少女:ねえ。

    少年:授業中だろ。

    少女:聞いてなんか無いくせに。

    少年:それとは別の話。

    少女:竪穴式住居って、江戸時代まであったの?

    少年:聞いたことあるけど……建築家の間のフォークロアだと思ってた。

    少女:フォークロアって何?

    少年:フォーク(民間)+ロア(伝承)。

    少女:……つまり信じてないのね。

    少年:調べないと分からない。

    少女:信じなかったから調べてないんでしょ。

    少年:そうだよ。

    少女:だったら、決まりね。

    少年:決まりって何が?

    少女:調べるのよ。放課後、付き合いなさい。

    少年:教師に聞けよ。今、ちょうど歴史の時間なのに。

    少女:自重しなさい。授業中、先生を泣かすのは1年に1回まで。

    少年:うーん。……放課後まで待つことないよ。昼休み、図書室へ行こう。




    少女:学校の図書室なんて、って言ってなかった?

    少年:言った。でも、百科事典くらいならある。

    少女:百科事典で解決するの?

    少年:しない。でも、探しものはここからやる。基本なんだ。……ほら、『世界大百科事典』(平凡社)。

    少女:ここね。『竪穴住居。……地面を直接掘りくぼめて床とし,そこへ屋根をかけた半地下式の住居。穴居生活の跡として考えられていた横穴に対して,1800年代の終りころに名付けられた。この種の住居は,夏は涼しく,冬は保温に富み暖かである利点がある反面,土間が湿潤になりやすい欠点がある……』。

    少年:もっと先。『日本』って項目があるだろ?

    少女:うん。『日本の旧石器時代の住居は,洞窟や岩陰など,自然の覆屋を利用したが,多くの人々は,丘陵や段丘上の平たん地に小屋を建てて生活していた。平地に小枝を環状に配して浅く地面に突き立て,上方でまとめて円錐形の骨格を造り,草や土で覆ったのがこの時代のすまいで,これらも平地住居とよばれる。このような住居は,約8000~9000年前ころ,土器を使う縄文時代早期に入ってもなおすまいの主流であったが,これを発展させ,床面を掘り下げて屋内空間を広げ,より安定した構造をもつ竪穴住居も建ち始め,しだいに多くなる……』。

    少年:『……竪穴住居の全国的な普及は古墳時代末までで,6世紀ころからまず畿内先進地域の集落は,竪穴住居から掘立柱住居に変わる(掘立柱建物)。この変化は西日本では急速に広まるが,東日本では,中部・東海地方は8世紀,関東地方は10世紀ころ,東北・北海道の寒冷地帯や中部山岳地帯は13世紀ころまで竪穴住居の集落がみられる。』。

    少女:もう!読んでるのに。……なによ、知ってたの?

    少年:今の項目は、同じ平凡社の『日本史大事典』の《竪穴住居》の項目と、同じ執筆者、同じ文章なんだ。平凡社の事典には、けっこうあることなんだけど。

    少女:ふーん。でも、とにかく13世紀まであったことはわかったわ。あなたもここまでは調べたことがあったのね。

    少年:あと、『國史大辭典』(吉川弘文館,1979-1997)と『建築大辞典』(彰国社,1993)は見た。『建築大辞典』の方には、『日本においては少なくとも縄文時代に現れ、少数ながら江戸時代初期まで存在した住居形式の一』と、一行目からあっさり書いてあった。

    少女:建築の辞典なのに、信用しなかったの?

    少年:そうじゃなくて、そっちは参考文献も執筆者も書いてないから裏の取りようがなかったんだ。『世界大百科事典』と『日本史大事典』の《竪穴住居》の項目は、同じ文章だといったけど、『日本史大事典』の方は参考文献が出てる。論文が2本と本が1冊。本は石野博信『日本原始・古代住居の研究』(吉川弘文館,1990)。これには時代別×地域別に、竪穴式住居の平面図を並べて1つの表にまとめたものがついてる。

    少女:見たいわ。

    少年:じゃあ、放課後、図書館だな。……先に言っとくけど、その表も、ぎりぎり鎌倉時代の遺跡が少し載ってるけど、そこでおしまいだよ。

    少女:どうして?

    少年:はっきりとは分からないけど、室町時代くらいになると、当時の集落や街は、今でも集落や街になってて、遺跡が見つけにくいし発掘もしにくい。京都みたいに市街地にぜんぶ網をかけて、建て替えとなれば必ず文化財調査する街なら別だけど。

    少女:考古学の辞典を調べなかったのも同じ理由?

