http://ywp.nanowrimo.org/workbooks
は、いかにもアメリカ的なテキストで、参加した誰もが完走できることを目標にし、できる人はさらに先へ進める足掛かりとなるようにできている。
正直、日本語のものでこの域に達しているものは見つけることができなかったが、迫っているものとしては、星新一の弟子だというショートショート専業作家 江坂遊のこの本が、頭一つ抜け出た感がある。
小さな物語のつくり方 江坂遊 樹立社 売り上げランキング : 105627 Amazonで詳しく見る |
ショートショートであることももちろん利いているけれど、(狭い意味での)文学的なるものとは程遠いアプローチをとっていることも大きい。なんというか工作っぽいのだ。
とにかく駄作だろうとなんだろうと完成させることに徹している。未完の傑作には何の価値もない。
そして「おもしろい」や「出来が良い」は、数をこなすことで実現するというスタンスに立っている。
ショートショートは短い。完成させやすい。短い時間で書ける。たくさん書ける。手直しも楽。トレーニングにもってこいだ(商業的には厳しくとも)。
この本はマニュアルとしてかなり丁寧な出来だと思うが、ブログ記事ですべてを伝えるには分量が多い。
なので、最短のステップで最後まで行けるようにかいつまんで紹介し、Step2のところは「機能・歴史・比較」を考えて展開する代わりに別の方法(拡張版テヅカ・チャート)に差し替えた。
元のやり方は上の本を参照されたし。
Step1 奇想は組合せでつくる
「落ちから考え付くのかと聞きますけど、それは逆なんですね。僕の場合は、異常なシチュエーションができれば、それにふさわしいストーリーというのは、わりに簡単に考え付く」(星新一、不詳)
ショートショートはアイデアが命。
しかし何のアイデアが核となるかといえば、星新一はシチュエーションのそれだという。
では誰も考えてないようなシチュエーションはどうやったら思いつくのか?
「そもそも、アイデア捻出の原則はひとつしかない。異質なものを結びつけよ、である。常識の殻を破りたいとは、だれでも考えていることだ。しかし、この殻は非常に強固なもので、いかに待っても自然には割れてくれない。異質なものとの結びつきによってのみ可能なようである」(星新一「死刑をたのしく」『進化した猿たち』収録)
弟子の江坂遊によれば、星新一は膨大な知識を前提に、この組合せ作業を頭のなかで繰り返し、ただ成果だけをどんどんメモ帳に書き出していったという。
しかし物書きには幅広い知識が必要だ、で終わっては、どうしようもない。
江坂本では、実にアッケラカンとした作業でこのプロセスを代替する。
まずは意識を介在させずにランダムで組み合わせて、あとで評価するのである。具体的には、
(1)小説(短篇集だと効率がいい)や雑誌の記事のタイトルを集めて抜き出す。
(2)集めたタイトルを分解する。たとえばタイトルを修飾語と名詞に分ける。
(3)バラしたぞれぞれを(上の例なら修飾語と名詞のリストからひとつずつ取り出して)組み合わせる。
(4)組み合わせの中に〈光るもの〉が見つかるまで(3)を繰り返す。
これだけである。
修飾語と名詞のリストから、1つずつずらして総当りでもいいし(江坂本ではExcelでやっている)、簡単なランダム組合せの仕掛けをつくっておいてもいい(いろいろ使えるので)。
Excelでつくったのをここ(ファイル名text-randomizer.xlsx 266KB)に置いた。
C行とD行に修飾語と名詞のリストを入力して再計算する(F9キーを押せばいい)と、新しい組合せをランダムで作ってくれる(元々は古今集のフレーズをシャッフルして和歌をつくるのに使った仕掛け)。
こちらは国会図書館にあった短編集からタイトルを集めてJavaScriptで仕掛けてみたもの。
ランダムな組合せは、当然99%がクズである。
しかし自分の考えが及ばない/あり得ない組合せの中に、わずかだが見るべきものが見つかる。
たとえば下のような修飾語と名詞のリストから始めたとする。
修飾語 | 名詞 |
呼びかける | こだま |
蘇生する | 患者 |
吸引する | ゴミ |
若返る | クリーム |
女だけの | パーティ |
ギザギザの | ふた |
海鳴りが聞こえる | 岬 |
鼓動の音が聞こえる | 二人 |
不治の | 病 |
そぼふる | 雨 |
同じ行の修飾語と名詞は、常識的につながるペアとなっている。
1つずつずらして/ランダムに組み合わせた結果を検討していこう。例えば、
・呼びかける こだま → あたりまえ
・呼びかける 患者 → ちょっとホラー系
・呼びかける ゴミ → 「ちょっと、おじさん。あたしを捨てたわね!」
筒井康隆のはではでしい失敗のせいか、大抵の小説指南書には「擬人化はやめとけ」とあるが、絶滅危惧種のショートショートの中では顕在である。
地雷臭がぷんぷんするが、ショートショートだから駄作に終わっても次のを書けばよい。
少しでも書けそうな奇想が見つかれば、とにかく書けというから、手順を進めるために先へ進もう。
Step2 因果展開で奇想を世界観に
ひとつの出来事であれ行動であれ、それが蔵している可能性を展開していくのには、手塚治虫がやってたプロットの筋トレ 読書猿Classic: between / beyond readers で紹介したテヅカ・チャートが便利だ。
ランダム組合せで見つけた奇想を、テヅカ・チャートに接続するには、P.K.ディックが繰り返し問うたあの質問「◯◯は本当はなにものなのか?」※を使おう。
※フォーカシングで知られる哲学者・臨床心理学者ジェンドリンが開発したTAE(Thinking At the Edge(辺縁で考える): 言葉にしがたい思いやアイデアを明確な言葉に展開していく思考法/ドイツ語ではWo Noch Worte Fehlen(未だ言葉に成らざるところ)という)でも、この問いが重要な鍵となるのは興味深い。
拡張版テヅカチャート(因果展開チャート)では、ひとつの項目から次の4種類の派生のさせ方で奇想が蔵している可能性を展開し、世界観へまで持っていく。
つまりひとつのアイデア(以下の図では「呼びかけるゴミ」)について
「それは本当は何?」(黒い二重線)
「それからどうなった?」(青色の→)
「その前はどうだった?」(赤色の→)
「その反対は?/似ているのは?」(オレンジの⇔/=)
という質問の答えをつないでいく。
そして、考えて出たアイデアについても、同じことを繰り返す。
過去/原因の関係をあらわす赤色の→は上方向に、未来/結果の関係をあらわす青色の→は下方向に伸ばすことにしておけば、因果関係を展開していってできあがるチャートは、上から下へと時間が流れるものになっていく。
このチャートは、ひとつのアイデアから派生した世界の因果関係を記述したものになり、またあり得べき出来事の連鎖を包括したものでもある。
簡単に言い直せば、バラバラのおもいつきを原因ー結果の関係や、本質ー代理の関係、類似や対称の関係で結び合わせて1枚にまとめるわけだ。こうすると最初の思いつきから広がる可能性が、世界はどのようであり、どんなことが起こりそうかへとつながっていく。
たとえば
・「呼びかけるゴミ」って何よ?
