人類学者:卑屈なもの同士、残されましたね。

    文学研究者:わしは卑屈じゃないぞ。それに残されたんじゃなく、残ったんだ

    人類:まあ、そんなに肩肘張らずに。どうせ僕たち「役立たず」なんですから、気楽に行きましょう。

    文学:やれやれ。古代ギリシアの哲学者タレスの話を思い出すわい。「哲学なんて役立たずだ」と言われたタレスは、その年のオリーブの豊作を予想して、オリーブから油をとる搾り機を借り占めて大儲けをしてみせた。

    人類:あのお、それってタレスは大いばりかもしれませんが、哲学は何の役にも立ってないんじゃ?

    文学:その頃の哲学者の著作のタイトルはすべて『自然について』だったというくらいに、彼らはみな自然の本質を探究する自然哲学者じゃった。自然に詳しい→オリーブの豊作の予想→大儲けで、面目躍如じゃ。細かいことは気にするな。

    人類:いや、あのですね。イギリスの上流階級の子弟はイートン校からオックスフォードかケンブリッジ大学に進んで、難しいけど役に立たないギリシア哲学なんかを専攻する、と司馬遼太郎が書いてましたが、これって要するに、見返りのないものに時間もお金も知力も投資できる余裕があると示すことで、参入障壁を作ってるという話ですよ。ミドル・クラスは、投資に応じたリターンがある実用的な教育を求めますから。ゲーム理論だとシグナリング・ゲームで、生物学だと「クジャクの羽」を例にして性淘汰とハンディキャップ原理=適用指標の見せびらかしで、説明する話です。だから哲学者は役になんて立たずに、樽の中で満足げにしている方が、人気が出ますよ、きっと。

    文学:そこまで日本は「豊か」じゃない。現代日本にディオゲネスがいても、中学生に蹴り殺されるのが関の山じゃ。

    人類:素朴な疑問ですけど、人文科学で、何か分かることってあるんですか? 「役に立つ」とまではいかなくても、なんかこう人類の知識を増やすとか、そういうことですよ。
    文学:やれやれ。新知見をめぐって業績競争なんぞをはじめたのは、科学者がプロ化した19世紀後半以降の話じゃ。ルネサンスには科学は「見せ物」で、その後は「道楽」だった。

    人類:生まれてないから関係ないです。

    文学:人が歴史から学ぶことができる事項は「人は決して歴史から学ばない」ということだけじゃ、と言ったのはヘーゲルだったか。

    人類:数学者集団ブルバキに「自説にちょうど都合の良い程度に知識を欠いていた人物」と言われてる人ですね。

    文学:人文学にできることの……

    人類:あれ、もう人文「科学」でなくてもいいんですか?

    文学:科研費(日本学術振興会科学研究費補助金)の申請の時だけで十分じゃ。ごほん、人文学にできることのひとつは、そうやって人が置き忘れていく事どもを、思い出せるように残しておいて、時々耳障りな言葉にして、世の中に返すことかもしれん。

    人類:結局、手前勝手にメタ視点に立った評論家ですか?

    文学:学問の歴史でいうと、人文学(ヒューマニティーズ)の祖先にあたる「自由七科」は、メタ・レベルところか,サブ・レベルの存在じゃった。要は、専門課程に進む前のガキが学ぶものだった。しかし、だからこそ、西洋だと2度ほど学問の転回点で大きな役割を果たした訳じゃが。

    人類:どういうことです?

    文学:一度目は、今では12世紀ルネサンスとも呼ばれるが、1100年頃からヨーロッパのあちこちで、今日まで残る大学のいくつかが誕生し、封建領主から自治権を獲得した。つまり知的探求を自己目的的に追求できる空間とコミュニティが、社会的な根城を獲得したわけじゃ。

    人類:「象牙の塔」の誕生という訳ですか。

    文学:その言葉が思い起こさせるものとはかなり違うがの。元々はキリスト教がヨーロッパに拡大した中で教会の官僚化が進み、行政官としての神父を養成する神学部が、それと平行して国家の行政官を養成する法学部ができ、遅れて医者を養成する医学部ができた。それら専門課程に進むには、哲学部とも教養学部とも呼べるじゃろうが、基礎課程としての自由七科を学ぶところを経てから、という仕組みでな。実のところ、教会や国家のヒエラルキーに人を送り込む神学部や法学部は、教会や国家のヒエラルキーからの影響をもろに受けた。

    人類:だったら、どこに「知的探求を自己目的的に追求できる空間」なんてあるんですか?

