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    1.発見と開発(~1945)
    2.拡散と平和利用(1946~1955)
    3.国際化と挑戦(1956~1965)
    4.商業化と論争(1966~1975)
    5.動揺と見直し(1976~1985)
    6.停滞と凍結(1986~2000)
    7.再開と挫折(2001~)





    1.発見と開発(~1945)

    1789年 クラプロート、ウランを発見。
    1828年 ベルセリウス、トリウムを発見。
    1895年 レントゲン、X線を発見。
    1896年 ベクレル、ウラン元素から発する放射線(ベクレル線と命名された)を発見。
    1903年 ラザフォードとソディ、原子崩壊説を提唱。
    1904年 長岡半太郎、原子模型の理論を発表。
    1905年 アインシュタイン、特殊相対性理論を発表。
    1911年 ラザフォード、ガイガー、マースデンら原子模型を発表。
    1913年 ボーア、素原子のボーア模型を発表(原子構造の量子論)。
    1919年 ラザフォード、α線を窒素原子に衝突させて原子核の人工変換に成功。
    1931年 キュリー夫妻、α線をベリリウムにあてるときに出る貫通力の強い放射線が水素原子と強く相互作用することを発見。
    1932年 チャドウィック、キュリー夫妻の実験を再試し、中性子を発見。
    1933年 シラード、中性子による原子核反応の連鎖を思いつく。
    1934年 シラード、核の連鎖反応の特許を取得。
    1934年 フェルミ、中性子照射実験で、減速した中性子による放射線を観測。
    1938年 ハーンとシュトラウスマン、中性子によってウランが核分裂を起こすことを発見
    1939年 ボーアとホイーラー、液滴模型に基づいて核分裂のメカニズムを説明(ウラン235が低速中性子で分裂すると予測)。
    1939年 ルーズベルト大統領、アインシュタインの原子爆弾についての手紙をアレクサンダー・ザクスから受け取る。
    1940年 ニーア、ウラン235の分離に成功。
    1941年 シーボーグ、マクミラン、セグレら超ウラン元素(94番)238を発見(翌年プロトニウムと正式命名)。この後プルトニウム239の核分裂を確認。
    1942年 ルーズベルト米大統領、原爆開発を正式に認可
    1942年 世界最初の原子炉シカゴパイル1号(CP-1)が臨界。
    1943年 ロスアラモス研究所が完成し、オッペンハイマーら、原爆開発を開始。
    1944年 米国ANLで世界初の重水減速炉CP-3が臨界。
    1944年 ルーズベルトとチャーチル「ハイド・パーク協定」に署名し、原爆投下を決定。
    1945年 広島、長崎に原爆を投下。
    1945年 日本政府、無条件降伏。第2次世界大戦終結。




    2.核拡散と平和利用(1946~1955)

    1946年 国連第1回総会第1号決議「原子力委員会の設置、原子兵器廃絶」を採択
    1946年 ソビエトの原子炉1号機を稼働。
    1947年 トルーマン・ドクトリン発表(冷戦へのアメリカの<参戦>を宣言)
    1947年 米、スチムソン陸軍長官、「原爆使用が対日地上戦での100万人の死者を救った」と発言。
    1948年 ポーランドのブロツラウで、世界知識人会議開催。核戦争を警告。
    1948年 ソビエト、プルトニウム生産原子炉を完成。再処理工場を稼働させる。
    1949年 米国トルーマン大統領、ソ連の原爆実験成功を公表。ソ連は2年前から原子爆弾を所有と発表。
    1949年 ストラウス、水爆開発をトルーマン米大統領に勧告。
    1950年 トルーマン、水爆開発生産を決定したと宣言。
    1950年 トルーマン米大統領、朝鮮に原爆投下も考慮中と声明。韓国国防長官も国連に対し原爆使用を要請。
    1951年 米国、実験炉ERR-1で、原子力発電に成功。
    1952年 英国、最初の核爆発実験を実施。
    1952年 米国、エニウェトク環礁で水爆実験に成功。
    1953年 ソ連、水爆実験に成功。
    1953年 アイゼンハワー米大統領「原子力の平和利用 Atoms for Peace」を演説。
    1954年 ダレス米国務長官、ニュールック政策(大量報復戦略)について演説。
    1954年 最初の原子力潜水艦U.S.S.ノーチラスが進水。
    1954年 ビキニ環礁水爆実験で第五福竜丸乗組員が放射能降下物による被曝。
    1954年 日本で初の原子力関係予算。原子力基本法などの原子力三法を成立。
    1954年 日本学術会議、原子力平和利用三原則声明。
    1954年 日本映画「ゴジラ」公開。
    1955年 第1回原水爆禁止世界大会開催。




