思想と動くもの (岩波文庫)思想と動くもの (岩波文庫)
    (1998/09)
    ベルクソン河野 与一

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     ここだけの話、ベルクソンはヨイ。
     ギブソニアンなんてのは、ベルクソンを読んだこともなければ想像したこともない連中のことをいうんだろう。
     (今じゃさっぱりの)ニューサイエンス野郎というのも、ベルクソンを読んだこともなければ想像したこともない連中のことをいうんだろう。

     訳者は「ほとんど天才」である、あの河野与一である。
     今は1冊にまとめられた『思想と動くもの』だが、かつては3分冊になっていてしかもベルクソンの「哲学入門」なるものから始まっていた。
     その「哲学入門」について河野与一が書いた「啓蒙的」な「前書き」がこれ。



     「ベルクソンは危険な思想家である。殊にこの最初に訳出した論文は、これを『入門』の名にかこつけて、テツガクに関する初歩の知識を求める読者の手にそのまま渡すことが、果たして良心を持つものの為すべきことかどうか疑わしいとさえ思われる。

     一般にいって哲学者の言説に耳を傾けようとするところに一種の危険が忍び込むことは避けがたい事実かも知れないが、普通行われている哲学入門書にはその立論の如何に拘わらず言葉の選び方や概念の扱い方に歴史的な約束が割合素直に守られていて、二三同類の著作を対比させてみればある程度安定した方向が示されるものである。それはまず常識の言葉から出発して術語を説明しながら導入する。単純な概念から複雑な概念に進むのにいわゆる論理的な筋道を経過する。そうして日常の考え方から離脱する境界が案外はっきりと感ぜられるように配慮してあるから、随いていくものにとって冒険も比較的無難に終わる。

     ところがベルクソンにあっては体験と思索のけじめを気付かせない手法が、しかも最初から縦横に発揮されているために、疑念をさしはさませる縫い目がほとんどみえていない。この『哲学入門』を手にする初歩の読者に向かってまず云いたいのは、大抵の場合逆手に出られるからそこをよくご用心なさいということ、豊富な概念をいきなり読者の手に渡して置いて、それを少しづつ軽くしていくやり方が多いからそのつもりでお掛かりなさいということである。未知のものを既知のごとく扱い、答えの方が最初に来て問いが後から出るような仕組みも珍しくない。抽象と具象、静止と運動、空間と時間、悟性と感性、というような対になっている術語の意味の重みの付け方が、学問の通念と反対に受け取れることも多い。そういう様々な順序の逆転が普通にいう反省とも違う。また単に順序が逆になっているだけだと決めるわけにもいかないような、ひどく意地の悪い出方も覚悟しなければならない。絶対だの流動だの直観だの生命だの、とかく神秘な甘い連想を伴う言葉がどんな凶暴な魔力を揮っているか。

     悪くすると、哲学を求めるものの希望を挫く惧がないとは言えない。この『入門』によって導かれる行き先の『哲学』はベルクソンの哲学であって、一般の哲学ではないというに止まらず、一般に哲学ではなくなってしまうかも知れないからである」



     ああ、もうお腹いっぱい(笑)。
     いや、本当にここだけの話、ベルクソンはヨイ。



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