フランスにはあの有名な作家がつくった、あの有名な「紋切型辞典」がある。

     世間に流布していた陳腐な言い回しや凡庸な意見、ありがちなジョークや誤解、迷信といったものを辞典の形でまとめ、それを読んだ人間に、二度とその類いのことを口にさせない(ということは、ほとんど人に口をきけなくする)ために編まれた辞典であることは、人口に膾炙(かいしゃ)するところである。

     しかし悲しむことはない。

     日本には、桑原武夫をして「第二芸術」と言わしめた俳句があるではないか。
     
     橘といえば右近、俳句といえば「月並み」である(桑原武夫が『第二芸術論』の冒頭に陳列した俳句たちがまた、おぞましいほどに「月並み」なのだが。余計なことだが並べてみた)。

       1 芽ぐむかと大きな幹を撫でながら
       2 初蝶の吾を廻りていずこにか
       3 咳くとポクリッとべートヴエンひゞく朝
       4 粥腹のおぼつかなしや花の山
       5 夕浪の刻みそめたる夕涼し
       6 鯛敷やうねりの上の淡路島
       7 爰に寝てゐましたといふ山吹生けてあるに泊り
       8 麦踏むやつめたき風の日のつゞく
       9 終戦の夜のあけしらむ天の川
       10 椅子に在り冬日は燃えて近づき来
       11 腰立てし焦土の麦に南風荒き
       12 囀や風少しある峠道
       13 防風のこゝ迄砂に埋もれしと
       14 大揖斐の川面を打ちて氷雨かな
       15 柿干して今日の独り居雲もなし


     さて、日本の紋切り型辞典と呼んでいいだろう、この『俳句』という書物は、まさに「月並み」という「月並み」を、これでもかとばかりそろえた逸品である。

     「月並み」を並べるだけでなく、ご丁寧にも分類し、悪口まで書き添えている。

     知る人ぞ知る、数多の素人俳人を震え上がらせてきた高圧批評である。

     「俳句が上達する」とかいう宣伝文句が、出版社によってつけられた本のカバーにあるが(なにしろ講談社だ、目をつぶってやれ)、「俳句なんてやめたくなる」の間違いだろう。

     こんな本は、もっとたくさんの人に読んでもらいたいものだ。以下に、引用する。


     感傷は、作者が自分で自分の感情に涙ぐんでいるばかりで、読者に伝える意志を喪失しているものであります。感動は確かにあったにしろ、自分の感動に自分で溺れているのでは、作品を通じて作者が溺れている姿はよくわかりますが、読者に通ずる心の波紋は絶無になります。こういうのを感傷と言います。

    【泣き面俳句】

     ・泣き足りて涙冷たし月仰ぐ

     代表的な感傷俳句の例であります。何で泣いているのですかね? 泣き飽きるということはありますが、泣き足りる、とは、これで十分泣いたぞと満足したというので、いささか妙ではあります。そこで満足して、涙は冷たいものだと知り、月を仰ぎました。作者の身ぶりだけがおどっており、かたわらの我々はけげんに思うだけです。

     ・一人泣くことさえ慣れて毛糸編む

     泣くなら独りで泣いていればよいだけのことで、泣き慣れて上手になったのでしょう。泣くべき事情に慣れ、諦めて毛糸を編むぐらいだから、周囲の人は同情してやる必要はありません。作品は相手を予想して発表するものですから、自分の事をこういうのは自己宣伝になり、その覚悟で作らないと、とんでもないことになります。世の中に「私は泣いています、泣いています」と宣伝するばかがありますか!

     実は俳句は泣いてはいけないのであって、芭蕉の句の「塚も動けわが泣く声は秋の風」の作が人々の激賞することであっても、これは俳句の泣き方にあらず、芝居の見せ場の所作であります。

    【しょんぼり俳句】
          
     ・愁いあり勿忘草(わすれなぐさ)の花咲けば
     ・憂き胸に夢結ばれず時雨降る
     ・行く春を書いて又消し又悶え

     感情を露出した、自分勝手な言い回しです。第一句は少女趣味的発想と措辞、第二句は古くさい語を上五中七に重ねました。第三句は、もう手放しですから、手の施しようがありいません。多分、恋文でも書き散らすのでしょうが、何をどこへ書くか分かったものではありませんから、火箸で灰へ書くようなものです。

    【べたぼれ俳句】
     ・白靴の美貌眦(まなじり)清潔に

     白靴だけを示して、美貌と断言しても、読者は信じようがありません。これでは靴屋に入れば、白靴の数だけ美人が並んでいることになります。そしてまた靴が清潔だと、断言の上塗りをして信憑性を失っています。こうして無条件に女に参っている作者のあさはかさが公開されました。

    【おっぱい俳句】

    ・歌麿の絵のように反り羽子(はね)をつく
    ・羅(うすもの)に才女の気品豊かなる
    ・つく羽子の胸たかだかと反らしけり
    ・スケート場女豊かに胸を張る
    ・夏服の白さが胸をおし包む
    ・おとがいを引いて向かえり初鏡
    ・美しく浴衣の女笑ふだけ
    ・落ちし羽拾う袂をかい抱き

    ・ツリー燦ビール酌(つ)ぐ娘(こ)の処女めきて

     べたぼれ俳句の好例で、女といえばすぐ胸に目を注ぎ、オッパイ俳句が氾濫します。
     ことにいやらしいのは最後のツリーの句で、ビールを飲みながら、女が処女か処女でないかに神経を働かせて、処女でないことを心中で断言しているから、逆に処女の風情があると感心しています。涎をたらしたいやらしい骨頂であります。
     こうして遂に、

    ・海水着の乳房香を生みわが触れり

    匂いをかいだり、手を出して触ったりしてしまいました。そんなだから末尾の「触れり」は語法を誤りました。


     この本の唯一の欠点は、教育を目的としたほとんどの本と同じように、この本自体は、ごくつまらないことである(それでも、文章の書き方を「教える」中村明の駄文よりはるかにましなものだが)。



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