タイトルは、実は正確ではなくて、本当は読み出してから20年くらい経っているが、まだ読み終えてない本がある。

     読み終えてないだけなら、何冊だか分からないくらいあるが、自分としては割と前向きに(休み休みだが)読み続けているのに、まだ「終わらない」のである。

     驚くような難解な本ではない。何しろ中身は対談でしゃべり言葉。メインにあたる著者は、これはちゃんとした書物というより「読み物」に近いと言っているほど、読みやすい本である。
     分量の方も多くない。多分、早い人なら数十分で、本を読むのが遅い自分でも数時間もあれば読めてしまえるくらいのものだ。

     実は読む通すだけなら、何度かしてる。
     使い古された言葉で言えば、その度に「発見」がある。
     もう少し正確に言うなら、その度に自分が読めてなかった箇所が見つかる。
     それも、そう、そこかしこに。

     最初から、「よおし、この本は10年かけて読むぞ!」と意気込んだ訳でも、天満様に誓いをたてた訳でもない。
     軽い気持ちで読み始めて、ゲラゲラ笑いながら読んでいった。それが、このありさまである。

     何故こんなに時間がかかるのか、わかるように説明すると、気になる固有名詞について、いちいち立ち止まってしまうからである。
     このざっくばらんな対談には、人物、本のタイトル、絵画や彫刻や演劇や映画の作品名、それから地名などが、たくさん出てくる。
     しかし、ざっくばらんな対談のせいか、注はひとつもない(実は人名と作品名については索引があるのだが、それでは全く足りない)。
     さすがに、出てくる固有名詞のすべてが初見、という訳ではない。いくらか知っているもの、読んだことや観たことがあるもの、行ったことがある場所も、もちろんある。
     しかし、だとしても、大抵は改めて当たり直すことになる。
     何故か? 要するに、そうしたくなるような本なのだ。

     多分、今まで読んで本のうちの1/3くらいは、この本を読んだせいで、読む事になったものだ。

     対談の話題に上る人物については、何者か調べ、突き止め、著作や作品を洗い出す。
     本については、探し出して、手に入れて、読む。時にポストイットを貼ることで、本の厚さを倍ぐらいしながら。
     絵画や彫刻や演劇や映画については、できれば観に出掛け、でなければ家で観るよう画集や録画したものを入手する。
     動植物の名前なら図鑑を見て、できれば種や苗を手に入れる。
     地名や博物館・美術館の名前なら、地図を広げ、数年越しで計画を立て、その場所に行ってみる。


     もちろん、すべてを探し当てた訳でも、読み終えた訳でも、観ることができたわけでもない。
     だが、インテンシブにそういうことをやってたのは、やはり最初の10年くらいだった。
     その後も、実はつい最近も、この本を取り出す機会があって、それでこのような文章を書いているのだが。