    3.更なる拡散と反核(1956~1965)

    1956年 米国の最初の水爆投下実験で、B-52から投下。
    1957年 英国、最初の水爆実験をクリスマス諸島Malden島で実施。
    1957年 日本、原子炉規制法・放射線障害防止法制定。
    1957年 国連総会で、国際原子力機関(International Atomic Energy Agency=IAEA)草案を採択。
    1957年 英国、ウィンズケール核工場で原子炉炉心溶融事故。しかし極秘扱いとされ公表は30年後。
    1957年 シュート、核戦争で人類が滅亡する小説「渚にて」を発表し、話題になる。
    1958年 米国、エニウェトク環礁での最後の大気中爆発実験。
    1958年 米国、英国、ソビエトの3国、水爆実験を停止する。
    1958年 コーエン、大気圏外迎撃用に中性子爆弾を構想。
    1959年 ロシュワルト、核戦争を警告する小説「レベルセブン」を発表。
    1959年 日本、科学技術庁が日本原子力産業会議に原子力発電所事故の理論的可能性と公衆被害試算を要請。国家予算の2倍に達する被害額が算定されたために、極秘扱いとなる。
    1960年 フランス最初の原爆実験をアルジェリアのサハラ砂漠で実施。
    1960年 ソビエトのICBM・R-16(SS-7 Saddler)が実験中大爆発を起こし、165人が死亡。
    1960年 米国、ICBMタイタンⅠのサイロ内発射実験に失敗し爆発。
    1961年 米国、核実験を再開。ICBMタイタンⅠのサイロ内発射実験に成功。
    1961年 映画「世界大戦争」公開。
    1961年 攻撃型原子力空母エンタープライズ就役。
    1961年 米軍B-47爆撃機が、墜落直前にノースカロライナ州の都市上空で水爆を投下。安全装置6つのうち5つがはずれるが、1つの装置で惨事を免れる。
    1961年 米国、小型核砲弾デビークロケットの生産を開始。携帯無反動砲で発射できる小型核兵器。
    1962年 日本、原子力船開発計画がはじまる。
    1962年 英国、ドーンレイ高速増殖原型炉発電開始。
    1962年 日本、水上経済同友会代表幹事「発電コストを下げるためにプルトニウムの軍事利用も辞せず」と発言。
    1962年 核実験禁止を訴えたライナス・ポーリング、ノーベル平和賞受賞。
    1963年 米原子力潜水艦スレッシャー沈没。
    1963年 米国、英国、ソビエトの3ヶ国、部分的核実験禁止条約(PTBT)に調印。大気中・水中・宇宙空間の実験を禁止するもの。
    1963年 日本初の発電実験原子炉JPDRが完成。この日10月26日が原子力の日に。
    1963年 米国国家安全保障会議、「ソ連との戦争における管理と終結」を作成。核戦争はおよそ1日で終了し、米国の死者は最大で1億5千万人に達するという内容。
    1964年 小松左京「復活の日」刊行。
    1964年 中華人民共和国、初めての核実験を実施。
    1964年 日本国産の動力試験炉が臨界に達する。
    1964年 この年、矢野徹「地球0年」の連載を開始。
    1965年 井伏鱒二、「新潮」に「黒い雨」の連載を開始。
    1965年 米海軍空母タイコンデロガのA-4E艦載機、水爆を搭載したまま沖永良部島近海で墜落。





