思うところあって、誰もが知っているような書物を紹介することをはじめます。
     
     読むのがあまり得意でない人にも読んでもらおうと思ったので、なるべく分かりやすく書くことに加えて、簡単なことを最初にひととおり済ませて、難しいことは後でやり直す方法を採用しました。
     繰り返しが生じる欠点があるけれど、途中で読むのをやめてしまってもいくらか得るものがあるだろうと思ったのです。
     
     第1回めはトーマス・クーン『科学革命の構造』。
     次回は、いつになるか分からないけど、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』をやります。





    1 『科学革命の構造』に書いてあること

    The Structure of Scientific RevolutionsThe Structure of Scientific Revolutions
    Thomas S. Kuhn,Ian Hacking

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    科学革命の構造科学革命の構造
    トーマス・クーン,中山 茂

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    bebrief.pngこの本は科学が科学革命をへて発展すると主張しています。
    革命だから、それまでの科学は一度壊されて新しく再建されるので、科学の発展は切れ切れに続いてきたもの、ということになります。
    言い換えれば、新しく発見・発明された科学知識が積み重なることで科学が発展してきたという、これまでの科学発展の考え方はウソだと言うのです。


    shownchart.pngこの本の著者クーンが考える科学発展のステップを図に書くと以下のようになります。
     『科学革命の構造』は全部で13の章でできていますが、序論「第一章 序論・歴史の役割」とまとめ「第十三章 革命を通じての進歩」をのぞくと、科学発展の順番に各章を割り当てて、それぞれを説明しています。これも一緒に図に入れてみました。


    ssr-hist-cont.png
    (クリックで拡大)


     この図にも、これからの説明にも、繰り返し出てくるので、「パラダイム」という言葉を簡単に紹介しておきます。

    bebrief.pngパラダイムとは、科学者たちが研究をするお手本となるような具体的な業績のことです(「考え方の枠組み」みたいなものだとよく勘違いされますが)。
     たとえばニュートンの『プリンキピア』がそうです。
     もう少し詳しい説明は、後でもう一度出てきます。


     ではクーンが考える科学の発展について、図に沿って説明します。



    (1)前パラダイム期から通常科学へ

    ssr-hist-1.png


     自然の研究は、パラダイムができることで(より正確に言えば、あるパラダイムを科学者共同体が受け入れることで)自然科学となります。
      
     パラダイムがないと、学術コミュニケーションは論争が中心になります。
     こうした場合、学者の仕事は(典型的には)ライバルを名指ししその学説を批判する形で発表されました。
     相手を論破するために、相手の説では解けない問題や説明がつかない事例が示され、相手が前提とする土台や、時には学問とは関係ないところまで互いに攻撃することになりました。
     このやり方は今までの前提を疑ったり、学問の基礎を掘り下げるには良いのですが、前に進みません。
     比喩で言うとこれは、将棋の駒の種類や盤の大きさをあーでもないこーでもないと議論しているようなものです。ゲームのルールがぐらぐらしていては、知見が蓄積されず(違うルールのものでの記録は役に立ちません)、定石だって生まれません。

     
    (2)通常科学

    ssr-hist-2.png

     問題が限定されるから、解けたかどうか分かるから、集中できる





     パラダイムができると(少なくとも同じパラダイムをシェアする科学者共同体では)研究は論争からパズル解きに変わります。通常科学のはじまりです。
     パラダイム(となる具体的な業績)から科学者は、解くべき問題と解き方の指針を引き出すからです。
     もはや「そもそも論」や互いの研究の前提を攻撃しあうことで互いに消耗することはありません。
     つまり何が解くべき問題か、どうやって解くのがアリか/ナシか、そしてどうなれば解決なのか、基準なり指針ができるので、科学者は安心して研究に打ち込むことができます。
     また社会的には重要だがどう取り組んだらいいか分からないような問題に煩わされることもありません(パラダイムには科学者を科学者共同体の外から守る機能もあるのです)。科学者はパラダイムの元で解ける見込みがありそうな問題に集中することができます。
     これらのことは研究の効率を高めます。他の知的生産に対して、科学が優位を保ち続けている一因です。


    (3)変則事例(アノマリー)

    ssr-hist-3.png

     通常科学が進むほど、変則事例は出現する






     しかし通常科学は確かに効率がよいのですが、あくまでパラダイムが引いた線路の上を行く営みです。
     それまでとは一線を画する画期的といえる業績、古いパラダイムにとって変わる新しいパラダイムはどうやって生まれてくるのでしょうか?
     通常科学が進むことによって、逆に通常科学の内では(つまり今のパラダイムの内では)解決できないような変則事例(アノマリー)が生まれてくるのだ、とクーンはいいます。
     通常科学が進むと、理論と測定の精度があがります。こんな場合はこうなるはずだ、という予測がより精密にできるようになります。
     そして予測が精密になればなるほど、科学者は予測から外れた事象に気づきやすくなるのです。
     ゆるゆるの予想しかできなかった頃には「理論どおりじゃないけど、まあこれくらい誤差って事もあるよな」とスルーされていた現象も、予測が精密になれば「こんなはずがない!(今の理論からすればこんなこと起こるはずがない!)」ということになります。
     
     しかし既存の理論で説明つかない変則事例が出てきても、すぐに既存理論が捨てられたり、「よっしゃ新しいパラダイムでいこう!」となるわけではありません。
     変則事例が出てきても最初はスルーされます。
     現行のパラダイムがいよいよ持たなくなって、盛んに次の手が模索される頃に「そういえば、この説明できない現象って、随分前から言われてはいたんだよな」と思い起こされるくらいです。
     
     このあたりの事情を、クーンは「黒いハートや赤いスペードという変則カードを混ぜたトランプ実験」を例に説明しています。

    black4ht.jpg  red6spad.jpg

     私たちはハートは赤いもの、スペードは黒いもの、と思い込んでいるので、黒いハートや赤いスペードのカードと出会っても、ほとんど気に留めずスルーします。「今のカードは?」と聞いても「ハートです」と答えるだけで「何色でした?」と尋ねても「赤です(ハートだから当たり前でしょ、へんなこと聞くなあ)」と答えるのです。
     混ぜる黒いハートや赤いスペードの数を増やしていくと、そのうち「ん?何か変なカードが混ざってる」と気付く人が出てきます。
     一度気付いてしまった人は、さっきまでのようにはスルーできず、いちいち黒いハートや赤いスペードに気づくようになります。
     

    (4)パラダイムの危機

    ssr-hist-4.png


     変則事例の出現が科学者に認知されても、そのままパラダイムの危機に直結する訳ではありません。
     
     「理論とあわない現象によって反証されるからこそ科学なんだ(反証されないものは科学じゃない)」とポパーは主張しましたが、クーンは「いや、理論に合わない現象が出てくることなんて日常茶飯事で、それこそ通常科学のうちで解くべき問題として科学者の飯のタネなんだ」と考えました。
     たとえばニュートンの『プリンキピア』は、天体や地上の運動を統一的に扱える画期的な仕事でしたが、問題を解決するだけでなく、多くの問題を生みました。つまりニュートンの理論に合わないことがたくさん見つかり、科学者はそれを通常科学の中でパズルとして解く(ニュートン力学のパラダイムの内で解決する)仕事を何世紀も続けることになります。
     
     しかし変則事例が無視できないばかりか、現行のパラダイムでの問題解決ではにっちもさっちもいかなくなるとパラダイムの危機が訪れます。ここでの科学者の対応は3通りあります。

    ア.理論にいろいろ追加したりして現行のパラダイム内でなんとか解決する
    イ.棚上げして次世代に期待する
    ウ.新しいパラダイム候補を探す

     危機に至っても、新しい方へ行くよりも、何とか変わらずにいようとする力が強く働きます。
     しかしこの変わらずにいようとする志向、言い換えれば「現行のパラダイムの内で解くべき問題はすべて解けるのだ」という確信こそが、わき目も振らず通常科学に科学者を打ち込ませるのです。これこそが通常科学の知的生産の効率性を支え、さらには精緻化・精密化から変則事例を科学者の目に触れやすくし、結局のところ科学革命を準備するのです。
     クーンの科学革命論のキモは、科学研究におけるこうした革新的な志向と保守的な志向との本質的緊張が科学を発展させる、と考えるところです。
     