・ゴミが喋るんじゃない?
・つまり意識というか自我をもっているゴミ
・自我があったらゴミはどうする?
・文句の一つも言うんじゃないの?「よくもあたしを捨てたわね」とか
・訴えられるかもね、ゴミに
・ゴミはいっぱいだから多勢に無勢だな、人の味方につくゴミはいないのか?
・ゴミが喋るくらいだから、他の物も喋るんじゃ?
・じゃあゴミの敵であるゴミ箱は人間側について「ゴミはゴミらしくゴミ箱はいっとれ」とか
・部屋をゴミ屋敷にしてたら、自我を持った部屋に訴えられて立退きせまられるとか
……
とつらつら考えを伸ばして(飛ばして)行って、それをチャートにしていく。
すると、このようなチャートができてくる(まだまだ広げる事ができるだろう)。
こうして、最初はダジャレのようなものにすぎなかった「呼びかけるゴミ」という奇想から、それが存在する世界はどのようであり、どんなことが起こりそうかが広がっていく。
この後は、
(1)できあがったチャートの中で一番光る部分を取り出す
(2)語りの視点を決める
(3)どこからはじめてどこで終えるかを考える
(4)納得行くまで(1)(2)(3)のいずれかに戻って繰り返す
ことでショートショートならば、あらすじや下書きに近いものが出来上がる。
(因果展開チャートを考える導きの問い)
(1)本質の派生(黒い二重線)
(導きの質問)
・それは本当は何なのか?
・いったいなんなの?
・それは何だったの?
・それは何の代わりなのか?
・それは何の現れなのか?
(2)過去/原因の派生(赤い上向きの矢印)
(導きの質問)
・その前は?
・その原因は?
・なぜそうなるの?
・どうしてそうなった?
(3)未来/結果の派生(青い下向きの矢印)
(導きの質問)
・その後は?
・その結果は?
・それで何が可能になる?
・それでどうなるの?
・どんな間違いが起こるの?
・どんな驚きが待っているの?
(4)その他の派生(オレンジ色の線)
・これと反対のものは?
・これと似ているものは?
Step3 表現は凝らずにググる/ストックを使う
ショートショートはとにかく速く書き上げるのが肝要。
江坂遊は、ショートショート書きの過程で、つまって時間を取られる表現を凝る部分を、よく出てくる描写のストック集を作っておくことで作業の効率化を図っている。
つまり「男性」「女性」「子ども」「老人」「所作」「喜怒哀楽」「場所」などを表現する短文フレーズを作り置きしておくのである。
表現ストック集をつくるのは、たとえばストーリーが浮かばないときなどにやるとよい。
やり方は何かをスケッチの場合にように目の前においてを描写する、誰かにモデルになってもらう、鏡に自分を写してやるなどがある。
メリットとしては、作業時間の短縮の他にも、
1.文章というレンズを通した観察力がつく
2.描写の断片を書いている間にアイデアが浮かびやすい
3.(自分を描写)鏡を通して自分を長い時間眺めることで、他人に見えている自分を知り、見かけがましになる(かもしれない)
などがある。
書き始めたばかりの我々は まだストックの用意がないから、ここではより簡易に、検索することで対応する。
無料でここまでできる→日本語を書くのに役立つサイト20選まとめ 読書猿Classic: between / beyond readers で紹介したサイトが利用できる。
なかでも
◯日本語表現インフォ(小説の言葉集):ピンとくる描写が見つかる辞典
hyogen.info/
は、自分で表現ストック集をつくるときにも参考になるだろう。
他に、
◯日本語用例検索(青空文庫を対象に)
www.let.osaka-u.ac.jp/~tanomura/kwic/aozora/
◯小説投稿サイト横断検索
https://www.google.com/cse/publicurl?....
