アメリカ人がアメリカについて書いた本。
     200人の普通のアメリカ人にインタビュー、そうして掴みだした「個人主義」という心の習慣を起点に、アメリカの社会や制度をぐるりと見回す。
     丁寧なインタビューを積み重ね、ハデな思想ぶったところのない分析、古き良き社会学者の仕事といった感じ。

     さて「個人主義」から何が見えるか。
     ベラーらは、この「個人主義」が、功利主義的な個人主義と、表現主義的な個人主義の2つ(の相互作用)からなるという。

     功利主義的個人主義とは、この世はゲーム、勝てばいいんだ、という外向きの個人主義。
     その「ゲーム」がどうやって成り立ってるか、どんな巡り合わせで生まれたかは、気にしない気にならない。
     この発想にどっぷりつかると、「ゲームの敗者」が道徳的にも欠陥してるように見えてくる。

     表現主義的個人主義とは、要は「自分さがし」、内向きの個人主義。
     アメリカではセラピストのサポートがあって、ここでリフレッシュ、ますますゲームに勝つ人生を邁進できるが、どっぷりつかると、功利主義を離脱(脱落?)してしまうかも。

     人々は人生を、このふたつの個人主義のコトバで語る。
     たとえば、いっさいが自分にとっての損得計算であるように、あるいは自己の内側から「涌き出た」もののように語る。


     この二つの個人主義の結託は、原則的自由主義と競争社会を支えてる。

     独立した個々人の私的利益追求の行動が、集まって社会を構成しているかのようなイメージは、社会の現実の姿を反映している訳ではない。
     この社会イメージの普及・流通こそ、個人主義という「心の習慣」と同様に、文化的なもの歴史的なものである(そして「心の習慣」にどっぷりつかることで、このことは見えなくなる)。
     自己救済や独立独歩のレトリックはもっともらしく聞こえるが、実際には歴史的に形成された様々な構造の上に社会は成り立っているのであり、一律な市場原理が万人に平等に作用するはずもない。

     みんなが挑戦し努力すれば世の中よくなるというの考えの裏で、結局のところ弱者が切り落とされ、救われた者たちも生活に激しい負担を抱える。
     非適応組はいうにおよばず、適応組の中産階級においても、突然の解雇や地域の環境の悪化など、様々なストレスにさらされている。
     時間的なゆとりを失った家庭においては、子供や女性に皺寄せが行く。経済中心主義はCare(世話=注意)の危機を招く。
     こうした注意力散漫は社会全般に蔓延しており、これが民主的な社会を掘り崩す深刻な要因となるとベラーは見ている。

     ちなみに続編の『善い社会』の最後の章のタイトルは「民主主義とは注意を払うことである」である。



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