独学者も、そうでない人も、ひとり、あるいは(できれば)ふたり、これぞという著作者を見つけ、私淑することをお勧めする。
     これは現実に師匠がいない場合は無論のこと、いる場合でも、だ。

     私淑するには、全集を通読するのが、結局のところ、近道だ。
     その人の、生と知を丸ごと受けとめること、その高みと限界を知ることは、挑む者を大きく変える。
     人は、ここにおいて、大きく知の世界へ踏み切る。
     

     ひとりの著作者について、その人が書き残したもの「すべて」読むことは、人文学(ヒューマニティーズ)のアルファでありオメガである。

     これは確かに「入り口」「第一歩」に過ぎないが、一方でおよそ読むことに関するスキルのすべてを投下して、当たらなくてはならない仕事である。
     
     全集は、その著作者が書き残したものを、ただ単に集めて何巻かにまとめただけのものではない。
     多くの場合、編集時点での、著作者に関する研究成果の集大成でもある。
     全集につけられた注釈は、その時までの研究の成果が反映しており、まずはおさえておかなければならない事項が触れられている。そして、自分が注をつける際にも手本となる。
     全集の付録には、著作者の略年譜がまとめられる事が多い。
     もうひとつ、多くの場合、索引がつけられるところも重要だ。
     
     著作者は、生きている限り、自分の著作を何度となく書きかえることがある。
     通常、雑誌などに掲載された初出版と、のちに単行本などに載せられた版とは異同があることが少なくない。
     著作者も人間だ。
     誤る事もあれば、歳月を積む間に変化したり、進歩したりもする。
     かつての著作に手を加えるのは、あり得る事だ。
     従来、全集には、生前の最終版だけが「決定版」として収められる事も多かった。しかし、新編の柳田國男全集のように、初出を載せ、その後の変更点を、付け加えていく方式を取るものもある。
     著作者の変化・進歩もまた、重要だと考えられるからだ。


     全集を読むに当たっては、これまで触れてきたスキルのすべてが動員される。
     そして、動員されたすべての方法が、全集を読み抜いていく間に、否応なくブラッシュ・アップされる。
     一度、全集を通読した人は、本を読むのに必要なすべてを身につけている。
     速く読むことも遅く読むことも、浅く読むことも深く読むことも。そして、メモを取ること、線を引くこと、自家製の索引をつくること、書き写すこと、暗唱すること、注をつけることも。

     その後の読書生活において、彼は、それらすべてを駆使することができるだろう。



     但し、すべての著作者について、全集・著者集が編まれている訳ではない。
     むしろ全集・著者集があるのが例外的であると言っていい。

     近現代の日本の著作者については、神奈川県立図書館が
    『グレート・ワークスの世界』http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/denshi/g_works/g_works.htm
    として、全集・著作集のある41名を解説・解題書誌付きで紹介している。

     手始めに、このうちの誰かの全集・著作集を図書館で借りてみてはどうだろう。
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