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     私淑とは、時空を隔てて、または時空を超えて、師に向かい合うことである。

     私淑という言葉は、その対義語である親炙とともに、『孟子』に登場する。
     思想家 孟子が寄って立つところであり、彼の「方法」そのものと言っていい。

     孔子が没したのが紀元前470年。
     孟子の生年は不詳だが、紀元前370年頃と推測される。
     二人の間には100年ほどの時間の隔たりがある。
     
     孟子は孔子の弟子ではない。
     孔子の教えを直接受けることは、もはやかなわない。
     では、孟子にとって孔子とは何か?
     つながりがあるとすれば、彼らは何によって、どのように「つながって」いるのか?

     孟子は、孔子の弟子でないばかりか、「公式」の後継者ですらない。
     ただ孔子の孫弟子たちから、孔子の言行を拾い集め、孟子なりにつなぎ合わせただけだとも言える。
     だが、ここから、何千年もの間、東アジアに痕跡(それと傷跡)を残した儒教という巨大な流れが始まる。
     親炙によることなくとも、自らが会ったこともない孔子に教導され得ることを示すことで、子弟という直接的関係を離れ、人の生の及ぶ丈(たけ)を超えて、教えを受ける/教えが広がる可能性が開けた。
     この可能性がなければ、孔子の教えが「儒教」となることはなかっただろう。



     今日、我々は、およそあらゆる時代に師を求め、私淑することができる。
     極端なことを言えば、実在しなかった人物ですらも、師にできる。
     例えば、ハリ・セルダン(Hari Seldon)に私淑することを夢見なかった社会科学者はいないだろう(THE HISTORY OF ECONOMIC THOUGHT WEBSITEの日本語版「経済思想の歴史」http://cruel.org/econthought/ には、ちゃんと立項されている)。

     
     私淑は、ただその人を師と思い定めれば、今ここから始めることができるが、何から手をつけていいか分からない場合は、伝記(バイオグラフィ)と文献リスト(ビブリオグラフィ)を入手するところから取りかかろう。

     全集や著作集がある場合は、それを手に入れるのが手っ取り早い。
     付録の巻や別巻に、年譜やその人物についての研究を案内したものがある(場合がある)。

     私淑のツールとしては、大まかに言って下記のようなものがある。

    人物について作品(について)
    本人が書いた自伝作品
    全集、著作集
    (書誌)
    他の人が書いた伝記、作家論
    (研究書誌)
    作品論
    (研究書誌)


     著書目録(本人が書いたもののリスト)と研究書誌/参考文献目録(その人について他の人が書いたもののリスト)を合わせた便利なものもある。
     例えば日外アソシエーツの『人物書誌大系』シリーズなどがそれで、中でも出色の出来とされる

    寺田寅彦―人物書誌大系 36寺田寅彦―人物書誌大系 36
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    大森 一彦

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    を例にとりあげると、
    1904年から2005年前半までに発表された寅彦に関する文献(追悼記事、回想文、評論、研究など)1,793点が年代順に収録され、それぞれに要旨または解説がつけられている、そのうち主要文献は再録され、詳しい解題がつけられている。附録として略年譜、刊行年月順の寅彦の著書目録、寅彦全集(岩波書店)に収録されていない文献については、別にまとめて再録されている。


     近現代日本の著名な著作家については、神奈川県立図書館が、人物紹介と著作集、参考文献等をまとめた『グレート・ワークスの世界』というものを刊行している。
     これのウェブ版http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/denshi/g_works/g_works.htmが公開されていて、参考になる。


     さて、全集や著書目録、伝記や自伝、研究書誌などが手に入ったら(一度にすべてを揃えることはない)、あるいはどこにあるか(例えば行きつけの図書館のどの棚にあるか)が判明したら、年譜の自作に取りかかろう。
     これまでに手にしたものの中に、出来合いの年譜があるかもしれないが、自分の手で作ることをお勧めする。
     生年と没年、大きな場所の移動のあった年などを、フレーム代わりに最初に入力して、次に主要作品を発表年に従って挿入していく。
     複数の伝記、自伝、年譜から抜き出して、さらに書き加えていく。
     作品を順に読んで行くにせよ、伝記で人生をタイムラインに沿って追い掛けるにせよ、このお手製の(常に作りかけの)年譜が橋頭堡の役割を担うだろう。
     もちろん読み進める中で、さらに年譜に手を加えていく。
     

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