結婚仲介と失せもの探しは、同じ系列の問題解決に属する。

     ワイズ・マンやウィッチは、共同体に属しながら、共同体を形作る成員のつながりを少し見とおしのよいところから眺めることができる位置にいる。

      失せものは、それが探すだけの価値があるものなら、所有者がいま持っていないなら、それ以外の共同体の住民が、それを持っている。
     時にはそれは帰ってこない家畜である。
     それほど大きなもの、世話をする必要があるものは、誰の目にも触れずに共同体の外へ逃げ出すことは難しいし、だから共同体のうちの誰かが世話をしているはずだ。

     時には毎日のミルクは頂戴しながらも、いつどうやって帰せばいいか、今の世話主が考えあぐねているかもしれない(近所の家畜を相手の非難を受けずに自分のものにするなど不可能だ)。
     その失った者の依頼の前後には、手にしたものの困惑が直接の相談か間接的な噂話かはわからないが、ワイズ・マンやウィッチの耳にはその声もまた届いている。

     したがって彼らが行うのは「捜索」ではなくマッチングである。

     失った側と手にした側と事情をうまくつなぎなおし、関係を損なわぬように、時には修復するように計らうこと。
     ウィッチが行うのは、そのための機会づくりであり、口実のつく物語を双方に納得させる工夫づくりである。

     ウィッチは両者の関係にも、共同体内の緊張にも、できるだけ負担を欠けない処置を選ぶ。
     失った側に「失せものが見つかるちょっとしたまじない」を教え、たとえ牛が帰ってきても、牛がどこにいたか(誰のところにいたか)詮索してはいけないと釘をさす。
     手にした側(隠していた側)には、人目に付かないように牛をウィッチのところに連れてくるように言う。
     誰にも見つからずにそうすることは難しいが、ウィッチが何をしようとしているか、誰と誰のためにどんな仲裁=仲介を行おうとしているかを、共同体のみんなはうすうす知っているので、ウィッチのところへ牛をつれていく限り、そのことを不問にするだろう。

     そうしてウィッチは、元の持ち主に失せものを連れていく。


     結婚仲裁もほとんどこれと同じやり方で行われる。

     違うのは、結婚仲介のために駆使されるネットワークは、失せものさがしのときよりも、いくらか大きく広い(いくつかの周囲の村や親類がいる近郊の都市や境をこえて)ことぐらいだ。
     双方の事情を鑑みて、ウィッチは双方のニーズとシーズをマッチングさせ、わずかな齟齬は言い含めて納得させるための理由を付け加える。

     これらは、現在でも、「お見合い」を世話する人たちのやり方から、想像がつく部分が多いので、細かい説明は不要だと思う。

     付け加えるならば、「恋の魔法」は、ただのおまじないや気休めや勇気づけやアドバイスといったもの以上の何かであり、もっと責任のある、それ故にもっとウィッチの積極的関与が必要なものだということだ。




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