知恵が、時に逆説的に思える形で表現されるのは、その方が目立つからだ。
     けれど他にも理由がある。

     世の困り事が、逆説的と呼ぶに相応しい形を取ることがよくあるのだ。
     いや、「問題」という言葉は、逆説的と言いたくなる程こじれた事態を指すのが本当なのかもしれない。

     一般化して言えば、そうした場合、解決へ向かう努力自体が問題の一部を構成している。
     つまり解決に力を注げば注ぐほど、問題は維持され、ときに余計に手強くなる。
     なかなか解決しない問題の多くが、こうした悪循環的なプロセスでもって再生産され維持される。


     小さな例をあげよう。

     震えは、それを止めようとすればするほど大きくなることがある。
     手で握った何かが(たとえば暴れる子が)動かないようにするためには、ぐっと手や腕に力を込めるだろう。
     震えている手や足を、動かぬようにつとめる人も同じようにする。
     しかし力を込める、すなわち筋肉を緊張させることが、かえって震えを大きくするのだ。


     では、どうすればよいのか?
     解決の努力が問題の一部ならば、努力をやめれば良いのか?

     最もよく取られるアプローチだが、実ははあまり良い方法でない。
     何かをしない、ということは、案外難しいのだ。

     たとえば思考抑止という現象がある。
     「ピンクの象のことを考えないでください」
    と言われて、考えまいとすればするほど、ピンクの象のことを考えてしまう。
     考えまい、とするのでなく、この場合は、何か別のことを考える方がましだ。

     震える手(足)の問題に戻れば、この場合は筋肉の緊張を解けばいい。
     しかし「緊張しないでください」「リラックスしてください」と言っても、うまくいかないことが多い。
     自由自在に「リラックス」ができるのなら、世の中から緊張の二文字は消えるだろう。
     大抵は、緊張しまいとすることで、余計に緊張してしまう。
     「リラックスしよう」と努めることで、意識を震える手(足)に集中することで、知らず知らずのうちに、やはり筋肉を緊張させてしまうことが多い。
     すなわち震えは止まらない。

     必要なのな、何か「別」のものだ。

     そのひとつは「症状処方」と呼ばれるものである。
     聞いた感じの通りに、逆説的な手だ。

     今の場合、「症状」にあたるものは、「手が(足が)震える」というものだ。
     だから「症状」は、こんな風に「処方」される。
     
     「手(足)をぶるぶる震わせてください。そうです、もっと! もっと、もっと、もっと激しく、もっとです! ……はい、もう良いですよ」

     意識的に手(足)をはげしく震わせる努力をした後で、努力をやめると、震えは止まっている。

     この小さな例から、いくつか教訓(lesson)が得られる。
     ひとつは、「症状処方」という指示は、どうあっても失敗できない指示だ、という点だ。
     いや、「失敗してはならない」という意味ではない。
     どっちにしろ、成功してしまう指示、と言い換えた方がよいかもしれない。
     つまり、こういうことだ。
     「震わせてください」という指示なのだから、震えることは指示に従ったことになり、成功と言える。
     逆に、震えることができなかったとしたら、その時、元の問題は解決したのだから、成功したと言える。

     反対の例を出そう。
     世の中には、どうあっても従えない指示がある。
     たとえば
    「私に従うな!」
    という指示がそうだ。
     指示どおりにすれば、それは指示に従ってないことになる。
     指示通りにしないとすれば、それは指示に従ったことになる。
     こんな馬鹿な指示は誰も出さない? そうでもない。
     言い回しはいくらか違うが、このバリエーションだと思われる指示は結構ある。
     「自分で考えろ」とか「自主的にやれ」という例がわかりやすいだろうか。

     「症状処方」は、こうした逆説的な指示の、善用である。
     

     教訓の二つ目は、成功(目標達成)と努力についての「別」の見方である。

     意図的に努力しないと、そもそも達成できないような目標がある。
     その一方で、意図的に努力してしまうと、達成できない目標というのも存在する。
     最初に触れたように、意図的な努力が問題の一部になっているケースだ。
     たとえば不眠は、その例になるだろう。

     眠ろうと努めることで、覚醒レベルがかえって上がってしまう。
     むしろ、眠ろうとする努力が切れたところで人は眠りに落ちるのだが、そのことを指摘するだけでは、「リラックスしなさい」と指示するのと同じで、あまりうまくいかないだろう(しかし、こうした指示をする人は少なくない)。
     
     「症状処方」を知った人なら、いくつか「別」の解決策が見出せよう。
     
     一番思いつきやすいのは、「眠るな」という指示だろう。
     もちろん、単に「眠るな」よりも、何か(眠ることと両立しない何か)を指示する方がいい。
     小さいものと、大きなものの例をあげよう。
     小さな指示は「瞬きを我慢して下さい。もう目が閉じそうだ、と思っても耐えてください。3回耐えたら、4回目は目をつぶってかまいません」。
     こじれ具合が、そこまで行ってないなら、こんなのでもうまくいく。
     もっと大掛かりにこじれてる場合は、指示も大掛かりになる。
     大掛かりで好きになれない(できれば、なるだけくだらない)作業が指示される。よく知られている例では「ベッドに入って○○時まで寝付けなかったら、朝まで床のワックスがけ」。

     思わず「真夜中におれは何をやってるんだ?」と嘆きたくなったら、ようやく変化の兆しが訪れたのだ。



     「症状処方」以外のアプローチについては、またいつか。


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    長谷 正人

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