子どもの頃、子どもの本が嫌いだった。
     まして人が勧める本なんか手に取るのも嫌だった。

     そうした訳で、以下にあげるのは「ガキに読ませたくない」本である。
     教え諭すというより、張り合うつもりで選んだ。
     大人げないし、自分史上もっともイタいリストになった。

     なお、以下のリストには「必読書」の類いは一冊もない。
     本当は、世の中ぜんぶの本をひっくるめたって、読まなきゃいけないような本は存在しないのだが、もっと強い意味で、読まなくても全然構わない本ばかりを並べた。
     
     それでも、どれも本気でお勧めする。


    1.橋本治『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』


    花咲く乙女たちのキンピラゴボウ〈前編〉花咲く乙女たちのキンピラゴボウ〈前編〉
    (1995/06/25)
    橋本 治

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    花咲く乙女たちのキンピラゴボウ〈後編〉花咲く乙女たちのキンピラゴボウ〈後編〉
    (1995/06/25)
    橋本 治

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     この世にしっかり存在しているのに存在していないように扱われてきた世界を、存在してはならないと思われながらけれどしっかり現実に生きてきた言葉でもって、誰の目にもこれ以上にないくらいの明らかさで、この世に存在させてしまった本。
     普通は、少女マンガ評論の嚆矢とかドゥームズデイ・ブックと紹介される。
     人が何故読み書くのかを、そして書物がこの世界にいったい何のために存在しているのかを、パレードの先触れのように知らせてくれる。
     だから、このリストでも1番に挙げられる。

     併読書には、ほとんど同じ理由で、つまり現にありありと存在するのに、語る言葉も語る機会も周到に回避されてきたものについて、これ以上にないくらいの真摯さと明るさで語り示したものとして、イヴ・エンスラー『ヴァギナ・モノローグ』。

    ヴァギナ・モノローグヴァギナ・モノローグ
    (2002/12)
    イヴ エンスラー

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    2.葛野 浩昭『サンタクロースの大旅行』


    サンタクロースの大旅行 (岩波新書)サンタクロースの大旅行 (岩波新書)
    (1998/11)
    葛野 浩昭

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     本を読めという人間が大抵ろくに(そして、ろくな)本を読んでいないように、歴史を知れとのたまう連中の多くは、歴史を英雄伝か王朝交替もの、つまるところ自分たちを慰撫するおとぎ噺だと思ってる。
     人間の顔をした歴史なんか、そんな連中にまかせて、あるいはそんな連中は『ローマ人の物語』にでもまかせて、ここではモノが語る歴史(モノガタル歴史)の話をしよう。

