近くの観光寺院で、本につく虫用の虫除けが売っている。
     前の家主が置いたらしい、今住んでいる家のあちこちから出てきたものは、そこで買ったものらしい。

     うん【芸】(「藝(ゲイ)」の略字とするのは誤用)

     といって、もともとは、乾かしたその草を書巻の中に挟んで入れて使ったらしい。
     転じて、この香草の名は「書籍」の意味でも使われるようになった。

     たとえば、芸亭(うんてい)というのがあって、奈良時代末に大納言石上宅嗣(いそのかみのやかつぐ)が設けた書庫で、日本最初の公開図書館とされる。

     『続日本紀』の天応1年(781)6月条の宅嗣の伝などによれば、宅嗣は自宅を改造して阿シュク寺を建立し、寺の南東隅に外典(げてん)の書庫を中心とする一区域を設けて芸亭と名付け、好学者に自由に閲覧させたそうだ。

     阿シュクというのは、サンスクリットのAksobhyaの音訳で、「シュク」の字は「(「門」構+「人」の下に「从」:補助7011)」と書き、翻経者に基づく造字といわれる。東方の阿比羅提国(妙喜国・善快国)で修行・成仏し、現在説法しているという仏で、密教では金剛界五仏の一。東方に位し大円鏡智を表す。

     昔、この娑婆{しやば}世界を去るはるか東方に、阿比羅提{あひらだい}(アビラティAbhirati)と名づける浄土があり、そこに出現した大日如来の教えを受けて、怒りを断じて悟りを得ようとの願いをおこし、長年にわたり功徳を積んだ結果、ついに成仏したのが阿シュク仏で、いまもその浄土で説法していると『阿シュク国経』に説かれている。インドにおいて阿シュク仏の信仰は、西方の阿弥陀仏の信仰よりも古くから行われていたが、弥陀信仰が盛んになるに及んで衰えてしまった。

     阿シュク寺は,平城京の左京2条,奈良市法華寺の南東にあったらしい。
     平安初期の学者であり、経史に精通し、淡海三船と並び称され賀陽豊年(かやのとよとし 751~815)も、宅嗣に好遇されて数年間、芸亭で諸書を閲覧したという。
     もっとも828年(天長5)に空海が著した綜芸種智院式(しゆげいしゆちいんしき)によれば、その当時にはすでに芸亭はほろびていたようである。 


    「----愛が終わりを告げると、あなたの心は、ある種の破壊的な気分に浸る。
     そんなとき、ヘンルーダの葉を揉みしだき香りを嗅ぐとよい。
     その強烈な香りは頭を一撃し恋人に対する未練や恨みを断ち切るだろう・・・」

     さて、植物の名前はいろいろと悩ましい。
     漢字文化圏ではことさらに事態はややこしい。
     中国大陸(は広いのでなおさらややこしいが)と日本列島では植生が違う。
     例えば「松」という文字で我々は「マツ」を指し示すが、中国でいう「松」と日本の「マツ」とは、植物学的にいって、まったくの別物である(それゆえに和名はカタカナで表記することになったのだ)。
     文字は輸入できるが、なにしろ自然環境が違うので、文字が指し示す植物まで、持って来れるとは限らない。指示対象があちらに存在して、こちらに存在しない場合、いろんなことが起こり得るが、全く別のものを指し示しながらその混同に気付かない、ということもままある。牧野富太郎が口をすっぱくして、このあたりのことを憤っていた。

    『小学館日本語大辞典』には、

     うん‐こう【芸香】(‥カウ)
      1 「ヘンルーダ」の異名。
      2 「じんちょうげ(沈丁花)」の異名。


    とある。しかしこのヘンルーダというのがくせ者だ。

    『世界大百科事典』(平凡社)には、

     ヘンルーダ (common rue、Ruta graveolens L.)
      強臭のある南ヨーロッパ原産の薬用植物で,日本には1868年に渡来し,現在でもまれに植えられているミカン科の多年草。


    とある。日本最初の辞典である源順著『倭名類聚鈔』(934年頃成立)には、すでに

      芸香 禮記注云 芸(音雲 和名久佐乃香) 香草也
      (礼記の注に「芸」とも言うとあり、和名は久佐乃香(くさのか)、香草である)

