で、小説の文章は、場面、説明、描写からできているという話をしました。

     今回は、そのなかで一番難しくて、「もう少し詳しく」というリクエストがあった、描写について考えます。
     
     初級編なので、描写がとことん苦手な人のために、取っ掛かりになる考え方をひとつだけ取り上げます。



    思っているまま言葉にしても伝わらない

     作文で「(遠足に行きました。)楽しかったです。」とだけ書いて止まってしまう子供たちがいます(小学生並みの感想)。
     
     作文指導だと先生は「どう楽しかったのかを書こう」と促します。
     しかし、その子の中では〈楽しかった〉で完結しているので、どうもこうもありません。
     これは何も子どもだけの話ではなく、人数で言えば大半の大人がほとんど同じです。
     
     我々はほとんどの時間、世界を要約的に捉えています。
     でないと世界から受け取る情報量が多すぎて処理できません。
     要約的に捉えた世界を、捉えたままに書き出せば、当然ながら要約的な文章になります。
     遠足では色々あったけれど、様々な出来事や印象は混ざり合い、あるいはろ過されて、心に残ったのはただ〈楽しさ〉だけなのだから、心のままに書くならば
    「楽しかったです。」
    だけで正解なのです。

     では何故、要約的に説明する以上の文章表現があるのでしょうか。
     それは〈自分の思っていることをそのままに言葉にしても、基本的に相手に伝わらない〉からです。
     書くことについて学ぶべき半分は、この一言に尽きます。

     自分が〈楽しかった〉から「楽しかった」と書いた。「楽しかった」と書いてあるのだから、読む人もそう思え、〈楽しい〉気分を共有しろ。なんてことが通用するなら、あらゆるノートはデスノートとなり、ドラえもんのひみつ道具「シナリオライター」を世界中の人が使い放題になるでしょう。そう、ペンと紙さえあれば、世界はあなたのものです。

    「ライター芝居」に登場ー『ドラえもん』てんとう虫コミックス第8巻に収録
     
     しかし他人が書いた「楽しかったです。」という言葉を読んでも、読み手は楽しくもなんともありません。
     同様に「花子は誰からも愛される美しい娘だった。」という言葉だけでは、読み手は花子さんを好きになったりしません。ドキドキもしません。

     しかし、小学生向けの作文指導では「まず言葉に絶望しろ」と言うわけには行きません。
     なので、もう少し具体的なアプローチが採用されます。


    五感をつかってみる

     一つの出来事について、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、(味覚)、で感じられるものを考えます。このワークも、とりあえず最初は出せるだけ出して数を稼ぎましょう。使うかどうかはあとで考えるのです。意識して色んな角度から細かく物事を見る(つまり要約的でない見方で見る)トレーニングです。
     

    ・視覚(みるもの)…色、光・影、形
    ・聴覚(きくもの)…声、音、響き、言葉
    ・嗅覚(におうもの)…匂い、臭い、香り
    ・味覚(あじわうもの)…味、歯ごたえ、舌触り
    ・触覚(ふれるもの)…感触、温度、刺激


     
     さて「描写の書き方」というと、このような五感による表現をむやみに勧めるものが多いようです。
     けれども、比喩や他の表現についても同様ですが、感覚表現についても無駄遣いは避けるべきです。使いすぎると飽和して、その価値が減じます。感覚表現のインフレです。
     とくに数打てないはずの嗅覚描写を、あちこちで使いまくるのはもったいないです。部屋を移るごとに必ず五感すべてを使って描写するとか、どこにでもある朝食の場面でわざわざ味噌汁や焼き魚の匂いを書き連ねることが本当に必要あるでしょうか?(それが見せ場ならともかく)


    そこで何が起こっているか?ー描写を支えるものの見方

     〈五感を使う〉で体が温まってきたところで、一歩進んで、もう少し普遍的なアプローチを考えてみます。 
     ここで導きとなる問いは「そこで何が起こっているか?」です。

     単純な例として〈雨降り〉を考えましょう。
     
     教室でなら、教師が生徒に「雨が降るとどうなるかな?」とブレインストーミング的に思いつくかぎり数多く挙げさせます。出てこない場合は「空はどうなる?」「地面はどう?」「人は?」と助け舟を出したりします。
     つまり「雨降り」に付随する状況や事象を出せるだけたくさん出すわけです。使うかどうかはあとで考えます。
     

    (空は?)・暗くなる ・雲でいっぱい ・分厚い雲 ・雷ひかる
    (地面は?)・濡れる ・べちゃべちゃになる ・水たまりできる
    (人は?)・傘をさす ・傘が無いから走る ・屋根のあるところに隠れる



     たくさん出たら、分類します。
     雨が降る前→降り始め→…→雨上がり…と時間の順番に並べ替えたり、霧雨<小雨<本降り<土砂降り…と雨の強弱で並べたりします。順序×強度で表に整理するのもありです。
     
     ここまでできれば、出てきた表現からいくつか選んで、つなぎ合わせれば、なんとか雨降りの描写っぽいものをつくることができます。たとえば
     

     暗くなってきた。空が厚い雲でいっぱいになる。あちこちで傘が開く。傘のない子が屋根の下へと走り出す。雨が降ってきた。





    主題の言葉を使わずに表現する

     上の段階ができるようになると、表現したいものを直接的に言葉にせずに表わすことに進めます。
     いわゆる「間接描写」というやつです。

     たとえば〈雨降り〉を、「雨」や「降る」という言葉を使わずに表現するわけです。
     いきなり難しい時は、上の2つのワークをやってみて、描写表現をブレインストーミングなどでリストアップしてから、チャレンジするといいでしょう。
      
