、作業中に生まれた気付きや思いつきもメモしておく。
     
    is_sheet.png
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    ○「もともとシート」でタームの本質的関係をさぐる

    ステップ11:ステップ10で選定した用語を2つずつペアにし「本来」の語で結び、本来的意味に根ざす関係を探求的に見出す。見出された関係を新しい用語で表現する。


     ステップ11では「もともとシート」を使い、ステップ10と同様の作業を行う
     
    (1)3つのタームA,B,Cから、ペアをつくり
    「Aは本当は(もともと)Bである(性質を持っている)」
    「Bは本当は(もともと)Cである(性質を持っている)」
    「Cは本当は(もともと)Aである(性質を持っている)」
    という3つの文を作る。
     念を入れて、さらに
    「Bは本当は(もともと)Aである(性質を持っている)」
    「Cは本当は(もともと)Bである(性質を持っている)」
    「Aは本当は(もともと)Cである(性質を持っている)」の3つに文を加えて、合計6つの文について以降の作業をしてもいい。

    (2)今度は加筆せず、上で作った3つ(あるいは6つ)の文それぞれについて、何故そう言えるのか/いったい何を主張しているのか(あるいは何故そう言えないのか)を、他人にも分かるように解説してみる。おそらく、この無理やり作られた命題を筋が通るように解説するためには、よく知られた常識や見方・考え方の外に出る必要があるかもしれない。

    (3)上で書かれた解説は、タームAとB、BとC、CとA、それぞれの間の本質的(本来的)な関係について語っている(少なくとも語ろうとしている)。
     それ故、さらに一段階高められた抽象概念が、ここから見つかるかもしれない。
     候補になりそうな言葉はキープしておくために、「解説に現れた新しいターム」として別に抜書きしておく。

     
     作業としては似ているが、2つ異なるところがある。
     ひとつは、すでにタームA,B,Cについては突き合わせを行っており、3つがどんな関係ならば意味のある主張となるかを作業を行う我々が知っていることである。
     もうひとつは、このステップで問われるのが、P.K.ディックがアイデアを得るときに好んで使ったあの質問「~とは、本当は何なのか?」であることである。

     つまりステップ10の突き合わせで見えたあり得べき関係の、その本質を掘り出すことが、ここでは求められているのである。
     このため、ここでの作業における気付きや思いつきの抽象度は1段上がったものとなる。ある程度、抽象度が上がらないと「~とは、本当は何なのか?」という問いに答えることができない。
     言い換えば、新しい抽象概念の発生が促されていると言うことができる。
     加筆部分や何故そう言えるのか/いったい何を主張しているのか/何故そう言えないのかについての説明、作業中の気付き・思いつきに含まれる言葉の中に、こうした抽象概念(のヒント)が含まれることが多い。
     (3)で抜き出したの中から最重要なものを3~4つ選び、次のステップで抽象概念の候補にすることになる。

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    ○抽象概念を互いに組み込む

    ステップ12:「この感じ」をよく表現する用語を、3、4個選び直し、相互に組み込んで文を作ることにより関係づける。必要なだけ新しい用語を組み込み、同様に関係づけていく。相互に組み込まれた用語は概念と呼ばれ、諸概念の総体は理論と呼ばれる。新たに加えたい用語がない状態になったとき、理論が完成する。


     ステップ12は長い作業であるため、前半と後半に分けて説明しよう。
     
    (前半)
    (1)まずステップ11で見つけた抽象概念の候補を3つ選び、それらを新たなタームP,Q,Rとする。

    (2)「Pとは、~である」「Qとは、~である」「Rとは、~である」という定義文を作っていく。ただし、Pの定義の中で他のタームQ,Rを使わなくてはならない。同様に、Qの定義ではR,Pを、Rの定義ではP,Qをそれぞれ使う。つまり定義の中に他のタームを織り込むのである(相互定義シートの上半分)。

