1968年、ジョンソン大統領は「猥褻とポルノに関する諮問委員会」を設置した。
     この諮問委員会はこの諮問委員会は19名の委員と20人のスタッフとから成り、2年間の時間と200万ドルの費用をかけて報告をまとめた。

     『日本大百科全書』には「報告に基づいてポルノグラフィーの販売・陳列・配布の禁止に関する法律をすべて撤廃した」とあり、『世界大百科事典』でも「成人に対するポルノグラフィーの販売、陳列、配付の禁止に関する法律をすべて撤廃するように勧告した。デンマーク、スウェーデン、イスラエル、イギリスなどの研究も同様な結論に達し、日本以外の先進諸国は1960~70年代にポルノグラフィーを解禁した。」と勧告・研究がポルノ解禁につながったような書きぶりであるが、我妻洋『社会心理学入門』(講談社学術文庫、1987)では、次のように書いてある。

    1970年、委員会は700ページに及ぶ膨大な報告書をニクソン大統領に提出し、「成人についてはポルノをほぼ全面的に解禁すべきである」とのべた。ニクソン大統領は激怒して、この報告書をはねつけた。(p.104)


     「はねつけた」報告書に基づいて「法律をすべて撤廃」することなどありそうにないが、本当のところはどうなのか?
     だいたいジョンソン大統領が設置した諮問委員会が、何故ニクソン大統領に答申しているのか? アメリカ合衆国大統領にはリコールはなく任期は決まっており、任期内に答申の提出が行われるのが当然であり普通でもあるのに。

     以下では、諮問委員会が提出した1巻の要約(これだけで700ページある)と9巻の研究報告書(Technical report)が「闇に葬り去られた顛末」を簡単に紹介する。



     『世界大百科事典』(平凡社)の「ポルノグラフィー」の項では、このCommission on Obscenity and Pornography(猥褻とポルノに関する諮問委員会)が設置に至った経緯が次のように記されている。

    「ポルノグラフィーを取り締まるためには,それが反社会的行動を誘発して有害であることを証明しなければならぬという世論が1960年代に高まった。そこで,アメリカではジョンソン大統領の諮問をうけて,19名の権威者と20名のスタッフが〈猥褻とポルノグラフィーに関する委員会〉をつくり,68年から2年間に200万ドルを費やして実証的研究を行ったが……」
     
     しかし実際には、
    「わいせつ文書及びポルノグラフィーの流通の実態はもはや放置しえない段階に至っており、連邦政府はそうした文書や書物が国民、特に青少年にとって有害な影響を及ぼしているのかどうか、またそれらをより効果的に取り締まる方法があるのかということについて、早急に検討を始めるべきである」との決議案が連邦議会で採択され、これに基づき諮問委員会の設置を大統領に求める法案もまた可決されたことによる。

     1950年代末から60年代にかけては、これまで「わいせつ」とされ検閲されてきた文学作品が勝訴していった時代であった。たとえば1930年代から再三にわたって検閲・没収・出版者の逮捕にさらされてきたD・H・ロレンス『チャタレイ夫人の恋人』は1959年に、発送中の書籍を没収した郵政省が裁判の結果敗訴し、結局この年のベストセラーリストの2位となる売上げをあげた。1934年にパリで出版されて以来、アメリカ国内では禁書扱いだったヘンリー・ミラー『北回帰線』は1961年に無削除版が出版、多くの書店経営者が逮捕され発行元のグローブ・プレス社は60もの訴訟にさらされたが、1964年に最高裁の判決によりこの小説の合法性が確定した。同年には1820年以来発禁扱いであった、最初の近代的ポルノグラフィーされるジョン・クレランド『ファニー・ヒル』が出版され、当局はすぐさま没収する手段に出たが、これも裁判が行われ、1966年には最高裁判決により合法であるとの決着がついた。1965年に出版されたウィリアム・バロウズ『裸のランチ』が1966年に勝訴したのを境に書籍についてのこうした取り締まりは鳴りをひそめ、性表現の日常化と氾濫の時代が幕を開けた。
    Allyn, David, Make Love, Not War – The Sexual Revolution: An Unfettered History. New York 2000,