    (5)科学革命

    ssr-hist-5.png


     研究のやり方を変えるのは非常にコストがかかることでできれば避けたいのですが、危機が深まるとそうとも言ってられません。
     いよいよ現行のパラダイムがやばそうになると、科学者を制限していたパラダイムのたががゆるみます。
     これまでのやり方とは外れたアプローチがいろいろ試されます。例えばそれまでまともな科学者なら避けるべきだった哲学的議論なんかも交わされたりもします。
     この状態は、パラダイムができる(=あるパラダイムを科学者共同体に受け入れられる)以前の状態、すなわち前パラダイム期に似ています。
     目下解けない問題=変則事例のすべてを解くものではないけれど、そのいくつかには解答(つまり部分解)を与えるやり方が提案され始めます。
     しかし解けない問題もたくさんあるので、すぐには誰もが採用するという風にはなりません。
     しかし目下解けない問題=変則事例の多くを解くやり方が現れ、どうにかして支持を集め、多くの科学者がその元に集まると、これを新しいパラダイム=以降の研究のお手本となる業績として、新しいステージの通常科学がはじまります。
     こうした繰り返しを経て、科学は発展していくとクーンは言うのです。

    shownchart.pngせっかくなので、この繰り返しが分かるようにフロー図でも書いてみました。
     
    ssr-flow2.png
    (クリックで拡大)






    ここから後ろがオマケになります。




    2 大事な概念
     
    (1)パラダイム Paradigm

     パラダイムはおそらく最も有名になった学術用語です。


     書籍500万冊をもとに構築された5000億語からなるデータベース Google Ngram Viewerで調べて見ました。

     もともとは「典型」「代表例」「モデル」という意味だった普通名詞Paradigmを、クーンがこの本の中で独特の意味で使って、それが世界的に大流行しました。
     広辞苑には「一時代の支配的な物の見方」と説明してありますが、これは典型的な拡大解釈(大間違い)。クーンは、あるパラダイムを共有する科学者共同体をせいぜい100人程度の規模だと考えていました。
     またパラダイムを「考え方の枠組み」と説明する人もありますが、いずれもせっかくのクーンの工夫が台無しです。
     しかし、この種の間違いは仕方がないところもあります。

     というのも、クーン自身がかなり広い意味でパラダイムという言葉を使っているからです。

     パラダイム概念の元ネタ(もともとの発想の源)はおそらく、クワインのconceptual scheme(概念枠、概念図式)です。※ こっちは「考え方の枠組み」「世界観」に近い意味だとざっくり理解していいでしょう。



    caution.png
    ※ 伊勢田哲治(@tiseda)さんからtwitter経由でご指摘いただいたので、うまく説明できなくて乱暴にやってしまっていた「パラダイムの元ネタ」について、再チャレンジして書きなおすつもりでしたが、予想以上に手こずってます。少し分量も作業時間も長くなりそうなので、別記事にする方向で、ここでは信じるなと注意喚起しておきます。

     確かにパラダイム概念の「元ネタ」がクワインだけ、概念図式だけ、というのは乱暴です。初心者向きの記事で、断定的に書いてしまうことも、輪をかけてミスリーディングでした。

     他にも考慮すべき先駆者としては、クーン自身が著作の中で挙げているルドヴィク・フレック(„Denkstil“(思考様式) を共有する „Denkkollektiv“(思考集団))やコイレ(科学革命と哲学革命の二重進行)やウィトゲンシュタイン(言語ゲーム論の中でParadigmaという言葉をわりと重要なところで使ってる)なんかに触れる必要があると思います。

     概念図式Conceptual Schemeにしても、クワイン自身はヘンダーソン経由でパレートから継承したみたいなことを言ってるのですが(クワインはヘンダーソンがトップをやったソサエティ・オブ・フェローズの最初のジュニア・フェローの一人です)、クーンを一介の物理学科院生から科学史担当者に一本釣りしてきたコナント(化学者出身でハーバード大学長)は、実はヘンダーソンの義理の甥で、ヘンダーソンが科学の分野に使ってた概念図式を科学史(主に化学史)に使ったのがコナントで(手に入った本をチラ見すると確かに繰り返し概念図式を使ってて、科学発展におけるprejudice偏見の重要性とか)、どうしたってこっちがダイレクトなつながりっぽいですが、どうやっても今日中には書き終えられそうにありません。続報待て。

    2014.07.21 18:50記す


    手を広げすぎて遭難中です。

    WhereParadigm.png
    (クリックで拡大)


    ここから枝を刈り込みつつ、引き返します。

    ・クーンの主張の主だったものはコナントがすでに言っている説
     (SSRの事例もコナントの使い回し)
    ・クーンの主張の主だったものはバシュラールがすでに言っている説
    ・ヘンダーソン影響与えすぎて1回分に収まらないので別枠で

    2014.07.27 13:00記す




     クーンは処女作『コペルニクス革命』では、この概念図式が変わることが科学革命なのだと言っています(第二章)。
     次の著作である『科学革命の構造』では、この概念図式を元に、さらに一工夫を加えて、パラダイムという概念を議論の中心にしました。
     では概念図式とパラダイムはどこが違うのでしょう?
     
     クーンは、自分の仕事がどういうものかうまく言語で言い表せなかったり理論化できなくても、立派に科学者とやっていけるし成果もあげているのを見て、こう考えました。
     科学者は、科学者としてのあり方やり方を、明示的なルールを与えられることで身につけるのではない。むしろ、その分野の具体的な業績をお手本として、つまり科学研究とは何をどうすることであるかの典型例として学び、科学者になるのだと。
     
    bebrief.png
    このお手本になる業績こそパラダイムです。
     

     パラダイムとは、「ものの見方」や「考え方の枠組み」のような抽象的なものではなく、まずは具体的な業績を指すことばです(「典型」「代表例」「モデル」という元の意味を思い出しましょう)。
     
     「考え方の枠組み」のようなものを科学者が心に抱いて仕事をするとしても、それはルールブックやマニュアルのような明示的な形で与えられるのではなく、科学者たちがお手本となる業績(=パラダイム)から引き出してくるのです。
     なので同じお手本となる業績(=パラダイム)から、科学者によって少しずつ違ったものを引き出してくることだってあるわけです。
     
     クーンは、コア(核)になる画期的な業績をパラダイムと呼ぶだけでなく、パラダイムから引き出され、科学者たちにシェアされるいろんなものまでも(ややこしいことに)同じくパラダイムと呼びました。
     そんなわけで、パラダイム概念が曖昧だと批判された後、クーンはパラダイムを二つに分け、狭い意味の方をexamplar(見本例)、広い意味の方をdisciplinary matrix(専門母体)と呼び変えました。
     この二つはコア(核)になる画期的な業績=examplar(見本例)、それから引き出されたいろんな物を含むdisciplinary matrix(専門母体)という対応になります。
     
    shownchart.png
    パラダイム概念の移り変わりと対応関係を図として下にまとめてみました。


    paradigm-change.png





    (2)科学者共同体 scientific community

     クーンによれば、科学者共同体とは、およそ100名くらいの科学者をメンバーとする、同じパラダイム(お手本になるような具体的な業績)を研究の指針として受け入れた、通常科学に携わる専門家集団です。

     クーンにとっては、パラダイムと科学者共同体とは、切っても切り離せないものです。
     パラダイムを「物の見方」だとか「世界観」のことだと解釈(誤解)されたクーンは、『科学革命の構造』を書き直すとしたら科学者共同体のことから書き始めるつもりだといいます。
     科学者共同体には、明文化された規約や綱領、ルールブックやマニュアルがあるわけではありません。
     ある科学者共同体が、新しい参加者を向かい入れ、不適格者を追い出し、無用な論争をさけ、外からの影響をさけ、あくまで自分たちだけで互いの仕事を評価&チェックし合い、ひとつの集団としてまとまりを保ち続けることができるのは、パラダイム(お手本になるような具体的な業績)があるからです。言い換えれば、その集団のメンバー(科学者)が、ある(一群の)科学業績を導きの指針とすることでは一致しているからです。

     科学は、こうした科学者共同体という特別な集団によって、そこでの科学者たちの集団的行為から生まれるからこそ、他の知的営為と区別されるのだ、とクーンは考えていました。

     パラダイムは、認識論的機能(物の見方考え方に影響を与える)だけでなく、社会学的機能(集団を生み出し維持する)を持つと言われるのはこういうことです。
     

     一般には「科学革命(について何か言った)の人」として知られるクーンですが、あとの世代への影響で言えば、〈通常科学ー科学者共同体〉の方が実は大きいかもしれません。


    劇的な側面通常運転な側面
    科学革命
    共約不可能性
    通常科学
    科学者共同体
    パラダイム
    最初に注目
    一般ウケ
    遅れて注目
    通ウケ