     この本の中から、自分が足を止めた「固有名詞」をいくつか拾い上げてみる。


     「ベネチアへ着いたら、まず何を差し措いてもアルセナーレArsenaleへ行きたまえ。……(中略)……。アルセナーレというのは、君の知っての通り、長い十字軍時代が終わる頃には、日本の戦前の陸軍造兵廠と海軍工廠を兼ねたような、総合的なヨーロッパ最大の軍需工場だったわけでしょうが、今はほとんど昔の面影をとどめておらず、小さな建物の一角しか残っておりません。そこを博物館にしているんです。昔の盛時を偲べるように、ヴェネチアの成立から十字軍時代を経て、15、6世紀へかけて地中海を股にかけての経済的、軍事的活動----つまり、ヴェネチアが『地中海の女王』になった事の次第----を、グラフや模型をふんだんに使って一目瞭然と分かるように仕組んであるんです。ヴェネチアを『中世のロンドン』たらしめたのは、この厖大なアルセナーレの建造能力にかかっていたとも言えるでしょう。……(中略)……。
     それに、言い忘れましたが、さっきのアルセナーレ博物館----正確に言うと航海史博物館Museo Storico Navale----へ君が今度行ったら、是非目をとめて欲しいのは、ヴェネチアの数ある寺院やパラツッォ(宮殿)がどう建てられているか、ということです。大理石造りの大建築等の重量を受け止めるための方策の問題です。かつて日本最初の高層ビル、丸の内ビルディングが建てられる時、僕は、藤沢から出て東京駅で汽車をおりると、よくその工事を見ていましたが、昔の木の電柱みたいな、タールなんかで防腐した大木をポンポンと打ち込んでいました。今はそれがコンクリート柱になってしまいましたが、それと同じ伝で、実に驚くべき技術的細工を凝らして、それをやってるんです。その巨大な木杭の数、細かい正確な数字は忘れましたが、例えば、大運河の出口に建っている、サンタ・マリーア・デルラ・サルーテ----コローからルノアール、ココシュカ、デュフィ、梅原龍三郎と何十人という名のある絵描きが好んで描いている例のバロック式聖堂です----には17万本、カムパニーレ(鐘楼)には10万本、リアルト橋には1万2千本、魚市場には1万8千本といった按配です。つまり、そこに数あまたある記念建造物、それに2、3万戸におよぶという民家の土台石の下には、もう一つ、イストリアからはるばる運んでこられたオークやカラマツの林立した眠れる大密生林があるということです。」


     「ゲーテだって、その少年時代からして大衆芸能のファンでしょう。それに、ワイマール劇場というのは、それこそ「ゲーテ劇場」と言ってもいいものだが、人は「劇場の詩人」とか「ワイマール体験」とか言われると、せいぜい初期の戯曲や『ファウスト』、それにシラーの発見とその上演、シェイクスピア、カルデロン、モリエールなどの上演なんてことしか頭に浮かばない。事実はそんなものじゃないんです。劇場管理者として、プロデューサーとして、それから演出家として、イタリア語の「スペッタコロ」という語が一番相応しいが、ありとあらゆるものを、極端に言えば、味噌も糞も一緒くたに隔てなく上演している。おったまげたんで、その数を覚えてますが、彼が主宰していた25年間に、無慮、再演を含めて、4136回という上演回数です。作品数から言えば少なくなりますが、それでも芝居五百、オペラ千はやっています。それがゲーテの「ワイマール体験」という奴の正体だから、全く圧倒されてしまう。その天文学的数字だけにでも。よくそれで創作と研究と政治(付、その社交)と恋愛の時間があったものだ。」


