--------「俊明、何事にもすべて泣かざりければ、犬目の少将といわれけるぞ」(『十訓抄』)

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     邪眼と犬目は、ともに禍いをもたらすとされますが、その「機能」は正反対だと考えられます。

     イタリアでは、邪眼のために絵画の絵の具がはげ落ちると言われており、そのために美術館では、絵を5秒以上見つめることを禁じています。
     おそらくは、邪眼に見つめられた人も、同じ作用を被るというのでしょう。
     見ることが何か、相手を傷つけるほどのものを「被視体」に与えること----邪眼の「機能」はここにあります。

     それに対して犬目とは、涙を欠いた眼のことです。
     その意味では、水に満たされた我々の眼球よりむしろ、その名の通りに内部が「空洞」なカメラ(写真機)により近しいのかもしれません。
     その空隙を埋め合わすがごとく、犬目は「被視体」から何かを(例えば見つめられた者の魂を)受け取る、あるいは奪い取ります。
     

     古代ギリシャの人々は、「見る」ことについて、大きく分けて2つの理論を持っていました。
     ピタゴラス派やプラトンは、対象(物体)を捉えようとして、線やら光やら力やらが、眼から対象(物体)に向かって送られるのだと考えていました。
     後に外送理論と呼ばれることになるこの考えでは、視覚作用を示す「矢印」は、眼から外側へ向かって描かれることになります(「与える」視覚理論)。

     もうひとつ、それとは逆の矢印を描く人たちがいました。
     古代原子論者たち、デモクリトスやエピクロス(「エピキュリアン」と、今日間違って伝えられている学派の祖にあたる人です)が採った理論(内送理論)では、対象(物体)から眼に向かって、何かが送られてくるのだと考えました。
     今度は「矢印」は眼の方に向かって描かれ、視覚とは眼が対象から(何かを)受け取る作用と考えられることになります(「受け取る」視覚理論)。


     邪眼派のプラトンと、犬目派のエピクロス。


     視覚の外送理論(邪眼派)と内送理論(犬目派)は、ただその「矢印」の向きにおいて対立し合ってる(正反対の立場をとっている)のではありません。
     両者は問うているものと問いかけている場所自体が異なってもいるのです。

     視覚の外送理論(目→対象)は、我々(精神)の《能力》としての視覚がどの程度のものであるか、つまり見ることはどの程度に可能なのかを、問うことになります。
     遮蔽物の向こうを我々が見ることができないのは、我々の目から対象へと向かってのびる線や力が、その遮蔽物に邪魔されてその向こうへは行くことができない(不可能)からです。
     遠くのものを見ようとしてもぼんやりとしか見ることができないのは、我々の目からのびる線や力が力つきるから、それだけの力しか有していないからに他なりません。


     ここには、哲学史にいうところの認識論----我々の知の限界と限定とを問う問い----への端緒があります(あるいは「哲学の卵」とでもいうべき「知についての考察」が)。
     他の何者でもない、知自身を問うことが、本当の知であるといった……。

     ピロソピアーというギリシャ語は、よく知られているとおり「知(ソフィア)への愛、知(ソフィア)の希求」を意味しましたが、ピタゴラスと、それを引き継いだプラトンとは、この語を今日我々の知るような「哲学(philosophy)=観照者の知」に仕立て直した人たちでした。

     知とはまるで「見る」ことのようであり、そして「見る」ことが、眼から「視覚の火」(プラトン)が対象を捉えようと出ていくことであるように----、今度は知自身を「見る=知る」こと、つまり「知」に向かって近づいていこうとする何かが、「知(ソフィア)への愛、知(ソフィア)の希求=哲学(philosophy)」と呼ばれることになります。
     外送理論(目→対象)における視覚が「対象へ向かうこと」であったように、知は「知へ向かうこと」そのものとなり、つまりは(知を愛し求めるという)哲学が知の行為そのものになったのです。


     知(ソフィア)への愛=知の外送理論としての哲学(philosophy)。


     片や視覚の内送理論(対象→目)----たとえばエピクロスは、物体から薄い膜(エイドス)が剥がれてきて、眼の中に飛び込むのだと主張していました。
     遠くのものがぼやけて見えるのは、その膜が遠くからやってくるものだから、その間に色々なものにぶつかって周辺部分がくずれるからであると。
     遮蔽物の向こうが見えないのも明らかです。遮蔽物に邪魔されて、その膜が目まで届かないだけのこと。


     ここで問われているのは(プラトンの場合と異なり)、知(認識)の能力=限界ではなく、ただ知(認識)の本質(知とは何か、どのようなものであるか)に過ぎません。


     外送理論においては、対象を求めようとするその主体的作用なしには視覚などそもそもあり得なかったのですが(だからこそ視覚とはひとつの「能力」であり、限界付けられもするのです)、内送理論においては、きわめてぶっきらぼうに、視覚は「薄い膜(エイドス)と眼の《衝突》」として定義されるに過ぎません。
     この宇宙は、我々も含めて、原子という小さな粒から出来ており、我々の身体にシャワーにように降り注ぐ膨大な粒のごく一部が、身体のこれまたごく一部である眼球に(あるいは網膜・視神経に)衝突しただけのこと----ここでは視覚=認識は「能力」などではなく、ただ単に(この宇宙にいくらでも起こる《衝突》という)「出来事」のひとつでしかありません。
     石つぶてが、例えば腕にでもあたったときに感じる感覚(たとえば痛み)と、それはいささかも違いはないのです。


     エピクロスは知を、存在と向かい合う何事かでなく(存在に向かって空しくさしのべられる何事かでなく)、むしろ存在の一部分に過ぎないと考えていました。
     彼にはプラトンらがいうような「哲学」をやる資格がないのかもしれません。
     「知に向かって空しくさしのべられる何事か」が哲学(知の希求)であり、あるいはまた「知そのもの」であるといった「倒錯」は、エピクロスには許されぬものでした。


     なんとなれば、エピクロスにとって知は、可能であるかどうかよりむしろ、(たとえば痛みのように、あるいはこの宇宙のように)不回避なものだったからです。




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