Hier sieht man, dass der Solipsismus, streng durchgeführt, mit dem reinen Realismus zusammenfällt. Das Ich des Solipsismus schrumpft zum ausdehnungslosen Punkt zusammen, und es bleibt die ihm koordinierte Realität.
    「ここにおいて、独我論を徹底すると純粋な実在論に一致することが見てとれる。独我論の自我は広がりを欠いた点に収縮し、自我に対応していた実在だけが残される。」(ウィトゲンシュタイン『論考』5.64)



     世界とは何か、それはいかようにして私の前に来たり現れるのか?

    彼はこう言った。

    「その問いは君一人でなく、誰かと共に考えるべきだよ」



     独我論は、存在論の下限である。
     
     だが、独我論は、もっとも小さな(あるいは最低の)存在論なのであって、「私が在る」ことだけから開示される世界は空虚であり、そのうちには何も存在しない。


     哲学的アポリアは、決して哲学的には解くことができない。
     言いかえれば、哲学的な基礎づけを召還するそれらの難問は、ただ哲学的基礎付けの限界を提示するために存在する。

     何故人を殺してはならないか、という問いに対して、人は哲学的に答えることはできない。
     何か示すことができるとしたら、人が殺し殺され、また殺されず殺さなかった事どもと、その意味を誰かと共に確認しあうことだけだ。

     「私は殺さない」は、ほとんど無意味な空言であるが、「私はあなたを殺さない」は実質を持つ。
     約束であり、契約であり、いまや最低限の社会が(あるいは社会の下限が)我々の前に、私とあなたとを含み持ちながら出現する。

     社会的な問い、社会的にしか解きようがない問いが、こうして始まる。


     自己とは、世界の境界である。
     独我論は間違っているのではない(我々はとりあえずはそこから始める以外にない)。だが、それはあまりに貧しすぎるのだ。



    Es gibt also wirklich einen Sinn, in welchem in der Philosophie nichtpsychologisch vom Ich die Rede sein kann.
    Das Ich tritt in die Philosophie dadurch ein, dass »die Welt meine Welt ist«.
    Das philosophische Ich ist nicht der Mensch, nicht der menschliche Körper, oder die menschliche Seele, von der die Psychologie handelt, sondern das metaphysische Subjekt, die Grenze - nicht ein Teil - der Welt.
    「それゆえ、哲学において非心理学的自我を論じうることには確かに意義がある。
    自我が哲学に現れるのは「世界は私の世界である」という事実によっている。
    哲学的自我とは人間ではなく、人間の身体でも、心理学が扱う人間の心でもなく、形而上学的主体であり、世界の部分ではなく、世界の限界である。」(『論考』5.641)


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