    少年:縄文時代の竪穴住居についてだったら調べたと思う。でも、江戸時代なんて、考古学がカバーする時代じゃないんだ。




    少女:この本……すごく、おもしろい。ここまではたどり着いたのに、あきらめたのね。

    少年:あきらめた訳じゃなくて、興味をなくしたんだ。

    少女:わたしは逆に興味をかきたてられたわ。20年も前の本だもの。その間に発掘や研究だって進んでるかもしれないし。

    少年:そうだね。

    少女:……手伝ってくれそうな雰囲気じゃないわね。いいわ。先生に話して手伝ってもらうから。

    少年:あー、さっきレファレンス・カウンターを覗いたけど、今日は休みみたいだよ。

    司書:おやおや、楽しそうですね。

    少女:あ、先生! こんにちは。

    司書:こんにちは。おや、浮かない顔をしてる人がいますね。

    少年:先生、休みじゃなかったんですか。

    司書:だから、好きな場所で自由に時間を過ごしているところです。そういえば、あなたと初めて会った日も、そうでしたよ。

    少年:うーん。

    司書:何か探し物のようですね。仲間に入れてもらえますか。

    少女:もちろんです! 今まで調べたことを、お話しますね。




    司書:なるほど。これは興味深い。よい教訓(for future reference)になりそうな事例です。そういう予感がします。さて、何から手をつけますか?

    少女:ええ。まず考古学の辞書を見てみようかと。

    司書:それがいいですね。予断なく、思いついたすべての可能性に当たるべきです。
     ネガティブな結果が予想されたものも、とにかくそれを探してみるかと思いついた、その「事実」に敬意を払うのです。
     大抵は当初思った通りに大した手がかりは得られないものですが、時には思わぬ発見があります。いや、「思わぬ発見」はそうした場合にこそ、起こるものです。

    少年:そういうものですか?

    司書:ええ。巡り巡って、結局最初に否定した選択肢が糸口になったことが何度もあります。そういう「失敗」を何度もしました。何度も読み通した普段づかいの辞書に最良の手がかりがあるなんて、と。
     自分の調査の範囲がどんどん広がっていく時期こそ、見落とすものです。
     何事でもそうですが、いくらかの手応えが得られ、自信と自負が生まれる頃が一番危うい。しかし、その危険こそ、次なる段階へ進む機会を与えるのです。
     おや、早速彼女が何か見つけたようです。


    少女:ねえ、これ! さっき見た宮本長二郎さんが書いてるんだけど。

    司書:『日本考古学事典』(三省堂,2002)ですね。……なるほど、いましたよ、青い鳥が。

    少年:えっ?

    司書:この辺りは、おもしろそうなものが多いですね。『図説江戸考古学研究事典』(柏書房,2001)なんてどうです?

    少女:江戸時代の考古学なんですか?

    司書:そうです。従来、室町時代の市街地と現在の市街地とが重なり合う関係から、近い時代の考古学的研究は難しいと言われていたのですが、戦国時代が終わり、群居割拠の時代が過ぎて、徳川幕府は、大量の城を遺棄させる政策を取ります。城は諸国大名の軍事力ですからね。おかげで城がうち捨てられ、城下町は各藩にひとつといったことになりました。近年、このうち捨てられた城跡が盛んに発掘されています。古代から近世に至るまでの、長い期間の遺跡が何層にもなって出てくることが珍しくないそうです。

    少女:『日本考古学事典』にも、城屋敷跡から竪穴住居が発掘されている、と書いてありました。16世紀とか17世紀のものもあるみたいです。長野県の飯田城跡遺跡は名前が出てたけど、あとは東北地方とだけ。

    司書:そこまで分かれば、初動調査としては上出来です。ここから捜索ルートはいくつかに別れます。
     その1は、ここでも「竪穴住居」の項目を執筆した宮本長二郎氏の執筆したもの、著作や論文を探すことです。
     その2は、近年発掘された全国の城跡遺跡に竪穴住居がないか調べること。最近は多くの自治体が地域で行なわれた発掘調査の報告書をインターネット上で公開しています。「城跡遺跡」「竪穴住居」あたりを検索語にして検索すれば、何か見つかるかもしれませんね。

    少年:その3は何ですか?

    司書:東北地方のすべての県立図書館に調査依頼を出します。近世以降のものと思われる竪穴住居を含む発掘調査が貴県で行なわれていないかどうか、と。

    少女:ええっ!

    司書:この種の調査こそ、地元の図書館の得意分野です。遠方から自分たちの街について問い尋ねられて、喜ばない図書館はありません。
     そして県下の市町村で行なわれた発掘調査の報告書は必ず県立図書館にも収められます。税金で行なった調査です、誰もが手に取れるように、そうするのは当然です。
     万一、県立図書館になくとも、遺跡を持つ市町村の図書館へさらに問い合わせが行なわれます。

    少女:大掛かりですね。

    司書:そうです。でも、すべて図書館がなすべき仕事です。
     たとえばこの図書館は県民の税金で運営されていることになっています。しかし、誰からの問い合わせであっても、それが知りたい。という真摯な好奇心から来るものであれば、全力を持って応じるでしょう。私たちが仕えるのは、「知りたい」という好奇心に対してだけです。
     なぜなら、私たちが保管している書物に収められた知識は、「知りたい」という好奇心と出会い触れる時にだけ、息を吹き返すからです。
     何年、時に何千年を待とうとも、こうして知識に血が通い、新しい鼓動が始まります。






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