     
     クーンの所説の内、最初に(そしてより広い層に)注目されたのは、科学革命や共約不可能性などの、科学発展の劇的かつ非合理的な面を取り扱った部分(『科学革命の構造』では第9章移行の後半部分)でした。
     派手で大きな話であって、人々の関心を引くのは当然のように思えます。ですが、クーン自身まだまだこれから研究していくべき部分だとしている通り、仮説や推測によるところが多く、今読むと少々荒っぽい議論が目に付きます。実際の科学史と突き合わせて合っているどうかちょっと怪しいところがあります。

     これに対して、少し遅れて(より通好みの)関心を引いたのは、通常科学や科学者共同体という、科学の通常営業的な側面を取り扱っている部分でした(パラダイムという概念もこちらのグループに入ります)。
     クーンが〈科学者あるある話〉を交えて描くこのあたり(『科学革命の構造』では第2章〜第5章の前半部分)は、科学革命の前提になる話であるだけでなく、期間的には科学研究の大半の占める部分を扱っており、他の知的営為と比べてなぜ科学はこんなにもすごいのか、を解き明かそうとしたクーンにとっても重要な部分です。
     読み物としても、〈科学者が教科書と自伝以外の本を書かない(書くと学者としての評判を落としてしまう)のはどうしてか?〉とか〈パラダイムが登場して通常科学がはじまると、その分野は素人(他分野の科学者を含む)には理解できないものになるのは何故か?〉など、科学や科学者の理想像からは離れていますが、物理学者として研究キャリアをはじめ科学史に転じたクーンの体験と科学史から得たディティールや事例が多く、興味深い話がいろいろと出てきます。

    bebrief.png
    『科学革命の構造』は後半よりも前半がオススメ。


     

    (3)科学革命 Scientific Revolution(s)


    2revolution.png


     「科学革命」も、クーンの以前以後で、意味が変わった(あるいは新しい意味が付け加わった)言葉です。
     
     科学革命Scientific Revolutionの概念はもともと、アレクサンドル・コイレによって提起され、イギリス近代史の研究者バターフィールドがその著『近代科学の誕生』The Origins of Modern Science(1946)で定式化した言葉(概念)です。

    近代科学の誕生 上 (講談社学術文庫 288)近代科学の誕生 上 (講談社学術文庫 288)
    ハーバート・バターフィールド,渡辺 正雄

    講談社
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    (原書はarchive.orgで読めます)。

     このもともとの意味の「科学革命」は、歴史上ヨーロッパに起こった1回限りの歴史的出来事を指す言葉として、固有名詞として扱われます。なので、大文字でScientific Revolutionと書いたり、定冠詞のTheをつけたりします(つまりThe Scientific Revolution)。
     
     これに対してクーンは、この本のタイトルにもあるとおり、scientific revolutionsと複数形を使いました。これは一般名詞です。クーンは科学革命を、時と場所を問わず何度も生起する現象だと考えたのです。
     天文学におけるプトレマイオスの理論からコペルニクスの理論への転換、力学におけるアリストテレスの運動学からニュートン力学への転換、化学におけるフロギストン理論から酸素理論への転換……といった科学史で有名な「事件」は、クーンに言わせればみんな科学革命です。それどころか、こんな有名でないもっと小さな科学革命も、結構頻繁に起きているとクーンは考えていたようです。

    bebrief.png
     クーンのいう「科学革命」は複数形
     


     クーンが有名になった結果、単に「科学革命」といえばクーンのいう「パラダイム転換」の事態を指すようになりました。
     そのせいか、もともとの、一回限りの定冠詞つきThe Scientific Revolutionは、日本語では「17世紀科学革命」と訳し分けることが多いようです。

     


    (4)共約不可能性 incommensurability

     commensurateは「同一基準の」という意味の形容詞で、「できる」を意味する接尾語-ableをつけてcommensurableとなると「同一単位で計れる、通約できる、約分できる、公約数がある」という意味になります。たとえば数字の4と6は2という公約数があるのでcommensurable(通約可能、共約可能)です。

     これを名詞化したcommensurabilityとなると、天文学の用語で「尽数関係」というのがあります。これは二つの天体の公転周期が簡単な整数比をなすときに成り立つ関係で、たとえば木星のガリレオ衛星のうちの3個(イオ,ユーロパ,ガニメデ)の公転周期はほぼ正確に1:2:3の比になっていてcommensurability(尽数関係)にあります。
     incommensurabilityは、これに否定の意味の接頭語 in-をつけたもので、直訳すれば「共約不可能性」とか「通約不可能性」となります。
     価値論や倫理学では、二つの異なる価値や二つの異なる帰結に共通の物差しをあてがうことができない状況を指すそうですが、クーンは、科学革命の前後で、古い理論と新しい理論を同一の次元で比較したり、前者を後者が包括したりすることは不可能であることをいうためにこの語を用い、「パラダイム」「科学革命」と同じく広く広まりました。
     
     『科学革命の構造』の中でクーンは3種類の共約不可能性をあげています。
     1つ目は科学の規準や目的、定義についての共約不可能性です。
     対立するパラダイムの元、異なる理論はどんな問題を解くべきかという点でも異なります。
     古いパラダイム、古い理論で解けていた問題や説明されていた現象があったとして引き継がれるとは限らないので、古い理論を新しい理論が包括するとも限らないのです。
     大抵は新しい理論は古い理論のすべてを引き継いだりしないので、失われるものがある(これをクーン・ロスといいます)というのです。

     2つ目は観察語や理論語の意味が変わることによる共約不可能性です。たとえば、同じ「質量」という語を使ったとしても、古典力学と相対性理論ではその意味が異なります。
     
     3つ目は科学者の活動する「世界」が変化することによる共約不可能性です。
     クーンはこれが「最も基本的な共約不可能性」であるとします。それどころか視覚の「ゲシュタルト変換」になぞらえて、パラダイムが異なると科学者たちは「異なった世界に住む」とまでいいます。
     この非常に強い表現が、パラダイムを「世界観」や「ものの見方・考え方の枠組み」に拡大解釈させることにつながりました。
     クーンに着せられた「科学の殺人者」という冤罪を晴らすため弁護を買って出たというスタイルで入門書を書いた野家啓一氏ですら、これはやりすぎとほとんど唯一非難めいた指摘をする部分です。
     しかし科学批判・反科学の文脈で多くの人が持ち上げるクーンは、このクーンです。
     クーン自身は自分を科学の擁護者だと考えていたのですが。
     
    野家氏は講談社の「現代思想の冒険者たち」シリーズでクーンの巻を書きました。これはその後『パラダイムとは何か?』というタイトルで講談社学術文庫になっています。末尾の文献リストを参照。



    bebrief.pngクーンの共約不可能性=科学の目的が違う、意味が違う、世界が違う



     さて、共約不可能性がクーンが言うとおりのものだとすると、対立する理論間の意思疎通や比較が不可能になってしまうことから、科学哲学者から多くの批判を受けました。
     
     クーン自身、1つめと3つめのについては取下げ、2つめの意味の変化のみをのこし、異なるパラダイムの間では完全な翻訳は成り立たないが、異なるパラダイムの間にも、難しくはあるけれどもコミュニケーションは可能であるという風に、のちに訂正することになります。
     
     比較もできないなら、科学者たちが新理論や新パラダイムを選ぶことだってできない訳で、再び一つのパラダイムに集結し通常科学が再開される事だってありえないことになります。
     これを政治革命のアナロジーをつかっていうなら、革命というのは政権樹立できたからこそ革命なのであり、バラバラになったが最後再び一致することがないなら、それは革命というよりただの騒乱に終わってしまいます。
     