    4.商業化と論争(1966~1975)

    1966年 日本原子力発電東海発電所営業運転を開始。
    1966年 米国の高速増殖炉で燃料損傷事故。
    1967年 佐藤栄作首相、衆議院予算委員会で非核三原則(核は保有しない、核は製造しない、核を持ち込まない)を表明。
    1967年 原子燃料公社から動力炉・核燃料開発事業団が設立。
    1968年 米原子力潜水艦ソードフィッシュ、佐世保港で異常放射能事件発生。
    1968年 核拡散防止条約追加調印。
    1968年 グリーンランドで米軍の水爆搭載機が墜落。水爆が破損。
    1969年 原子力船むつ進水。
    1969年 筒井康隆「霊長類南へ」刊行。
    1969年 佐藤栄作首相とニクソン大統領が、沖縄返還に関する核密約に極秘に合意。
    1970年 NPT(核拡散防止条約)実施。1980年までに100ヶ国が批准。
    1970年 日本、新型動力炉の名称を、FBR実験炉「常陽」、FBR原型炉「もんじゅ」、ATR原型炉「ふげん」と決定。
    1971年 海底非核化条約調印。
    1971年 米国で大規模な反戦デモが行われる。参加20万人。
    1972年 日本、放射線照射じゃがいも食品を認可。
    1973年 フランスで、プルトニウム238を使用した心臓RIペースメーカー移植手術に成功。
    1973年 英国、ウィンズケール核工場で、生成物漏洩事故。35人が被曝する。
    1973年 関西電力美浜1号原子炉で燃料棒破損事故発生。
    1973年 ジョン・マックフィー『原爆は誰でも作れる』刊行。
    1974年 原子力船むつ、実験航海に出港。放射能漏れ事故を起こす。
    1975年 米国原子力統制委員会、「ラスムッセン報告」を提出。大事故の起こる確立は1年に1原子炉あたりわずか10億分の1という内容。





    5.動揺と見直し(1976~1985)

