1.爆発する科学

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     世界をまきこんだ戦争が終わって、堰を切ったようにあふれ出した学術情報、とくに科学文献の数は爆発的に増加した。
     
     こうして、それまで科学文献のよき案内板であった、分野ごとのアブストラクト誌(論文の抄録を収載した定期刊行物)は次第にその役割を果たせなくなってきた。
     
     論文の増加は当然アブストラクト誌のページ数を爆発的に増やし、金額的にはもちろん、物理的にも研究者個人が取り扱えるものではなくなっていった。
     
     なお悪いことに、大量の論文を処理するための時間量もまた跳ね上がり、アブストラクト誌は読者が要求する速報性をますます果たせなくなっていた。
     論文が発表されてからアブストラクト誌に載るまで1年以上かかるのがめずらしくなくなった(週刊ないし隔週刊で発行されていることを考えれば、異常かつ望むべからぬ事態だと言える)。
     英語以外で書かれる論文は当時はまだ少なくなかったが、これらがアブストラクト誌に載るまでに発表から3年もかかることすらあった。
     
     
     研究者は研究をするのが仕事である。
     その研究は、発表され、研究者コミュニティのチェックと承認を経て、はじめてその存在が認められる。
     
     そして研究論文を書く者は、他の研究者が書いた論文を読まなくてはならない。
     学術研究は早い者勝ちの世界であるから、同じ研究を誰かが先にやっていないかを知っていなくてはならない。
     また誰もやっていない研究であっても、その〈新しさ〉がどういうものかを研究論文は自ら明らかにしなくてはならない。
     つまりそれまで行われた研究に対してどのような関係にあるか、これまでの研究とどこが同じであり(解決しようとしている問題?研究対象?)どこが異なっているのか(アプローチ?研究対象?)を、論文の中で明記しなくてはならない。
     これらは当然ながら、既存の研究論文を参照することで行われる。だから、研究論文を書く者は、他の研究者が書いた論文を読まなくてはならない。
     
     しかし世界に研究者は莫大な数いる。
     研究は毎日夥しい数が生まれてくる。
     論文が載る学術誌だって相当な数だ。
     そして重要なことだが、本当に新しい研究はしばしばそれまでの学問領域を越えるものである。
     すでに確立された分野の枯れた研究なら特定の専門雑誌だけを見ていればよいかもしれない。
     しかし、やがて新しい一分野を形成するようなホットな研究領域の論文は、特定分野の専門誌にだけ載るのではない。
     また、これから確立されるような新しい領域は、まだ呼び名も確定されておらず、決まったキーワードが題名に含まれる論文だけを見ていけば拾い上げることができる訳でもない。
     
     すべての学術誌をくまなく見るわけにはいかない。
     だからこそ、どんな研究論文があるかを教えてくれるツールが必要である。
     先に述べたアブストラクト誌は、長らくそうした役割を果たしていた。
     自分に関連ある論文を、膨大な雑誌をすべて自分でめくって拾い上げるかわりに、まずは論文の要約を集めたアブストラクト誌をつかって関連ありそうなものをピックアップすれば、随分時間の節約になった。
     しかし論文の数が、さらに加速して増加すると、アブストラクト誌自体が長大となり、また収載までの遅れも無視できないレベルとなってきていた。
     
     論文数が爆発的に増加する時代は、新しい検索ツールを求めていた。



    2.化学研究室のおちこぼれ

     ユージン・ガーフィールドが大学を卒業した1948年、彼が出た化学科出身の人材について、求人は多くなかった。
     レポートをまとめるデスクワークでしばらく糊口をしのいだが、ようやく見つかった研究室では、化学研究者としての才能を欠いていることを痛感させられた。何度か実験に失敗し、そのうちの数回は、小規模なものであったが爆発すら引き起こした。
     
     それでも研究室の人たちは、ガーフィールドを有用な一員として扱っていた。
     薬品や機材、書類や文献を整理し、その目録をつくることで雑然とした研究室に秩序をもたらしていたからだ。
     同僚たちと同様に、ガーフィールド自身も、自分の適性を自覚せざるを得なくなっていた。
     やがてガーフィールドは研究室を去り、タクシードライバーの仕事をしながら、コロンビア大学で図書情報学の修士号をとった。
     
