世界は四大元素(エレメント)で、できている。
     水、風(空気)、火、そして土(地)。

     安手のファンタジーにもRPGにも登場するこのアイデアは、西洋では、古代ギリシアの哲学者エンペドクレス(競馬で古代オリンピックで優勝経験あり)に遡る。
     彼によれば、物質のアルケー(万物の根源)は、火、水、土、空気の四つのリゾーマタ(rizomata:根)からなり、それらを結合する「ピリア(φιλια philia:愛着)」と分離させる「ネイコス(neikos:憎)」がある。
     愛と憎の原理によって、四つのリゾーマタ(四大元素)は、集合離散をくり返す。
     宇宙は愛の支配と争いの支配とが継起交替する動的反復の場と理解される。

     ヒポクラテスは、この抽象的な4つのリゾーマタを、生物の身体に見つけられる具体的な液体に割り当てた。
     すなわち粘液…水、血液…空気、胆汁…火、黒胆汁…土。
     そして、これら体液のバランスの崩れが病いをもたらすと考えた。
     いわゆる液体病理学のはじまりである。

     この考えは、デモクリトスらが唱えた古代原子論に基づく固体病理学というライバルがいたが、古代ギリシア医学を集大成したガレノスが液体病理学に与したこともあって、千数百年間ほど西洋医学を支配する。

     液体病理学は、中世に入り、その液体の多寡によってヒトの気質(temperaments)が決定されるという液体生理学に結びつく。
     この生理学によれば、粘液が多いヒトは粘液質、血液が多いヒトは多血質、胆汁が多いヒトは胆汁質、黒胆汁が多いヒトは憂鬱質である。

     四大元素のような抽象概念を絵として描くために、西洋世界は古代ギリシア・ローマの女神を割り当てた。
     そして4つの体液による気質を描くためには、4つの動物が割り当てられた。

     まとめると、下のようになる。
      粘液……粘液質…子羊………水
      血液……多血質…猿…………空気
      胆汁……胆汁質…ライオン…火
      黒胆汁…憂鬱質…豚…………土

     メランコリー(憂鬱質)には割り当てられたのは、豚だった。

     豚は、「羊飼い」たちからみると、定住と安逸の象徴である。
     羊は草を食い尽くすので遊牧せざるを得ない。
     豚は雑食で、人間の食べカスや排出物さえ食べて肥え太るので、草を求めて放浪しなくても済む。
     だからルネサンス以前には、豚と結ばれたメランコリーは、非行動的性向を意味していた。
     たらふく食いながら何もしない豚。

     「満足した豚よりは、満足しない人間である方がよい。満足した馬鹿より、満足しないソクラテスである方がよい」(ジョン・スチュアート・ミル)


     ルネサンスの人文主義者たちは憂鬱質を、自分たちが理想とする「瞑想的人間」を特徴付ける内省的/知的性格と同一視した。
     メランコリーは、サトゥルヌス(土星)の娘であり、女性の姿で描かれた。

    デューラー「メレンコリアMELENCOLIA」(1514)


     美術家、哲学者、神学者はみなサトゥルヌス(土星)の影響下にある。
     そしてメランコリー嬢(頭を抱えて座り込む女性の図像……そのポーズは、究極の知識が得られないというファウスト的絶望、または創造的霊感の喪失を意味している)の傍らに付き従うは、しかし上述の豚ではなく、サトゥルヌスの従者である犬であった。

     彼女は背中に羽を持ち、幾何学をあらわすコンパスを手にしている。
     定規、多面体、魔法陣(タテ、ヨコ、ナナメと数を足したら同じ奴)、天秤、砂時計、望遠鏡などの機器、それにノコギリ、鉋(かんな)、釘などに取り囲まれている。
     そして彼女の左側には、寝そべる犬がいる。


     「豚」が「犬」に置き換えられたのは何故だろう?