    1976年 カーター米大統領、プルトニウム使用放棄の原子力政策発表。
    1976年 フランスで、ラ・アーグ再処理工場反対デモ。1万人参加。
    1976年 フランス、高速増殖原型炉フェニックスでナトリウム漏れ事故(7/11、10/3)
    1976年 米国、プエルトリコ沖で落下した原爆をアシカとイルカを使い発見。
    1976年 デンマーク、原子力発電を中止。
    1977年 米復員軍人局、核実験に参加した白血病患者ポール・クーパーに月額820ドルを支払うことを決定。
    1977年 米国の大学生ジョン・フィリプス、マックフィーの『原爆は誰でも作れる』を参考にプルトニウム原爆を設計。
    1977年 カーター米大統領、中性子爆弾開発を承認。
    1977年 スペインのレモニスで原発反対デモ。12万人参加。
    1977年 フランスで、高速増殖実証炉スーパーフェニックス反対デモ。6万人参加。
    1977年 ドイツのカルカーで、高速増殖原型炉SNR-300反対デモ。5万人参加。
    1977年 映画「世界が燃えつきる日」公開。
    1978年 ソビエトの原子炉衛星が地上に落下。
    1978年 米国国防総省、核実験に参加した兵士30万人の被曝実態調査を実施。
    1978年 日本最高裁判所、韓国人被爆者孫振斗に対し、被爆者健康手帳の交付を認める判決を出す。
    1978年 米国、中性子爆弾の開発を中止。
    1978年 原子力船むつの佐世保入港阻止1万人集会。
    1978年 オーストリア、国民投票で原発を禁止。
    1979年 日本、「ふげん」稼働開始。
    1979年 ペンシルバニア州ハリスバーグ近郊のスリーマイル島原子力発電所の炉心がメルトダウンを起こす。
    1979年 スペインで反原発デモ。5万人参加。
    1979年 ワシントンで反核集会開催。10万人参加。
    1979年 ソビエトの原子力潜水艦が炉心溶融事故を起こす。
    1979年 米国国防省の調査で1945~62年までの大気圏内核実験235回の参加者は約25万人と発表。
    1979年 北米防空司令部のコンピュータが誤作動。潜水艦核攻撃と表示し、迎撃機が出撃。
    1980年 スウェーデン、2010年までに原発廃棄を決定。
    1980年 フランス、ラ・アーグ再処理工場で電源完全喪失事故。
    1980年 ソビエトの原潜K-66エコーが沖縄近海で火災を起こす。
    1980年 オレゴン州、原発新設禁止法成立。
    1981年 中華人民共和国、初の原子力潜水艦「夏型(406号)」を進水。
    1981年 イスラエル、イラクのOsirak原子力研究施設を爆破。
    1981年 レーガン米大統領、中性子爆弾製造再開を決定。
    1981年 日本、国産プルトニウムで発電に成功。
    1981年 ドイツ、ボンで反核集会。30万人。
    1981年 日本原子力発電敦賀1号機原子炉の一般排水路から放射能が漏れる。
    1982年 米国、原子力空母カール・ビンソン(CVN-70)就役。
    1982年 フォークランド紛争勃発(空母が撃沈されたら、核兵器使用も検討)。
    1982年 中華人民共和国、SLBM巨浪1の水中発射装置からの発射実験を行う。
    1982年 ニューヨークで大規模反核集会。120万人参加。
    1982年 平戸市長、再処理工場誘致反対を表明。
    1983年 レーガン米大統領、SDI構想(通称StarWars 大気圏外で飛来するミサイルを迎撃する)を発表。
    1983年 ロスアラモス研究所にハッカー侵入。
    1983年 ソビエトの原潜K278コムソモーレツ就航。
    1983年 ソビエトの原潜K-429がカムチャッカ沖で沈没。
    1983年 米国上院、高速増殖原型炉クリンチリバー炉の建設予算案を否決。
    1983年 カール・セーガン「核の冬」を発表。大量核爆発と火災による粉塵で大気層が覆われ、地表が冷却化するというもの。
    1983年 米国、バーンウェル再処理工場の建設を中止。
    1983年 核戦争映画「ザ・デイ・アフター」公開。
    1983年 日本原子力研究所で中型トカマク型核融合試験装置JFT-2Mの実験を開始。
    1984年 ドイツ、カルカー高速増殖原型炉SNR-300で、ナトリウム火災。
    1984年 電気事業連合会、青森県六ヶ所村に核燃料サイクル施設の建設を決定。
    1985年 ドイツで、バッカースドルフ再処理工場建設反対のデモ。3万人参加。
    1985年 ソビエトの原潜K-314、ウラジオストク近郊の軍需工場で燃料入れ替え中に爆発。炉心が溶融。
    1985年 ソビエト、核実験を停止。
    1985年 北海道知事、幌延高レベル廃棄物施設計画に反対を表明。
    1985年 日本、高速増殖原型炉もんじゅを着工。
    1985年 ソビエトの原子力潜水艦が炉心溶融事故。
    1985年 日本被団協、原爆犠牲者調査を実施。
    1985年 北朝鮮、NPTに加盟。
    1985年 日本原子力研究所核融合実験炉JT-60の実験を開始。





    6.停滞と凍結(1986~2000)

