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     この本は何か?
     日本で発刊された、現在においても最も行き届いた「外来語辞典」とひとまず言うことはできよう。
     しかし、たったそれだけなら「読書猿する」ことはない。

     ここから先は、『荒川・外来語辞典』自身が語ってくれるにまかせるべきだろう。

    「本辞典編集にあたっての基本方針を、自序からいくぶん敷衍して述べてみたい。

     おう、どんとこい!

    1 本辞典は著者の知識がありあまって人に教えたいから書いたものではない。著者自身がわからないために、たずねまわって研究してできたものである。……(略)。

     ボクシングの試合なのに、いきなり回し蹴りを喰らったような衝撃である。
     これとは正反対に、知識が足りなくてしょうがないのに「人に教えたいから書いてしまう」連中が、「学もないのに道を説く」連中が、いかに多いことか。

    2 昨今、時々、外来語排斥の声を聞く。しかるに日本民族全体が外来者であり、日本語は外来要素の混交によって成立したものであると歴史は教える。従って、いまさら外来語排斥はおかしいというのがわたくしの考えである。外来語というものは、外国語が国語化したものである。つまり国語である。外来語を排斥すると言うことは、とどのつまり、国語を排斥するということに帰するのではなかろうか。
     外国も外国人も、自分の国の国語を日本人に使って下さいといっぺんも頼んだことも命令したこともない。日本人が外国語をつかうのは、日本人の意志で、しかも外国には借用のお願いもお断りもせず、かってに使っているのではなかろうか。……(略)。

     さらに加えて、この一撃である。「日本語はとにかく素晴らしい、漢字廃止は勿論、制限されるのもいいや、という心情の持ち主を、日本では定義として「文学者」と呼ぶが、例えば丸谷才一とか、加えて言うなら、戦後漢字も仮名もやめてフランス語にしようと言った志賀直哉などは、定義によって「文学者」ではない訳だが、荒川の「序その2」は、そうした「文学者」を粉砕してあまりある。

    4 外来語は最小限借りた国と貸した国の2カ国の共通語である。しかし、文明国ならほとんど全世界に共通の語がきわめて多数ある。いわば外来語はさしあたってはワードとしては世界語である。
     もし世界各国がおたがいに外国の長所や特徴のある語を外来語として輸入しあっておれば、ついにはすくなくともワードとしては全世界の語がただ一つのおなじ世界語になるであろう。たとえばここに中身がそれぞれ違う数個のコップがあるとする。これをさじでたがいにあちらこちら汲んで混ぜ合わせておれば、しまいにはどのコップの中身もみんな同じような混ざりものとなるだろう。これとまったく同じ話である(これは「荒川の外来語世界語説」として、しばらくご記憶願いたい)。

     なんというグローバリズム! ぜひ記憶しよう。「千夜一夜物語」の言うように、まぶたの裏に刻みつけて何かの教訓にしよう。

    //収録語彙について//

     ……(略)……日本語の外来語のなかには、クラクション、コンセント、スタンドランプ、ファンタジック、ランプスタンド、リクリエーションのように原語とは違った語、タイムリーエラー、メータク、ラブロマンスのようにノンセンスな語、あるいはなくもがなの語もあり、しかもそれが最近ふえつつある。それらの語を追求・検索・研究することは嘔吐をもよおすほどいとわしく感じたが、しかし、現実を無視することは正しくない。本辞典はこれらをも忠実に、綿密に収録した。その意味で、本辞典は日本語の乱暴さをも如実に反映している。本辞典において、はじめて採録された語は、けっして少なくないつもりである。


     荒川はイヤなのである。
     「タイムリーエラー」や「ラブロマンス」なんか、もう「嘔吐をもよおすほど」にイヤなのである。しかし「美しい日本語」だの「本来そんな日本語はない」だと言って現実を無視することは荒川にはできない(そんなマネができるのは、先ほど粉砕された「文学者」や「文学者」モドキだけだ。そしてそんな連中は、マナー講座講師にも、辞書編纂者にも大勢いる)。
     日本語の最前線に立たんとする荒川の辞典は、「日本語の乱暴さをも如実に反映」するものでなければならない。いったい、これまで日本語辞典を編もうとした連中の誰が、「日本語の乱暴さ」を自分の辞典の中に「如実に反映」さ
    せようとしただろうか。

     かくて、本辞典は、日本人の経験した有史以来現代までの生活・文化・社会ないし国際関係の、外来語によってあらわされ、外来語に残されたものは、力の及ぶかぎり見逃さない。

     たしかに荒川は、「知識がありあまって人に教えたいから書いた」のではなかった。

     荒川は、「力みなぎって」書いたのである。


    角川外来語辞典 (1967年)

    外来語辞典 (1955年) (アテネ文庫) [古書] (文庫)

    外来語語源辞典

    基本外来語辞典基本外来語辞典
    (1990/10)
    石綿 敏雄

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