素晴らしい時代とは言い難かった1930年代、アメリカのある小学校で試みられた算数教育の実践はいくつかの点で興味深い。
     特別な教授法など用いた訳ではない点、未だに人気を誇る早期教育とは正反対のことを試みた点、そして授業時間を大幅に短縮することで(逆に)効果を上げた点が注目される。
     

     ニューハンプシャー州マンチェスターの小学校校長L.P.ベネゼットが行った改革は、算数を学び始める時期を大胆に遅らせることだった。
     
     1929年にはすでに、小学校の最初の2年間から算数の授業を全廃していたベネゼットは、多くの批判を受けていたが、しかし反発に屈せず自分の改革を推し進めた。
     
     ベネゼットの基本的な考えは、6歳から教えはじめて8年間かかる算数の授業も、12歳から始めれば2年で終わる、というものだった。

     そう考える一番の理由は、幼少期には難しい抽象的なものの見方・考え方も、十分に成長した後なら、ずっと容易に理解することができるという、発達上の根拠だった。
     また、高い学年になってから算数を学ぶことで、重複の無駄や書き換え(オーバーライト)の困難さを避けることができる利点もあった。
     算数のカリキュラムは教育的配慮から、同種・類似の事項が学年を経て(より高いレベルでだが)繰り返し登場するよう、いわばらせん状に構成されている。抽象度の高い、高度な学習内容は低学年には難しいから、その端緒となる内容を最初のうちは教えようとすれば、内容が重複することは避けられない。
     しかし、すでに習った内容に別の意味を付け加えたり、かつては禁止されていた操作や計算が導入されたりすることに、強い抵抗を感じる子どもたちがいる。十分に成長してから算数を始めれば、こうした既習項目の〈書換え〉を強いる事態を減らすことができる(もっと、ある事項に別の意味を付け加えたり、かつて禁止されていた操作が導入されることは、数学が発展してきた歴史の中で何度も繰り返されてきたことだから、より高度な数学を学ぼうとすれば当然に遭遇することであって、完全に取り除くことなど不可能なのだが)。

     ベネゼットはさらに、算数学習を取り除くことで浮いた時間を、読み書きを中心とする言語的技能を習熟することに重点的に配分した。読書への興味を伸ばしたり、語彙を増やすための時間を増やし、また論じたり発表したりする活動を多く取り入れていった。
     言葉の意味を正確に読み取ること、理由付けして話したり書いたりすることなど、言葉を取り回す能力は、後で算数を学ぶに際しても、その基盤となって支えることが期待されたのである。
     
     全体で見ると、決して奇異ではないこのアプローチは、しかし実施の点では大きな問題点を持っていると、ベネゼットは感じていた。
     そのうち最大のものは、算数を(一定期間)教えない/教えることを遅らせることに対する保護者の抵抗である。何しろ現在日本で言えば、小学校の6年間を丸ごと算数なしにしてしまうのだ。「取り返しの付かない遅れ」が生じると感じるのも無理は無い。特に長い期間教育を受けた高学歴者ほど、教えない/遅らせることへの抵抗が強いと思われた。 "Had I gone into other schools in the city where the parents were high school and college graduates, I would have had a storm of protest and the experiment would never have been tried." (もし高卒や大卒の保護者がいる街の学校だったら、抗議の嵐にあって、この実験を試みることはなかったでしょう)。
     
     ベネゼットの実践は、こうした強い抵抗を受けないという稀な状況によって可能になった。
     ベネゼットは、自分が考える教育実践の改革を説明する手紙を保護者宛に書いたが、それを読んだ保護者はほとんどいなかった。というのも彼の学校の校区には、英語を読める保護者は全体の1割に満たなかったからだ。この点だけを捉えると、この改革はだまし討ちのようなものだった。
     しかし、算数を遅らせることと引換えに可能となった言語的技能の重点的トレーニングは、英語を読めない親たちが求めた教育ニーズと合致していた。また現実問題として、他の小学校と同じ進度で算数を教えれば、まず言葉の問題でつまずく子どもたちが大勢出ること(実のところ、これこそがベネゼットたちが直面していた最大の問題だった)は必至だった。
     
     
     この実験の結果を手短にまとめておこう。
     教育効果の実験なので、ベネゼットは対照群を用意して実験を行った。
     実験群となるグループの生徒たちは6年生になるまで算数の勉強をしなかった。
     対照群となるグループの生徒たちは(ベネゼットの学校ではすでに最初の2年間の算数の授業は全廃されていたから)3年生から算数の勉強を始めた。
     2つのグループが6年生になってから半年経つと、実験群の生徒たちの算数の成績は、対照群の生徒たちと同じレベルになった。
     1年経つと、実験群の生徒たちは、対照群の生徒たちが3年半かけて学ぶ水準に達した。
     さらに実験群の生徒たちは、算数の計算の意味(たとえば、分数で割り算するのに、逆数を掛けるのは何故か)について、対照群の生徒たちより、よりよく理解していた。
     
     
     現代はほぼ不可能となった教育実践ではあるが、ベネゼットの試みはいくつかの教訓を提供する。
     
     おそらくは読者の最大の関心だろう、小学校から算数の授業なんて一切なくしてしまった方が良いのか、そうしないのは数学教育関係者や数学者の既得権益や自尊心を守ることにしかならないのか、という疑問に対しては、ウケを狙う方の答えを出せない。
     それはベネゼットたちの本意ではない。彼らは算数が不要だとは、つゆも考えなかった。
     彼らは、多くの生徒もその親も英語を使えないという条件の下で、そうした選択を行ったのだ。
     
     より穏当だが、けれどより重要なのは、次のことだろう。今日では広く知られることだが、算数・数学を学ぶのに、言語技術、特に読むことが重要な基盤となる。読む力が不十分なら、そちらを鍛えることが優先されるべきだとベネゼットの実践は教える。
     
     そして、算数・数学のやりなおしに関して教えるところがある。
     幼い頃ひどく難しく感じた事項も、成長してからやり直すと以前より理解しやすくなっている可能性がある。それどころか何年もかけてダメだったことが、成長した後ならずっと僅かな時間で学習できるかもしれない。
     人は算数・数学が苦手な理由を〈自分に才能がない〉ことに求めがちだが、実はまだ時期ではなかっただけかもしれない。
     「算数・数学としては正しくても、教えたことと違うから×」などと言われて、嫌いになったとしても、そんな大馬鹿者に邪魔されない今なら、学び直すことができる。
     数学は若いうちでないとできない、という神話は、丁寧に埋葬されるべきだろう。
     
     古い映画のタイトルを真似て言うならば、
     
     Mathematics can wait. 数学は待ってくれる。
     
     

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    Louis Paul Bénézet (1876–1961)


    (文献)
    ・L. P. Benezet, "The Teaching of Arithmetic I: The Story of an experiment", Journal of the National Education Association, Volume 24, Number 8, November 1935, pp. 241−244.
    ・L. P. Benezet, "The Teaching of Arithmetic II: The Story of an experiment", Journal of the National Education Association Volume 24, Number 9, December 1935, pp. 301−303.
    ・L. P. Benezet, "The Teaching of Arithmetic III: The Story of an experiment", Journal of the National Education Association Volume 25, Number 1, January, 1936, pp. 7−8. 




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