地蔵=ヘルメス

     地蔵菩薩(クシティガルバKsitigarbha)は六道および五濁悪世を巡って衆生を救うという。地獄までも降りて衆生を救いに来るこの菩薩は、六道輪廻の、そして地獄の恐怖が人々に植え付けられるまでは、さほど知られた菩薩ではなかった。
     子どもが死後行き、苦を受けると信じられた、冥土の三途(さんず)の川のほとりの河原を賽の河原という。子どもは石を積み塔を作ろうとするが、大鬼がきてこれをこわす。その繰り返し。「シシフォスの労働」を思わせるこの永遠(永劫回帰)の徒労から子どもを救うのが地蔵菩薩である。身代わり地蔵であり、子供姿で現れる地蔵は、ここでは子供の救い主(まるで聖ニコラウス=サンタクロース)として登場する。では、何故ことさらに地蔵なのか。
     子供たちの積む石こそ、亡者の導べとなる石だった。疫病に苦しむ平安京を救うため京の外周(京への進入路)に配置された六地蔵は、やがて辻々を守る地蔵様として広がっていった。そこで日本古来の賽の神(道祖神)と出会う。伊弉諾尊イザナギノミコトが伊弉冉尊イザナミノミコトを黄泉ヨミの国に訪ね、逃げ戻った時、追いかけてきた黄泉醜女ヨモツシコメをさえぎり止めるために投げた杖から成り出た神) 邪霊の侵入を防ぐ神=さえぎる神=障の神(さえのかみ)、「境の神」である(イザナギ=オルフェウスは振り返ったため妻を失い、ロトの振り返ってしまった妻は塩の柱と化す。オルフェウス教の流れをくむピタゴラス教団の教えには「豆を食うな」の他に「国境で振り返ってはならない」というものがある)。地蔵菩薩は道祖神と習合し、道を守り、導きを守る。子供たちが石を積む河原は、その救い主(地蔵=賽の神)の名から「賽の河原」と呼ばれるのである。
     賽の神、「さえぎる神」は、また導きの旅である、神々の旅の先駆を勤めた猿田彦神にも擬し,地獄と現世の境である「賽の河原」で亡者を救う神、我らが地蔵のもうひとつの姿である。
    誰かが山を歩いていて、ふと道の端に積み上げられた石ころを見つける。この石の山は、彼のような者が何人か通りすがりに投げていって、時が経つにつれてこうした形になったものである。これをギリシャ人たちは「ヘラス」と呼ぶ。この石の山はよく知らない場所を通るときの道標となる(誰かがそこを通って行ったのだ)。やがてギリシャ人の旅人たちはこう考える。神がそこに住まっておられる、神が我々を導いて下さる。旅路の平安を祈る旅人がここに食べ物を備える。次に通った者が空腹ならそれを食べる。
     この「見つけもの」を「ヘルマイオン」と呼ぶ。石の小山は、のちに人の姿をとり、ヘルメスと呼ばれる旅人の道案内、さらに我々の知る《越境の神》となってゆく。
     まず国境を越える旅の守り神、共同体の境を越える商業の神(商人merchantは、ヘルメスのラテン名メルクリウスからきている。)。そして天上界と地上界の境を越え、天上から火を盗んだ人間たちへの不幸の贈り物(パンドラ)を送り届けたのも、また愛の神エロスのところへ花嫁プシュケを連れていったのも彼だった。
     あるいは地上界と冥界の境を越え、死せる魂を地獄の番人カローンに引き渡すのも、冥界の王ハデスに嫁いだ彼女につかのまの里帰りをさせるのに地上への案内人の役をはたすのも、また彼ヘルメスだった。
     ヘルメスの像、ヘルメ柱は(しばしば名ばかりの杭や石塚に過ぎなかったが)、距離や境界を示すために道端に立てられていく。