     クーンはこの本の最後の章(第13章)で、別のアナロギーを使って〈科学革命を通じての科学の発展〉を説明しています。何のアナロギーかといえば、ダーウィン進化のアナロジーです。
     クーンによると、ダーウィン以前の進化論はみな目的・目指すところを持った〈~への進化〉でした。ダーウィンがはじめて、進化をあらゆる目的から解放したというのです。そして、ダーウィンを攻撃した人たちは〈進化〉の考えそのものに反対だったのではなく、この〈目的なき進化〉に反発したのでした。
     ダーウィンが自説で持って理解し説明したかったのは、生物の精巧なデザインに秘められた神の目的(生命は何を目指しているのかの答え)などではなく、生物の多様性(生物がかくも多様であるのは何故なのかの答え)でした。クーンは自分が科学について行いたいこともそれを同じだというのです。
     「なんらかの十分で、客観的で、真実の自然の認識がある、そして科学的業績の適切な評価はその究極的な目標に私たちをどれだけ近づけたかによって決まる。このようなイメージはほんとうにためになるのだろうか?」
     否、と答えて、クーンは別の科学発展の像を素描します。
     神様(が与えたもう目的なりデザイン)なしでもこの惑星の生き物は様々な種へと進化してきたように、最終的なゴールなどなくても科学は様々な専門に分化しつつ発展してきた、と。
     つまり科学の進歩とは、究極に真実の自然の認識へ向かっての進歩(advance towards:~への進歩)ではなく、その時々で対した問題からの解決=陥った危機からの脱出(advance from:~からの進歩)だというのです。

    bebrief.png
    ×:~への進歩、 ◯:〜からの進歩



     このように、クーンに言わせると、科学革命は種分化のような出来事です。つまり、単に新旧のパラダイムが交替するだけでなく、一つの種が二つの種に分かれるようなことも起こり得ます。二つが別々の種になったことは、どのようにして分かるのかといえば、生物種の場合は、二つの種の間で交配が不可能であることが、その証となります。
     では科学(発展)における種分化は? これは、ひとつの分野が二つの専門分野に分化したことを指します。では、それらが別の専門分野となったことは、どのようにして分かるのでしょうか。それは新しい専門分野はお互いに共約不可能 incommensurableであることによって分かります。
     つまり共約不可能性は、悪しき相対主義者がそそのかすような、科学の合理性や知そのものを断念せねばならないという教説ではなく、互いに知らない異国の言葉で話そうとする二人にとってコミュニケーションと同様に異なる専門分野の二人のコミュニケーションもまた困難であるという、科学者にはおなじみの経験的事実を原イメージにしています。
     ただし科学革命を通じての発展が〈~からの進歩〉であるとすれば、科学は専門分化を重ねていくのが常態であり、あらゆる分野の科学者が用いる言葉や概念が再び統一されることは現実的にあり得ないことになります。
     



    3 『科学革命の構造』のアカンところ

     普通、書評と言うのは取り上げる本を褒め上げて、読んでもらえるように勧めるものです。
     しかし50年以上前に書かれた本を手放しで誉められるほど厚顔無恥を決め込むには、現在のネット環境は便利すぎます(ネットで読めるリソースを一番最後にいくつか紹介します)。
     また科学についての議論や知識が、クーンがこの本を書いた時代と何も変わらないと信じるのは、人間の知的活動に対する冒涜ですらあるでしょう。

     以下では『科学革命の構造』の功罪(×な方を先にします)を少し紹介することで、『科学革命の構造』の後に生まれた影響についていくらか触れたいと思います。


    (1)延々と撤退したクーン

     『科学革命の構造』という本はとても威勢のいい調子で書かれていますが(全体的にポレミック(論争的)な物言いで、時々ポエミー(詩的)ですらあります)、この本を出した後のクーンの人生は、おおむね撤退戦の様相を呈しました。
     『科学革命の構造』(第一版)で示された先鋭的主張の多くは撤回されるか修正されました。
     クーンを批判した人たちとほとんど同じ見解を取るようになった、と言われるほどです。



    (2)相対主義的な科学観

     「ものごとが正しいかどうかは相対的である、言い換えると、人によって、場合によって、状況によって違ってくる」という考え方が相対主義です。
     「正しい」というのが善悪について言っている場合は価値的・倫理的な相対主義です。
     「正しい」というのが知識について言っている場合は認識論的な相対主義といいます。
     
     相対主義は、今では特別な考え方というより、常識に近いものとして受け取られています。
     特に自分が生まれ育った社会や文化を出て余所へ行ったり、他の社会や文化出身の人と出会ったり交流したりする人にとっては、「善悪というのは文化・社会によって違ってくるのだ」という文化相対主義(価値的・倫理的な相対主義の一種です)は必須です。でないとケンカや騒動が絶えないからです。
     多くの立場が争っているときに、自分が絶対的に正しいと言い張るよりも、相対主義的に考えてどれにも絶対的な優位はありえないとした方が、物事がスムーズに行きそうな気がします。
     
     なので、「『科学革命の構造』は相対主義として批判された」と言っても、批判主義のどこがいけないのかと思う人もいるかもしれません

    たとえば中山茂という人は「クーンが相対主義者だという非難がある。それが伝統的科学哲学を破壊したということらしいが、彼にも私にも相対主義者であることがいけないことかどうか、さっぱりわからない。人は絶対主義者でなくてはならないらしい。」(中山茂「翻訳論:クーンの翻訳について」) と言ってます。 


     しかし相対主義というのは徹底することが難しい考え方です。
     例えば「絶対的な真理はありえない。どのような立場もそれなりに正しい」と相対主義者が唱えたとしましょう。しかし「どのような立場」の中には「俺だけが絶対的に正しい」という考えや、もっとひどいのでは「相対主義者は社会のガンだから皆殺しだ」という、様々な相対主義を否定する考えまでも含まれてしまいます。
     あるいは「ものごとが正しいかどうかは、人によって、場合によって、状況によって違ってくる」という主張に対して、「お前のその考えも、正しいかどうかは、人によって、場合によって、状況によって違ってくる」と返し技をかけることもできます。
     自己論駁的と言って、自分が正しいと主張することが自分の誤りを示してしまうようなタイプのロジックです。他によく知られているのでは「『クレタ人は嘘つきだ』とクレタ人が言う」うそつきパラドックスが同じタイプです

    ※「そういうお前はどうなんだ」と返して、相対主義の主張を自己論駁的なものに追い込むのは、相対主義批判のお決まりのパターンです。

     たとえばデイヴィットソンという人は、
     言語相対性仮説とも言われるサピア=ウォーフの仮説で有名な、ウォーフの主張に対して、こんな返し技を使いました。
     ウォーフは、〈ネイティブ・アメリカンのホピ族の言葉と我々の英語は異なり両者の世界観は異なるから、ホピ族の言葉の言い回しは英語に移しかえることができない〉ということを示そうとして、ホピ語の例文の内容を英語を使って伝えている、と*。

    *Davidson, D. (1974), ‘On the Very Idea of a Conceptual Scheme’, Proceedings and Addresses of the American Philosophical Association, 47: 5–20. [→論文のpdfファイル]

     つまりホピ族の言葉を英語に〈換算〉できないのなら、英語を使って伝えることはできないはず。英語を使って伝えることができるなら、〈ホピ族の言葉を英語に〈換算〉できない〉という主張は間違っている、という訳です。
     デイヴィットソンの論文は、タイトルに「conceptual scheme」とあるように、conceptual scheme(概念枠、概念図式)ごとに指し示すものが異なるから我々は共通の世界認識を持てないのだ、という概念枠相対主義を批判するものでした。
     同じような批判を、異なるパラダイムの間ではお互いに理解不可能だとする〈パラダイム相対主義〉にも向けることもできます。
     クーン自身がアリストテレスのパラダイムとニュートンのパラダイムがどれだけ違うかを非常に手際よく説明しており、おまけにクーンのいうことをわれわれはよく理解できるからです。

     
    相対主義的な主張自己論駁的にする返し
    すべては相対的だそういう主張は絶対か?
    異なる言語の間では翻訳不可能どれだけ異なるかを説明するお前は翻訳してるぞ
    異なるパラダイムでは理解不可能どれだけ理解不可能かを説明するお前は理解してるぞ
     



     自己論駁的になることを避けるには、「クレタ人は嘘つきだ。しかし俺は例外だ」「すべての立場はそれなりに正しい。しかし絶対主義者だけは絶対ダメ」とダブル・スタンダードをかますことですが、こんなことがまかり通ってしまうと、好き勝手に例外を設定していいことになリます。
     論理の一貫性を重視する知的職業人にとって、相対主義よばわりされることは、二枚舌を使っていると批判されることと同じです。
     カール・ポパーあたりは「相対主義とは、何でも主張できる、したがって何も主張しないという立場」とにべもないことを言います。
     
     知識についての相対主義、認識論的な相対主義に話を限っても、やはりこれをとことん推し進めると、まずいところに行き着きます。
     ものごとがどうであるかについての知識は、人によって状況によって時と場合によって異なることになってしまうので、複数の人達によって協働で取り組まれ成果が共有されるような知的営為はすべて不可能または著しく困難となり、したがって一切の学問というものは成り立たないことになってしまします。 
     ましてや科学は、人によって/状況によって/時と場合によって異なることのない客観的知識を生み出すもの、そうあるべきだと思われていました。
     クーンは、よりにもよってその科学を相対主義なものとして扱ったとして批判されたのです。
     