    文学:だから、ガキが学ぶものだった「自由七科」の教養学部にじゃよ。専門課程では、教えるべきことは政治的、宗教的な伝統・正統に拘束されるが、専門課程にただ「基礎訓練を受けた人間」を送り込めばよい教養課程では、相対的にだが、教育内容の自由度が高かった。教育内容に自由度があれば、そこでは異なる意見とその間で甲乙をつけるための議論とが生まれる。知識は新奇性と多様性を増し、議論は論理性と抽象性を増していく。

    人類:でも、中世の大学の哲学って、あのスコラ哲学でしょ?

    文学:大学は12、3世紀には学位の過剰供給のおかげで、第一次学歴インフレじゃな、入学者を集められなくなって衰退して行く。デカルトたちはもはや大学の中でキャリアを積んで行くことが、もはや有利な生き方ではなくなっていたし、やがて不可能になっていった。しかし、スコラ哲学は、その後に問題にされるような議論はほとんど出尽くすまでに発展していた。新参者は、旧世代に学んで、旧世代の言葉を使って、旧世代を批判しながら登場して来る。デカルトもスコラの学に学んだ。デカルトは、それを一旦は無視したかのようなそぶりで自分たち新世代の学をはじめたが、スコラという巨人の肩の上に乗っておったのも事実じゃ。

    人類:ドイツでも似たようなことが起こったって言いましたね?

    文学:さよう。じゃがルネサンス期以降、知の最前線は、大学の外で、パトロンが支援したサロンや知識人同士の文通が支えたことを先に行っておくべきじゃろう。学者が研究で食えるようになるのは、ドイツ(まずはプロイセン)で「公教育」なる革命が。大学をも含む学校システムを刷新するまでは、到来しなかった。それまでは学者は食うのに働く必要の無い有閑階級に属するアマチュア学者か、僧侶か医者のどちらかに限られた。

    人類:「公教育」って革命なんですか?

    文学:その国の人間なら誰しも教育を受けさせるというのじゃから、革命だ。識字率の変化や読書階層の拡大といった直接的なインパクトは、今は脇へ置いておこう。それよりも、まずは「公教育」という膨大な教育者の需要が生まれたこと、そこに教師を育成して送り込む機関が必要となったことが我々には重要じゃ。

    人類:それって、さっきと同じ哲学部=教養学部がですか?

    文学:そうじゃ。聖職者や法律家・行政官や医者という高度専門職を養成するという既定の役割を担っていた神学部・法学部・医学部は、そんな「下々の子どもにモノを教える」なんて下賎な仕事につく連中の教育係など、やりたがるはずもなかった。そのときも、一段低い位置におかれ、神学部・法学部・医学部へ「訓練を受けた人材」を送る役割を勤めていた哲学部=教養学部が、その任務を担った。哲学部=教養学部の量的拡大はすぐに予想がつくだろう。

    人類:そりゃまあ、そうですね。

    文学:哲学部=教養学部は、教師の育成ばかりか、哲学部=教養学部を担う教授陣の育成にも取りかかる必要があった。哲学部=教養学部そのものを拡大拡張しないと、とても莫大な教員育成のニーズに応えられんからな。この、自らの学部を担う人材を自ら育成できることこそ、哲学や人文諸学が漸くにして自律的に自らを再生産していける道となった。
    人類:なるほど。理工学部に就職した哲学の先生なんか、自分の弟子を育てようが無いから、学問的独身者として死ぬしか無い訳ですしね。

    文学:こうなると、もはや神学部・法学部・医学部へ人材を送ることを二の次にしてもいい。中世の大学以上に、世俗政治からも教会からも切り離された領域が、短期間に拡大した。何を教えるべきか、何を追求すべきか、限定されない知的空間とコミュニティがだ。新しい諸学問を取り入れることも、当時は哲学部=教養学部にこそ可能だった。