     このジャンルのエントリーモデルとしては、世界史上最も成功したドラッグ「砂糖」を取り扱った(当然、茶やコーヒー、ソフトドリンクまでがその射程である)『砂糖の世界史』(岩波少年新書)がある。
     しかし、上にかかげた小さな書物があつかうのは、同じ「世界商品」でも、ずっと新しいもの、この神なき時代、《世俗化》する世界で、着々と版図を広げた宗教儀礼とその主役、すなわちクリスマスとサンタクロースである。
     言うまでもなく、我々が良く知っているあのサンタクロースは、スーパーマンやミッキマウすと同様にアメリカ製品である。ジャズ・エイジが鋳造し、コカコーラ社が世界中に派遣した童顔のじいさんは、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフのエバンジェリストに他ならない。
     現にマーシャルプラン(ヨーロッパ復興計画)のドルによる経済支援が、ヨーロッパ中にアメリカ製品を溢れかえらせた1951年のクリスマス・イブには、フランス中東部のディジョンの街で、「教会の横領者にして異端者」として有罪判決を受け、サン=ベニーニュ・ド・ディジョン大聖堂前広場に集められた子どもたちの前で、サンタクロースは聖職者たちによって火あぶりに処せられた。近頃でも、「クリスマスの空疎な商業主義」を批判するドイツのカトリック司祭が2002年に始めた「サンタ・フリーゾーン(Santa-Free Zone、サンタ撤廃地域の意)」運動が、サンタの手からクリスマスを取り返すべく行われている。
     しかしヨーロッパでは、その原形である聖ニコラウス(東方教会では聖ニコラオス)の祭りは、太陽の死と再生を取り扱う冬至祭であり、この祭儀は魑魅魍魎を引き連れてやってくる、キリスト教伝来以前の鬼神信仰に由来する。一言でいえば、サンタクロースとはもともとナマハゲに他ならなかったのだ。
     ウソだとお思いか? 聖ニコラウスは子供を守る聖人ではなかったと言われるか? よろしい。では、ドイツの聖ニコラウス祭に欠かせないクランプスとシャープをお見せしよう(http://homepage.mac.com/yashirohaga/pages/europe/kra/krafla.html)。1997年には実際に、男鹿市の真山神社(いうまでもなくナマハゲの神社だ)を、ドイツのミッテンドルフのクランプスたちが訪れ、鬼同士の交流を深めている。
     まだまだ書きたいことはあるが(ものすごいネタの量そして密度なのだ)、概要を提供するのは本意でない。ここでは、ただ次の事実に注意を促すことでこの本から引き上げよう。
     歴史は、我々の予想は裏切っても期待は裏切らない王道バトルでも、まして適当なカタルシスを与えてくれる予定調和的コメディでもない。ただ知るだけで、現在目の当たりにしている当たり前のことたちが、その有り様が、一変することだってあるのだ。

     この本は、あなたのサンタクロース観を粉々にするかもしれない。
     それでもきっと、一読すれば、あなたは今よりサンタとクリスマスが好きになっているだろう。
     ひょっとすると、「一人きりのクリスマス」を回避するために恋人さがしに奔走する若者たちを、大目に見ることだってできるようになるかもしれない。
     そのあたりが、アメリカ的クリスマスへの反・商業主義的義憤をぶちまけるだけの原理主義的な(しかし何についての原理主義だ?)『クリスマスの文化史』みたいな本とは根本的に異なるところである。

     併読書には、ちょっと(いや結構)古いが、似非科学についての豊かなケース・スタディ(進化論に抗い結構な勢力を得ている創造科学、心は脳にあるというその唯物主義でヨーロッパ中の当局者を震え上がらせた骨相学、アカデミズムから軽蔑を受ける小さなサークルで生まれ育ち、最も成功した似非科学であり今では正規の(少なくとも)人文科学のうちに一定の勢力を築いたマルクス主義と精神分析まで)を取り揃えたロイ・ウォリス編 『排除される知』を……なに、絶版?

    On the Margins of Science (Sociological Review Monograph S.)On the Margins of Science (Sociological Review Monograph S.)
    (1978/08)
    Roy Wallis

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    3.ジェイ・ヘイリー『アンコモンセラピー』

    アンコモンセラピー―ミルトン・エリクソンのひらいた世界アンコモンセラピー―ミルトン・エリクソンのひらいた世界
    (2000/12)
    ジェイ ヘイリー

