先日、ダイエットを主題に書いたことだが、この世に散財存在するするほとんどすべてのダイエット法は、体重を減らす効果がある。
     しかし,大抵の場合、「ダイエット中」という非日常を越えて出るものにならないので、日常生活に復帰すると、ほどなく体重は元に戻る。大雑把に言って、99.5%ほどはそうなる。
     体重がリバウンドするというより、あなた自身がリバウンドしてくるのだ。
     体重が減ったままの人間、いわゆるダイエットが「成功」した人は、ダイエットを日常に組み込んだ人だ(といっても、ダイエットの元々の意味に立ち返っただけなのだが)。この先ずっと、ダイエット有りの人生を選び続けるといってもいい。


     英語についても、ほとんど同じことが言える。

     たいていの英語学習法は、程度の差こそあれ、とりあえず効果はある。
     差があるといっても、大したものではない。あっても、せいぜい10倍くらいだ。
     大きな差が生まれるのは、つまるところ、続けるか/やめるか、やるか/やらないかの違いからである。
     英語有りの人生を選び続けるかどうかだ。
     選ばないのも、もちろん有力な選択肢だ。人生には、英語より有益で、しかも楽しいことがたくさんある(たとえば、水泳とか)。
     

     ここまでで書くべきことは書いてしまった気がするが、村上春樹の話が残っていた。

     大方の予想どおり、身も蓋もない話である。


     英語を読めるようになるには、英語を読むしかない。
     どんなトリックや搦め手を用いようとも、どんなメソッドや教授法を選ぼうとも、読むことを代替する手段はない。読むことを避けては、どうにもならない。

     問題は、どうやって自分を「英語を読む」ことに追い込み陥れるかだ。


     英語以外のものは読まないことによって、と村上春樹はいう。

     本はもちろん、新聞や雑誌、電車の吊り広告すら読まない。
     メールもブログもSNSもTwitterも、日本語はダメだ(みたいなことは、古い文章なので書いてないが、当然の帰結である)。
     薬ビンに書かれた効能や成分にも目を走らせてはいけない。

     かわりに英文を持ち歩く。それを読む。英語以外はダメならば、英語を読むしかない。


     こんなこと不可能だ、という声が聞こえてきそうだ。

     日本語を読んじゃいけないだって?
     では、どうやって日々必要な情報を得るのだ?
     どうやって日々のコミュニケーションを円滑に行うのだ?
     どうやって生まれ出て止まない知的好奇心を満たすのだ?
     どうやって友人や同僚や上司が振ってくる話題についていくのだ?
     
     
     こうした反論は、当然、村上春樹も予想しているところである。

     そして大方の予想どおり、再反論も身も蓋もないのだった。


     それが何か? と村上春樹はいう。

     「日々必要な情報」って本当に必要なのだろうか?
     日々のコミュニケーションを円滑に行うことって本当に必要なのだろうか?
     どうやって生まれ出て止まない知的好奇心を満たすことが本当に必要なのだろうか?
     どうやって友人や同僚や上司が振ってくる話題についていくことが本当に必要なのだろうか?
     本当に必要な情報で、しかも英語を読むことを通じては手に入らないものって何だろう?

     
     いや、言いたいことは分かる。

     ひとつだけ反論しておこう。
     本当には必要でないことこそが、日々の生活には本当に必要なのだ。

     
     だが、村上春樹のいうことは間違ってはいない。
     摂取カロリーを制限すれば痩せられる、というのが間違っていないように。

     あとはあなたがこの船に乗るか(別の船にするか、それとも乗らないか)どうかだ。



    (ソース)
    村上春樹「英語の小説を読むための幾つかの方法」
    (『別冊宝島24 道具としての英語〔読み方編〕』(JICC出版局) 収録)

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