    地蔵=閻魔

     冥府の王Yamarajaは、インドのヴェーダ神話に見える神で、最初の死者として天上の楽土に住して祖霊を支配するとされていたが、後に下界を支配する死の神、地獄の王となった。これが仏教に取り入れられ、因果応報の唱道に利用されるため、地獄の裁判官=閻魔王、閻魔羅闍(エンマラジヤ)となった。『仏説閻羅王五天使経』『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土教』など多くの仏典(中国・日本の偽撰)に表れる。後者は「預修十王経」とも呼ばれ、地獄の裁判システム=魂の仕分けシステムを次のように記している。初七日に秦広王の庁に至り、以下順次に、二七(ニシチ)日(初江王)・三七日(宋帝王)・四七日(伍官王)・五七日(閻魔王)・六七日(変成王)・七七日(太山府君)・百箇日(平等王)・一周年(都市王)・三周年(五道転輪王)といった具合に各王の庁を過ぎて娑婆でした罪の裁断を受け、これによって来世の生所が定まるとされる)。そして仏教が中国に移入された段階ですでに、閻魔の本地は地蔵菩薩である、という信仰が生まれていた。
     いずれにしろ、死者の生前の行いをあの閻魔帳(魂の戸籍謄本)により残らずチェックし、その罪を呵責する憤怒の王であることには変わりない。つまり閻魔は、判事であると同時に、衆生の逃るべからぬ記録管理人である。魂を、輪廻における魂の仕分け責任者にして、その再生に至るまで管理する情報管理人。

           
    ヘルメス=天使       

     ゆるやかな定義によれば、天使は次のようにいわれる。「神の使者として天界から人間界に派遣され、神と人間との仲介をなし、神意を人間に伝え、人間を守護するというもの」。このような天使は、一神教の特産である。一神教で、神は唯一神にして超越神である。人が神から切り放されているのと同じく、神が人間や世界から遠く、切り離されている。天使は、神と人とを媒介する。神と人の中間に位置するもの、神と人との境にあるもの。
     越境する神ヘルメスは、神(ゼウス)の使いである。彼は神の一員であるが、神々と人々の媒介者でもある。


    閻魔=天使

     神なき時代の「天使の仕事」がなんであるか、『ベルリン天使の詩』というフィルムが知らせている。
     かれらは歴史の証人だ。だが誰にも証言しない。かれらは眺めている。かれらは耳を傾ける。かれらは拾い上げる。かれらは記録する。それがかれらの仕事だ。
     たとえば3世紀ヨーロッパにおいて、伝統的ユダヤの宗教実践に抗して展開された一種の神秘的教義(カバラ)を解するヘブライ人たちに記録天使として知られるメタトロン(情報の天使)。 いうまでもなく記録天使RECORDING ANGELは閻魔(この記録=情報管理人)とごく親しい関係にある。


    天使=サタン

     堕天使を悪魔(サタン/ルシファ)の起源とする説について、初期教会は「明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった」(イザヤ書14:12以下)を根拠としていた。ダンテは北半球から地獄へと降りていくが、途中地の底で、南半球の海に頭から落ちてきたルシファのその頭に出くわす。彼が登ることになる浄罪山は、ルシファの頭が落ちてきた衝撃で、反対側に突起したものである。
     一方、サタンという名は、ヘブライ語satan(敵対するもの)に由来する。「ヨブ記」では、人の罪を神に訴え、義人ヨブに試練として苦難を与えるために,神と人の間を往復(あるいは媒介)する。ファウストのもとを訪れる誘惑者メフィストフェレスもこの系列に属する。
     またサタンの名はローマの地神サトゥルヌスに近しい(その英語読みはSaturnである)。鎌を手にしたこの古代ローマの農耕神の意匠は,やがて死神のそれへと転ずるだろう。ダンテが悪魔に与えたその姿(ヤギの角と尾、割れたひづめをもつ)は、サトゥルヌスや半人半獣のファウヌス(パン)などの異教の神々に由来する。
     しかしなによりも、サトゥルヌスはギリシャ神話のクロノスと習合する。時の神クロノスは、父である天空神ウラノスによって地下界(冥界)へと突き落とされるのだ(彼の鎌は、復讐をとげ、ウラノスを去勢するための道具である)。やがて自身が復讐されることを恐れるクロノス=サトゥルヌスは、神々を残らず飲み込んでしまう。そして「時」とは、すべてを飲み込み、「熱死(ヒート・デス)」へむかって最終的には破滅させるものだろう。
     いずれにせよ悪魔たちは、後にも神の負の使いである。試練や試しという神意は、悪魔という回路=媒介を通じて行われる。あるいは本来世界に満ちている悪や悪意は、悪魔という回路=媒介を通じて、神に(あるいは教会の教えに)回収されるといえるかもしれない。