     相互に織り込みながら定義を作り上げる作業は、TAEの最後の難関だが、我々はすでにステップ10,11で「~は~である」「~は本当は~である」というフォーマットででっち上げた無理やりな命題を、なんとか意味が通るように作り直す経験を経ている。
     今回は、他の抽象概念を使いされすれば、フォーマットは自由だから、なんとか作り上げることができるだろう。

    inter_concept.png
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     なお抽象概念が3つでは、これまで取り扱ってきた検討や発見を取り込んで纏め上げるには足りなく感じるかもしれない。
     まずステップ11で得られた抽象概念の候補には、他にも取り入れたいものが残っているかもしれない。
     こうした場合は、3つの抽象概念について相互定義ができあがったら、必要なだけ、しかしひとつずつ抽象概念を増やしていこう。

     相互定義シートの下半分に、4つめの抽象概念を足し加えるフォーマットを用いる。

    (3)3つの抽象概念についてすでに作った相互定義をなるべく変えないように、4つめの抽象概念を盛り込むために必要な加筆を行う。

    (4)4つめの抽象概念の定義を、P,Q,Rのすべてを盛り込んで作ってみる。

    (5)さらに抽象概念の追加が必要なように感じれば、新たな抽象概念について(3)~(4)を繰り返し追加していく。
     

    inter_concept2.png
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    ○抽象概念の構造体を磨き上げる
     
     ステップ12の後半は、前半でできた相互定義のセットに磨きをかける。
     抽象概念の候補には、採用した概念といくらか類似するものが他にもあったかもしれない。また定義をつくってみて、修正したり別の表現にした方がよい概念が見つかるかもしれない。
     
     せっかく組みあがった抽象概念の相互定義を崩さないように、抽象概念の訂正は、同じ概念はすべての定義で差し替える(置換する)ことで行う。
     抽象概念置換シートを使おう。 
     
    (1)ステップ12の前半でつくった抽象概念の定義をセットで抽象概念置換シートに書き入れる。
    (2)変更した方がよい言葉・表現を、別の言葉・表現に置換する。この際、すべての抽象概念の定義について置換を行うこと。
    (3)置換前と置換後を比較して感じたことをメモしておく。
    (4)さらに変更が必要だと感じるなら、別の言葉・表現についても置換を行う。
    (5)置換をくり返すうちに、これ以上変える必要はない/変えない方がよいと感じる段階に至れば、そこでこの置換作業を終える。

     こうして置換を繰り返して、最終的に抽象概念の相互定義のセットをつくる。

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     ここまでで、理論(仮説)の核(コア)になる、互いに組み合った抽象概念の構造体ができた。
     これらのすべての定義を一つにまとめて、すべてのタームを用いて、理論のコアになる命題として書いたものが、理論の骨格になる。
     

    ○抽象概念を他のテーマにぶつける

    ステップ13:作った理論を他のテーマに適用してみて、説明可能性を検討する。
     
     さらに理論に磨きをかけるには、今回検討したテーマ以外の問題について、組み上げた抽象概念の構造体を適用する。
     


    ○理論を本来のテーマで発展させる

    ステップ14:あなたの理論をその分野で拡張し、応用する。

     「あなたの理論を拡張するために、 次のように自問してみよう:次に生じ る問いは何だろう?この理論はどんな 次の理解に繋がるだろうか?あるいは 密に関連するはずのどんな要素が未だ 足りないだろうか?
     あなたが加える新たな用語が更に導出 されるために、必要なら本来的な繋が りを書き加えなさい。
     新しい用語が繋がれた後で、置き換え によってあなたの他の用語がそれに関 して何を語りうるかを検討しなさい。
     このようにしてあなたはあなたの理論 を更に次々と拡張できる。」

     ※Gendlin, E. T. & Hendricks, M. N. (2004) Thinking At the Edge (TAE) steps. The Folio, 19(1), 12-24.