ホラティウス『詩論』は、それ自体が詩である。詩でもって詩論を書いてい
    る。詩論でもって、詩論自身を実践してる。

    16世紀の劇作家は、格調高い新古典主義にのっとって書くか(彼らの守護聖
    人がホラティウスだ)、客にうけるエリザベス朝演劇の身をゆだねるか、とい
    う二者選択の板挟みにあった。彼らは古典の学識を持っていたが、同時に民衆
    がつめかける劇場も持っていた。美学的に「正しい芝居」を書くか、観衆に
    とって「面白い芝居」を書くか。当のホラティウスは「ウケをねらえ」と迷わ
    ずうたっている。

    さて、長い時代、ヨーロッパの文学はおろか、芸術・審美観に大きな影響を与
    えた『詩論』の最後は、こんな一節で終わる。肝に銘じよう。



     「狂気の詩人が詩を書きまくるのは何故か?

     なぜ彼は詩を書きまくるのか、よくわからない。父祖の遺骨に放尿したせ
    いか、それとも雷が落ちた不吉な場所を穢したせいか ----- いずれにせよ、
    たしかに彼は狂っている。そして、あたかも熊のように、邪魔な檻の格子を破
    ることができたらなら、情け容赦なく朗読して、教養のある人もない人も逃げ
    ださせるだろう。だが、誰かを捕まえたなら掴んで離さず、殺してしまうまで
    読んで聞かせるだろう ----- 血をいっぱい吸うまで肌から離れまいとする蛭!
    (Non missura cutem, nisi plena cruoris hirudo.)」


     なぜこんなのから、あの辛気くさい新古典主義が生まれたのか、よくわから
    ない。


    詩学 (岩波文庫)詩学 (岩波文庫)
    (1997/01)
    アリストテレースホラーティウス

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