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     ミルトン・H・エリクソンのところに、人生をあきらめた21歳の女性から電話がかかってきた。
     電話の向こうで彼女は言った。「先生はどうせ私に会ってくれないでしょう」。
     ものすごい数の水玉模様の服を着て診察に現れたときも彼女は言った。「電話でもいいましたが、私もう死にます。父が死に、母も妹も死んで、何もないんですから」。
     打ちのめされた人がしばしばするように、彼女にはどんな申し出もはねのけ、あらゆる親切を疑い曲解する準備があった。今度の医者も、親切ごかしで自己満足に浸り、適当なウソを塗り込めて、ありもしない希望を持つように説得するものだと信じて疑わなかった。
     エリクソンにも、彼女が何を予期し期待し、あらかじめ失望しているのかがわかった。
     身の上話を聞いた後、エリクソンは尋ねた。
    「あなたの身長と体重を教えて下さい」
     彼女は非常に沈んだ調子で答えた。
    「身長は150cmです。体重は110キロと120キロの間です。私は不器量でデブのろくでなしです。誰でも私を見ると不快な顔をします」
     エリクソンは口を開いた。
    「本当のことを言っていませんね。私が簡潔に言いましょう。そうすれば、あなたは自分のことが分かるでしょうし、わたしがあなたを理解したということも分かるでしょうから。あなたは不器量でデブなろくでなしではありません。あなたは私が今まで見たなかで最も太っている醜い脂肪のかたまりです。あなたを診なければならないとおもうと、私はぞっとします。あなたは私が見たなかで最も醜い顔をしています。鼻は顔に埋まっています。歯並びはガタガタで、下あごは上あごと合っていません。ひたいもひどく狭い。服もものすごい数の水玉模様です。足は靴からはみだしてます。簡潔に言えば、あなたはぞっとするほど醜い人です。でもあなたは援助を必要としています。あなたは自分を助ける手段を学ぶ前に、自分のことを知る必要があります。でも、あなたにそれが耐えられるとは思いません。なぜ私のところに来たのですか?」
     彼女は答えた。
    「催眠に入れてもらえば、少しは痩せられるかもと思ったんです」
    「あなたを催眠に入れましょう。それから、あなたをけなすようなことを、いくつか言いたいと思います。目覚めているときには耐えられないでしょうが、トランス状態なら聞くことができるでしょう」
     エリクソンは彼女を催眠に入れ、彼女は催眠に入った。その後、彼女は自分の家族のことを話した。
    「父は私を嫌っていました。酔っぱらいでした。父は私をいつも蹴り上げました。母も同じだけど、先に死にました。父より私をひどく扱いました。私が高校を嫌っていることを知っていたので、私を高校へやりました。私と妹をガレージで生活させました。妹は背が低く太っていて、膀胱が体の外に飛び出てました。いつも病気でした。彼女が腎臓病で死んだ時、両親は『よかった』と言いました。私が愛した唯一の人を、彼らはただ埋めてしまいました。翌年、母は飲み過ぎて死にました。すると父はもっと性悪な女と結婚しました。彼女は残飯をガレージに持ってきて死ぬまで食べてよいと言いました。彼女も母のように酒飲みでした。ソーシャルワーカーも私を嫌っていました。福祉課は私に働くように言いました。私は床掃除の仕事につきました。そこの男たちは私をからかいます。彼らは、誰が私とセックスするか賭けをしています。でも誰もしないでしょう。私は全てにおいて駄目なんです。でも生きていたいんです。多分あなたは私を催眠に入れて何かしてくれるでしょう。でも何の役にも立たないと思います」
     エリクソンは答えず、彼女に質問した。
    「図書館がどんなところか知っていますか? 図書館へ行って人類学の本を借りて来なさい。男と結婚している、ありとあらゆる種類の、ぞっとするほど醜い女を見てほしいのです。図書館には彼らの写真があるでしょう。本を何冊も眺めて好奇心を旺盛にしなさい。それから、どのように男女が自分の外見を醜くするか、入れ墨をしたり腕を切り落としたりするのか、書いてある本を読みなさい。過ごせる時間のすべてを図書館で過ごしなさい。十分にそうしたら2週間後にまた会いましょう」
     2週間後、彼女はやって来て、尻の肥大した女性やアヒルのような唇の女性、キリンのような首をした女性などを見つけたと報告した。
     エリクソンは今度は、街の一番人通りの激しい通りで、既婚女性を観察するよう指示した。
     彼女は1週間観察を続けた。診察室にやって来て、自分と同じくらい不器量な女性が結婚指輪しているのを見て驚いたと話した。
     エリクソンは、再び図書館へ行って、今度は化粧の歴史について本を読むように言った。
     次の週、診察室に彼女が現れたときには、もう最初のときのような卑屈な態度はなかったが、服はまだ水玉模様だった。エリクソンは、また図書館へ行き服装やマナーの歴史の本を読むように言った。
     1週間後、彼女は課題をやり終えて、診察室に現れた。
    「今度は、今までで最も難しい課題です」
    エリクソンは彼女がやることを説明した。
     次の2週間、彼女は水玉模様の服を来て、ブティックというブティックを訪れ、店員にどんな服を来たらよいか教えてくれるように、丁寧にそして率直に尋ねることを繰り返した。多くのベテランの店員が「あらまあ」と彼女に声をかけ、なぜ水玉がたくさん描かれた服を着るべきでないか説明してくれた。
     次の2週間、彼女はなぜこれほどまでに体重をふやさなければいけないのか、なぜ脂肪に包まれていなければならないのか、考え続けるように言われた。2週間後、彼女はどんな理由も思いつけなかったと報告した。
     次の2週間、彼女は今の体重を維持しなければならない理由を見つけるように言われた。2週間ごとに診察室に彼女はやって来た。そして6ヶ月後、この体重を維持する理由は何も見つからないと、彼女はエリクソンに告げた。そして尋ねた。
    「自分に何ができるか、考えてもいいでしょうか?」

