「常に譲ることができると、うまくいくのです」
    (エリクソン,『ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー』,p.459)


     世の中の(人の間の)いさかい事は、そもそも勝負になってない事の方が多い。
     土俵の上に将棋盤を置いて駒を並べ始めるものと、モトクロス・バイクで将棋盤の上にタイヤを停止させるものの対決みたいなものである。

     彼らがお互い何に怒りを覚えているかといえば、相手が(明示的及び陰伏的な)ルールやゲームのフィールドやとにかくゲームを成立させる何かを無視してむちゃくちゃなことをしている点についてである。

     けれど、両者がやろうとしているゲームは実はまるで別々のものなのだ。

     彼らは、相手を自分のゲームに引きずり込もうというメタ・ゲームにはまっている事になかなか気付かない。

     相手が主張するゲームは、ゲームなんてもんじゃない。
     相手にだけ有利ないかさま・ゲームだ。公平じゃない、とか思う。
     というのも「気付いた方が負けだ」ということが、彼らにも分かっているからだ。

     負けを引き受けるものは、相手のゲームを承認した上で、相手のゲームの中で「お前が勝ちだ、俺は負けだ」と告げなければならない。

     彼は二重に負けを認め、引き受けている。
     ひとつは相手の勝ちを認めたこと、もうひとつはそもそも相手方のゲームを「自分のゲームでもある」と認めたこと、である。

     そして世の中のいさかいが「勝負」として決着するためには多くの場合、メタ・ゲームの存在に気付き、二重に負けを引き受ける者がいなければならない。

     ガラス細工のようなプライドの持ち主や、心に常に居座る劣等感や敗北感から勝つことに強迫的な人は、いかなる形でも負けを受け入れる事ができない(そんな余裕が無い)。
     彼らは、負けたら最後、尻の毛さえも抜かれてしまうと、知らず知らずのうちに、決めつけている。

     けれど、そもそもゲームの成立は、二重に負けを引き受ける者に依っていることを思い出すべきだ。

     二重に負けを引き受ける者は「ゆっくり」負けることもできれば、「すばやく」負けることもできる。
     「しょうがないなあ、もう今回だけだよ」と相手の互酬性を賦活する形で負けることもできる。
     時にはわざと間違えて、相手にこちらの言わせたいことを、「修正/正解」として言わせることもできる。

     そして、「相手のゲーム」を受け入れてやるだけで、相手は勝負から降りられなくなるのだ。
     なぜなら、それこそが相手がやろうとしてきたゲームだから。


     こうしておいて、相手をコテンパンにするのは、ソクラテスの常套手段だった。



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