も利用できるだろう。
Step4 落語5大オチでしめる
何事をも終わらせることが難しい。
最高のラストが書ければもちろん一番いいのだが、そこで迷って途中で投げ出してはせっかく短いものにとりかかった甲斐がない。
日本には、落語というショートストーリー・テリングの伝統があって、物語を終わらせる手練手管をストックしている。それらを借用することで、ともかくも終わらせることができる。うまくいけば、なんとも言えない不思議な余韻を残すことも可能だ。
ショートショートを終わらせるのに使える5大ストックは以下のとおりである。
概ね(1)→(5)へと番号が進むほど難しくなる感じがある。
(1)地口落ち
だじゃれで慣用句などに結びつけ、けりをつける。
ストーリーの展開が手に負えなくなっても、地口落ちがあれば何とかなる。
それまでの展開と何の関係もなくても、よく知られているフレーズ、ことわざ、慣用句にダジャレで結びつけて、「終わり」と書けば、なんとなく終わった感じがしてしまうのだから不思議である。
しかし好事魔多し。万能故に、強引かつ安易に見えるのは仕方がない。
強引さ安易さを薄めるには、たとえば本体の話をくだらない話にする。思いっきりくだらない話だと、むしろ地口落ちが比較的ましに見えてしまう。
あるいはショートショートの核に何かの慣用句を採用して(つまり仕込んでおいて)、最後はその慣用句か、ひとつずらして関連した別の言葉の地口で終える手もある。
たとえば「思う壺」という慣用表現を、因果展開チャートに放り込んで、ディックの質問「これは本当は何のことか?」を適用し、慣用表現をあえて字句どおりに理解して「自我を持った壺」→「精神を壺に移し替え、木偶に壺を被せると人間になる」のような設定に発展させ、そこから派生する世界観をチャートでつくり、その一部を切り取って物語にする。で、ラストに「思う壺」の地口落ちでしめる、など。
(2)見立て落ち
似ているところはあるがとんでもないものを見立てて想起させ、その異様さで煙に巻く。
地口落ちが音声の類似をテコにしたものだとすると、見立ては視覚的類似をテコとする。しかし本当に似ているというより、本来あるべきものの代わりにとんでもないものが、という趣向で落ちとする。
視覚的類似とともに、置き換えの落差が肝になる。
落語の『首提灯』では、あんまり鮮やかに切られたので首を切られた当人が気付かないまま、切られた生首を提灯のように差し上げるところで終わる。
(3)まぬけ落ち
おとぼけ、ズレ、ナンセンスで幕を引く。
落語だと『粗忽長屋』では、行き倒れを自分の死骸と錯覚して抱えあげた粗忽者が「この死人はおれに違えねえが,抱いてるおれは誰だろう」と、自分が死んでいるのも気づかぬくらいの粗忽さで笑わせて終わる(先の『首提灯』にもこの要素がある)。
ショートショートは短いので、そもそも異様なシチュエーションで勝負するものが多いが、見立て落ちが異様さのアクセルを最後に踏み込んで終わるのに対して、まぬけ落ちは間抜け方向の異様さのアクセルを同じく踏み込んで加速し終わらせるもの。
(4)考え落ち
パッと聞いたところではよく分からないが、よく考えるとつながり、読み手の思考が補完することによって完成する落ち。落語の逆さ落ちや回り落ちも、ここではこの分類に含んでいる。
ショートショートの短さを逆手にとり、物語が終わった後をおのずから想起させて、長い印象を残すやり方。そのせいかショートショートで、この終わり方をするものは少なくない。
皮肉な逆転敗北や、入れ子構造や悲劇循環の暗示で、異常さを印象づけて終わらせる。後に引く印象を残す。
皮肉な逆転敗北は、たとえば物語中の被害者ー加害者の関係が最後に入れ替わって「このあとどうなるの?」という余韻を残して終わるもの。
入れ子構造の暗示は、物語中物語などストーリー世界の階層を最後で一つ追加することで、無限に入れ子が続くような余韻を残す。
悲劇循環の暗示は、ひどい結末が物語の冒頭につながっており、いつまでも悲劇が続くような余韻を残す。
(5)離れ落ち
さっと場面転換して潔い終わり方にする。
落語では、いくつかの小噺をつないで、最初にやった小噺から遠く離れた状態で一貫性が無く終わるものをいうが、ここでは上記のような技巧的な落ちを取らず、さっと終わって物語をまとめるもの。
特徴的な部分がないので摸倣は難しいが、ショートショートの名手はこれを使いこなす。
(その他の参考文献)
◯ジェンドリンのTAEについての邦語文献
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◯ショートショートの名手たち
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今回は、小説だけでなくマンガでも映画でも共通するストーリーをつくることに焦点をあわせて、なるべくわかりやすく説明してみます。
ストーリーは最低3つのパートからできている
当たり前のことからはじめましょう。
世界最初の創作論(『詩学』)を書いたアリストテレスは、ストーリーは〈はじめ〉〈なか〉〈おわり〉の3つでできているといいました。
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というのも、ストーリーは、
・始まったら必ず終わらなくてはならない→〈はじめ〉から〈おわり〉へ
・しかしいくらか続かなくてはならない→ある程度の長さがある=〈なか〉が必要
からです。
ストーリーには変化(落差)が必要
ストーリーには変化が必要です。
たとえば、いくら「正義は勝つ」というストーリーをつくりたいからといって、最初から最後まで「正義の味方が圧倒的な力で悪党をやっつける」というのが延々と続くと、ストーリーになりません(むしろ悪党に同情したくなります)。
さらにまずいことがあります。最初から悪党をやっつけ続けると、悪党が悪党らしい場面がまったく出てこなくなります。姿形を悪党っぽくしたり、ナレーションで「こいつは悪党です。悪党だからボコボコにされても当然です」と説明することはできても、それでは説得力がありません。
どうすればいいのでしょう?
素直に考えれば「正義の味方が悪党をやっつける」のは〈おわり〉だけにして、他のパートではむしろ「正義よりも悪党が優勢」「悪党が悪の限りを尽くす」ようにすればよいのです。
つまり「正義は勝つ」というテーマをもつストーリーの大半は、その正反対である「悪がのさばる」場面で埋められることになります。
流れがないと、ストーリーは単なる状況の寄せ集めになります。
逆にストーリーが進む方向が決まれば、あとで見るように、障害や制約を挟んで流れをせき止めることで、緊張感が生まれ、ストーリーは具体化していきます。
3つのパートの役割