     ○   ○   ○

    (参考 「エリクソンによるエリクソン」)

     併読書には、何か調べものの本をあげたかったが、サービスとしてのレファレンス・ワークや問題解決のための調査技法といった本はいくらもあるのだけれど、自己陶冶のための調査入門といった本は見つけることができなかった(だから『図書館となら、できること』というシリーズを、このブログでちびちび書いているのだが。
     そんなわけで「どうやって問いをつくるか?」「何があれば、その問いに答えられるのか?」という話は調べものの大前提であることから『創造の方法学』にご登場願うことにした。

    創造の方法学 (講談社現代新書 553)創造の方法学 (講談社現代新書 553)
    (1979/09/18)
    高根 正昭

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    4.松田 道雄『恋愛なんかやめておけ』


    恋愛なんかやめておけ (朝日文庫)恋愛なんかやめておけ (朝日文庫)
    (1995/12)
    松田 道雄

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     最後が「子供向け」っぽい本になってしまったが、これ以上の本がないのだから仕方がない。

     多くの人に届かぬことを承知で書くが、人間関係のメンテナンスにエネルギーを費やすよりも、自分のために労力と時間は使った方がいい。

     コミュニケーションの問題は、早くから手をつけないと(出遅れると)取り返しがつかなくなるといった信仰が、希釈されながらも広がっているようだけれど、ぶっちゃけ同調圧力に身をゆだねることをコミュニケーションとは言わない。
     コミュニケーションが問われるとしたら、仲間内でない人間とまともに口が聞けるか聞いてもらえるかといった場面であって、この手のスキルを鍛えたいなら文通(メールじゃないぞ、手紙を書くのだ)でもやった方がはるかに有益だ。実のところ、まともに手紙が書ける大人なんてほんのわずかだが。

     学ぶことは、たとえ空間的には動かぬ時にも、移動することだ。今いる場所とは違うところへゆっくりとでも進むことなのだ(実際には空間的にも移動することが多い。自分が生まれ育ったのとは別の街で暮らし、行ったこともないところで一生を終えたいなら、学ばなければならない)。

     だから、より多く学ぶ人は、より多く別れる。

     異なる場所からはじまった二つの旅は、互いに異なる方向と速さで進んでいたからこそ交わったのだから、やがて離れていくことは半ば必然だ。

     学ぶものは移動する。
     しばらくすると、自分が元いた場所にいないことを知るだろう。
     同じように仲間と会っていても、同じように付き合えない自分に、知らぬ間に変わってしまった関係に気付くだろう。
     集うことと関係することの間にある圧倒的な違いに行き当たるだろう。

     さよならを言うときが来たのだ。

     ここから先は、あなた一人で進まなくてはならない。あなたを隠してくれる仲間はいない。けれど、あなたがおよそ言葉を交わすに足る人間なら出会うだろう。たった一人で、あなたに向かい合う人に。


     併読書は、子供には絶対分からない、ケストナー『人生処方詩集』。

    人生処方詩集 (ちくま文庫)人生処方詩集 (ちくま文庫)
    (1988/10)
    E. ケストナー

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