ほとんどすべての推薦書リストに、本を探すための本は登場しない。
     大抵の読書論は、書誌の存在にすら触れない。
     あらゆる書物はつながり合っているというのに、多くの書評は一輪ざしのようにただ一つの本だけを掲げる。

     書誌を知らぬ読書家は、海図を持たない船乗りに等しい。
     そうした船乗りもまた海に出ることはできよう。だが、彼の海路は、陸から離れぬ域にとどまる。
     読書に置き換えて言うなら、宣伝や書評に「教えて」もらわなければ、何を読むかも決められない本読みに相当する。


     書誌は、あるテーマについて(ある分野や人物についてのこともある)、世の中に存在する文献の一切合切を集めようとしたリストだ。
     人がなすことに元より完全なものはない。すべての文献を集めることは事実上、不可能だ。あらゆる書誌には、載せるべきであったいくつもの文献が欠けている。その意味でも、すべての書誌は未完成である。また、決して完成しないという運命を受け入れなければ、どのような小さな書誌も生まれてくることができない。
     それでも書誌は、我々が一通り調べ上げる程度では届かぬ域にまで人を誘う。
     あるいは書物の海の広さと深さを、さあ見ろとばかりに眼前に展開する。


     たとえば寺田寅彦(1878-1935)について書かれた文献を集めてみよう。
     国立国会図書館の蔵書検索・申込システム http://opac.ndl.go.jp/ へ行って、「一般資料の検索(拡張)」から〈件名検索〉を選んで「寺田寅彦」と入力して検索ボタンを押す。すると下記の通り表示される。

     個人名 1-1(1件)

    1. 寺田, 寅彦 (1878-1935)∥テラダ,トラヒコ
    ← 藪柑子
    ← 寅日子
    ← 寺田, 寅彦∥テラダ,トラヒコ
    →: 吉村, 冬彦 (1878-1935)∥ヨシムラ,フユヒコ

    ここで「寺田寅彦」をクリックすると以下の通り45冊の本が並ぶ(ペンネームの吉村冬彦の方をクリックすると『「籔柑子集」の研究』が見つかるが、これは今の45冊の中に入っている)。

     検索条件: 個人名=/寺田寅彦18781935/ or 件名典拠ID=/00083550/
     結果件数: 和図書 45件 / 洋図書 0件

    次は本ではなく、雑誌等に載った論文・記事を探そう。
    国立国会図書館の蔵書検索・申込システム http://opac.ndl.go.jp/ へ行って、「雑誌記事索引の検索」からを選んで、これには件名検索はないので、論題名の欄に「寺田寅彦」と入力して検索ボタンを押す。すると下記の通り表示される。

     検索条件: 論題名=寺田寅彦
     結果件数: 雑誌記事索引 186件

     書籍と雑誌記事とで合計231件の文献が見つかった。

     では書誌の力をお見せしよう。
     大森一彦著『人物書誌大系36 寺田寅彦』(日外アソシエーツ,2005)を開く。(ここにカタログがある http://support.nichigai.co.jp/PDF/1939-8.pdf

     この書誌には、1904年から2005年前半までに発表された寺田寅彦に関する文献1793件が収録されている。

     圧倒的じゃないか。

     しかも蔵書検索や記事検索が吐き出した単なる文献リストとは違って、各文献に要旨もしくは解説がついている。さらに執筆者名索引はもちろんのこと、文献を分類した索引までついている。


     事情を知る人は、どうにもフェアでない比較だと言うかもしれない。
     今挙げた例は、書誌の中でも最上の部類に入るものであって、世の中には「ただの文献リスト」以外の何ものでもない書誌の方が圧倒的に多い。

     それでも、仮にも「書誌」と名乗るものであれば、図書館の蔵書データベースにあたった程度では、書誌の圧勝は揺るがない。


     今度は違う方面から苦言がなされるかもしれない。
     そんなに多くの文献を並びたててどうしようというのか。
     ごくごく一部の専門家を除けば、そのほとんどは誰も読まないし読めないじゃないか。
     だいたいそれらの文献の多くは、手に入るかどうかさえ疑わしいじゃないか。

     なるほど、その通りかもしれない。
     書誌は当然ながら、文献それぞれの出版事情や流通状況などには頓着しない。
     アマゾンの在庫にあろうが、出版部数がたった10部の私家本であろうが意に介さない。
     おそらく今のあなたの手には入手することも難しい、あるいは書誌なしには存在すらつかめなかった文献を、書誌は教え示す。
     手に届かぬ文献を知って何か意味があるのだろうか?

     もちろんある。
     たとえば「見つからないもの」は存在しないものと横着を決め込み、知り得る限りが世界の全てだと思い込んできた、知性の幼年期はそこで終わる。
     圧倒的な広さと深さをもってひとたび現れた未知なる世界は、際限なく姿を変えながらも消えることなく、生涯あなたに挑み続けるだろう。そして未知なるものに切開された魂は、どこまでも進もうと、踏破した先を、さらにその先を望んで止まないだろう。

     あなたはもう知ってしまった。世界は広がったのだ。


    寺田寅彦―人物書誌大系 36寺田寅彦―人物書誌大系 36
    (2005/09)
    大森 一彦

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