     「ギリシアの場合でも、ソフィストたちは、やはりさっきと同じで、いろいろとロゴスということを言ってはいるわけですが、それだって大勢の帰するところ、どんなに弱い不利な立場の論争者でも、強敵を倒すことのできる秘術をさずける、というのが看板でしょう。言葉のトリックを教えるというか、詭弁を弄する……。それに対して、少なくともプラトンの書いた対話篇のソクラテスは、人が議論をかわす究極の目的は、真理の究明だという。それも誰もが知っているフィロソフィア(知恵の愛=哲学)なんだが、教育が悪いせいか、日本では、ソフィスティークとフィロソフィーとを全く違った次元のものと考えている人が多い。しかし、生きているソクラテスは、ソフィストと同じ精神的気流の中で、同じ青少年教育の地盤の上で活動した一人のソフィストでしょう。ただちょっと異を立てることの好きな一種風変わりな教師、そういう風に一般の人々からは見られていただけの話だ。この風采のあがらぬ、裸足のハゲ教師は、プラトン(『パイドロス』)によると、真のレトリックの術は、レトリシアンたちの原理の上には築かれず、ディアレクティクの線に沿ってのみ可能だと言って、別の道を歩き出す。それをソクラテスの「新レトリック」と呼んでいるものもあるから。そう言っておくと、その「レトリック」が「哲学」という鬼っ子を生むわけで、こうしてその教育家的伝承者であるプラトン、アリストテレスたちの手厚い養育のもとで、それがどえらい巨人に育っていくわけだ。それが哲学の発端でしょう。西洋の教育プログラムと教育理念とに、レトリックを中心とするものと、哲学を中心とするものとの対立と抗争と調停との、時としてはなはだドラマティックな千何百年にもわたる歴史が、そこに始まる次第です。
     中世では、その哲学が神学の婢に教会から強引に引き下げられるのだが、その神学の上位時代だって、哲学とレトリックとは、その教育カリキュラムの格付けや順位にかかわらず、教育の実際の生きた場所にあっては、陰に陽に人間陶冶の受持ち争いをしていたわけだ。その状況を一番よく示しているのが、やはりキケロでしょうね。彼が終生説いてやまなかったのは、レトリックと哲学の結合の問題だった。そして、そのキケロの近世初期の継承者がシセロニアン・ペトラルカというわけ……。彼がキケロ主義者と呼ばれているのは、これも日本では誤解されてきたように、彼のマスターした、「近代人」とは思えないくらい完璧なラテン語の文章がキケロに匹敵したというだけでなく、彼の思想家的課題が、神学と絡んでの、しかしキケロ的問題だったということが、大事でありましょう。
     だから僕は、西洋精神史におけるこの間の消息を知るには、キケロについて見るのが、一番の捷径だと思っています。少なくとも、せめてDe oratore(弁論家について)だけは読んでおく必要があるね。あれは翻訳は出ていますか。」

     「キケロは古代人らしく、問題を人間と動物の相違から始めていますね。人間が動物と違うのはどこかと言うと、やはりスピーチの力によってだという。しかし、グッド・スピーキングの術を持たねば、人は人の上に立つことができない(De inventione rhetoricaで)と言うかと思うと、別のところでは(De fuibus)、その同じキケロが、人間がほかの動物たちと違い、抜きん出ている点は、人間がリーズンを持っている点だという。どちらもロゴスというギリシア語を踏まえているけれども、あとの方はロゴスをラテオ ratioと訳している。これは哲学者キケロとしてそれについて語っているわけです。それに対して前の方は、レテリシアンないし弁論家キケロとして語っているわけで、ロゴスすなわちオラーチオ oratio(speaking)なんだ。まるで言葉のしゃれみたいだがね。それがオレイション orationになり、オレター oratorになるわけでしょう。オレイションの術とそれから真理を探求するやり方と、ロゴスが二つに分離している。それをどうにかしてくっつけようとするのが、キケロの課題であり、またとりもなおさず、ルネサンスの人文主義者(ヒューマニスト)たちの課題なんだな。大雑把に言ってしまえば……。
     それは別な面から言えば何でもない。人文主義者の掲げている「ヒューマニズム」という言葉そのものはずっと後からできたんだが、人間的研究、つまり人間を人間たらしめるための条件、それはギリシア、ラテンの古典に学ぶことだという立場、それはレトリックの守備範囲なわけです。それを拡大解釈して、古代の教養のすべての分野をいわば手中に納めようとしているわけでしょう。
     ルネサンスという時代は、かつて中世では哲学へそして神学へいくための呼びコースだったレトリックというものが、今度は、古典古代を後盾に自立しようとするわけですね。大学で、もう神学は別格にして棚上げして、哲学を、アリストテレス哲学を----それが当時の一種の「全科」なんだが----やろうとしている旧派に対して、その脇から出てのしあがってきて、レトリックは、その哲学をも含めて、いろんなものを搔き込んで、ガッポリすべて戴きだ。それが人文学科という学部facultyなんだな。はじめヒューマニティーという言葉、フマニテートにあたるような言葉の新しい意味づけが、大学の中でレトリック科が独立し昇格したというようなことを意味した。だからStudium Humanioles(人文研究)とは、広義のレトリックが逆にその中に神学も哲学をも新しい形でとりいれる教養学科のことで、あいつはレトリック科のやつだ、人文学科、教養科のやつだという……」