ストーリーは3つのパートからできている、といいました。
では、それぞれのパートはどんな役割を持つのでしょうか。
〈はじめ〉は状況設定を受け持ちます。
ストーリーがゼロからはじまります。読み手/受け手は、このストーリーについて何も知りません。
なので どんな奴が登場して、そいつは何をしたいと思っているのか、あるいは何が起こるのを恐れているのか、などストーリーの前提になることが〈はじめ〉のパートでは示されます。
〈なか〉はストーリーの持続を受け持ちます。
〈はじめ〉では、主人公が何をしているかがわかりました。しかし、主人公の望みがいきなり実現しては、ストーリーがすぐに終わってしまいます。
ストーリーが続くためには、主人公が望みを実現するためにいろいろする、しかし障害や妨害があって、なかなか先へ進まないことが必要です。
大切なことなのでもう一度言います。
ストーリーとは主人公が繰り返しひどい目にあうことで大半が構成されるのです(作者と主人公が自己愛で結ばれていると、このことを忘れがちです)。
つまりストーリーの持続は、欲望実現のための行動と障害との葛藤で構成されます。
〈おわり〉はストーリーの結びです。〈なか〉でつづいた葛藤が解決・解消されるところです。
無事に解決・解消されることで、ストーリーがきっちり終わります。うまくいくと「よいストーリーだった」感じが読み手・受け手に残ります。
3つのパートの切替え
では、3つのパートは何で仕切られているのでしょう。
〈はじめ〉と〈なか〉の間の仕切りは、状況設定から葛藤へと移るところです。
ここにふつう〈後戻りできない出来事〉が来ます。
「正義は勝つ」ストーリーなら、主人公が(悪党に苦しめられている人を思わず助けたりして)悪党サイドから敵と認識され、これ以後戦わざるを得なくなる出来事がこれに当たります。
〈なか〉と〈おわり〉の間の仕切りは、葛藤から解決へと移るところです。
ここにふつう〈クライマックス〉が来ます。
「正義は勝つ」ストーリーなら、ぎりぎりまで追い詰められていた主人公が最後の切り札で不利な形勢を一気に逆転するところがこれに当たります。
まとめるとストーリーに最低必要な要素は以下のようになります。
はじめ(状況設定) | |
切替え1(後戻りできない出来事) | |
なか(葛藤) | |
切替え2(クライマックス) | |
おわり(解決) |
あなたが考えてきた(暖めてきた)ストーリーについて、この表を埋めてみましょう。
ストーリーを考える順序
これでストーリーに最低限 必要な要素が揃いました。
ストーリーが最初から最後まで丸ごと「降ってくる」場合もありますが、ここでははじめての人がストーリーを作る場合に何から手をつけていけばいいかを考えます。
これまでは、大枠では誰もが知っている「正義が勝つ」というお決まりなストーリーを例にしましたが、いろんなストーリーに使えることを示すために(アリストテレスはギリシャ悲劇を念頭においていました)、別のものを考えましょう。
ステップ1:テーマを決める
ポール・マザースキーが監督・脚本した『結婚しない女』(1978年)という映画は、ぶっちゃけていえば「女性の精神的自立」をテーマにしたものです。
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(テーマ)女性の精神的自立
ここでいうテーマとは、作品に込めた思想的主張みたいなものではなく「要するに何の物語か?」という問いに対する答えのことです。
ステップ2:結末を決める
テーマが決まれば結末は決まります。
「正義が勝つ」をテーマにしたストーリーの結末は、「正義サイドの主人公が勝利し、悪党どもを退ける」でした。
「女性の精神的自立」をテーマにした『結婚しない女』では、結末は「主人公の女性が精神的に自立する」となります。
(結末)主人公の女性が精神的に自立する
ステップ3:発端を決める
ストーリーの発端は、結末とは落差のあるものにすべきです。
マザースキーは、結末と対照的な「幸せそうな結婚生活」を発端に選びました。
(発端)主人公の女性は幸せそうな結婚生活をおくっている
ステップ4:切替え1(後戻りできない出来事)を考える
「幸せそうな結婚生活」が続くだけではストーリーは進まず、当然結末にも至りません。
マザースキーは、「幸せそうな結婚生活」をぶち切り、否応なく主人公を葛藤に追い込む出来事を用意しました。
夫は実は別の女と付き合っていて、ある時主人公に離婚してくれと泣いて頼むのです。離婚するしないに関わらず、今までのような「幸せそうな結婚生活」を続けていくわけにいかなくなります。
(後戻りできない出来事)夫は浮気しており、主人公に離婚してくれと泣いて頼む
ステップ5:切替え2(クライマックス)を考える
『結婚しない女』の主人公は結局、夫に愛想をつかし、別れることを決めます。しかし主人公は夫と別れた後、新しい生活になかなか馴染めず、主治医に相談したり、精神科医に相談したり、何人かの男とつきたったりとうだうだします。葛藤のフェイズです。
結論を早く言え、と言ってはいけません。
夫と別れた、はい、自立した、ではストーリーがいきなり終わってしまいます。結論にすぐに飛びつくと、ストーリーが続きません。
この「うだうだ」こそがストーリーの胴体であり、これなしには幼児が描くような「頭足人」なストーリーになってしまいます。
しかし、うだうだしたままだと、結末に至りません。もう一度、ストーリーの流れを切替え、葛藤から解決へと移る出来事が必要です。そしてこれがストーリーが最も盛り上がるクライマックスとなります。
『結婚しない女』では、主人公が付き合った男のうち、いちばんましそうなのが主人公といい仲になります。彼は主人公を本気で愛して、結婚を申し込みます。ちょっと待って、結婚しない女なのに結婚しちゃうの?というところでストーリーの流れは切り替わり、(おわり)解決へと入って行きます。
(クライマックス)主人公を本気で愛する男が結婚を申し込む
ステップ6:もういちど結末を整える
結末は最初に決めたとおり、
(結末)主人公の女性が精神的に自立する
です。
主人公は、求婚してきた男を憎からず思っていますが、一人で生きることを選びます。男も(なにしろましそうな人ですから)彼女の選択を尊重し、彼女にあるものを残して別れを告げます。エンディングです。
これでストーリーに最低必要な要素が決まりました。
もちろん実際のストーリーはもっと詳細なものですが、最初にストーリーを形にするときに、あるいは細部を考えているうちに煮詰まってきた場合に立ち戻って全体を見直すときなど、もっともシンプルなこのフォーマットは便利です。
以下では、さらに詳しくストーリーをつくっていくやり方を考えます。
〈なか〉(葛藤)は何でできているか?