     これに対して「猥褻とポルノに関する諮問委員会」の設置はもともと、「より効果的に取り締まる」ことを狙ったものであり、実のところを目指すというよりむしろ、訴訟を通じてすでに達成されつつあった「ポルノ解禁」に対する反動の意味が強かったと見るべきであろう。
     この設置意図からして、「ポルノは無害である」との諮問委員会の答申は受け入れ難いものであり、後に連邦議会は、ニクソン大統領とともに激しい言葉で非難し、答申の受諾を拒否することになる。
     もともと政府の指示に基づき政府予算で作成された諮問委員会報告書であるにも関わらず、そのイラストレイデッド版の編者が「わいせつ物郵送謀議」で逮捕され有罪判決をうけるといった事件まで起こる始末であった。
    Michael Hemmingson(2004). "An Interview with Earl Kemp of Greenleaf Classics" in
    Lunch, L., & Parfrey, A. (2004). Sin-a-rama: Sleaze sex paperbacks of the sixties. Los Angeles, Calif: Feral House.

     諮問委員会の設置にまで、時間を戻そう。
     ジョンソン大統領は、この諮問委員会の設置にあまり乗り気でなかったらしい。ポルノの規制にせよ解禁にせよ、いずれの結論が出ても、それを巡る論争や政治的揉め事が持ち上がることが予想されたからだ。
     このためジョンソン大統領は結論を引き伸したい動機があり、任期内に答申提出を求めることすらしなかった、と諮問委員会で影響力検討小委員会(effect panel)の委員長をつとめたLarsenは述懐している。
    Larsen O. N.(1975). The Commission on Obscenity and Pornography: Form, Function, and Failure. in Komarovsky, M. (ed.) Sociology and public policy: The case of Presidential commissions. New York: Elsevier.

     ともあれ1968年1月には18名の委員が任命されることとなった。法学者・裁判官6が名、宗教関係者4名、それに社会学者が4名、精神科医が2名が入っていた。
     議会が予算を承認し、1968年7月にインディアナ大学の性化学研究所で最初の会合がもたれた。憲法学者でミネソタ大学の法学部長だったウィリアム・ロックハートが議長に選出された。
     委員会には4つの小委員会(panel)が設置され、同時並行で議論は進められることになった。
    (1)わいせつ文書やポルノグラフィーの取引、流通の実態を調査するtraffic and distribution panel
    (2)わいせつ文書やポルノグラフィーの影響の有無を検討するeffect panel
    (3)性教育をはじめとする社会政策について検討するpositive-approaches panel
    (4)法律上の諸問題を検討するlegal panel
     これら小委員会の報告を元に答申がまとめられた。答申には10項目あったが、いずれも委員全員の一致をみた者ではなく、多数委員の意見として採択されたものであった。

     答申の中で最も強調されたことは、大規模な性教育の実施であった。
     これに対してポルノグラフィーについての法的規制に関しては、「ポスのであろうが何であろうが、成人が読みたいものを読み、見たいものを見るという個人の自由は何人も鑑賞することができない」「そうした自由を制限する法律は、国法であろうと州法であろうと直ちに廃止されなければならない」と提言した。
     その理由として、
    (1)これまでの研究成果をみるかぎり、ポルノを見たり読んだりすることが犯罪や非行、性的逸脱、情動障害といった社会問題及び個人レベルでの不適応の主たる原因とはみなされないこと
    (2)成人の間では、ポルノは娯楽や情報源として利用されている実態があること
    (3)ポルノの法的規制が実効をあげていないこと
    (4)世論調査の結果、国民の多数はポルノの法的規制に賛成でなかったこと
    があげられた。