     ポパーは、クーンの主張を、一種の相対主義であると批判しました。
     パラダイムが異なれば、科学研究の方法も、用いる概念も、何が科学的に真理であるかも、科学が何を目指すべきかその目的も、見ている世界さえも異なる、だからパラダイムの違う相手とは方法も概念も違うのだから意思疎通すらままならない、とクーンが主張しているのだとして、何が正しいかはパラダイムによって違うパラダイム相対主義だとしたのです。
     なお悪いことに、どのパラダイムが科学者たちに採用されるかを決めるのに、科学的だったり論理的だったりする規準もなく、証拠立てや検証・反証もおよびでなく、「私はむしろ、こうした事柄については、証明も誤謬も問題になってないと論じたい。パラダイムからパラダイムへの忠誠の移行は、強制することのできない改宗の経験なのである」という言い方をしました。
     確かにパラダイムの違う相手とは、理論も方法も違うのだとしたら、どちらが良いとか悪いとかいう基準もまたパラダイムによって異なり、異なるパラダイムを比べて、古いパラダイムより新しいパラダイムの方が良いということもできなくなります。科学革命を経て、科学が変わったとしても、良くなった改善されたとは言えず、科学は進歩するともいえなくなります。
     科学革命を説明するのに政治革命をアナロジーにつかったこともあって、結局科学の発展の方向を決めるのは群集心理かよ、とまで批判する人が出てきました。
     
    The Structure of Scientific Revolutions p.151;中山茂訳『科学革命の構造』p.171
     

    (3)パラダイム概念の曖昧さ

     クーンの名前以上に広まったパラダイム概念すら、曖昧だとの批判を受けて、クーン自身によって引っ込められる始末でした。
     クーンは、より正確になるように言い換えただけだというでしょうが、心無い人たちに「パラダイム・ロスト」(誰がうまいこと言えといった)などと揶揄されたりしました。

    Martin J. Klein, Abner Shimony and Trevor J. Pinch, 'Paradigm Lost? A Review Symposium', Isis 70 (1979)


     かわりに提示された専門母体disciplinary matrixという言葉は、まったく普及しませんでした(クーンでさえ、これ以後ほとんど使ってないのだから仕方ありません)。

     クーンの「パラダイム」概念の使い方は確かにいいかげんでした。

     弁護を買って出た野家啓一氏ですら「パラダイム」概念については、クーンは哲学については素人さんだしそこまで厳密なことを求めるのは高望みしすぎ、という後向きの擁護をしています。
     加えて、クーンはケンカを売った相手が悪すぎました。
     当時、科学哲学で主流でありクーンも仮想敵に据えた論理実証主義(やそれを引き継いだ論理経験主義)の人たちは、哲学的活動を一種の言語分析として規定し、言語表現の意味を明確化するという作業をその基礎に置いた連中だったし、これらを批判して登場したポパーらの反証主義もこうした手法を引き継いでいたからです。
     「パラダイム」概念もがちがちに明確化され、『科学革命の構造』の中で21種類もの異なる意味で用いられていることが指摘されました
     
    21種類をざっと並べると……
    (1)一般的に承認された科学的業績 /(2)神話 /(3)「哲学」あるいは質問の集合体 /(4)教科書ないしは古典的な著作 /(5)研究伝統の全体 /(6)ある科学的業績 /(7)類推 /(8)成功した形而上学的思弁 /(9)慣習法の容認された方策 /(10)道具の源泉 /(11)標準的な説明の仕方 /(12)考案物あるいは装置のパタン /(13)一組の変則的なトランプ・カード /(14)機械ー道具の製造工場 /(15)二通りに見えるゲシュタルト図形 /(16)一組の政治的諸制度 /(17)準形而上学に対して適用される「規準」 /(18)知覚自体を支配できる組織化原理 /(19)一般的な認識論的見地 /(20)新しい見方 /(21)広い範囲の現実を規定するもの
     
     まとめたマスターマンは、「これより多いことはあっても少ないことはない」と言い切ってます。
    (出典:マスターマン「パラダイムの本質」in イムレ・ラカトシュ,アラン・マスグレーヴ編『批判と知識の成長』森博監訳,木鐸社,1985.4,pp.90-98)



     
     少しだけクーンを擁護しておきましょう。
     クーンも『科学革命の構造』の最初では、パラダイムを手本となるような具体的業績であると言っています。

    アリストテレスの『自然学』、プトレマイオスの『アルマゲスト』、ニュートンの『プリンキピア』と『光学』、フランクリンの『電気学』、ラヴォアジェの『化学』、ライエルの『地質学』、これらやその他多くの著述は、当時しばらくの間は、後に続く研究者の世代にとって、その研究分野の正当な問題と方法を定める役割をしていた。
     それができたのは、次の二つの本質的な性格をこれらの古典がみな持っていたからである。
     一つには、彼らの業績が、他の対立競争する科学研究活動を捨てて、それを支持しようとする特に熱心なグループを集めるほど、前例のないユニークさを持っていたからであり、
     もう一つには、その業績を中心として再構成された研究グループに解決すべきあらゆる種類の問題を提示してくれているからである。
     これらの二つの性質を持つ業績を、私は以下では「パラダイム」paradigmと呼ぶことにする。

    (『科学革命の構造』p.12-13.)

    Aristotle’s Physica, Ptolemy’s Almagest, Newton’s Principia and Opticks, Franklin’s Electricity, Lavoisier’s Chemistry, and Lyell’s Geology—these and many other works served for a time implicitly to define the legitimate problems and methods of a research field for succeeding generations of practitioners. They were able to do so because they shared two essential characteristics. Their achievement was sufficiently unprecedented to attract an enduring group of adherents away from competing modes of scientific activity. Simultaneously, it was sufficiently open-ended to leave all sorts of problems for the redefined group of practitioners to resolve. Achievements that share these two characteristics I shall henceforth refer to as ‘paradigms,’ ....
    (The Structure of Scientific Revolutions p.10)



     まずいのは、そうした具体的業績から引き出されるいろいろなもの、科学者共同体においてシェアされ、科学者の研究活動の実際を既定しているものなら、ほとんどどんなものも「パラダイム」という概念で表してしまったことです。
     それには理論的な前提や科学者たちが使っているモデルへの確信から、どんな実験器具を具体的にどういう風に扱うかといった手わざのようなものまで含んでいました。

     しかしクーンからすると、これらを一緒くたに扱ったのにはクーンなりの理由がありました。これら科学者たちにシェアされるいろいろなもの(広義のパラダイムの要素)は、互いに切り離せるものではないし、パラダイムが変わるときには、そのどれもがまるごと変わるのだと、クーンは考えていたのです。
     しかし実はこの点は再考の余地があります。
     ラリー・ラウダンはこの点を解きほぐすことで、クーンの多くの論点を継承しながら相対主義に陥らない道を提示しています(「クーンの遺したもの」を紹介する最後の方で取り上げます)。
     
     
     

    (4)実際の科学史と合わない

     クーンの『科学革命の構造』の特色は、豊富な科学史上の事例を例証や反証にして議論を進めるところです。
     ロジカルにこれこれだからこうならねばならない、というやり方ではなく、○○って例があるけど、どうなの?というアプローチです。
     
     しかし、クーンの主張が科学史上のデータによって支持されているかというと、怪しいところがあります。
     科学史上の事例を自説に都合よい形で、そして都合の良いものだけを取り上げている、という指摘はいろいろあります(これは歴史上の素材を使って哲学的な理論を作り上げる論者には(たとえばミシェル・フーコーなどに対しても)必ず行われる批判です)。
     たとえばDNAの相補的二重鎖構造の解明(1953)は、分子遺伝学の成果を生物学のほかの多くの分野へ適用可能とし、分子生物学を実質的に成立させ、生物科学の様々な分野に膨大な研究が生みだす契機となった画期的業績であり、普通の意味で「革命的」だといっても良さそうです。しかしこの業績が、クーンがいうように、アノマリーの出現から危機へと至った後に登場したのかというとどうも違うようです。むしろ先行研究(シャルガフがペーパークロマトグラフィーを用いて示したDNA中のアデニンとチミン、グアニンとシトシンの比率が等しいというデータやウィルキンズやフランクリンによるDNAのX線結晶解析)を元に、抜けているピースを埋めようとする通常科学的なパズル解きだったようにも思えます。
     はっきりしないのは、通常科学で解かれるべき問題と、危機につながるアノマリーの区別がはっきりしていないからです。
     このことに関連して、1965年のコロキウムですでに、トゥールミンが、科学革命はクーンがいうような稀なものではなく(そして科学史上の一大事件のようなものではなく)もっと普通に起きているのではないかと指摘し、クーンも基本的にこれを受け入れています(1969年にクーンが書いた補論にも同趣旨のただし書きがあります)。であるならば、科学革命と通常科学のパズル解きの区別もまた曖昧になりますが、ここでもはっきりした区別をクーンは再定義できませんでした。

    トゥルーミン「通常科学と革命的科学との区別は妥当であるか」in イムレ・ラカトシュ,アラン・マスグレーヴ編『批判と知識の成長』森博監訳,木鐸社,1985.4,pp.59-70



    4 『科学革命の構造』の遺したもの

    (0) 一発屋クーン
     では、クーンは不相応に『科学革命の構造』がウケてしまった〈一発屋〉にすぎないのでしょうか?
     
