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     あなたは旅の予定を変更し、ある地方都市の端にあるインターチェンジで高速道路を降りる。

     この街には、古くて耐震性に不安のあった旧図書館を建て直し、新しくできた図書館が数年前に開館していた。
     あなたが世話になった、あの初老の司書が移った図書館だ。

     開館時間の長い現代の図書館は、シフト制で運営される事が多い。
     あなたは、あの司書に連絡を取らなかった。
     日程が空けられるのは今日だけだった。たまたま彼の非番の日にあたるかもしれないが、事前に知らせて、彼に都合に合わせもらうといったことは、なんとなくだが、したくなかった。

     それに彼が休みでも、開館日ならば、彼がつくった棚を見ることができるだろう。
     旧図書館から引き継ぐ本は多いし、公立図書館なら、配列法はどこでも日本分類コード順だ。それでも、彼が選書に関わり、配列に関わった棚からは、何か物静かだが雄弁に語っているようなところがある。
     「個性」などと言えば、彼は首を振り、それはライブラリアンの矩(のり)を超えたこと、と言うだろう。

     彼はかつてこう言っていた。
    「公共図書館は、誰もが利用できる場所です。そこでの配架は、標準的なものでなければなりません。予想を裏切らないこと、いつも期待通りに並んでいることが必要です」

     あなたもまた、その意見に同意する。

     しかし、それでも、彼が関わった図書館は見分けが付く、とあなたは思う。
     長い間、あの初老の司書と出会った図書館に通いつづけて、最初はうすぼんやりした印象でしかなかったものが、今や確信に変わっている。
     あそこは、どこにでもある図書館ではない。

     いや、「どこにでもある図書館」など、もともと存在しないのかもしれない。

     果たして、彼はその日休みだった。
     もちろん残念だが、一方で、あなたは少しほっとしている。
     押しかけるようになってしまっても、彼はあなたを歓迎するだろう。しかし、あなたは、そんな彼と何を話せばいいのか、改めて考えると言葉がつまってしまう。

     本棚は寡黙だ。しかし声を使わぬだけで、いろんなことを語ってくれる。今回はそれで満足しようではないか。

     ひとつひとつ、あなたはすべての書棚を見て回り、並べられた本のタイトルを黙読した。
     あなたは彼が言っていた言葉を思い出す。

     「司書は、書籍だけでなく、それを手に取る人たちのことをよく見ておかなければなりません。図書館を訪れる人たちの中で、レファレンスカウンターに立ち寄られる方は5%にも満たないのです。ほとんどの方は、直接本棚に向かわれる。つまり、本棚が、そこでの書籍の配列が、私どもに替わってレファレンスの役目を果たさなくてはなりません。

     来館者がキーワード検索で見つけたと考えている本のすぐ隣か、少なくとも数冊を隔てたところに、もっとよい文献が発見できるようにするためには、何が必要でしょうか?

     まず本棚と本棚の間は詰めすぎてはいけません。それは来館者の棚を見る視野を狭くしてしまいます。

     そして選書は、何を購入するかだけでなく、何を開架するかも含めて行なわなくてはなりません。出版から一定年数過ぎた本は等並みに書庫へ入れるというのでは、本棚に並ぶラインナップはいびつになります。古くてもその分野の基本文献の中から、これだけはというものを開架に残すようにします。

     教科書や概説書、それに学説史を解説したものは、きわめて重要です。それは憚ることなく、一般書の棚に並べることのできるレファレンス書です。もちろんその内容、カバーする範囲、読みやすさなどは、すべて考慮され吟味されなくてはなりません。そして、できれば2冊用意し、1冊は本来の場所へ、あとの1冊は「帯出禁」として分野の先頭へ置いて「区切り」の役目を担わせます。

     子供向けの書籍やMOOK本にも同様に使えるものがあります。これらはリファレンス・カウンターにも置きます。大部な統計書よりも、岩波ジュニア新書の1冊が役に立つことがあるのです」
    「おっしゃることは分かります。しかし、ものすごく手間がかかるのでは?」
    「その通りです。図書館の規模に合わせて、私どもの能力も拡大すればいいのですが。もとより、人の為す技に完全ということはありません。しかし、理想を語りあうことは無駄ではありません。たとえ手が届かなくとも、それを眼前にすえるだけで、物事は、人の行動は、変わります」

     その言葉にあなたは同意する。

    「手をかけてやればやるだけ、本棚は輝きます。その輝きは、探す人々の足元を照らし、時に励まし、時に誘(いなざ)うのです」


     その時だった。

     あなたの回想は、ある怒りを含んだ声に中断した。

     怒号の中に、最近話題になったベストセラー小説のタイトルが混じる。
     貸出しカウンターの方だ。
     切れ切れに届く言葉をつなぎ合わせれば、大人気のその小説には、すでに100人を超えるウェイティング・リストがあり、叫ぶご婦人は今リクエストしても、借りられるのはずっと先になるらしいことまでは分かった。