     自然科学のトレーニングをうけ、研究室にも一時身を置いたガーフィールドは、科学研究者と文献が陥っている苦境を看過できなかった。
     科学論文の数は急増し、その勢いは強まりこそすれ、まったく弱まりそうにない。
     だが、科学論文の要約を収集・分類し、キーワードを作り出し索引をつけるという作業は、高度な専門知識と知性を必要とし、人手を増やそうにも、そんな人材は急造できるものではない。
     これまでのやり方に限界が来ていることは誰の目にも明らかだった。
     しかし、人の手を介さないで、まともに使える文献検索ツールを作り上げ更新し続ける方法が見つからなかった。
     
     こうしてガーフィールドが取り組むべき研究課題は明らかになった。
     まともに使える文献検索ツールを、まったく機械的に作成・更新する方法を見つけること。
     おそらく専門職の矜持を持った文献学者でも図書館員でもないことが、この割り切りを可能とした。
     
     学術雑誌の目次を提供するCurrent Contentsを幾度の失敗の末、ようやく軌道に乗せたところだった。
     何年も調べ続け、考え続けた後、ついにガーフィールドにも「Eureka!」と叫ぶ瞬間が訪れた。
     
     ガーフィールドが発明しようとしていたのとほとんど同じものが、実はすでに存在していたのだ。
     判例を重視する英米法の伝統と、多数にして多様な判決を生み出す裁判所を全国各州に持っている土壌が、無味乾燥だが機能的な索引を生み出していた。
     シェパード・サイテーションは、ある判決が、その後別の判決でどのように追認されたか/くつがえされたか/疑問を付されたか等を追いかけることができるようにした索引だった。
     膨大な量のデータを扱うことから、記述は極端に記号化されている。それぞれの判決は、裁判所がある地名の短縮形+判例集の巻数+ページ数で表され、後続する判決による再確認/却下/疑義については、それぞれa(affirmed)、o(over-ruled)、q(questioned)というアルファベット1文字が付されることで表示される。
     
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     シェパード・サイテーションは、すでに別の判決で覆された判例を根拠にするという愚を避けることができるようにする。
     領内における唯一絶対の権力が一元的かつ独占的に法的根拠を供給しているのならば、こうしたツールは必要ないだろう。
     しかし、数え切れないほど多くの場所と条件下で、時々刻々と法的根拠が生産されるところでは、不断に書き換えられる法的根拠の集合体について、その〈現在の姿〉を常に追跡してくれるツールが必要だった。
     
     ガーフィールドが考えてきたことも、これとほとんど同じだった。つまりは、新しい研究で不断に書き換えられる科学研究の〈現在の姿〉を常に追跡してくれるツール。
     そして、新しい判決が根拠として古い判例を引いてくるように、新しい研究論文もまた、自らの位置と存在価値を示すために古い論文を引用する。
     ならば、引用関係が織り成すものは、論文発表する研究者全員が自発的に参加して作り上げる自生的秩序と見なすことができるのではないか。
     あるいは彼ら自身そう意図することなく不断に更新する(今で言うなら〈ソーシャル〉な)ビブリオグラフィ……。
     
     ガーフィールドには今や、自分と新しい検索ツールが追いかけるべきものが何であるか、はっきりと分かった。
     
     


    3.遺伝学者からの手紙

     多くの同業者と同様、その遺伝学者は、未来に関心を持っていた。
     遺伝という、親から子へと引き継がれる現象を研究する生業のためか、〈その後、どうなるか?〉について、とりわけ強い興味を抱いていた。
     
     1955年、ガーフィールドがサイエンス誌に発表した論文「科学のための引用索引」が、この遺伝学者の関心を引いたのは当然だったかもしれない。
     それは、ある論文が別の論文を引用している関係を抜き出して整理しなおすという単純なアイデアについて書かれたものだった。
     
     すべての論文は、それ以前に書かれた別の論文を引用・参照している。
     その引用関係を集めて並べなおすことで、引用関係を逆引きすることができるのではないか。

     引用する論文(citing paper)には、引用される論文(cited paper)が明記されている。
     では、引用関係を引用される論文(cited paper)ごとにまとめれば、その論文(cited paper)から影響を受けた論文のリストができる。
     つまり、その論文(cited paper)から見れば未来の、論文の子たちがリストアップされる。
     さらにその論文の子についても同じことをすれば、ある論文から影響を受けて生まれた論文の子孫たちがリストアップされる。

     つまり時間的に先行する古い文献から、より新しい論文を知ることができる。〈これまで〉ではなく、〈その後、どうなったか〉という疑問に答えてくれる検索ツール!