     この答申が最終的に連邦議会と大統領とに手渡されたのは1970年9月30日だった。
     10月13日、上院は60対5という大差で答申の受諾を拒否することを決議し、「諮問委員会は議会が求めたことについて適切な回答をしなかった。そのうえ、答申内容も十分な研究の裏付けを得たものではなかった」と批判した。
     10月24日、ニクソン大統領もまた「答申内容を仔細に検討した結果、これは国民の道徳心を堕落させるものであり、私としては決して受け入れることができないものである」「諮問委員会は本来の任務を遂行しなかったと言わざるを得ない」というコメントを発表した。



    文献 bibliography

    猥褻とポルノに関する諮問委員会 報告書
    (要約)
    Barnes, C., & United States. (1970). The Report of the Commission on Obscenity and Pornography. New York: Bantam Books.


    (研究報告書)
    United States. Commission on Obscenity and Pornography. (1970-1971). Technical report of the commission on obscenity and pornography 9 vols.
     v. 1. Preliminary studies --
     v. 2. Legal analysis --
     v. 3. The marketplace: the industry --
     v. 4. The marketplace: empirical studies --
     v. 5. Societal control mechanisms --
     v. 6. National survey --
     v. 7. Erotica and antisocial behavior --
     v. 8. Erotica and social behavior --
     v. 9. The consumer and the community.

    (イラストレイテッド版)
    United States., & Kemp, E. (1970). The illustrated presidential report of the Commission on Obscenity and Pornography. A Greenleaf classic, GP555. San Diego, Calif: Greenleaf Classics.


    Komarovsky, M. ed.(1975) Sociology and public policy: The case of Presidential commissions. New York: Elsevier.
    Sociology and Public Policy: The Case of Presidential CommissionsSociology and Public Policy: The Case of Presidential Commissions
    (1975/09)
    Mirra Komarovsky

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    影響力検討小委員会(Effect Panel)の委員長Otto N. Larsenの述懐を含む


    Lunch, L., & Parfrey, A. (2004). Sin-a-rama: Sleaze sex paperbacks of the sixties. Los Angeles, Calif: Feral House.
    Sin-a-rama: Sleaze Sex Paperbacks Of The SixtiesSin-a-rama: Sleaze Sex Paperbacks Of The Sixties
    (2004/11)
    Brittany A. Daley、 他

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    逮捕されたイラストレイテッド版編者Earl Kempのインタビューを含む

    三井宏隆(1990).「社会科学と社会政策 : ある大統領諮問委員会の顛末」『哲學 』90, 165-197.


    その他
    チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)
    (1996/12)
    D.H. ロレンス

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    北回帰線 (新潮文庫)北回帰線 (新潮文庫)
    (1969/01)
    ヘンリー ミラー

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    ファニー・ヒル (河出文庫)ファニー・ヒル (河出文庫)
    (1997/08)
    ジョン クレランド

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    裸のランチ (河出文庫)裸のランチ (河出文庫)
    (2003/08/07)
    ウィリアム・バロウズ

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    Make Love, Not War: The Sexual Revolution: An Unfettered HistoryMake Love, Not War: The Sexual Revolution: An Unfettered History
    (2001/04/30)
    David Allyn

