『論語』の中で、孔子は「何故おまえたちは詩を学ばないのだ(学んだ方がいいのに)」と、詩の七つの効用をあげている。

     子曰、小子、何莫學夫詩。詩可以興、可以觀、可以群、可以怨。邇之事父、遠之事君、多識於鳥獣草木之名。(陽貨篇 九)

     子曰(い)わく、小子(しょうし)、何ぞ夫(か)の詩を學(まな)ぶこと莫(な)きや。 詩は以(もっ)て興(おこ)すべく、以(もっ)て觀(み)るべく、以(もっ)て群(つど)うべく、以(もっ)て怨(うら)むべし。 邇(ちか)くは父に事(つか)え、遠くは君に事(つか)え、多く鳥獣草木の名を識(し)る。


     かなり自由に訳す。


     先生はこう言われた。「君たちは、どうして詩を学ばないんだね? 詩というのは、それでわくわくできたり、物事をちゃんと見れるようになったり、人をあつめたり、恨み言を言ったり(風刺したり)できるもんなんだよ。親孝行だってできるし、就職だってできる。おまけにいろんな知識だって身につけられるのだ」


     ここでは、この孔子的な文学観に基づく作品を紹介しよう。役に立つ文学だ。

     日本で、室町時代以降(明治以降も教科書に取り入れられるなどして)、たいへんよく読まれた『太平記』は、その「文学性」からすると『平家物語』に劣るとされている。
     現に戦後の読書界においては、すっかり『平家物語』の陰に入っている。
     
     しかし、おそらくはそれは「近代的な文学観」に基づくものであって、中世・近世を通じて読まれた意味は違っていた。
     武士にとっては『太平記』こそ読むべきものであって、『平家物語』なんてのは「女子供のよむもの」とされた。

     つまり『太平記』は、一種の「百科事典」というか、武士(もののふ)たちが、最低限の常識を身につける「教科書」として機能していたのである。

     この物語、登場する人物たちは、まずもって武士の出自とあり方を語るものであり、また直接の祖先(ルーツ)に繋がるものであった。
     加えて、武士が知るべき教養、たとえば中国の歴史や古典その他についての知識解説が、物語を破綻させんばかりに挿入され詰め込まれている。

     人名についても日本人3418人、中国人385人、神仏架空の者270人……。
     もちろん項羽や劉邦、玄宗皇帝や楊貴妃が、物語で活躍する訳ではない。
     神仏の名も多いが、神仏の世界が描かれることはない。

     あくまで描くのは(読み手にとって陸続きの)歴史である。
     それに加えて、物語に埋め込まれ、もたらされるのは(武士のための)森羅万象の知識であった。


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