ストーリーの3つのパートのうち、最も長いのが〈なか〉(葛藤)のパートです。
まずはこの〈なか〉(葛藤)を、より具体的につくっていくことを考えましょう。
葛藤は辞書にあるように、対立する二つのものからできています。
ストーリーの中の葛藤は、おおざっぱに言えば、結末へと進む出来事(前進事象)と、その反対のもの(進むのを邪魔したり、事態を後戻りさせようとしたりする出来事や制約:停滞後退事象)という、対立する2種類の出来事ができています。
再びわかりやすい「正義は勝つ」ストーリーでいえば、例えばこんなかんじです。
A.前進事象 | B.停滞後退事象 |
主人公がパワーアップする 主人公に仲間が増える 主人公が重要なアイテムを手に入れる 主人公が中ボスに勝つ | 主人公の仲間が倒れる、また離反する 主人公が一時的に負けたり死にかける 敵の方がパワーアップする 敵の方に仲間が増える 敵の方が重要なアイテムを手に入れる |
恋愛モノなら、A.前進事象には2人の仲が深まる出来事(一緒に危ない目にあう、共通の秘密を持つ、嵐で足止め、焚き火を飛び越えるなど)、B.停滞後退事には2人の仲が離れる(心が冷める、距離が離れる、ライバルの出現など)といった感じです。
〈なか〉(葛藤)のパートを具体的に考えるためには、
(1)まずはA.前進事象とB.停滞後退事象を使えるかどうかは最初はこだわらず、できるだけ多く考え出してみる(ブレインストーミング)。
(2)A.前進事象とB.停滞後退事象のそれぞれについて、些細なものからより重大なものへ順に並べてかえる(ソーティング)。
→つまり一番最後に最大のA.前進事象とB.停滞後退事象が来るように配列してみます。
(3)その後、ストーリーの整合性を考えながら、些細なものからより重大なものへ順にA.前進事象とB.停滞後退事象を互い違いに並べる(オルタネイティング)。
→つまりABABABA……と積み重ねるうちに、段々と前進と停滞/後退の幅が大きく、アップダウンが激しくなっていくようにするのです。
こうして、行きつ戻りつの「うだうだ」を続けて、クライマックスに向けて次第に緊張感が増すようにできるかを考えるといいでしょう。
我々はストーリーをあまり早く終わらせたくないので、ストーリーを引き止めるB.停滞後退事象は重要です。これは主人公の前進を押し返すマイナスの出来事でもありましたが、出来事の他に主人公等に課せられる制約である場合もあります。
たとえばベタな例ですが時限爆弾などは、時間が来れば爆発するので主人公を引き止めている訳ではありませんが、その行動に制約を課して物語に緊張をもたらすものです。
ストーリーを具体化することは、どのような停滞後退の出来事と制約を持ち込むかにかかっている、とさえ言えます。
ストーリーをどう進めたらよいか迷ったら、どうせき止めることができるか(どんな障害・制約を持ってこれるか)を考えるとよいです。
〈はじめ〉(状況設定)は何でできているか?
はじめ(状況設定)の役割は、ストーリーについてまだ何も知らない読み手/受け手に、ストーリーの前提を伝えることです。
世界観や登場人物がどういったものかを伝える訳ですが、設定表を読み上げるわけにもいかないので(ナレーションで説明する手はありますが)、できれば登場人物の行動から分かるようにしたいところです。
とくに主人公が何をしたいと思っているかは重要です。
先に〈なか〉(葛藤)を説明したときに、停滞後退の出来事や制約が大切だといいましたが、ある事柄は障害になったり制約になったりするのは、登場人物の行動に欲望という方向性が示されてこそです。
たとえば大きな川は単なる水の流れですが、「向こう岸に渡りたい」という欲望を登場人物が抱いているなら、立派な制約になります。
しかし欲望というものは出来事でも行動でもありません。ぶっちゃけ欲望は、それ自体ではカメラに写らないし描くこともできません。
ナレーションかセリフで語ってもらう以外には、行動で示すしかありません。
行動という目に見えるもので、欲望という目に見えないものを表現するにも〈制約〉を使います。
たとえば今の「川を渡りたい」という欲望を示したい場合、主人公が渡し舟を頼み、さらに断られても食い下がり、渡す条件として難題をふっかけられても引き受けるのならば、どうでしょう?
つまりよりわかりやすい障害や制約を置いて、しかしそれらに邪魔されてもあきらず欲望実現に向かうという行動によって、欲望の方向と大きさを示すことができます。
つまり説明にできるだけ頼らず状況設定を示すためにも、障害や制約が使えます。
ストーリーづくりは制約をデザインすること
こうしてみると、全体についても一部分についても、ストーリーをつくることは、うまく制約や障害を配置することにかかっています。
制約や障害は、登場人物の外から課せられるものもあれば、人物が内に抱えるもの(弱点や無能力)もあります。
状況や登場人物の設定をする場合、どんな制約が利用可能かを考えておくとよいでしょう。具体的にリストアップしておくとストーリーを具体化する際に助かります。
もしも制約が少なすぎるなら、ストーリーはうまく進まず行き詰ってしまうでしょう。
メアリー・スーではありませんが、外的にあらゆる好条件にめぐまれ、内的にあらゆる面で有能で自分ひとりであらゆることをやってのけ何でも解決してしまう登場人物は、ストーリーの進行に役立たず、作品が未完のまま放置される原因にすらなります。
ストーリーは相反するものによって支えられます。
「正義は勝つ」というストーリーの大半がその正反対である「悪がのさばる」場面で埋められるように、ストーリーを前に進めるためには、制約や障害という邪魔をしたり事態を後戻りさせようという否定的な要素が不可欠なのです。
ストーリーが進む方向が決まれば、障害や制約を挟んで流れをせき止めることで、緊張感が生まれ、ストーリーは具体化していきます。
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には、ストーリー作りにつかえる制約(カセ)の一覧があります。
1.時間的なもの | 制限時間、約束の時間、記念日など |
2.秘密性をもつもの | |
(1)その人自信の秘密(人物) | 出生、過去、身分、結社に入っていること、職業、病気、家族関係、くせ、不名誉なもの、知らないこと、年齢 |