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    抜粋

    ポルノグラフィー(ぽるのぐらふぃー)
    pornography
    人間の性または性的興奮の誘発を目的とする小説、絵画、映画、写真などの総称で、略してポルノともいい、伝統的な好色文学とは区別して現代的、西洋的なものについていうことが多い。西洋では18世紀にジョン・クレランドJohn Cleland(1709―89)の『ファニー・ヒル』(1748~49)、マルキ・ド・サドの『ジュスチーヌ』(1791)などが出てサドやカサノーバの快楽主義が流行し、ポルノグラフィーの黄金時代といわれたが、もっぱら一部の貴族や大ブルジョアのものであった。19世紀になり、印刷技術の発達と、中産階級が読書の能力と経済力をもつようになって市場が広がり、また写真が発明されるなどして、『蚤(のみ)の自伝』(1887)、『インドのビーナス』(1889)、『フロッシー』(1897)、『わが秘密の生涯』(1885ころ)などのほか、雑誌も『パール』『ブードア』など数多く発刊されておびただしいポルノグラフィーが氾濫(はんらん)したが、良風秩序を害するというので検閲制度も設けられるに至った。20世紀に入り、検閲は依然として行われたが、1960年代にアメリカでは、大統領ジョンソンの諮問を受けた19名の有識者の報告に基づいて、成人に対するポルノグラフィーの販売・陳列・配布の禁止に関する法律をすべて撤廃し、ついでデンマーク、スウェーデン、イスラエル、イギリスその他の諸国も1970年代にそれぞれ解禁した。(後略)
    [ 日本大百科全書(小学館) ]




    ポルノグラフィー
    pornography
    一般に,性的行為のリアルな描写を主眼とする文学,映画,写真,絵画などの総称。略してポルノporno ともいい,伝統的な好色文学などと区別して近・現代的なものを指すことが多い。語源はギリシア語の pornographos で〈娼婦 porn* について書かれたもの graphos〉を意味する。それはやがて,英語でいう obscene(猥褻(わいせつ))な文学のことになった。obscene の原義は,〈scene(舞台)からはずれたもの〉つまり舞台では見せられないもののことであるという。表に出せるものに対して,裏のものをポルノグラフィーというわけである。とすれば,〈裏本〉〈裏ビデオ〉などという現代日本におけるいい方もポルノグラフィーにふさわしいことになる。
     しかし両者を分ける絶対的な規準はない。両者は検閲によって分けられるが,この検閲は時代と社会によって相対的に動いてゆくものである。したがってポルノグラフィーは,時代が定める検閲の境界と読者層との関係のうちにとらえられるべきなのである。検閲と読者層という面からポルノグラフィーを眺めると,その歴史は19世紀以前と,19世紀以降の二つに大きく分けることができるだろう。18世紀は過渡期である。この世紀は〈ポルノグラフィーの黄金時代〉ともいわれている。たしかに快楽主義が流行し,サドやカサノーバが性のユートピアを追い求めた。J. クレランドの《ファニー・ヒル》(1749),サドの《ジュスティーヌ》に対抗して書かれたレティフ・ド・ラ・ブルトンヌの《アンティ・ジュスティーヌ》(1798)などのポルノグラフィーの傑作がこの時代に書かれている。それにもかかわらず,ポルノグラフィーが社会的な問題となるのは19世紀になってからである。なぜなら,18世紀までは,ポルノグラフィーはもっぱら一部の貴族や大ブルジョアのものだったからである。
     19世紀になって,中産階級の上層部が本を読む能力と経済力をもつようになったとき,ポルノグラフィーの検閲が問題になってくる。たとえば,《ファニー・ヒル》は出版されたときは,なんの規制も受けなかったが,1820年にアメリカでこの本を売っていた書籍商が処罰された。ニューヨーク州でこの本が解禁になったのは1963年であった。皮肉なことに,1964年になって,イギリスでこの本の処分をめぐって裁判があり,没収破棄の判決が出された。これからもわかるように,検閲に関しては,19世紀から20世紀の60年代まで連続した見方がつづいていたのである。
     19世紀には複製技術の発達と市場の拡大によって,おびただしいポルノグラフィーがあふれた。また,写真の発明もいち早く利用され,19世紀半ばにはポルノ写真がかなり出回りはじめた。ビクトリア朝のイギリスの中産階級の間で特にポルノグラフィーが栄えたのは,この時代が表と裏を厳しく分けていたせいであった。ビクトリア朝の人々は,表では性的なものがまったく存在しないかのようにふるまっていた。特に女性や子どもは性的なものに触れないように守られていた。一般の女性は性的なことに無知で,子どものように無邪気であるのがいいとされていた。性的な言葉は家庭では使うことが禁じられ,〈脚 leg〉という言葉さえ無作法であるとされていた。表と裏を分ける指標の一つは陰毛であった。ビクトリア朝の芸術展にはおびただしいヌードが出品され,ひじょうにエロティックなものもあったが,陰毛を描かないという規則によってポルノグラフィーと区別されていた。現代においても,陰毛が見えるか見えないかが猥褻の規準となっているのも,われわれがビクトリア朝以来の性的道徳のパースペクティブの中にいることを示している。
     あるものをないようなふりをして,表面から隠すというビクトリア朝の偽善的な道徳は,逆にすべてを裏側に押しこんだために,裏側の世界が巨大にふくれあがった。表面はまじめなビクトリア朝の紳士は,裏で娼婦とポルノグラフィーを愛好したのであった。I. ブロッホの《イギリスの性生活》(1912)によれば,19世紀では,1820‐40年,1860‐80年に特にポルノグラフィーが多く出版された。これははじめの時期は,ブルックス,ダンコンブ,次の時代に W. ダグデールという出版者が活躍したせいであったという。また,イギリスでのポルノグラフィーの需要が多かったので,パリやブリュッセルで印刷されて輸入されたものも大量にあった。《蚤の自伝》(1887),《インドのビーナス》(1889),《ローラ・ミドルトン》(1890),《フロッシー》(1897)といった本のほかに,ポルノ雑誌もたくさん出された。《パール》(1879‐82),《ブードア》(1883)などが有名である。ビクトリア朝の時代相をよく物語っている自伝的ポルノグラフィーの代表として,《わが秘密の生涯》(1885ころ,匿名),F. ハリス《わが生涯と恋》(1925‐29)をあげておこう。なお,19世紀はポルノグラフィックな芸術においても多産な世紀であった。A. ビアズリー,F. ロップス,F. von バイロスなどの作品がすぐれている。
     20世紀に入っても,ビクトリア朝的検閲のある部分はそのままであった。1928年に D. H. ロレンスの《チャタレー夫人の恋人》がイタリアで出版されたとき,イギリスは国内での発売を禁止した。ポルノ産業は20世紀にますます大きくなった。現代の一つの特徴は,文学や芸術が表と裏の境界を意識的に利用してポルノグラフィックな想像力を刺激・消費しようとしていることである。ビクトリア朝からつづいたポルノの検閲は,1960年代に一部が解禁され,80年代にはさらに新しい段階にさしかかっている。
             海野 弘