     遺伝学者は興奮した。そして待った。
     「科学のための引用索引」という論文が、その後どんなことを引き起こしてくれるか、を。

     
     しかし何も起こらないまま3年の月日が流れた。
     遺伝学者はまだ、ガーフィールドの論文の「その後」について何の知らせも情報も得られないでいた。
     
     ジョシュア・レーダーバーグという、その遺伝学者はとうとうしびれを切らして、サイエンス誌のバックナンバーをひっぱりだし、論文の著者へ手紙を書くことにした。
     
    「私は、あなたの論文が、その後どのような影響を与え、どんな具体的発展を生むに至ったかを、知りたくても知ることができませんでした。あなたがいう〈引用索引〉が、まだ存在しないそのために」

     その意義を理解した者だけができる、これ以上にない励ましと促しだった。
     
     ガーフィールドとレダーバークは、こうして友人となった。
     すでに著名な遺伝学者だった(大腸菌の遺伝子組み換えの研究でノーベル賞を受賞していた)レダーバークは、ガーフィールドに科学振興財団の補助金の申請を勧め、他にも様々な支援を引受け、ガーフィールドは〈引用索引〉の実装に取り組んだ。
     こうして世界最初の学術研究の〈引用索引〉、Genetic Citation Indexは完成した。



    4.引用の陽の下に

     Genetic Citation Indexは、しかし始まりにすぎなかった。
     
     〈引用索引〉は、領域横断的なものとなってはじめてその力を十全に発揮することを、ガーフィールドはすでに気付いていた。
     
     〈引用索引〉は、人間の手による分類も索引キーの抽出も必要としない。
     引用という、研究者自身による規律行動が、分類・抽出に代わる文献の秩序付けを、分散的にだが〈既に〉やっていてくれている、というのが〈引用索引〉の発想だった。
     
     それぞれの研究と関心の及ぶ範囲に限られるとはいえ、多数の専門研究者(プロ)が自らの知的能力と学問的信用をかけて、文献相互の間に結びつきを見出してくれている。
     中にトンデモ研究者によるトンデモな結び付けがあっても、大量のデータを集積できれば、そこに浮かび上がる秩序パターンは、分類の専門家たちの仕事にも勝るとも劣らない価値を持つ。
     
     特に、既存の分類や専門の棲み分けからはみ出るような、新しい知的挑戦が盛んに起こっているホットな新領域を見出すのに、〈引用索引〉は既存の検索ツールよりも、確実に役に立つはずだった。
     
     しかし、それには特定の学問分類を超えた広がりを〈引用索引〉自体が持たなくてはならない。
     
     
     こうした〈引用索引〉を、Genetic Citation Indexの時のやり方で作ることはできなかった。
     補助金を獲得するには、分野ごとに配分されるファンドを引き出すために、特定のテーマをぶち上げなくてはならない。
     文献計量学や科学計量学が一分野と確立されていなかった当時、科学全体を対象とする企てを支援する先を見つけ出すことは困難だった。
     
     ガーフィールドは後年、「サイエンス」という言葉を冠した〈引用索引〉のスタートについて、こう語る。
     
     「振り返ってみて、この事業の最大の冒険は、SCI(Science Citation Index)を公的補助金なしに、一私企業の独力で発行すると意思決定した時だった。」
     
     特定の補助金ではなく、この企てに価値を見出す無数の人々たちを掘り起こし、広く彼らにコストを負担させること。言い換えれば、研究者相手に、これを商売とすること。
     
     以後、ガーフィールドは何十年に渡って、引用情報をソースにしたコラムを書き続け、様々な学会や科学者コミュニティに顔を出し、世界中を飛び回って営業と布教(両者はほとんど同じことだ)をしかけ、引用情報の新たな応用とそのアルゴリズムを開発し、ユーザーからのフィードバックを元に〈引用索引〉を改良し続けた。
     
     そしてガーフィールドを引用情報に赴かせた、学術情報の爆発的増加は、緩まるどころかますます激しくなり、この事業にとって追い風となった。
     「他人の書いた論文をこっそり数えただけで、それを金儲けにするなど、なんという外道」という非難は、ずっと長く、主として学者から聞かれたが、論文の増加速度が更に上がり、人の手による収集と分類が追いつかなくなればなるほど、また学術文献のジャングルが鬱蒼と繁り、見通しが利かなくなればなるほど、〈引用索引〉の有用性は際立った。

     今日では、サイテーション・インデクスはおろか、インパクト・ファクターについても、あたかも普通名詞のように取扱い、ユージン・ガーフィールドを引用することはおろか、想起することさえ少ない。
     
     真に衝撃を与えたものは、人々の視界から消えていく。
     
     ガーフィールドは古典ではなく、礎になった。
     

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    (1996/10)
    窪田 輝蔵

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