     そうした見方は否定できません。
     クーンを紹介する人はよく、論理実証主義とクーンら新科学哲学を対峙させて、前者が60年代以降一掃されたことだけに触れて、話を畳んでしまいますが、これだと、まるで論理実証主義=客観的・合理主義的な科学観が退場し、新科学哲学=相対主義的な科学観への転換が生じたみたいなミスリードな話になります(はっきりそうは言わないのが悪質です)。
     実際は論理実証主義が退場した後、科学哲学の中心となったのは、論理実証主義よりもっと客観的・合理主義的な、科学的実在論でした。
     科学的実在論は、論理実証主義の有力な批判者であり、同時に新科学哲学=相対主義的な科学観の批判者でもありました。指示の因果説や意味論的外在主義は、準拠枠が変われば意味が変わるという素朴な相対主義に対する強力な批判でした。新科学哲学が、本来の科学哲学の中で評価も影響力も得られなかったのは、ある意味当然でした。
     
     また『科学哲学の構造』の相対主義的側面、特に科学理論に対して社会的要因が与える影響を指摘しているところにインスピレーションを受けた科学社会学の一群を、クーンが一緒にされたくないと拒絶したこともあって、クーン派のようなものはどこにも生まれずに終わりました。
     
     
    (1)歴史主義的転回(historical turn)

     けれど、クーンは科学哲学から完全にハブられた、あるいは何一つ科学哲学を変えなかった、とするのも誤りです。
     
     1960年代以降、クーンや新科学哲学を批判する人たちさえも、科学哲学をやるのに科学史を無視できなくなりました。これを科学哲学における「歴史主義的転回」(historical turn)と呼びます。
     戯画的にいうと、それまでの科学理論やその正当化を抽象的論理的次元で論じてよしとしていた科学哲学は、科学の現実の歴史を無視せず方法論に組み込んだ科学哲学に席を譲りました
     『科学革命の構造』の最初の章で宣言したように(あるいはそれ以上に)、科学哲学と科学史の対話(あるいは科学哲学への科学史の乗り入れ)が、科学哲学の方法論に変更をもたらしたのです。
     
    それ故、科学哲学について「私は何も科学哲学を間違っている、と言うつもりは全然ない。ただ、つまらないのである。彼らは科学の哲学的問題が気になって、その中に入ったのであろうが、彼らの頭の中で構築した科学なるものは、現実に行われている科学とは関係ないものである。」(中山茂「翻訳論:クーンの翻訳について」)などと誇らしげに無知を披露してしまう科学史家のスタンスにドン引きして違和感を覚えてしまいます。



    (2)相対主義の流れ:クーン左派

     科学哲学においてクーンが遺した遺産が《歴史(科学史)》という方法の導入であったとすれば、その外、すなわち科学社会学からサイエンス・スタディーズに至る科学論の流れにクーンが与えたのが《社会(的分析)》の視点でした。
     
     科学(者)の方法(たとえば仮説演繹法のような科学的方法論)を分析しても、科学の科学たる由縁、他の知的営為にはない科学の強みは分からない。
     むしろ科学の特徴は、科学者共同体のあり方や、そこに属する科学者の集団的な営為から生まれてくるのではないか、とクーンは考えたのです。
     そして、そうした科学者共同体を作り上げ維持するベースとなるのがパラダイム、科学者たちの手本となる業績です。パラダイムは、科学者共同体という一つの社会を再生産するところにその意義があります。
     
     確かにクーン以前にも、科学についての社会的分析、たとえばマートンらにはじまる科学社会学がありました。
     しかし、知識社会学が社会集団と関連付けて知識の内容を分析していたのに対して、マートンたちの科学社会学は、科学知識自体は取り扱うことを避け、もっぱら科学者集団がどうなってるか、その内部の構造・機能的な分析に研究を限定するものでした。
     
     そこにクーンの『科学革命の構造』が登場します。
     これこそ科学史から得た事例=科学知識が生み出された経緯のケーススタディを通じて、科学者共同体がどのような科学知識をいかにして生み出すのか、科学者たちの共有財産としていくかを分析するものでした。
     
     科学知識を分析するのに不可欠の要素として〈社会〉を持ってきたクーンのインパクトを受けとめ、知識社会学の伝統を背景に、1970年代以降、登場してきたのが、ブルアらエジンバラ学派をはじめとする「科学知識の社会学(Sociology of Scientific Knowledge )」、そしてハリー・コリンズやピッカリングら(科学についての)社会構築主義でした。
     もっとも、彼らはあっては、クーンが注目した科学知識と科学者集団のダイナミクスは背景に退き、むしろ知識内容と社会背景の関係が(いささか直截に)問われることとなりました。
     
    科学知識の社会性(社会構築性)を追求するアプローチは、クーンが持っていた相対主義的側面を極端に強めることになりました。
     
     これは当然ながら科学者たちの強い反発を招き、また科学論の内部でも行き過ぎた相対主義に対する反省が生まれました。科学知識の社会学が提起した科学知識の社会性・相対性を消化しながら、科学の有効性をも説明しようとする志向(これはまたクーンが抱いていたものでもあります)が生まれました。ラトゥールやリンチによるラボラトリー・スタディーズ(実験室研究)も、こうした流れの一つでした。
     科学者が活動する「現場」に参与観察し、人類学的手法で科学者の実践を分析しようとする実験室研究は、従来の科学哲学・科学史・科学論がもっぱら科学活動の成果物=科学理論を対象にしていたのに対して、科学者の実践にこそ科学の本質があるという視座のシフトを先導しました。
     
     1990 年代以降、科学哲学においても、理論から実践へと分析の主軸を移す動き(実践主義的転回(practical turn)と呼ばれます)が勢力を増していくことになります。
     そして、ここでも実践主義的転回の先駆者として召還されたのがクーンであり、とりわけ、狭義のパラダイムつまりパラダイム概念のコアだった見本例examplarsを、科学的実践の軸と考えるクーンのアイデアでした。

     こうした、クーンが素描したまま十分に発展させなかったアイデアを(たとえばルールベースでなくケースベースの科学者実践など)、社会的認知や状況論以降の認知科学の知見を援用しつつ展開する(そして自然化する)研究動向が20世紀末から世紀をまたいで興隆しています。


     
    (3)合理主義の流れ:クーン右派

     クーン左派から実践主義的転回、認知科学的研究まで進んでしまったので、もう一方の流れ、クーン右派の流れについても触れておきます。
      
     科学哲学で、相対主義と反対の立場とされるのが合理主義です。

    shownchart.png対照表をつくってみました。
     

    rat-rela.png


     
     相対主義と合理主義を分かつ3つの問いをクーンに投げかければ、
    ・旧理論より新理論が優れているか判定する基準は?存在しないパラダイムを越えて、どちらの理論が優れているか比較する尺度は無いとクーンは考えます。
    ・複数の科学理論を比較するのにその基準が?使えない
    ・科学の発展を累積的進歩と見なすことは?できない科学の発展は科学革命=あるパラダイムから別のパラダイムへ移り変わることを通じてなされるので、不連続かつ非累進的な過程ということになります。

    と相対主義まっくろな答えを返すことでしょう。

     このように相対主義の色が濃い主張をしたにも関わらず、クーン自身は科学批判の同伴者扱いされることに嫌悪感を表明し、自説を相対主義だと解釈されることも、科学知識の社会学のような相対主義者と一緒にされることも拒否し続けました。
     そうして相対主義的であるとの批判に対して、その色合いを薄める訂正をクーンは続けていきます。

     クーンの主張の中から、あまり目立たない合理主義的側面を拾い上げ、理論的難点を訂正し、洗練・展開させたのが、ラカトシュやラウダン(ローダン)ら、クーン右派でした。




     ラウダンは、クーンを引継ぎ、科学の理論ばかりか方法論も、それどころか科学の目的さえも変化する、と考えました。
     しかしクーンと違って、科学の発展の一歩一歩はちゃんと合理的で、科学は良くなったと言うことはできるのだと言います。
     
     クーンが科学が良くなったとは言えない状態に陥ったのは、科学の理論も方法論も目的もパラダイムが変化すれば一蓮托生に変化する、としたからです。
     ラウダンはもっと細かく見てみろ、といいます