    [特徴と社会への影響]  W. アレンによると,猥褻性が美学的概念なのに対して,ポルノグラフィーは道徳的概念であるという。ポルノグラフィーは,偽善や上品ぶる感情の内面を暴露したものにほかならない。以下,その現代的意味について,アメリカを中心に記述する。
     P. C. クロンハウゼン夫妻は,ポルノグラフィーの特徴をとらえるのに次の12項目を挙げている。全体の構成,誘惑,破瓜(はか),近親相姦,性行動を放任・奨励する両親,涜聖行為,淫(みだ)らな言葉,精力絶倫型男性,色情狂型女性,性の象徴としての黒人や東洋人,同性愛,鞭打ち。ポルノグラフィーの構成は,不道徳な影響を及ぼすような強烈なエロティック場面の連続で作られており,エロティックでない,気を散らす部分がない。ハード・コア・ポルノグラフィーは性交をあからさまに描いたものであり,ソフト・コア・ポルノグラフィーは性交シーンの偽装,フレンジー・ポルノグラフィーは異常性愛を扱ったもの,と分類されている。ポルノグラフィーの目的は,人間生活の基本的現実を描写するよりも,むしろ読者を性的に興奮させるために,エロティックな心像をひきおこさせることにあり,心理的催淫剤の役割をつとめる点にある。
     ポルノグラフィーを取り締まるためには,それが反社会的行動を誘発して有害であることを証明しなければならぬという世論が1960年代に高まった。そこで,アメリカではジョンソン大統領の諮問をうけて,19名の権威者と20名のスタッフが〈猥褻とポルノグラフィーに関する委員会〉をつくり,68年から2年間に200万ドルを費やして実証的研究を行ったが,その報告書の中で委員会は〈性への興味はごくあたりまえの,健康で善良なものであり,ポルノグラフィー問題の大部分は人々が性に対して率直でおおらかな態度をとりえないことが原因をなしている〉と述べ,成人に対するポルノグラフィーの販売,陳列,配付の禁止に関する法律をすべて撤廃するように勧告した。デンマーク,スウェーデン,イスラエル,イギリスなどの研究も同様な結論に達し,日本以外の先進諸国は1960~70年代にポルノグラフィーを解禁した。ポルノグラフィー解禁運動は人間性解放や差別撤廃,精神・言論自由化の運動の一つであるが,国家権力が国民の要求によって解禁に譲歩することによって国家の本質についての問い直しを避け,その要求を無力化した,と考える見方もある。
     ポルノグラフィーの心理的影響も科学的に調査されるようになった。ポルノグラフィーを見ても全員が興奮するとは限らず,研究者によって数値は異なるが,近年の調査によれば,男性の23~77%,女性の8~66%が性的興奮を示すにすぎない。その刺激は短時間しか持続せず,抑制によって反応を抑えることもできる。性映画の性的刺激効果は48時間以内に急速に弱まり,性生活に影響を与えない。毎日ポルノグラフィーを見せると興味はしだいに薄れ,1週間後には〈見あきた〉といい出し,3週間後には〈もう見たくない〉という飽和現象が認められる。嫌悪感を抱くかどうかについては,ランニング,割礼,ポルノグラフィー(性交)の各映画を見せて反応を調べると,快適な気分になるのは性交シーンが最高得点であり,不快感は性交シーンが最低得点である。デンマークでは,ポルノグラフィーが広まるとともに性犯罪が激減し,解禁後は3分の1に減った。アメリカの性犯罪者は,10歳代でポルノグラフィーを見る機会がなかった人に多いという。強姦者は,性をタブー視する家庭に育ち,その18%はエロティックな物品を持っていて親に叱られた経験者である。
     性的な文書をポルノグラフィーだと考える傾向は,性行動に罪悪感を抱いている人ほど強い。欧米のポルノグラフィーには性交シーンを悪魔がのぞき見しているなどの形で罪悪感がつきまとっていることが多いが,日本の浮世絵春画や春本には罪悪感がみられない。これは,宗教や民俗のちがいによると思われる。
        小林 司