    1986年 ソビエト(現ウクライナ)のチェルノブイリ発電所4号原子炉が炉心溶融ののち爆発。放射性降下物がウクライナ・白ロシア(ベラルーシ)・ロシアなどを汚染。
    1986年 フィリピン、バターン原子力発電所の操業前廃棄を決定。
    1986年 米国会計検査院、核兵器工場の放射能汚染を報告。
    1986年 ソビエトの原潜K-219がバミューダ沖でミサイルが爆発し火災、沈没。後、核兵器が行方不明に。
    1986年 米国、原子力空母セオドア・ルーズベルト(CVN-71)就役。
    1986年  米国エネルギー・商務委員会、放射線の人体実験を報告し、問題に。
    1987年 英国、高速増殖原型炉PFRで蒸気発生器40本が破断。
    1987年 フランス、高速増殖実証炉スーパーフェニックスで、20tのナトリウムが漏れる。
    1987年 ブラジルのゴイアニア市で、放射線被曝事故。ガン医療施設の跡地に放棄してあった医療用セシウム137を住民が持ち帰り249人が被曝。4人が死亡。
    1987年 米国会計検査院、46年から80年までに核兵器に関する事故が32件発生したと発表。
    1988年 ソビエト、クラスノダール原子力発電所の建設を中止。
    1988年 ベルギー、新規原発建設を放棄。
    1989年 福島第二原発3号炉で再循環ポンプが破損。
    1989年 レーガン米大統領、老朽化したハンフォード、フェルナード、マウンド、ロッキーフラッツの核兵器工場閉鎖を決定。
    1989年 ソビエトの原潜K-278コムソモーレツが、ノルウェー沖で火災爆発を起こし沈没。42人が死亡。
    1989年 ドイツ、バッカースドルフ再処理工場を停止。
    1989年 米国、ランチョセコの原子力発電所を閉鎖。
    1990年 イタリア議会、原子力発電所全廃を決定。
    1990年 フランス、高速増殖実証炉スーパーフェニックスの運転を中止。
    1990年 北海道議会、幌延高レベル廃棄物施設計画に反対決議。
    1990年 ポーランド、原子力発電所計画を凍結。
    1990年 フランス、高速増殖原型炉フェニックスで、反応度異常事故。
    1990年 スイス、国民投票で原子力発電所建設10年間凍結を決定。
    1990年 ドイツ政府、旧東独の原子力発電所6基を閉鎖し、建設中や計画中の9基を破棄すると決定。
    1991年 美浜原発2号炉で蒸気発生器細管破断事故。
    1991年 ドイツ、カルカー高速増殖原型炉計画を中止。
    1991年 台湾で反原発デモ。2万人参加。
    1991年 中華人民共和国、自主開発の秦山原子力発電所で発電に成功。
    1991年 関西電力美浜2号機原子炉の蒸気発生器伝熱管破断事故が発生。
    1992年 北朝鮮、IAEAと保障措置協定を締結。
    1992年 国際線ジェット機の乗務員が、成層圏で飛行中に宇宙線被爆していることが問題になる。
    1992年 日本、原燃ウラン濃縮工場操業を開始。
    1992年 フランス、高速増殖実証炉スーパーフェニックスの運転再開を断念。
    1992年 米国上院、核実験禁止法を可決。
    1992年 エリツィン・ロシア大統領。核関係物質海洋投棄の実体調査を命じる。
    1992年 英国、欧州高速増殖炉計画を断念。
    1993年 ロシアのロシア領土に隣接する海洋への放射性廃棄物投棄実態調査政府委員会、大統領に報告書提出。使用済み燃料入り原子炉6基、燃料無し原子炉12基、原子炉遮蔽容器1基、原子炉付原潜3隻(原子炉5基)、原潜用原子炉2基、そのほか核弾頭、多数の放射性廃棄物などを北極方面や極東に海洋投棄していたことが判明。
    1993年 南アフリカ、かつて6発の核兵器開発を行っていたことを認める。
    1993年 シベリアの核都市「トムスク7」でウラン溶液貯蔵タンクの爆発事故発生し、大規模な環境汚染を引き起こす。
    1993年 IAEA、北朝鮮核査察を開始。
    1993年 ウクライナのペルボマイスク戦略核弾頭貯蔵庫で放射能汚染事故。
    1993年 ロシア、89年にノルウェー沖に沈没した原潜K278コムソモーレツからプルトニウム流出の危険が高いことを発表。
    1993年 海洋投棄条約会議で、放射性廃棄物海洋投棄禁止を決議。
    1993年 ロシア、ウラルの核基地から職員2人が核弾頭2個を持ち出そうとして発見される。
    1993年 米国、核兵器関係機密情報を公開。核実験総数は1051回、うち204回は20KT以下の秘密小型地下実験。放射能人体実験は800回、600人におよぶ。