     20世紀最大の医学史家ジゲリストの著作(1932) ”Grosse Ärzte: Eine Geschichte der Heilkunde in LebensbildernーDem unbekannten Ärzte, der in selbstloser, stiller Arbeit die Lehren der Grossen Ärzte verwirklicht, sei dieses Buch Gewidmet.”=「偉大な医者たち:伝記による医学史ー偉大な医師たちの教えを非利己的で目立たない働きにより実行した無名の医師たちに捧げる」によれば、古代ギリシアの伝説的名医(のちに神様)アスクレピオス(Ἀσκληπιός , Asklepios)は、その故郷テッサリアでは、もともと「土」の精霊であったという。
     そして知恵をあらわす蛇(しばしばアスクレピオスが持つ杖に巻き付いている)と犬を連れていた。

     ホメロスでは、アスクレピオスはテッサリアの王子であり、その息子のポダレイリオスもマカオンとともに医術に秀でた英雄として描かれている。

     ヘシオドスの詩には、アスクレピオスの出自は次のように語られる。
     アポロン(彼もまた医学の神でもあった)は、ある日ボエベイス湖で水浴していたラピテース族の乙女コロニスを驚かせた。
     アポロンはコロニスに激情を覚えてレイプした。
     コロニスはアポロンの子を身ごもったが、彼女父親は従兄弟のイスキュスをコロニスの夫と定めた。
     アポロンのスパイであったカラスは、この結婚のニュースをコロニスの裏切りとして伝えた。
     怒った神が最初に考えたのは、悪い知らせの持参者を処罰することであった。
     それまで白かったカラスはその後には喪の黒色になった。
     イスキュスはアポロンの矢によって殺され、アルテミス(*月の女神でアポロンの妹)の吹き矢はコロニスと罪のない遊び友達を倒した。
     アポロンは火葬の場で、コロニスの屍体を見てまだ生まれていない息子が不憫になり、赤子を母親の子宮から取りだして、ペリオン山ケイロンの洞窟のケンタウロスに託した。
     この子こそアスクレピオスだった。
     アスクレピオスはここで成人し、賢い半人半馬の先生からどの植物に治癒の力があるかといった、病気を治す術を教わった。
     後にアスクレピオスは、強く求められて医師となった。
     彼は自分の力を誇り自然の法則に逆らって死者を蘇生させることまでした。
     冥界の王者プルトンは、冥界の住民が居なくなると訴えたので、ゼウスはアスクレピオスを雷によって倒した。

     この神話のエピソードについて、ジゲリストは次のように注釈する。
    「医術は本来でしゃばりであり医師は自然の流れに介入することによって誤りを犯すという見解をこの伝説は見事に表現している。古代の人たちは医師の仕事にたいして独特な正当化を求める必要があったようである」。


     アスクレピオスの神殿は、やがてギリシア中にたてられたが、エピダウロスのものが最大であった。
     この地方の伝説によると、コロニスが密かにアスクレピオスを生んだのはここであり、生まれた子をギンバイカの木立に残したと言われている。
     ヤギが赤ん坊にミルクを与え、一匹のイヌが赤ん坊を見守っていた。
     牧夫のアレスタナスが群を数えたときに、ヤギとイヌが居ないことに気がついた。
     アレスタナスは、雌ヤギとイヌと一緒に、赤ん坊の男の子を見つけた。
     彼が子供を持ち上げようとしたら稲妻が光った。
     そこで彼はこの生まれたばかりの赤ん坊が神の子であることに気がついた、という。
     
     こうして犬は、生まれながらのアスクレピオスの従者となった。


     しかし豚のために弁明しよう。
     豚は実のところ太っていない。
     美術史の泰斗アビ・ヴァールブルクは、あえて自分を、嗅覚の鋭敏すぎる豚に譬えた。
     犬と同じに鼻が利く、トリュフ狩りにはかかせぬあの豚に。
     トリュフの臭いに興奮し、狩る者の伴侶から獣へと変化するものに。

    「錬金術師たちは、土星(Satan:Saturn)の中に、水星(Mercury:Hermes)が隠されているのではないかと考えた。黒の中の白、鉛の中の水銀(Mercury)。彼は大人の中にいて、いつか大人の皮を食い破って表れる子供だ」(種村季弘) 

     古代天文学において、もっとも遠くもっとも遅いもっとも暗くもっとも憂鬱に沈んだ惑星:土星(その輪は逃れるのことのできない「運命の輪」(タロット 大アルカナのX(10)を意味する。永劫回帰:輪廻転生)
     放射性物質(たとえばウラノスの石:ウラニウム)の久遠の果ての成れの果てである鉛。

     そして、もっとも近くもっとも速いもっとも明るくもっとも快活な惑星:水星。
     液体金属の水銀の運動性、何者のもおかされぬ黄金すら溶かし込みアマルガムをつくるその活性。
     つまり憂鬱の中の快活さ。

     土星の中の水星。いつか大人(運命)の皮を食い破って表れる子供。





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