(2)人間関係の秘密(人物) | 家族関係、恋愛関係(姦通)、社会的地位、肉親関係、かくし妻、かくし子 |
(3)物の秘密 | お金がない or お金持ちである、借金、へそくり、こわしてしまった(過去)、とってしまった、かくす、落し穴(仕掛け)、宝物、密書、その他 |
(4)場所の秘密 | いる場所(追われるもの、誘拐)、かくし場所 |
(5)状況の秘密 | 家族の事情の秘密、社会の事情の秘密、戦況等の秘密、外界との不連絡 |
(6)行動の秘密 | 作戦の場合、犯人の場合、浮気等の場合、探偵(警察官)等の場合、スパイ、忍者の場合、隠密行動(恋人たち) |
(7)計画上の秘密 | 業務上計画の秘密、仇討ち、復讐等の秘密、喜ばせるための計画の秘密、作戦の秘密(前記「作戦の場合」)、陰謀の秘密、鷺の秘密 |
(8)善意の秘密(多くのホーム・ドラマ) | 突然の喜びのための秘密、相手を傷付けないための秘密、病気等を告げない秘密、他から悪い噂話等をきかせたくないための秘密、善意をもって財産等の秘密 |
(9)他愛ない秘密 | 当人だけが秘密だと思っている秘密、恥になると思っている秘密、知らない秘密、ごまかすための秘密、言いそびれたための秘密 |
(10)肉体の秘密 | その人自身、病気、くせ |
3.場所のカセ | |
(1)特定の場所でなければいけないもの | 勧進帳の安宅の関、ニューヨークのキングコング、ターザンの密林、戦争物の戦地、観光的要素のあるもの(道中記、ローマの休日等) |
(2)固有の場所でないもの | 密室、袋小路、敵軍に包囲されたところ、デコボコ道、交通マヒの街 or 道路、浮揚力を失った潜水艦、脚の出ない飛行機、占領された場所(ハイジャック、海賊)、落磐事故現場、離れた土地と土地、橋、プラットホーム、その他 |
4.人間関係のカセ | 親と子(単数、複数)、兄弟(姉妹・姉弟・兄妹)、伯父と甥(姪)、無医村の医者と村人、医者と患者、教師と生徒、上役と下役、人間と動物、親友、同業者同士、近所同士、村落同士(グループ)、国民同士 (or 指導者と国民)、宗教 (徒党)、弁護士と容疑者、商売人と買い手、世論 (うわさ)、仇同士 (ライバル)、大人と子供、タレントとファン (or マネージャー)、刑事と犯人 |
5.内心のカセ | してはいけないと思うとき、しなくてはならないと思うとき |
6.誤解のカセ | 信頼が失なわれた時、コミュニケーションの悪い時、無知な時 |
7.社会的つながりのあるもの | 仕事、社会的ヒューマニズム (公害等)、社会的圧力、法律、因習 (村八分など)、一般的民衆の考え方 (閉鎖的)、宗教 |
8.約束等によるもの | 約束、デート、遺言、一旦承知してしまったもの、掟 (仲間の規律)、規則、契約、習慣、作業、職業につく |
9.物に関するもの | 貴重品、危険物、人物にとって意味のあるもの、その他災難を招くもの |
10.状況的なもの | 天候 (暴風雨、雨、雪、地震、火事、洪水、ひでり、長雨、暑さ、寒 さ、無視の発生等)、戦争下 (インフレ、デフレ)、社会不安、会社の状況、団体 (宗教)、家族的状況、その人自身の状況 |
11.目に見えないもの | 占い、予言、宗教的な圧力、雰囲気、脅迫、コンピュータの指示、世論、噂、世間体 |
12.肉体的なもの | 肉体的なハンディキャップ、拷問、病気、顔の美醜からのコンプレックス、精神病、無知、性格的なもの、男であること、女であること、飢え、眠れない |
13.その他 | 学問上のカセ、派閥のカセ、つまらないカセ、面白さのためのカセ、心理的なもののカセ (コンプレックス) --- 内心、職業上のカセ、お化け、ものものしさ、威圧 |
(その他の参考文献)
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ハリウッド系三幕構成の基本書にして初邦訳本の原著。
訳書は1991年『『シナリオ入門』 別冊宝島144』の前半として出たが、絶版後にプレミア化していたものが2012年に以下の本として出版され入手しやすくなった。
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〈はじめ〉〈なか〉〈おわり〉の3幕構造を、物語論(ナラトロジー)の成果なども採り入れた13のフェイズを提案している。
第1幕 | 1日常 | 主人公の日常と抱えている問題を描く |
2事件 | 出会い、事件によって主人公は日常から引き離される | |
3決意 | 主人公は特異な状況や世界へ飛び込む決意をする | |
第2幕 | 4苦境 | 主人公が苦境に陥る |
5助け | 苦境に陥る主人公を助ける者があらわれる | |
6成長・工夫 | 苦境を経験した主人公は修行や工夫を行い成長のステップを踏み出す | |
7転換 | 成長の成果が得られるなど中間部での喜び | |
8試練 | 新たな力を得た主人公が試練に挑む | |
9破滅 | 主人公は自分の力の及ばない破滅に陥る、一旦どん底を経験する | |
10契機 | 主人公は破滅/どん底の中で変化の契機を得る | |
第3幕 | 11対決 | 変化を遂げた主人公は真の敵と対決する |
12排除 | 主人公はすべての力を駆使して敵を排除する | |
13満足 | 主人公は勝利をおさめ当初の問題も解決。ハッピーエンド。 |
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A.主人公が最初やらなかったことをやろうと思うための出来事(この記事でいう前進事象)とB.主人公がやっぱりやらないと思うための出来事(この記事でいう停滞後退事象)を重ねてドラマを作る方法の提案など、難しくなる選択肢をとことん落として初めてでも簡単にシナリオが書ける方法を提供する。8日間でシナリオが書けるチャートつき。
生まれてはじめて書く人のための、小学生向け小説執筆マニュアル(手順書) 読書猿Classic: between / beyond readers
について、物語の作り方はわかった気がするけど、それをいざ小説にしようとすると言葉が出てこない、なんとかしろ、という意見がありました。
実は、小説の文章についても少し書いていたのですが、あまりにも小学生向けでなかったので省きました。参考になる人がいるかもしれないので出してみます。
1 小説の文章は何からできているか?