    1994年 米国、ロシア、ウクライナの3ヶ国、核弾頭および核燃料の取引について協議。
    1994年 日本とベラルーシ、日・ベラルーシ核不拡散協力委員会設置協定に調印。
    1994年 英国、高速増殖原型炉PFRを閉鎖。
    1994年 ドイツ、原子力法を改正し、原子力発電所の新規建設を中止する。
    1994年 北朝鮮、IAEAの監視のないまま、原子炉から使用済み燃料を取り出し、IAEA、過去の核疑惑は不明となったと発表。
    1994年 日本、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」公布。
    1995年 日本、六ヶ所村の施設にフランスから高レベル廃棄物を海上輸送し搬入。
    1995年 旧原子力船むつの船体を原研から海洋科学技術センターへ譲渡。通常動力の海洋地球研究船「みらい」へ改装開始。
    1995年 日本原子力委員会、青森大間のATR計画を中止。
    1995年 日本、高速増殖原型炉もんじゅ、発電を開始。
    1995年 台湾で反核デモ。2万人参加。
    1995年 日本、高速増殖原型炉もんじゅで冷却用ナトリウムが漏れる事故が発生。
    1995年 ドイツ、MOX燃料加工工場を閉鎖。
    1996年 国際司法裁判所、「核兵器の威嚇と使用は一般的に国際法に違反する」との勧告的意見を発表。
    1996年 新潟県巻町で、原発立地賛否の住民投票実施。反対多数。
    1996年 ロシア、チャリアビンスク70の所長が自殺。給料遅配が原因といわれる。
    1996年 米軍核戦略担当バトラー元司令官とNATO軍グットパスター元司令官が、核廃絶アピールを発表。各国の軍関係者が、バトラー・グットバスター宣言と同様の宣言を発表。
    1996年 広島の原爆ドームがユネスコ世界文化遺産に指定。
    1997年 東海村の再処理工場の火災爆発事故で、少なくとも35人の作業員が被曝。事故を隠蔽しようとする。
    1997年 日本、「動燃改革本部」及び「動燃改革検討委員会」を設置。
    1997年 日本の新型転換炉「ふげん」で放射能漏れ事故。11人被曝。
    1997年 米国のハンフォード再処理工場で爆発事故。
    1997年 ブルガリア、ベレヌ原子力発電所を放棄。
    1997年 フランス、高速増殖実証炉スーパーフェニックス計画を放棄。
    1997年 レーベジ・ロシア元安全保障会議書記、スーツケース大の小型核爆弾少なくとも52発が行方不明と発言。暗殺用の10t程度のもの。
    1998年 フランス、高速増殖炉スーパーフェニックスの廃止を決定。
    1998年 原子力基本法及び動力炉・核燃料開発事業団法の一部を改正。
    1998年 米国映画「ゴジラ」公開。日本版第1作と同様、水爆実験を原因としている。
    1998年 日本、核燃料サイクル開発機構発足。
    1998年 日本、六ヶ所村に使用済み核燃料の搬入を開始。
    1998年 ドイツに連立政権樹立。原子力発電所の廃止を決定。
    1999年 米国エネルギー省、テネシー州の原発で核兵器用トリチウムを生産すると発表。
    1999年 日本とロシア、核兵器削減に伴う余剰プルトニウム処理研究で合意。混合酸化物(MOX)燃料に加工しロシアの高速増殖炉「BN600」で燃焼させるというもの。
    1999年 日本、ロシアの核解体支援策を G7外相会議で提案すると公表。
      6月16日 山崎正勝、黒田和夫保管文書から、日本の大戦中の核開発研究の原理の誤りを指摘。
    1999年 中国、中性子爆弾の技術を保有と発表。
    1999年 英仏から日本の高浜原発3号炉、福島第1原発3号炉用のMOX燃料輸送開始。9月到着。
    1999年 東海村のJCO社ウラン精製工場で臨界事故があり、3人が大量被曝。のち死者2名。
    1999年 IAEA、コンピュータ2000年問題で対応が遅れているとしてウクライナとアルメニアの原子力発電所を公表。
    2000年 日本の中部電力、三重県の芦浜原子力発電所計画を断念。
    2000年 GE社の社員が、通産省に東京電力の原子炉点検についての疑惑を告発。原子力安全・保安院は、告発者の身元を保護せず、東京電力に通告。その後、身元を保証し極秘に調査したと報告。
    2000年 台湾行政院、原子力発電所建造中止を決定。予算を通した立法院と対立し、大法官会議での審議へ。
    2000年 チェルノブイリ発電所閉鎖。