    人類:塞翁が馬ですね。

    文学:量的増加と質的拡大は、ポスト競争と研究の生産性を生み、やがて単に量的な面ばかりでなく質的にも肩を並べ、独自に学位を出せるまでになった。博士号を「Ph D.」と呼ぶ習慣は1800年をはさんだ前後40年間の間の、この「革命」に始まるのじゃ。どれだけ多くの学問分野の博士号が「Ph D.」と呼ばれるのかを知れば、多くの科学もまた、この「革命」から生じたさざ波のひとつであることを知るじゃろう。

    人類:って、最近できたインチキな学位以外だと、M.D.(医学博士)くらいしかないじゃないですか。

    文学:哲学部=教養学部はさらに、その実力を持って、旧来の高等教育機関との力関係を逆転させていった。これまで初心者の訓練機関として一段下に見られていた哲学部=教養学部が、今やそれ(ヒューマニティーズ)を頂点とした大学構想をぶちあげるまでになった(フンボルトの理念)。万学を統べる哲学なるイメージは、実際には、こうした時代に局所的に成立したに過ぎん。すぐに、ポスト競争と研究の生産性を生んだ、哲学部=教養学部の量的増加と質的拡大は、内部分裂と組織的分化へと進んで行く。

    人類:なるほど。哲学部=教養学部の過ぎた成功が、ポスト競争から専門分化につながって、ヒューマニティーズを崩壊霧散させたのか。

    文学:が、それにまず気付いたのは、およそ専門分野というものを持たなかったサロンの知識人たちだ。連中は、新しい大学人の研究の生産性に驚愕したけれども、連中と話が通じないこと(大学人たちが文学にも芸術にも通じず、いまでいうところの「専門バカ」であること)にも仰天した。生産性の競争の下では、大学人は生き残るために専門分化を必要とした。もはやサロンでおしゃべりや自作の詩の朗読の合間に自然科学の実験が行われることはなくなりつつあった。

    人類:ドイツのロマン主義って、成功し過ぎた大学システムの反動だって話もありますね。イギリスなんかは、大学改革がずっと遅くて、アマチュア学者が最後まで生き残った、だから、イギリスのロマン主義もしょぼいと。

    文学:だが、成功し過ぎたモデル故に、いまでも専門分化が激しすぎると、ヒューマニティーズに帰れ、フンボルトの理念へ帰れといったような声が叫ばれる。学際的な分野や新分野が教養学部に居場所を見つけたりする。まあ、アメリカだと、いまだにリベラル・アーツ・カレッジというのがたくさんあるが。フリー・スクールどころか、ホーム・エディケーション(学校いかずに自宅で学ぶ)用の教材にも、リベラル・アーツ向けってのがあって人気が高い。

    人類:学際的分野って、既存の学問分野の既得権を侵すし、人間集団は、細かい違いでどんどん分裂していきやすいけど、よほどあこぎな外圧を使わないと再集合はできませんから、うまくいかないんですよ。

    文学:それ以前に、今こそ大学生や院生が溢れていて、学歴インフレもいいところじゃが。
    人類:じゃあ歴史は繰り返すとすると、もうすぐ大学へ行く人間が減って、またサロンが流行るのかな? 今じゃ、ネットがありますしね。

    文学:googleがあればアルキビストは要らんか。ではカート・ヴォネガットのいう「坑道のカナリア」か? ガスや酸素不足の空気を検知するセンサーが無かった頃、鉱夫たちはヒトよりもっと弱く先に卒倒するカナリアを連れて坑道の中を進んだ。カナリアが倒れたらヤバい、引き返そうという訳だ。

    人類:今時の人文学者や作家がセンサーになるほど敏感だとはとても思えませんよ(むしろ「終わってる」ことに最後まで気付かない人たちじゃないですか、平野啓一郎とか)。そんな役目ならブロガーで十分です。

    文学:確かに引き返す術が見当たらんのなら、意味はないかもしれんがな。





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