小説は、文章を通して物語を伝えるものです。
小説の文章は、大きく3つに分けられます。
《場面》、《説明》、《描写》です。
(1)説明とは
《説明》は、物語を大づかみに述べる文章です。細かいところを省略して伝えるので《要約》と呼ばれることもあります。
大づかみなので、少しの文章で、長い時間の物語を伝えることができます。
わずか数行で何年、ときにも何百年もの時間を進めたりできます。
物語をどんどん進めたいときに《説明》は便利です。
《説明》は、物語を伝える、最も古いやり方です。神話から噂話まで《説明》は、物語を伝える中心でした。
誰かに、読んだ小説や見た映画がどういうのだったか尋ねれば、大抵の場合、物語を大づかみに述べてくれるでしょう(セリフを口真似して演じたりせず)。おかげで、たとえば2時間の映画でも、その気になれば数分で語り終えることができます。
これが《説明》です。
(2)描写とは
《描写》は逆に、物語の特定の部分を詳しく伝える文章です。
詳しく伝えるために、たくさんの文章を使いますが、その間物語はまったく(ほとんど)進みません。
《描写》している間、物語はスローモーションかストップモーションになります。
(3)場面とは
《場面》は、物語が今まさに起こっているように伝える文章です。大抵は、登場人物の会話を主にして、それに人物のアクションを伝えるシンプルな言葉が加わって構成されます。
会話が主になるので、文章の進行と物語の進行はシンクロします。
物語を大またにドンドン進める《説明》と、物語をほとんど進めない《描写》の、ちょうど中間の役目を《場面》はします。
(4)場面、説明、描写のメリット/デメリット
《説明》があまり続くと、物語はさっさと進んで便利ですが、単調で退屈なものになりがちです。
《描写》があまり続くと、物語はちっとも進みませんし、読み手に緊張を強いることにもなります。しかし複雑だったり分かりにくいことを伝えるのに必要な場合があるかもしれません。
また他のメディア(映画や演劇やマンガ……)にできない小説だけの表現は、《描写》でこそ生まれるといってもいいでしょう。
《場面》は、現代の小説のメインです。
現代の読み手は、物語を《説明》されるよりも、臨場感ある形で体験したい、観客のように観たい、と思っています。
そんな訳で、現代の多くの小説(エンターテイメント系ならほぼ全部)は《場面》を中心にして書かれています。
《場面》で書かれたものは、物語の時間の流れ方が似ているので、映画や演劇やマンガにしやすいということもあります。
《場面》《説明》《描写》を使い分けることで、物語が進む速度を速くしたり遅くしたりすることができます。
表面の言葉のレベルだけでない、物語のレベルも含めた小説の緩急・リズムは、この使い分けから生まれます。
しかしこの記事は初めて小説を書く人のためのものですから、いっぺんにすべてをやれ、というのは不親切です。
ひとつずつ、まずは《場面》を書くことから始めましょう。
2 《場面》を書こう
「飲みものは何がある?」とアルがたずねた。
「シルヴァー・ビアー、ビーブォー、ジンジャー・エール〔どれも清涼飲料〕」とジョージが言った。
「〈飲む〉ものはあるかってきいてるんだぜ」
「いま言ったものだけです」
「てえした町だな」ともう一人の男が言った。「なんてえ町だ?」
「サミットです」
「きいたことあるか?」とアルは相棒にたずねた。
「ねえな」と相棒が言った。
「ここじゃ、夜は何をするんだ?」とアルがたずねた。
「夕食《ディナー》を食うのさ」と相棒が言った。「みんなここへ来て、豪勢な夕食を食うのさ」
「そのとおりです」とジョージが言った。
「そのとおりだと思ってるんだな?」とアルがジョージにきいた。
「さようで」とジョージが言った。
「なかなか賢いな、おめえは」
「さようで」とジョージが言った。
「ところが、そうじゃねえ」ともう一人の小柄の男が言った。「なあ、アル?」
「間抜けだよ、こいつ」とアルが言った。彼はニックのほうを向いた。「おめえはなんてえ名だ?」
「アダムズです」
「賢いな、おめえも」とアルが言った。「こいつは賢いだろう、マックス?」
「この町にゃ、賢いのがうようよしてるよ」とマックスが言った。
(ヘミングウェイ著、高村勝治訳「殺し屋」)
《場面》は、現代の小説ではメインとなる文章であり、他にもノンフィクション、ドキュメンタリーで主として使われます。また他の物語を伝える手段、演劇や映画やマンガとも陸続きの表現法です。
初めて小説を書く場合、小説以外を含む広い物語体験からそうなるのか、まずシーンを思い浮かべてそれを文字に写しかえるやり方からはじめる人が、つまり自然と《場面》を書こうとする人が、多いようです。
《場面》の文章は、小説の文章の中でも、身近でとっつきやすいものです。
しかし、そのためにかえって難しい部分もあります。
普段よく触れているものだけに、読み手にもアラが見えやすいのです。
ぶっちゃけ《描写》が下手(いやほとんどできないと言ってよい)小説書きは大勢います。プロにもいます。何故これでやっていけるかといえば、そこそこ読める人でないと《描写》なんて、ちゃんと読んでいないからです。しかし《場面》のところは大抵みんなが読みます。
《場面》の中でも、その軸となる会話の部分が一番の難物です。
まず、物語に触れる場合、会話は読み手が一番意識している言葉です。マンガや映画でも、あまり注意深くない普通の読者や観客は、絵・映像ではなくセリフを追いかけストーリーを理解しています。あとで思い出すのもセリフ中心です。地の文の下手さはわりと見過ごすのに(世の中には相当下手な小説がありますが、それさえも物語にある程度惹きつけられれば次第に気にならなくなるものです)、会話慣れしているせいで、読み手は会話の上手い下手には敏感です。
一方、不慣れな書き手には、私たちが普段話している言葉に近いと感じるせいか、会話は小説の文章のなかでも、身近でとっつきやすく、地の文よりはまだ書ける、と考える人が少なくありません。
しかし実際は、普段話している言葉をそのまま小説に放り込んでも機能しません。
普段の会話を文字に起こしてみると、方向性がなく反復や省略も多く、いろんな前提を共有しない第三者には、退屈である前に理解できないことも多いでしょう。
対して、小説の中の会話は、つぎのような役目を要求されます。
(1)登場人物同士のやりとりを通じて、彼らの間の関係を示す(語り手が説明するのでなく)
(2)登場人物同士のやりとりを通じて、物語を進ませる(語り手が進めてしまうのでなく)
(3)登場人物同士のやりとりを通じて、物語に緊張感を生み出し、高める
一言で言えば、小説の会話は自然なものではありません。小説が機能するために、そのスタイルも構成も、作者が戦略的に仕込む必要があります。
会話が他の部分より書きやすく感じるとしたら、それは実際の話し言葉に近いからではなく、むしろ小説だけでないさまざま物語に触れる機会に最も意識してきた部分だから、それなりのストックが書き手の中にも蓄積されているからです。