     「ペトラルカでもそうだが、ずっと後のモンテーニュだって----彼は「レトリック」に批判的だったが、それでも----、みんないわばレトリック科出身でレトリックをよく勉強し身につけている。そしてそれの勉強をしているうちに、ギリシアの場合と同様、瓢簞から駒が出てくるんです。彼らは必ず「ペンを手にして」書物を読む。そして名句のノートを作る。おのずと古典古代からの格言集ができるわけでしょう。そういう作業はレトリック勉強の中心的な必須作業だったんです。
     エラスムスだって、古い意味でのセンテンス(金言集)の仕事に精出して、百科全書的な『格言集』Adagiaを出していますね。モンテーニュの『エセエ』の出発点もそれで、その修練がふくらんでいき、独創的な、あの新しいジャンルの本を作ることになったわけ。ペンをとり、壇上に立つ人は、あらゆる場合に役立つTopicsの豊富な蓄積がなくてはならぬ。センテンスは、もとは自家用だったのが、だんだんとそれぞれの職業の人に共通に役立つ「用語集」を作る人がでてくる。それに対して何かの特殊な論議に必要な資料集の、それがレトリックの方で言うInvention ----「自然」の中から適切な材料を見つけ出す----今の言葉で砕いて言えば、ネタ捜しの取材活動ですよね。
     みんなそれをやっていて、レトリックの中で、いわば人は思考しているわけだ。モンテーニュの例が一番オリジナルな場合だろう。だから、ルネサンスの思想家たちは、みんなレトリック学校の出身者です。さっき言った、瓢簞から駒が出る、とはこの事なんです。
     そこへデカルトが出てきて、「レトリック抜きの哲学」を唱える。ところが、自分のつかんだ真理を他人(ひと)に分からせようとすると、レトリックが必要となり、彼が青年時代にジェスイット学校でいやいや学んだものが役に立つ。
     そういう放逐と復縁、離反と結合のさまざまな場合が西洋の長い歴史の中で、17世紀から、科学、数学の「論証」派の擡頭によって再燃し始める……それが近代だと思うんだ」