    7.再開と挫折(2001~)

    2001年 東京電力社長、新潟県刈羽原子力発電所のプルサーマル計画で、住民投票により反対多数なら計画中止と発表。→住民投票で反対多数の結果がでる。
    2001年 国連欧州経済委員会(ECE)は、カザフスタン全土の大半が放射能汚染されてると発表。カザフ平均で、地球平均(2・4ミリシーベルト/年)の2~3倍と推定。
    2001年 米政府、エネルギー不足が深刻化しているため、原子力政策を見直し、条件付で推進を決定。米下院でエネルギー法案が通過。原発の拡大や石油・天然ガスの増産盛り込む。
    2001年 独政府と電力会社代表が20年後めどに原発全廃の協定書に正式調印。ドイツ連邦議会、原子力発電所全廃法案を可決。
    2002年 原子力安全・保安院は、東京電力が、福島第1・同第2、柏崎刈羽の3原子力発電所の13基の原子炉で80年代後半から90年代にかけて実施した自主点検の結果、原子炉のシュラウド(炉心の隔壁)にひび割れなどを見つけながら、その事実を報告書に記載しなかった疑いがあると発表。その後、原子炉点検内容の虚偽記載は、1987年から行われていたことが明らかに。
    2002年 核燃料サイクル開発機構と日本原子力研究所は、原子力主要19施設の解体・廃棄物処理費用を算出。両法人の試算では、計1兆3000億円がかかることが判明。
    2002年 米国厚生福祉省、過去の核実験の健康面に及ぼした影響について、米国内でのガンによる死亡者のうち1万5000人が核実験の放射性降下物の影響による、1951年以降に生まれた致命的でないガン患者のうち2万人が核実験の放射性降下物の影響を受けている可能性が高いと発表。
    2002年 放射線被爆による生殖異常の影響は、被爆していない孫の代まで残ると、英国レスター大学の研究者らが発表。
    2002年 米大手電力会社テネシー峡谷開発、運転停止中のブラウンズ・フェリー原子力発電所1号機の運転再開を決定。
    2002年 フィンランド議会、二酸化炭素抑制のため5基目となる原子力発電所の新規建設を承認。
    2002年 経済産業省資源エネルギー庁の外郭団体「電源地域振興センター」が、原子力発電所のある自治体の住民らに給付される原子力立地給付金の受け取りを拒否した人と拒否理由などが書かれたリストを電力会社から受け取り、地元自治体に提供していたことが判明。
    2002年 島根原子力発電所のある島根県鹿島町に匿名で7億円、また島根県島根町に匿名で3億円の寄付があったことが判明。隣接する原子力発電所関係で、中国電力からの寄付ではないかとみられる。鹿島町と島根町は前年も寄付があった。
    2003年 核燃料サイクル開発機構の内部文書の公開により、高速増殖炉もんじゅの研究開発費の流用による地元協力金として、福井県、敦賀市、三方町などに1997年度からの4年間で計約2億2780万円を寄付していたことが明らかになる。
    2002年 大阪の市民団体「美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会」が、定期検査会社の内部資料から、東京電力福島第1原発1号機で1978年ごろ、原子炉建屋内で放射性物質濃度が一時的に放射線管理区域許容量の約350倍に達していたと発表。
    2003年 核燃料サイクル開発機構の新型転換炉「ふげん」の運転を終了。今後30年かけて解体。
    2003年 高速増殖原型炉「もんじゅ」の原子炉設置許可に関し、国を相手に原子炉設置許可処分の無効確認を求めた控訴審判決が名古屋高裁金沢支部であり、事故の危険性とその脅威を理由に安全審査には誤りがあるとして、許可処分を無効とする判決が出される。