    という記載がある。

     ここに出てくる和名「久佐乃香」は、ケータイ辞書JLogosの「動植物名よみかた辞典 普及版」によれば、

     久佐乃香 【くさのか】 Ruta chalepensis var.bracteosa.
      コヘンルーダの別称。 ミカン科の多年草。

    とある。

    貝原益軒著『大和本草』(1709年)には、

      “ヘンルウダ 近年紅夷ヨリ来ル 是紅夷ルウダナリ”

    と記載されていて、江戸時代初~中期にオランダから輸入されたことが伺えるが、件の牧野富太郎によれば、江戸時代初期~中期に輸入されたのは、コヘンルーダ(Ruta chalepensis)の方で、それをヘンルーダ(Ruta graveolens)と取り違えているとのことである。

     白井光太郎の「大和本草」の考注本(1932年、有明書房)によると、ヘンルーダの項目で

      ヘンルーダに古渡と新渡の二種あり、これはコヘンルーダなり。
      維新前後渡来のものいまのヘンルーダなり。古渡の品は花弁の縁に毛状細裂がある。

    (注・原文をやや現代風に改めた)とあって、維新前後に渡来したヘンルーダと、古いコヘンルーダを区別している。もっともヘンルーダとコヘンルーダは、地中海沿岸地方の原産であるが、薬草としての効能にはほとんど変わりはないし、しばしば混同されてきた(というか、区別されてこなかった)。

     奈良の森野薬園は、文化11年(1814)に薬草栽培目録を出しているが、その中に芸香がある。白井説によると、コヘンルーダを栽培していたことになる。

     問題は、ヘンルーダ、コヘンルーダともに日本に入ってくるはるかに前に、『倭名類聚鈔』(934年頃成立)に登場する「芸香」が何を指しているか、だ。
     これには、香りの強い草一般を指すと言う説と、日本に自生するマツカゼソウ(松風草ミカン科マツカゼソウ属)だという説がある。


    ……ちょっと時系列で整理しよう。


    →マツカゼソウ(日本に自生)
    ・『倭名類聚鈔』(934年頃成立)に記載(?)。

    →コヘンルーダ、オランダから日本へ入る(1700年代?)
    ・『大和本草』(1709年)に記載
    ・『森野薬園薬草栽培目録』(1814年)に記載

    →ヘンルーダ、日本へ入る(1868年=明治元年)
    ・白井光太郎『大和本草』の考注本(1932年、有明書房)



     『世界大百科事典』(平凡社)の記載の残りを写しておこう。

    ヘンルーダ (common rue、Ruta graveolens L.)

     葉は古来,調理用に使われ,ソース,肉,飲料,酢などの香料としていた。また,葉および枝からとった油は,香水,味付けに用い,葉の浸出液を薬用(通経剤,うがい水,浣腸薬)とする。種子を粉砕してブドウ酒に入れたものも,同様に薬用にされた。また,茎葉を本の間にはさんでおくと虫害を防ぐという。和名ヘンルーダはオランダ語ウェインライト wijnruit のなまり。ヘンルーダ属 Ruta のかおりの強い植物を英名 rue という。
                          初島 住彦

     [民俗・伝説] ヘンルーダはローマ時代から魔除けの植物とされ,今でもイタリアの農民はその葉を身に着ける。大プリニウス《博物誌》によれば,これを煎じると眼病や弱視に効果があり,彫刻家や画家に愛用されたという。ヘビやサソリの毒をはじめ猛毒を打ち消すとも信じられ,前2世紀のポントス国王ミトリダテス 6世は毒殺から身を守るため,ヘンルーダを含む薬用植物を毎食後に服用し,毒の効かぬ体をつくったといわれる。また中世では魔女がのろいをかけるのに使う代表的な植物となったが,半面,これを携行していれば魔女を見破ることができ,また娘が着ければ男の誘惑に乗らずにすむなど,魔除けの信仰も継続された。エリザベス1世時代のイギリスでは,その強臭が疫病を押さえると信じられ,部屋にまかれたり入口につるされた。なお,イタチが毒ヘビをかみ殺せるのはヘンルーダを食べているおかげだといわれ,よそから盗みとってきたヘンルーダはよく育つとも伝えられる。この植物は12世紀以来ザクセンの標章に用いられている。花言葉は〈徳と慈悲〉。
                          荒俣 宏






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