    サタン=プロメテウス

     プロメテウスは神々から火を盗み人間に与えた。火は単なる自然の要素でなく(それであれば、神々はあんなにも苛酷な罰をプロメテウスに与えはしなかっただろう)、人間を動物から分かつ、知の火花である。
    火は知の源だった。プロメテウスがしたことは(そして許されざる彼の罪は)、人を無知から救い出したこと、人に知を与えたことである。 
    神はアダム(人間)に、「知恵の実」を食べることを禁じていたのだ。狡猾な蛇は、アダムの妻イブをそそのかす。「それを食べるとあなたがたは目を開け、神のように善悪を知るでしょう」。
    蛇は聖書ではサタンと同義語である。黙示録は、サタンを「歳の経た蛇」と呼んでいる。 かれらの仕業は知と情報の独占とその対抗(知の伝達)に関わる。


    プロメテウス=ヘルメス

     火と知をもたらす、いわゆる文化英雄は、かならず越境者である。
    彼は盗人であり、一方から他方へと「持ち出し-もたらす」ために、悪人であるとともに英雄である。
    善悪は境界において背中合わせであり、かれらはそれを越える/転換する。知は錯乱と再生を引き起こす。盗人の神、越境の神であるヘルメスもまた、情報と知を司る神であり、やがてエジプトの文字の発明者、知識神トート神と合体する(トート・ヘルメス・トリスメギストス)。
    トート神はまた地獄の裁判官の書記・記録官を勤めていた。古代中国では伝説皇帝伏犠、神農であり、日本では作者の聖、聖徳太子がこれにあたる。

    アレキサンドリアの伝承によれば、ヘルメス・トリスメギストスは3度生まれ変わっている。最初のヘルメス・トリスメギストスはアダムの孫であり、ノアの洪水以前にエジプトを訪れ、錬金術と占星術を講義し、ピラミッドを建造した。トート・ヘルメスが錬金術の父であるのは、地下の鉱物と地上の生命を繋ぎ(かれは両世界の伝奏者である)、死と再生を司る秘術を伝えるものである。地上の事象と天体の運動を繋ぐ占星術についても同様のことがいえる。

    2度目のヘルメス・トリスメギストスはバビロンに姿を現し、自然学、医学、哲学、数学を、他ならぬピタゴラスに教えている(ピタゴラスはインドへ渡り、ブッダと輪廻転生について意見を交わす)。

    3度目のヘルメスはアレキサンドリア(ギリシャ人のエジプト植民地;おそらくはヘルメスとトートが出会った都市である)で、エジプト人タトとギリシャ人アスクピレオスにヘルメスの奥義を手渡す。アスクピレオスは、アポロンの子にして、医術の神であるが、医師であり階段状ピラミッドの設計者として知られるインポテプをモデルにするという。ヘルメスの杖(カドゥケウス)には、知恵の象徴である蛇が2匹絡まっている(カドゥケウスは現実界では伝令使の持ち物であり、通行手形の役目を果たした)。一方、アスクピレオスの杖には1匹の蛇が絡まっている。


    ヘルメス=サタン

     「錬金術師たちは、土星(Satan:Saturn)の中に、水星(Mercury:Hermes)が隠されているのではないかと考えた。黒の中の白、鉛の中の水銀(Mercury)。彼は大人の中にいて、いつか大人の皮を食い破って表れる子供だ」(種村季弘)
     古代天文学において、もっとも遠くもっとも遅いもっとも暗くもっとも憂鬱に沈んだ惑星:土星(その輪は逃れるのことのできない運命の輪を意味するだろう。永劫回帰:輪廻転生)放射性。物質(たとえばウラノスの石:ウラニウム)の久遠の果ての成れの果てである鉛。そして、もっとも近くもっとも速いもっとも明るくもっとも快活な惑星:水星。液体金属の水銀の運動性、何者のもおかされぬ黄金すら溶かし込みアマルガムをつくるその活性。
     「地蔵」は、大地(クシティksiti)の子宮(ガルバ garbha)の意訳である。すべてを飲み込む大地=土がやがて何かを生み出す力を意味している。地蔵は冥界の支配者(Satan:Saturn)=閻魔であるが、また子供の姿で我々の前に表れるだろう。憂鬱の中の快活さ。土星の中の水星。いつか大人(運命)の皮を食い破って表れる子供。




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