     
    「……コルドバの回教寺院(メスキータ)では、教授=ガイド氏は、中を案内しながらある場所で天井を見上げて、その木組のモザイクみたいに見えるもの----実は暗くてほとんど物の文目(あやめ)も分からなかったんですが----を指さして、“あそこに使ってある木材はレバノン・シーダーだ”と言う。その時は何気なく聞き流していた。ところが翌日、グラナダへ行き、アルハンブラ宮殿へ行くと、獅子の噴泉のある廻廊の天井が、やはり木でできている。格天井とその枠組、それにはレバノン・シーダーが使ってある、とここでもかの知性なきガイド氏が阿呆の一つおぼえのように口に出した。今度は明るいのでよく眺められましたが、ハッと気がついたんです。
     『旧約聖書』を見ていると、「香柏」という言葉が、「詩編」や「雅歌」によくでてきますね。昔、学生時代の時に読んで、何だろうと思い、植物学辞典などを引いても一向に出てこない。そのうち1924、5年の頃でしょうか、学校を卒業してまもなく、英語教師を始めるので、いろいろと参考用の書物を買い込んだんですが、その中に、ピーク『聖書注解辞典』(Peake's Commentary on the Bible)という、当時最もポピュラーな辞典があった。----今でも改訂に改訂を重ねて使われているらしいですが----ある日、ふと思いついて、「香柏」に当たる個所にあたってみると、レバノン・シーダーとなっていて、その手引によって、僕の知っている以上に、はるかに多く、『旧約聖書』には、その名が出ていることを知りました。気がつきましたか、学者というものの馬鹿さ加減を。僕はその頃『新約聖書』はギリシア原典二種類、現代役を含めて英、仏独語訳、その注解書といろいろ持っていたのに、『旧約聖書』の方は、英語版と日本語訳の二冊もっているだけでした。
     レバノン・シーダーを国旗にしているレバノンという国は、海に迫った大山脈を二つもっている地帯で、このふたつのレバノン山脈のゆえに、古来、地中海にその名を馳せていたわけでしょう。その二つのえんえんと連なる山々が、これすべて樹齢何百年という、この杉に鬱蒼たる森林でおおわれていたと言いますから、古代にはさぞ壮観だったろうと思います。今は二千年にわたる濫伐につぐ濫伐で、見る影もない山々の連なりにすぎなくなっているらしい。それでも、矢島文夫氏に聞いた話だと、樹齢二百年から七百年ぐらいのシーダーが、所々にちょろちょろと群生しているところがあり、そこへ観光バスが出ていて、観光客に昔を偲ばせるサーヴィスだか、金儲けだかをしているらしい。ただし、侘しいだけで今は何の風情もないという。もっともものの本によると樹齢二千年以上というのが、この山脈のどこかに最古老樹として生き残っていると言います。
     イスラエル人の言伝えでは、一番音に名高いレバノン・シーダーは、高さ125フィート、根元の胴廻り50フィートだったと言います。----この数字、今日、話すつもりでメモしてきたんです。
     『旧約』で初めて知ったのは、この香り高い木材で、貴人の柩が作られるということでしたが、エジプトのミイラの場合も使われていたらしい。
     しかし、レバノン・シーダーに関する一番有名な伝説は、ソロモン王伝説で、神を祭る殿堂、その脇にある王宮、レバノンの森の家、王妃の館、等々限りない普請……それはみんなこの木材で建てる。ということは、それが大昔には石造りの大殿堂なんかよりもはるかに豪華な造営と見なされていたことを意味し、ソロモン王はその伐採のために、チル王の奴隷軍隊だけで足りず、3万人のイスラエル人、15万人の奴隷、3000人の監督官を送り、その監督官はまた製材の工匠でもあったと伝えられています。この地帯を制するものの最大の貿易資源でもあり、古代フェニキア人が、地中海で制海権を握ったのは、この木材で強靭な船を造り、それにその香柏を積み込んで地中海を股にかけて売って廻ったからです。
     僕はさきに、ヴェネチアの奇跡はイストリアの石の奇蹟である、というアンドレ・シャステルの言葉を申し上げましたが、それに倣って言えば、聖書に名高いソロモンの栄華はレバノン・シーダーの奇蹟である、とも言い得ましょう。古代、中世を通じて、宮殿なり礼拝堂なりにレバノン・シーダーが使ってあるというのは、たとえ格天井だけにしろ、その建物が金に糸目をつけずに、粋を凝らして作られた証拠だと思われたからです。二人のガイドの符牒を合わせたような説明の背後には、最小限これだけの歴史的含蓄があるんです。
     「ソロモンの知恵」という言葉をご存知でしょうが、彼が神から授かった森羅万象についての広汎な百科全書的な知恵を所有していて、他の諸王はそれを聞くために使節を遣わし、諸国の人々もそれを聞くために争ってやってきたという『列王伝』(上)の話のその個所に「彼は……草木のことを論じて、レバノン・シーダーから石垣に生えるヒソップにまで及ぶ」という有名な一節があります。言い忘れましたが、この香木と薬草は、いろいろな清めの儀式や、また古来、業病の一つと見られていた癩病の清めにも遣われた「本草」としても有名だったんです。……僕はかつてレバノン・シーダーもヒソップも八方手を尽くして、その苗か種子を探しましたが、どちらも入手できませんでした。」


    思想のドラマトゥルギー (平凡社ライブラリー)思想のドラマトゥルギー (平凡社ライブラリー)
    (1993/06)
    林 達夫 (聞き手)久野 収

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