     図書館によっては、そうしたベストセラー本を何冊も購入するらしい。
     確かにウェイティング・リストは短くなるだろう。
     一方で、図書館の貸し本屋化との批判もあるという。
     
     あなたはしばし立ち止まり、カウンターで交わされる口論に耳を傾けている自分に気付く。
     いや、これでは、まるで立ち聞きだ。
     かすかな罪悪感を感じながら、あなたは足を図書館の出入口の方へ向ける。
     当然ながら、そのコースは貸出しカウンターの前を通っていくことになる。
     近付くほど、いたたまれない気持ちが強くなるのを感じながら、あなたはゆっくりと歩いていく。
     
     のろのろと進むあなたの歩みを、誰かの軽い足音が抜いていった。

    「!」

     実際は床に敷かれたカーペットのおかげで音などしないのだが、あなたは自分を追い抜いていった足音の主が誰かを知り、仰天する。
     彼は、まっすぐ貸し出しカウンターに向けて進んでいった。

     「どうかなさいましたか?」
     彼は、憤懣やるかたないといった感じの女性に声をかける。
     カウンターの後と前で、一瞬、声と動きが止まった。
     
     彼はもちろん事態を完全に把握しているのだろう。
     なめらかにこう話し始める。
     「なるほど。この本ですか。人気はいまだ冷めやらず、といった感があります。偶然ですが、私もつい最近読み終えたばかりです」
     彼はこう言って女性と、彼女がきつく手を握って話さない小学生3、4年生くらいの男の子を見た。
     そして、こう続けた。
     「私どもは司書です。人と本とが出会う機会をつくるのが仕事です。
     ですが、失礼ながら、お求めになっている本は、図書館で読む本ではないと存じます。
     この図書館の貸し出し期間は2週間です。その本を100人の方が借りたいと言って来られるとしましょう。200週間、つまり100人目の方が借りることができるのは2年先になります。
     乏しい経験から申し上げますが、今ベストセラーになっている本が、2年後にも人気を保っていることは、そうあることではありません。1945年以降の日本でいうなら、尾崎秀実の『愛情は降る星のごとく』、『夏目漱石全集』、そしてマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』だけです。これらは不朽の名作と申し上げてよろしいでしょう。
     無論、別の手立てもございます。求められるままに、その本を100人のリクエストなら100冊購入すれば、2年待ちなどという異常な事態は回避できるでしょう。
     ですが、そのために、未来に残すべき他の100冊を失うことになります。
     私どもは、現在の来館者のみならず、未来の来館者にも責を負っているのです。このことは、この図書館に所蔵されている書籍が教えてくれます。
     ここが所蔵する最古の本は170年前のものです。基本的にこの図書館は、ひとたび所蔵した書籍を手放すことはありません。何時いかなるときに、それを必要とされる方が訪れないとも限りませんので。しかし……」

     彼は男の子を見る。いや、視線はずっと母親の方に向けられていたが、途中から声のほうはこの少年に説き語っていたように、あなたには感じられた。

    「……読みたいと思った時が、その本を読む最上の時です。それは二度と訪れないかもしれません」

     彼は手品師がハトでも出すように、どこからか本を取り出し、少年の手にそっとそれを置いた。

     「私が読み終えた本です。一つだけ約束を。その本を読み終えたら、誰かそれを読みたいと思っている人に渡してください。いいですか?」
     少年は強いまなざしでうなずく。
     「結構です。ご気分を害されたこと、深くお詫びいたします。しかし、私は今日は休みを取っているのです。今のおせっかいは、どうかご内密に。何冊も入るほど、私のポケットは深くありません」


     母子が去り、あなたは彼、なつかしい初老の司書のすぐ後ろまでやってきた。
     司書は肩をすくめて振り返る。
    「なんという間の悪さでしょう。お恥ずかしいところをお見せしました」
    「今日は、お休みだったのでは?」
    「そうです。ですので、好きな場所で自由に時間を過ごしていたという訳です」
    「いつも、ベストセラー本を用意されているのですか? その、さっきみたいに」
    「ご冗談を。今のは全くの偶然です。ああ、演説もどきも含めてです。私が本を渡した男の子、彼こそがあの本を熱望する本人だったという訳です。すぐにわかりました。彼がいなければ、さっきのような立ち回りも口上もあり得ません」
    「でも何故?」
    「後ろからでは、よく見えなかったのでしょう。彼は本ものです。必ずや、この図書館のヘビーユーザーになってくれます。次に来るときは、もう母親に手をつながれてはいないでしょう。そして、あの作家が書いたすべての作品が、この図書館に揃っていることを発見するでしょう。彼が大人になる頃には、背表紙のある本など絶滅しているかもしれませんが、本を読む人間がいる限り図書館は死にません」




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