    1968年、ジョンソン大統領は「ワイセツとポルノに関する諮問委員会」を設置してそれにポルノ解禁問題をはかった。この諮問委員会は19名の委員と20人のスタッフとから成り、2年間の時間と200万ドルの費用をかけて、あらゆる種類のポルノの実態と、その社会に及ぼす影響を調査した。委員会の依頼を受けたノルウェーの心理学者カチンスキー(Katchinskey)は、ポルノが解禁になったデンマークにおいて、のぞき見とか幼児への性的な悪ふざけのような性犯罪は年々めだって減少したのに対して、強姦やサディズム的行為はぜんぜん変化しなかったことを認めた。つまり、ポルノ映画とかポルノ雑誌を鑑賞することは、ある種の性行動の代償にはなっても、他の性行為の代償にはならなかったわけである。ただし、ポルノに刺激されて性犯罪が増えたと言う事実は、まったく認められなかった。カチンスキーはこの点をはっきりと報告書に書いた。1970年、委員会は700ページに及ぶ膨大な報告書をニクソン大統領に提出し、「成人についてはポルノをほぼ全面的に解禁すべきである」とのべた。ニクソン大統領は激怒して、この報告書をはねつけた。(我妻洋『社会心理学入門』(講談社学術文庫,1987)上pp.103-104)

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    (1987/10)
    我妻 洋

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