読むべきものを探すなら、本屋でも、アマゾンでも、図書館でも、ましてやブログの書評でもなく、自分の本棚をつぶさに見た方が良い。

     本棚は事実を、時に受け入れ難い事実を、あなたにこう告げている。「とどのつまり、おまえはこの程度の人間なのだ」と。それはあなたの知的好奇心の履歴であり、その挫折のアーカイブだ。

     痛みを伴うことだが受け入れよう。この先一生かけて磨きつづけても、あなたの知性は悲しいくらい変わらない。

     だが、愚か者はただ愚かなのではなく、自分よりいくらかマシに見える別の愚か者に憧れ、真似たりしようとするが故に、救いようがないくらい愚かなのだ。

     どこかのこけおどしの混じった利口ぶったブックリストでなく、自分の身銭と時間と知性(アタマ)をふり絞ってできあがった本棚を信頼しよう。無理でも、せめて「認知」してやろう。

     本棚の中には、繰り返し手にとったものもあれば、買い求めたまま一度もページを繰ることなく塩付けにされたものもあるだろう。誰かに薦められるまま買った本、本屋で偶然手にした本、入手したことすら忘れ去りたい黒歴史本などが並ぶその棚は、醜悪さや凡庸さも含めて世界に唯一のものだ。少なくとも、自分がどれほどモノを知らない人間であるかを、これ以上にないほど痛烈に教えてくれる。

     もう一度、手にとる気にならない本が、あまりに多いことに気付くかもしれない。時間は良いことをするときも、悪いことをするときも、変わらず残酷だが、この場合は良い知らせを届けてくれたのだ。あなたは今後、本を手に入れようとするとき、こう自問するだろう。「これは、もう一度、読む本だろうか?」「歳月の中で価値を失う本だろうか?」と。

     読書に何かスキルのようなものが必要だとすれば、たくさん読む方法でも、《良書》を選ぶことでもなく、ただ読まなくていい本を読まないで済ますこと、そしてより少なく読むこと、これだけだ。

     別の言い方をしよう。最初から最後まで読みとおすに足りる本など、そうあるものではない。10年後も読む価値がある本が、半年間のブログのエントリーを並びかえることで生まれるだろうか? 同じ著者から数ヶ月のうちに生まれた、表紙を掛けかえても互いに区別が付かないような10冊のうちの1冊として本屋に並ぶことがあるだろうか?

     あなたの本棚は時間とタックタッグ(tag)を組み、このことを気付かせる。
     
     読まなくてよい本に失われるはずだった時間は、もっとましなことに、たとえば愛する人との語らいに、費やすことができる。もちろん、あなたの本棚からいつもの本をとりだし、ページに風を通すことだってかまわない。

     再読せよ。一生かけて読む本に、あなたはすでに出会っている。さもなくば、そいつはこの世に存在しない。


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