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     絵画についてのおしゃべりは、もちろん絵画にならない。

     しかし画家だって、他人の絵を見て良いはずだし、それを見てブツクサ言ったって良い訳だ。

     この本は、画家が他人の(時々自分の)絵についてブツクサ言ったそんなコトバが、当の絵とブツクサ言ってる画家のイラストその他のイラストとまざりあって出来ている。
     絵解きコトバ解きの絵画史だ。
     これ見たら、いままでの美術史なんか、抹香臭くて読めない。

     「ベラスケスに比べれば、ティッティアーノの肖像なんて、材木に見える」といったマネは、そのベラスケスから構図や背景の処理(無背景にしてしまう)だけでなく、その黒の使い方も学んだ(比べると歴然である)。

     「フェルメールにはベラスケスでさえ遠く及ばない。フェルメールには、すでに完璧なものを、なお完璧にしようとする熱狂と苦悩があった。極限を極めるために彼は何度でも書き直し、コトバがまったく無力になる奇跡に達したのだ」といったダリは(彼がここまで手放しに誉めるなんて珍しい!)、このコトバとおりにフェルメールにぞっこんで、自分の絵になんどもフェルメール(「絵画芸術の寓意」という作品の中で絵を描いているフェルメール自身の姿)を登場させている。時には、フェルメールをテーブルにして登場させている(ダリ「テーブルとして使われるフェルメールの亡霊」←しょうがないヤツ)。

     耳を切ったんで狂人扱いされたゴッホだが、図抜けた才能の絵描きであったばかりでなく、すごぶる的確な絵読みであったことも知られている。

    「ゴッホはすべてが乱雑と混沌の中にあるくせに、キャンバスの上ではすべてが輝いている。また、彼の芸術についてのコトバも同様だ」(ゴーギャン)。

     シャガールもこう言ってる。
    「スーティンは大した絵描きだが、ゴッホには到底およばない。デッサンをやらないからだ。ゴッホの絵はどれも卓越した画法に支えられている。二人の違いはそれだけだが、何という違いか」。

     このゴッホとダリはともに、土に生き働く農民の姿を描いたミレーの絵を自作に引用している。当然、絵についてもブツクサ言っている。
    「「彼の百姓は種まきしているそこの土で描かれているようだ」という言葉はミレーの絵を的確に言い当ててる。彼はすべての基礎のなるような色彩をパレット上でどうつくるかを知っている」(ゴッホ)。

     なるほど的確だ。

    「「晩鐘」の男は自分の勃起を帽子で不自然に隠している。その結果、よけいにそれをはっきりさせてしまっている。まったく、ミレーはユニークな主題を書いたものだ」(ダリ)。

     出たな、偏執狂的批判的方法(ほとんど言いがかり)。


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