トレーニングの後で、脱皮=皮を脱ぎ捨てたかのような体験を味わいたいなら、「暗写法」に勝るものはない。

     アルファベットもおぼつかない子供が、英語の教科書を写して教室に持って来るが、あれとはまるで違う。

     覚えているくらい親しんだテキストを使おう。
     すでに、引けるだけ線を引き、思い付く限りの書き込みをし、「血肉になった」と自分では思っているテキストほどいい。

     やり終えた後、愕然とすること、請け合いだ。


     方法は言うまでもない。
    テキストを見て、覚えて、ノートに書き写す。
    これだけだ。

     注意点がいくつかある。

    (1)見ながら写さないこと
      一度、テキストを読んで頭に蓄えてから、テキストは見ずに頭にあるものを紙に向かって書き出すこと。
      「暗写法」とは「暗唱+書写」のことだ。
      最初は1センテンスでいい。慣れると1~数パラグラフずつ、やれるようになる。
      見ながら写す作業は、慣れて来ると(とくに「ひたすら」やっていると)、アタマを介さずにできるようになる。いわば自動書記状態になると、折角の内容がアタマをスルーしていくので、これを避けるためである。

    (2)間違えたところを消さないこと
      アタマがつまずいたところは、必ず痕跡を残すこと。
      間違いは消さずに、棒線を引いて、書き直す。
      写し間違いは、ただ注意不足から生じるだけではない。
      テキストの言葉と、自分の言葉との間に起こる軋轢からも生じる。
      スムーズに読み進めているときほど、テキストを自分の言葉に変換して(ねじ曲げて)読んでいる。
      書き写しの間違いは、それをあからさまにする。
      十分に理解していると思っている箇所で、テキストの言葉がねじ曲げられまいと身悶えするのを発見するだろう。
      普通なら素通りするような言葉が、信じられないほどの重みを持ち、思っても見なかった意味と機能を担っていることに気付くのは、こうした箇所においてである。
      著者の息づかいを聴き、断定の果ての逡巡を感じることができるのは、この時をおいてない。

    (3)すべてを写すこと
      1冊でも、1編でもよいが、ひとまとまりのテキストの最初から最後までを写すこと。


     あるテキストを正確に書き写すことは、思うほど容易なものではない。
     正確にテキストを「観察」できているか、どれほど「理解」できているか、そしてどのように「誤解」しているかまで、書写は「映し出す」だろう。
     知性を鍛え上げるハード・トレーニングのうち最強のもののひとつだが、なんとか1冊の古典を写し終えたなら、見違えるほどに変わっている自分に気付くはずだ。

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