    2003年 ベルギー上院、2025年までに国内の原子力発電所を全面的に閉鎖する法律を可決。操業開始から40年に達する原子力発電所を閉鎖するという内容で、2015年から10年間、順次閉鎖。
    2003年 東京電力の勝俣社長は会見し、同社の原子炉トラブル隠しの問題で、点検のため原子力発電所を17基すべてを停止させる事になったため、4月以降、電力供給が足りなくなると発表。
    2003年 日本原子力発電が増設を計画している敦賀原発3、4号機について、運転開始時期を10年度から、3年程度先送りを検討していることが明らかになる。電力需要の伸び予測が低いことと、電力の自由化、関西、中部、北陸の電力3社の配分の問題などが理由。
    2003年 関西、中部、北陸の3電力会社は、石川県珠洲市で計画していた珠洲原子力発電所について凍結することを決定。最大の理由は電力需要の低下と見られる。
    2003年 東北電力社長は、新潟県巻町に計画中の巻原子力発電所1号機の建設を断念する考えを示唆。地元の反対や前日の最高裁判決、電力需要の低下などが理由。
    2003年 原子力発電所の使用済み燃料を国内で再処理する費用について、電気事業連合会は試算結果をまとめ、40年間で約15兆9000億円かかり、うち約9兆1000億円は財源捻出策が決まっていないことが判明。
    2003年 国の原子力委員会は、核燃料サイクルについて、原子力発電所から出る使用済み核燃料は全量再処理する、としてきた従来の政策をあらため、再処理せずに地中に埋める直接処分などについても検討することに。高速増殖炉もんじゅの事故などによって核燃料再利用計画が遅れていることや処理費用のコスト負担の問題などのため。
    2003年 公開が延期されていたコメディ映画「東京原発」(監督:山川元)が、東京国際ファンタスティック映画祭で公開決定。
    2004年 国内でがんにかかる人の3・2%は、医療機関での放射線診断による被ばくが原因と推定されることが、オックスフォード大グループの国際的調査で明らかになった。日本は調査15カ国中でもっとも被爆量が高い結果となっており、日本の次に高いクロアチアで1.8%程度。
    2004年 中部電力の浜岡原子力発電所4号機のタービン建屋建設に使われたコンクリート用の砂利を納入した業者の元従業員が、砂利の品質を保証するアルカリ骨材反応試験の成績表を偽造したと経済産業省原子力安全・保安院に内部告発。
    2004年 福井県美浜町の関西電力美浜原子力発電所3号機で原子炉が緊急停止、タービン建屋内2階で高温の水蒸気と熱湯が急激に広がり、定期検査準備のために同建屋内にいた211人の作業員のうち4人が死亡、2人が重体、2人が重傷、3人がやけどを負う。
    2004年 原子力委員会小委員会は、原子力発電所の使用済み核燃料の扱いについて、すべて再処理する核燃料サイクルの費用は、そのまま地中に埋める直接処分の約1.5~1.8倍になると試算。
    2004年 高速増殖炉原型炉もんじゅのナトリウム漏れ事故で、動力炉・核燃料開発事業団(現核燃料サイクル開発機構)のビデオ隠し問題の内部調査中に自殺した総務部次長妻らが「自殺したのは会社にうその記者会見を強要されたのが原因」として、同機構に約1億4800万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こす。



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