    以下の記述は、ラリー・ラウダン『科学と価値』(勁草書房,2009)によります。

     たとえばラウダンは、一蓮托生で変わると考えることが、パラダイム間や科学革命前後の(そして結局科学者たちの間の)不一致を強調しすぎてしまって、科学者たちがどのように一致できるのか、つまりパラダイムがどのように形成され、通常科学がどのように始まるのか(科学者たちが同意することが前提です)、クーンがうまく説明できないことにつながっていると指摘します。
     クーンに先立つ科学哲学者たちは、科学者たちが理論について一致せず論争になった場合に、方法論についての一致があるのであれば(たとえばデータによって検証ないし反証することで決着をつけるという方法については一致するのであれば)主張する理論が異なっても、やがて決着がつき、科学者の間で一致に至るはずだと考えました。万一、方法論が異なり一致をみなくても、科学は何を目指すべきかという共有される目的に照らして、よりよい方法論を選ぶことで一致をはかれ、一致した方法論によってどの理論を選ぶべきか決着がつくというのです。
     しかしクーンは、パラダイムが異なればどのように科学研究をすべきかという方法論も異なってしまう、それどころか科学は何を目指すべきかの目的についても異なってしまう、だから一致をみることは無いし、共約不可能なんだというのです。
     ラウダンの対案は、たとえば、まず目的と方法論が保たれたまま理論がかわり、次に新理論に影響されて方法論が変わり、最後に新理論と新方法論とに照らして目的が変わる、ようなことが起こるとするものです。

    shownchart.png
    ラウダンの網状モデルをGifアニメにしてみました。


    net-change2.gif

     この変化を、最初と最後だけみれば、理論・方法・価値のすべてがそっくり変わってしまった、つまりクーンがいうところのパラダイム転換が起きたようにみえるでしょう。なにもかも最初と最後では不一致だから、共約不可能性だということにもなるでしょう。
     
     しかし変化のそれぞれのステップでは、過去と一致する部分を含み、同時に連続性も確保できています。



     




    5 むすび

     今でも時々、『科学革命の構造』を一種の〈解放の書〉として持ち上げる感想が現れます。
     
     何からの解放かと言えばもちろん「科学」からの、です。
     とてもざっくり言ってしまうと「科学なんてそんなに大したものじゃない」とか「かがく、かがくと、えばるな、かがく。かがく、ヤソ教のなれのはて」とか、何か科学の権威を壊すようなことをこの書の著者クーンが言ってくれているというのです。
     
     しかしクーンは科学は他の人間の活動から区別されるし、自分の説は他のやり方よりもちゃんと科学を科学でないものから区別するのに役立つと考えていました。加えて科学は良いものであるとも信じていました。
     科学者たちについては「健全な知識の創造者、および、健全な知識の正当性の立証者」(『科学革命における本質的緊張』みすず書房,p.385)とまで言っていました。
     20世紀の後半から終わりかけて、いろんな既成の権威が攻撃される中、権威の一つとして科学も取り上げられました。そして少なくない人が、クーンを科学の合理性や客観性を否定する人たちの同盟者として担ぎ出し持ち上げました。
     クーンは繰り返し、科学否定の同盟者扱いされることに嫌悪感を表し抵抗しました(あまりうまくいきませんでしたが)。

     またクーンは、科学が進歩することだって信じていました。
     クーンが否定したとすれば、それは科学やその進歩にまつわる〈イメージ〉あるいは〈神話〉の方でした。

     あえて〈解放〉という、美しいが故に危うい言葉を使うなら、
     クーンは、科学から我々を解放しようとしたのではありません。
     むしろ我々(の期待や思い込み)から、科学を解放しようとしたのです


    スティーブ・フラーが描く、〈科学技術を民主的なコントロールから解放=切り離そうとする保守主義者〉という一見とんでもなクーン像は、この延長線上にあります。「ダニエル・ベルが『イデオロギーの終焉』でやろうとして果たせなかったことを、クーンは図らずしてやってしまった」なんて(カップリングが醜悪!)、悪口だとどうして面白いんだ、フラー?







    6 参考文献やリソース

    (1)クーン本人の著作とそれに準じるもの

    ◯Kuhn, Thomas S.,(1970) The Structure of Scientific Revolutions 2nd edition, University of Chicago Press→4th ed.(2012年)
    T.クーン『科学革命の構造』(中山茂訳, みすず書房1971年)

    The Structure of Scientific RevolutionsThe Structure of Scientific Revolutions
    Thomas S. Kuhn,Ian Hacking

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    科学革命の構造科学革命の構造
    トーマス・クーン,中山 茂

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     今回取り上げた本。
     1962年にアメリカの科学史家・トーマス・クーンによって発表され、その後1970年、1996年、2012年に再版され、英語の原著だけでも発行部数は100万部を越えた。他に19の言語に翻訳されています。
     初版への批判を受けて1969年に書かれた補論を収録した第2版(1970)が、引用などされる場合の定本となっています。
     第3版(1996)には索引が、発刊50周年記念版の第4版(2012)にはイアン・ハッキングの解説が付いています。
     邦訳版については、後述の(邦訳について)を参照。



    ◯Kuhn, Thomas S. (1957) The Copernican Revolution : Planetary Astronomy in the Development of Western Thought, Harvard University Press.
    T.クーン『コペルニクス革命』(常石敬一訳, 紀伊国屋書店1976年→講談社学術文庫1989年)

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    トーマス・クーン,常石 敬一

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     クーンの最初の著書。ハーバード大での科学史の講義ノートをまとめたもので、古代からニュートンまで天文学と物理学の歴史を扱っています。



    ◯Kuhn, Thomas S.,(1977) The Essential Tension : Selected Studies in Scientific Tradition and Change,
    University of Chicago Press
    T.クーン『本質的緊張 科学における伝統と革新』(安孫子誠也、 佐野正博訳 みすず書房, 1987年→1998年)

    The Essential Tension: Selected Studies in Scientific Tradition and ChangeThe Essential Tension: Selected Studies in Scientific Tradition and Change
    Kuhn

    Univ of Chicago Pr (Tx)
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    科学革命における本質的緊張―トーマス・クーン論文集科学革命における本質的緊張―トーマス・クーン論文集
    トーマス クーン,Thomas S. Kuhn,安孫子 誠也,佐野 正博

    みすず書房
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     クーンが生前刊行した唯一の論文集。「パラダイム」という語をはじめて独自の意味で用いた講演「本質的緊張」を含む、『科学革命の構造』前後に出されたクーンの諸論文が収められています。
     新たに「自伝的序文」がクーンによって書き起こされ、各論文を書くに至った経緯・背景を記しています。



    ◯Kuhn, Thomas S.(2000) The Road since Structure: Philosophical Essays, 1970-1993, with Autobiographical Interview. edited by James Conant and John Haugeland. The University of Chicago Press.
    T.クーン『構造以来の道――哲学論集 1970-1993』(佐々木力訳, みすず書房, 2008年)

    The Road Since StructureThe Road Since Structure
    Thomas S. Kuhn

    Univ of Chicago Pr (Tx)
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    構造以来の道―哲学論集1970-1993構造以来の道―哲学論集1970-1993
    トーマス・S・クーン,ジョン・ホウゲランド,ジェイムズ・コナント,佐々木 力

    みすず書房
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     『本質的緊張』に収録されなかった論文やそれ以後の論文をあつめ、クーンの死後、編纂された論文集。
     巻末にはクーンに対する長いインタビューが収められています。



    ◯Lakatos, Imre, and Musgrave, Alan (1970) Criticism and The Growth of Knowledge. Cambridge University Press
    イムレ・ラカトシュ、アラン・マスグレーヴ編『批判と知識の成長』(森博監訳,木鐸社,1985年)

    Criticism and the Growth of Knowledge: Proceedings of the International Colloquium in the Philosophy of Science, London, 1965Criticism and the Growth of Knowledge: Proceedings of the International Colloquium in the Philosophy of Science, London, 1965
    Imre Lakatos,Alan Musgrave

    Cambridge University Press
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    批判と知識の成長 (1985年)批判と知識の成長 (1985年)
    森 博,イムレ・ラカトシュ,アラン・マスグレーヴ

    木鐸社
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     クーンとポパーが直接対決した、1965年7月ロンドンで開催された国際科学哲学コロキウムにて行われたシンポジウム「批判と知識の成長」の記録です。
     ポパー派による大掛かりな批判が、あまり有名でなかったクーンの主張をむしろ有名にしてしまったことでも有名です。
     当日欠席したラカトシュとファイヤアーベントが後日提出した長い論文も収められ、シンポジウム当時はポパー派と見られていた二人(シンポジウムではクーンを批判するはずでした)が、むしろポパーから離れることを宣言した内容になっています。