     「美しい女」「年老いた男」を抽象描写といますが、これらは何も描写していません。単なる説明です。いやむしろ、文章に登場する女や男について、読者にどう見て欲しいかをあからさまに伝える書き手からの〈お願い〉です
     
    バルザックという、基本的に読者を信用することができなかった小心な作家は、さんざん描写した後で、どうせ読者は書いていることが分からないだろうと、「美しい女」みたいな説明をダメ押ししました。
     先に間接描写で地ならししておいて、それでもピンと来ない分かりの悪い読み手のために(要するに)「美しい」のだとダメ押しするとか、先にうっかり「美しい」と書いてしまったなら、後で間接描写で周りを固めて「そういうことなら美しいと認めてやってもいい」と読み手に納得してもらうとするのはバルザックがよくやる手です。
     本人は描写によって〈証明〉をやっているのだと思っているのですが、読み手には書き手がここの箇所ではどう思って欲しいのかがあまりに露骨に見えるので、肝心の描写は読み飛ばしても差し支えないことになります。そしてバルザックを読む人は大抵そうするのです。



     描写とは、そういったものではなく、その「美しい」「年老いた」といった説明を、言葉によって裏付けるものです。
     
     さっきの例では〈雨降り〉を描写するために、「そこで何が起こっているか?」と自問自答して、〈雨降り〉に付随する現象を集めました。
     最後の「雨が降ってきた」というフレーズ抜きでも、多くの人は雨が降ってきたと思うはずです。
     

     「暗くなってきた。空が厚い雲でいっぱいになる。あちこちで傘が開く。傘のない子が屋根の下へと走り出す。」

     

    間接描写を支えるものー認知的根拠

     ひとつの言葉は他の言葉とつながっています。
     たとえば「雨」という言葉は、「晴れ」や「雪」といった他の天気とつながりを持っていますし、「降る」や「落ちる」「ぱらつく」といった動詞や、「傘」や「合羽」といった名詞、また「沛然と」「潸々と」「蕭々と」「滂然と」といった副詞、「車軸を流すように」「天の底が抜けたように」「バケツを引っくり返したように」といった比喩、「ぱらぱら」「ぽつぽつ」「ぽつりぽつり」「ざあざあ」「ざあっと」「しとしと」「じめじめ」といったオノマトペなどとも関係があります。
     われわれのメンタル・レキシコン(頭の中の語彙目録)は、こうしたネットワーク状になっていると考えられています。
     
    rain-lexi.png


     したがって「雨」という言葉を使わず、雨を思い浮かばせるためには、メンタル・レキシコンで「雨」と隣接している言葉をいくつか出すのが基本戦略になります。
     次の図のそれぞれの円は、雨に関係ある言葉がそれぞれに持つつながり、広がりです。これを重ねることで、すべての円が重なる中心として「雨」が浮かび上がるとことをイメージとして描いてみたものです。

    rain-circle.png



    応用例:美人を間接描写する

     この方法は(五感を使うアプローチとよりも)応用が効きます。

     たとえば「美人」を表現するのに「美しい」という言葉を使わずに表現するのに、このアプローチは使えます

     元より「美しさ」といったものは、言葉で言うのはとても難しいものです。
     形状をどれだけ細かく記述しても、形を伝えられても、美しいと思ってもらえるかは疑問です。努力を費やすべき方向は別にあります。


     もう分かりますね?
     美人がいるとして、「そこで何が起こっているか?」と自問自答して、付随する現象や出来事を集めてみるのです。


     美人の間接表現には、伝統的に2つのアプローチがあります。
     ここではそれらを〈白雪姫〉アプローチと〈かぐや姫〉アプリーチと呼んでみます。

     〈白雪姫〉アプローチとは、「美人がいるとして、そこで何が起こっているか?」という問いに「同性が嫉妬している」と答えるものです。

    白雪姫が7歳になったある日、王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しい女は」と訊ねたところ、「それは白雪姫です」との答えが返ってくる。怒りに燃える王妃は猟師を呼び出すと、白雪姫を殺し、証拠として彼女の肺臓と肝臓(※作品によっては心臓となっている)を取って帰ってくるよう命じる。

    (引用元:白雪姫 - Wikipedia

     


     〈かぐや姫〉アプローチとは、「美人がいるとして、そこで何が起こっているか?」という問いに「異性が求愛している」と答えるものです。

    翁が見つけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで妙齢の娘になったので、髪を結い上げる儀式を手配し、裳を着せた。この世のものとは思えない程の美しさで、……(中略)……世間の男は、その貴賤を問わず皆どうにかしてかぐや姫と結婚したいと、噂に聞いては恋い慕い思い悩んだ。その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく公達は後を絶たず、彼らは翁の家の垣根にも門にも、家の中にいる人でさえかぐや姫を容易に見られないのに、誰も彼もが夜も寝ず、闇夜に出でて穴をえぐり、覗き込むほど夢中になっていた。

    (引用元:竹取物語 - Wikipedia



     ここまで来ると、単なる描写表現というより、人物造形のためのエピソードの構成の仕方になってきますが、言葉によって何か表現する際に「そこで何が起こっているか?」という問いかけは、様々なレベルで有効であることがわかります。
     
     〈かぐや姫〉アプローチには、求愛者である登場人物たちの行動に、読者にも同調してもらおうという狙いもあります。社会的証明というやつです(他人がどう行動しているかを見て自分がどう振る舞うべきかを決めるのは人間の仕様です)。
     読者がヒロインを魅力的であると思ってもらうために、ヒロインを魅力的だと思っている登場人物を複数を出すわけです。
     登場人物たちが〈ヒロインを魅力的だと思っている〉ことを描写するためには、さらに「そこで何が起こっているか?」と問い、〈ヒロインを魅力的だと思っている〉はずの彼らはどんな場面でどう行動するかを考えていきます。

     
    (参考記事)




       
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