学際領域の受け皿としての人文学や、人文学の自然化(Naturalized クワインがいう意味での)や数理化を論じる前に(そして自然科学の安易な人文学化を指弾する前に)、人文学に現に起こっている事例を紹介したい。

     医学教育の歴史上はじめて、専門科目として人文学Humanitiesが教えられるようになっている。少なくとも英語圏では1990年代以降、医学教育の枠組みの中にしっかりと制度化されて来ている。
     「文学と医学 Literature and Medicine」や「宗教と医療 Religion and Medicine」「芸術と医療 Art and Medicine」は、「医学史(History of Medicine)」、医学哲学(Philosophy of Medicine)」などとともに、医師としての臨床能力を向上させるための専門科目として設けられている*1。

    *1 足立 智孝(2009)「Medical Humanities教育について―登場背景と教育内容」『Bioethics Study Network』 Vol.8, No.1.


     医学教育に人文学を取り入れることは、これに先鞭をつけたアメリカでは1960年代から試行錯誤が続けられて来たが、たとえば「文学と医学 Literature and Medicine」という科目は、1994年にはアメリカのメディカルスクールの1/3で教えられていた。これが1998年には3/4(125校中93校)となるまでになり、四割近くのメディカルスクールでは必須科目とされるに至っている*2。

    *2 鈴木 晃仁(2006)「医学と英文学(1)臨床医学の物語的転回」『英語青年』 152(1), 25~27.

     こうした動きは、医学や医学教育といった《狭い》領域にとどまる出来事ではない。少なくとも一部の人文学者(とりわけ文学研究者?)が「役に立たない」ことを誇りとして来たように見受けられるのに対して、医学という実用度の高い領域に接続されることで、人文学は「役に立つかどうか?」という古くて新しい問題を突きつけられている。


     ある時期まで、Medical Humanitiesは、主として分析哲学系の倫理学者と、先端医療についての規制を考える法律家たちが主導する、生命倫理学の果実であった。
     しかし実際に人文学者が医療教育の現場に放り込まれ、医療専門家たちとの間で大小の摩擦を引き起こす間に、医療現場をフィールドワークしてきた長い蓄積の上に、人文学と医学に共通する(あるいは人文学と医学とで共用できる)概念装置として「ナラディブ」が浮かび上がって来た*3。「医学の物語的転回Narrative Turn」の古典とされるKathryn Montgomery Hunter (1991),Doctors' Stories: The Narrative Structure of Medical Knowledge.は、病院でのフィールドワークに基づき、医者と患者の姿と相互交流(インタラクション)を描き、医療がその根本において言語的な、さらに物語的な行為であることをシンプルかつインパクトのある形で示してみせた。このように医学が捉え直されると、(少なくとも)臨床医学と人文学は同型性や同根性を持つ、二つの非常に近い領域となる。

    *3 本当ならその前に、社会科学が経験した(文学との間に同型性や同根性を発見する)物語的転回Narrative Turnや、その歴史学ヴァージョンともいえるニュー・ヒストリズムについて、さらにいえば自然科学におけるNarrativeの果たした役割についても、触れるべきだろう。(たとえばG. Beer(1983), Darwin's plots : evolutionary narrative in Darwin, George Eliot and nineteenth-century fiction.=邦訳:ジリアン ビア『ダーウィンの衝撃:文学における進化論』)。残念ながら、準備してないので割愛する。
     なお「ナラティブ」というキーワードで書名検索をかけると、日本では、物語論や文学研究の書籍はヒットするものの、全体に占める割合わずかであり、8~9割が医学系の書物である。



     たくさんの疑問を残したまま、このエントリーを閉じようと思う。
     いや、各論に突っ込むには、まだ準備不足だからだが。


    Medical Humanitiesについて、

    まずWeb上のリソースとしては
    ニューヨーク大学メディカルスクールのMedical Humanitiesのサイト
    http://medhum.med.nyu.edu/
    に、各メディカルスクールのシラバスや、医学用語や病名などから引くことのできる、文学、絵画、映画などのデータベース、関連文献のデータベースなどがある。


    実際のカリキュラムについては、それぞれのメディカルスクールのサイトが参考になる。たとえば、以下の以下のサイトを参照。
    Pennsylvania State University Medical College at Hershey  http://www.hmc.psu.edu/humanities/
    University of Texas Medical Branch at Galveston  http://www.utmb.edu/imh/
    Stony Brook University School of Medicine  http://www.sunysb.edu/bioethics/
    College of Physicians and Surgeons, Columbia University http://www.narrativemedicine.org/




    (関連記事)

    サルでも分かる人文科学/社会科学/自然科学の見分け方(分割図つき) 読書猿Classic: between / beyond readers サルでも分かる人文科学/社会科学/自然科学の見分け方(分割図つき) 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加

    自然科学は激高する/科学について論じることは、なぜ科学者の逆鱗に触れるのか? 読書猿Classic: between / beyond readers 自然科学は激高する/科学について論じることは、なぜ科学者の逆鱗に触れるのか? 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加

    社会科学は言いよどむ/社会科学者は、なぜ「方法」ばかりを論じるのか?(上)ナイーブ編 読書猿Classic: between / beyond readers 社会科学は言いよどむ/社会科学者は、なぜ「方法」ばかりを論じるのか?(上)ナイーブ編 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加

    社会科学は言いよどむ/社会科学者は、なぜ「方法」ばかりを論じるのか?(下)リカーシブ編 読書猿Classic: between / beyond readers 社会科学は言いよどむ/社会科学者は、なぜ「方法」ばかりを論じるのか?(下)リカーシブ編 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加

    人文科学はきえていく/そしてヒトはどこへいくのか? 読書猿Classic: between / beyond readers 人文科学はきえていく/そしてヒトはどこへいくのか? 読書猿Classic: between / beyond readers このエントリーをはてなブックマークに追加





    Doctors' Stories: The Narrative Structure of Medical KnowledgeDoctors' Stories: The Narrative Structure of Medical Knowledge
    (1993/03/01)
    Kathryn Montgomery Hunter

    商品詳細を見る


    Darwin's Plots: Evolutionary Narrative in Darwin, George Eliot and Nineteenth-Century FictionDarwin's Plots: Evolutionary Narrative in Darwin, George Eliot and Nineteenth-Century Fiction
    (2000/02/28)
    Gillian Beer

    商品詳細を見る


    ダーウィンの衝撃―文学における進化論ダーウィンの衝撃―文学における進化論
    (1998/05)
    ジリアン ビア富山 太佳夫

    商品詳細を見る


    Teaching Literature and Medicine (Options for Teaching)Teaching Literature and Medicine (Options for Teaching)
    (2000/01)
    不明

    商品詳細を見る


    医療倫理学医療倫理学
    (2004/04)
    丸山 マサ美

    商品詳細を見る


    ナラティブ・ベイスト・メディスンの実践ナラティブ・ベイスト・メディスンの実践
    (2003/07/14)
    斎藤 清二岸本 寛史

    商品詳細を見る
    関連記事
    Secret

    TrackBackURL
    →http://readingmonkey.blog45.fc2.com/tb.php/225-1a6322a0