    (2)ネットで見れるもの

    (日本語)
    ◯成定薫「『科学革命の構造』との出会い」『情況』1996年12月号, pp.29-34
    http://home.hiroshima-u.ac.jp/nkaoru/Joukyo.html
    ◯成定薫「クーンの「パラダイム論」」(矢沢サイエンスオフィス編『世界が注目する 科学[大仮説]』学研, 1998, pp.214-220所収)
    http://home.hiroshima-u.ac.jp/nkaoru/paradigm.html
     科学社会学者である成定薫氏が発表したクーン紹介の記事を上のURLで読むことができます。

    ◯伊勢田哲治「新科学哲学の主要人物の生い立ちと哲学」(pdfファイル)
    http://ocw.nagoya-u.jp/files/45/sp_note07.pdf
     科学哲学者である伊勢田哲治による、クーンを始めとしてラカトシュ、ファイヤアーベントらについての手際のよい紹介です。最後の文献解題も参考になります。

    ◯京都大学哲学研究会 科学革命の構造 解説
    https://sites.google.com/site/kyototekken2011/rejume/ke-xue-ge-mingno-gou-zao-jie-shuo
     原書第4版(2012)にあるハッキングの解説序文の翻訳があります。


    (英語)
    ◯Bird, A.(2004), "Thomas Kuhn", Stanford Encyclopedia of Philosophy.
    First published Fri Aug 13, 2004; substantive revision Thu Aug 11, 2011
    http://plato.stanford.edu/entries/thomas-kuhn/

    スタンフォード哲学百科事典の「トーマス・クーン」の項目です。
    記事の内容も面白いですが、参考文献の他にウェブ上のリソース(The Structure of Scientific Revolutionsの要約とか)を紹介してくれていて便利です。
    著者のアレクサンダー・バードThomas Kuhn (Philosophy Now)などを書いている哲学者です。



    ◯Shapere, D. (1964), "The Structure of Scientific Revolutions",The Philosophical Review, Vol. 73, No. 3. (Jul., 1964), pp. 383-394.  (→pdfファイル

     『科学革命の構造』初版発刊に対する書評です。
     クーンが戦おうとしている相手を科学史におけるホイッグ史観と科学哲学における論理実証主義だと正しく指摘し、クーンの主張をやがて共に「新科学哲学」という潮流を形成するファイヤアーベント、ハンソン、トゥールミンらの反実証主義な科学哲学の流れに位置づけた上で、クーンが行き着いた科学観を相対主義的として批判しています。
     この翌年、ロンドンで開催された国際科学哲学コロキウムでクーンとポパー派の間で交わされる論戦は、概ねシャピアがこの書評で敷いたコンテクストの上に展開しました。





    (翻訳について)
    ◯黒木玄「クーンの『科学革命の構造』の邦訳について」
    http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/Articles/kuhn-excerpts.html

    ◯中山茂「翻訳論:クーンの翻訳について」
    http://homepage3.nifty.com/shigeru-histsci/honyakuron.html

    ◯山岡洋一氏による中山氏の翻訳を擁護する議論
    http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/bn/200209b4.pdf




    (3)本屋で買える参考書

    (日本語)
    ◯野家啓一『クーン --- パラダイム』講談社(現代思想の冒険者たち24),1998 →『パラダイムとは何か?:クーンの科学史革命』講談社学術文庫,2008

    パラダイムとは何か  クーンの科学史革命  (講談社学術文庫 1879)パラダイムとは何か クーンの科学史革命 (講談社学術文庫 1879)
    野家 啓一

    講談社
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     クーンに着せられた「科学の殺人者」という冤罪を晴らすというフレームで、クーンの仕事を登場の背景から『科学革命の構造』刊行後の書評からパラダイム論争まで、さらにクーン晩年の仕事/思想までも分かりやすくまとめたもの。
     思わずハマってしまいそうな数々の〈誤解〉についても丁寧にフォローした上に、主要概念のコンパクトな解説や解説つき文献案内までついています。

     著者はクーンの弁護人というスタンスなので、自らの立場が相対主義的に(言い換えれば科学殺しの下手人として)誤解されたと嘆いたクーンの立場に立って、その誤解を正すために論を進めています。なので、ちょっとクーンに甘すぎかなと思うところも。たとえば、クーンが哲学的素養を欠いていたことを指摘して、パラダイムという概念がきっちり定義できてないことや、パラダイム転換を説明するのにゲシュタルト変換なんかを例に出してしまううっかりさを鑑みて、情状酌量の線を狙っています。



    (翻訳)

    ◯M. ドゥ・メイ『認知科学とパラダイム論』(産業図書,1990)

    認知科学とパラダイム論認知科学とパラダイム論
    M. ドゥ・メイ,村上 陽一郎,杉山 滋郎,成定 薫,小林 伝司

    産業図書
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     本文の最後のほうでちら見した認知科学的なクーン研究は、クーン自身は批判を受けて引っ込めた相対主義色合いの強いアイデアも、発展してきた認知科学の知見でもって精緻化するものだけれど、ドゥ・メイはその先駆。
     野家氏が危ういとした、パラダイム転換を説明するのにゲシュタルト変換なんかも、まさに認知科学的な精緻化のスタート点にしていて対照的です。


     
    ○ラリー・ラウダン『科学と価値』(勁草書房,2009)
    科学と価値―相対主義と実在論を論駁する (双書現代哲学)科学と価値―相対主義と実在論を論駁する (双書現代哲学)
    ラリー ラウダン,小草 泰,戸田山 和久

    勁草書房
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     原著は1984年と、『科学哲学の構造』初版(1962)が出て22年後に出たもの。
     序文からして『科学哲学の構造』を重要だか過去の書物にせんとする意欲十分な本で、実際クーンが提示した議論の多くについて、駄目なところが明るみに出され+その志は形を変えて受け継がれ、一言で言うと実質的に乗り越えられているのを見ることができます。合理主義に立ってますが、クーンを含む相対主義的な主張をできる限り取り込んでいるところが面白いです。
     戸田山和久氏の、例によってサービス満点の解説付きでお買い得。


    ◯スティーヴ フラー『我らの時代のための哲学史―トーマス・クーン/冷戦保守思想としてのパラダイム論』(海鳴社、2010)
    我らの時代のための哲学史―トーマス・クーン/冷戦保守思想としてのパラダイム論我らの時代のための哲学史―トーマス・クーン/冷戦保守思想としてのパラダイム論
    スティーヴ フラー,Steve Fuller,中島 秀人,梶 雅範,三宅 苞

    海鳴社
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     最後に触れた〈保守主義者クーン〉という像が出てくるフラーの本。
     元になった論文(Fuller, Steve (1992), "Being There with Thomas Kuhn: A Parable for Postmodern Times, History and Theory, 31 (October), 241-275.)は、ググってみるとpdfファイルを見つけました。


    ◯『現代科学史大百科事典』(朝倉書店、2014)

    現代科学史大百科事典現代科学史大百科事典
    太田 次郎,桜井 邦朋,山崎 昶,木村 龍治,森 政稔,久村 典子

    朝倉書店
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     The Oxford Companion to the History of Modern Science. (2003, Oxford University Press)の翻訳です。なんでも載ってます。
     ちょっと図書館でもないと買うのも使うのも大変なボリューム&価格ですが、原著はkindle版があって持ち運ぶのに便利です。

    The Oxford Companion to the History of Modern ScienceThe Oxford Companion to the History of Modern Science
    John L. Heilbron

    Oxford University Press

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    (英語)

    ◯NICKLES, T. ed. (2002). Thomas Kuhn. Contemporary Philosophy in Focus. Cambridge University Press.

    Thomas Kuhn (Contemporary Philosophy in Focus)Thomas Kuhn (Contemporary Philosophy in Focus)
    Thomas Nickles

    Cambridge University Press
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     クーンが科学哲学の実践主義的転回(practical turn)に与えた影響や、クーンのアイデアの認知科学的展開など扱った論文を収めています。近年のクーン研究の一端を見ることができます。


     


    ◯Laudan, R. ed. (1988). Scrutinizing Science: Empirical Studies of Scientific Change.

    Scrutinizing Science: Empirical Studies of Scientific Change (Synthese Library)Scrutinizing Science: Empirical Studies of Scientific Change
    Larry Laudan,Arthur Donovan,Rachel Laudan

    Johns Hopkins Univ Pr
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    科学の発展については、クーン以来、ラカトシュのリサーチ・プログラムとか、ローダン(ラウダン)のリサーチ・トラディションとかいろいろあるけれど、論争で互いの欠点あげつらってても埒が明かないから、実際の科学史のデータでテストしたらどうなの?というのを実際にやってみたという本。



     
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