何のためにテキストに傍線を引くかといえば、一見フラットに見えるテキストの「表面」に凹凸をつけるためだ。

     傍線を引くことで、テキストのある部分が浮きあがり、他の部分は、いわば「背景」に退く。

     一番多い使い方は、テキストの中に、覚えておきたい箇所を見つけたとき、見失わぬように印をつけるものだろう[リマインダーとしての傍線]。

     しかし、この「浮き上がらせる」傍線は、もっと様々な用途に応用が効く。

     おそらく一番単純で、効果が分かりやすい例は、長すぎる修飾節をなんの工夫もないまま、ずるずる並べた翻訳文(あるいは翻訳調の文章)に、傍線を引くことで、その贅肉を削ぎ落とした意味・関係を浮かび上がらせるというものだ。[読解・抽出のための傍線]

    (例)
     ハイデガーも、ヤスパースやサルトルその他の思想家とともに、実存哲学者のうちに数え入れられているが、実存が人間の一つの在り方を示すものであるかぎり、もともと実存哲学が人間の根本課題とする人間中心主義だとすれば、人間をも一つの存在者とみなし、存在者とは術語的に区別された存在を根本課題とするハイデガーの立場は、けっして実存哲学にあるとは言いえず、存在者の存在を問題対象とするものとして、存在中心主義にあり、文字どおり存在論にあると言うべきである。


     「悪文」のうちの半分は、これだけでも、随分と読みやすくなる。
     傍線部分を抜き出し、整理しておこう。

     ヤスパースやサルトル→実存哲学→人間中心主義
     ハイデガーの立場は→存在中心主義


     また、とりつくしまのないように思える、硬質(硬い・難い)のテキストには、傍線を引くことで「手足」をかけるための「穴」を穿とう。

     見出し、小見出しから、推定できる「この箇所は何について書かれているか?」の答をテキストの中にさがして、傍線を引く[トピック抽出のための傍線]。

     「結局、○○(トピック)がどうだというんだ?」の問いの答をさがす。線を引いた部分を含む文章や、その後ろのトピックを指す大名詞を含む文章に、多くの場合、答がある。

      1冊を1枚にする技術 読書猿Classic: between / beyond readers
     

     
     傍線やマーカーを色分けして、「浮き上がり」の種類を増やすこともできる(斉藤孝の3色ボールペン(まあ大事なところに青の線、すごく大事なところに赤の線、おもしろいと感じたところに緑の線)や、石川秀樹の6色マーカー(定義=ピンク、仮定=水色、分析=黄色、結論=オレンジ、緑=現実に妥当する部分(長所)、紫=現実に妥当しない部分(短所)))。

     複数の色を使う場合には、線を引く部分を「分別」する必要が出てくる。このことが「深い処理」を必要とし、テキストの理解と記憶を促進させる。
     また主観と客観、重要度の違い、文章で果たしている機能の違い、などに応じて線を分けて引くことは、「注意深い読者」となるために役立つかもしれない。

     しかし、ご用心。

     線の種類を増やすと、線を引く分量が自然に増えてしまう。
     その誘惑のままに、より多くの(最悪、ほとんどすべての)箇所に傍線(あるいはマーカー)を引いてしまうと、傍線のインフレーションが生じてくる。
     傍線の「価値」は減価し、傍線を引いた箇所は浮かび上がらず、背景に埋没してしまうだろう。

     読解力を底上げするブースターと割り切り、線を引けるだけ引くのもひとつの手だ。
     

     でなければ、傍線は少ないほど、効果が高い。




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