この事実は教訓になるでしょう。つまり、小説の会話以外の部分を、もっと書けるようになりたいのならば、そうした部分に自覚的に意識を注いでストックとしていけばよいわけです。
しかしもちろん書くことも重要です。
最初のうちは、あまりハードルを上げずに、むしろとっつきやすさを(たとえ勘違いであっても)存分に利用して、とにかく書きやすい会話から、いろいろ書いてみることをおすすめします。
たとえば書こうとしているプロットの中から一箇所を選び、状況設定と登場させる人物を確認して、まずは登場人物たちに自由に動くのに任せて、書きなぐりましょう。
脱線もノープロブレム。
むしろたくさん喋らせ、多くやりとりさせるのが、登場人物に生命を与え、彼らの根っこを把握し、本当に必要なことを自然な形で話してもらえるようになる近道です。
会話なんですから、最適な副詞が見つからないと何日も悩んだりせず、とにかく書いて書いて、一度頭を冷やしてから読み返しましょう。
真夜中に書いたラブレターを明るいところで読み返しているような心持ちになるでしょう。
しかしこれは物書きがどんなにうまく書けるようになっても、常に感じる感情です。摩擦があればこそ、地面をけって前に進めるのです。
むしろ悪感情の常として、回避すると余計に悪化します。
登場人物の会話に、いくらかスタイルを与え深みを持つようにするには、基本ですが、登場人物が考えているままには/感じているとおりには話させないことです。
登場人物が何をどのように話すかだけでなく、何をどのように話さないかを書けるようになると、随分変わってきます。
最初はツンデレ・コラムといわれる、下にあるような二列できた表を使うのもよいかもしれません。
場面 | 人物 | 本音 | 実際の発言 |
使い方は、その場面での人物の実際の考え/感じ方を一旦書き捨てておいて、それとは違った発言を考えます。
もう一つ、会話を書くときのコツとして、必要最低限だけ残して後は削る、というのがあります。
実際の会話を録音して聞いてみると(文字に書き起こすともっとはっきりするでしょう)、「あー」とか「えーと」とか、言葉として直接意味を伝えないものがとても多いことに気付きます。実際の会話では、それらは会話の順番や話の切れ目を、会話に参加する同士、お互いに知らせ合うシグナルになっている(のでムダではない)のですが、第3者に聞かせる/読ませるとなると、無い方がずっと分かりやすいです。
もちろん削り過ぎるとニュアンスや会話が示すお互いの関係が分かりにくくなりますが、削ったり戻したりしているうちに、ぎりぎりのところがわかってきます。会話の「贅肉」を落として、読んでいて気持ちのいい、テンポの良い会話を目指しましょう。
会話の部分が書けたら、必要最低限の動作や状況などを書き加えて、《場面》を完成させましょう。
最初は、極端に言って、誰が何を言っているか分かる程度で十分です。
むしろ、誰が何をやっているか詳しく掘り下げ語り出すと《描写》になります。つまり物語が進むスピードがぐっと落ちてしまいます。それでもいいのか、そうしてまでスピードを殺す必要性があるおか、そしてその覚悟とそれを生かす戦略があるのか、を考えましょう。
最初は、説明不足を恐れるより、無自覚に物語の流れを悪くすることの方を心配する方を優先すべきです。
物語のスピードの変化を感知し、自分でコントロールできるようになれば、短い《描写》で読者の意識を一瞬止めて、それをほとんど感知させないまま深い印象を与えつつ、物語のスピードを元通りに戻したり……なんてこともできるようになります。
これも基本ですが、《場面》では、分析や解説といった語り手の存在が前に出てくるものは避け、今まさに生じつつある出来事を示すことに専念した方がよいでしょう。
物語を理解するための情報は、一度に読者に与える必要はありません。むしろ一度に多くを与えると個々の印象は弱まります。
やり取りや行為の背景や意味を与えるのは、《場面》の前後に置いた《説明》で行った方がよい場合があります。
つまり《説明》や《描写》が自覚的にできるようになれば、そちらでやるべき仕事を任せることができます。《場面》が苦手なことは他に任せるようになれば、《場面》はより研ぎ澄まされたものになるでしょう。
《場面》は不可欠かつ効果的なアプローチですが、万能ではありません。
《場面》とは別の文章に挑戦するべきときが来たようです。
3 《説明》を磨こう
むかし、まだなんでも願いごとがかなえられたころ、ひとりの王さまが住んでいました。王さまには三人のお姫さまがいて、どのお姫さまもみなきれいでしたが、いちばん末《すえ》のお姫さまはとくべつきれいでした。ずいぶんといろいろなものを見てきたお陽《ひ》さまでさえ、そのお姫さまの顔を照らしてみるたびに、とてもきれいなのでびっくりするのでした。
(グリム兄弟編/塚越敏訳「蛙の王さま」『グリム童話』)
オブロンスキイ家では、何もかもが乱脈をきわめていた。妻は、夫が以前彼らの家にいたフランス女の家庭教師と関係のあったのを知り、夫に向かって、このうえ同棲をつづけることはできないと言いだした。こうした状態がもう三日ごしつづいたので、当の夫妻はもとより、家族召使いのすえにいたるまでひどく不愉快な思いをしていた。
(トルストイ著 中村白葉訳「アンナ・カレーニナ」)
《場面》だけで一篇の小説を書き上げることは可能ですが、それには高い技術が必要です。
物語が長期に渡るものだったり、複数の出来事が複雑に絡み合う物語の場合には、それぞれを《場面》で示せたとしても、それらを結びつけるための言葉が必要です。
最も古くから、そして最も広く物語を述べるのに用いられてきた《説明》は、《場面》の弱点を補うことも得意です。
実はプロットも《説明》の文章で書かれていました。
私たちが観たり読んだりした物語を誰かに伝えるときも、普通は《説明》の言葉で伝えます。
しかしプロットは誰かに読ませるために書いたものではありません。人がつくった物語を伝える言葉のも、書評でもないかぎりインフォーマルでざっくばらんな《説明》でしょう。
そんなものを小説の中にそのまま使うのは、ト書きを役者にそのまま読ませるようなもの、舞台裏の張りぼてを観客に無理やり見せるようなものです。
少しよそゆきの、読ませるための《説明》を書くことを考えましょう。
《説明》は、物語を大づかみに、細かいところを省略して伝える文章です。
触れたくないところに触れずに、省略したいところは省いて、どんどん物語を進めることができます。
概略を伝えることだけに徹すると、この節の冒頭にあげた「蛙の王さま」の引用は、
・昔々ある王さまがいた
・王さまには3人の美しい姫
・末姫が最も美しかった
といった箇条書きになります。
読み手を誘うべき物語で、これはあんまりです。
しかしこの物語の語り手は、姫の美しさを描写して情報を追加するかわりに、ちょっとしたレトリックで膨らみと彩りを加えます。
・「むかし」→いつ頃なんだ、それは?→(それには答えず)「まだなんでも願いごとがかなえられたころ」
・「末《すえ》のお姫さまはとくべつきれい」→どういう風にきれいなんだ?→(それには答えず)「ずいぶんといろいろなものを見てきたお陽さまでさえ、そのお姫さまの顔を照らしてみるたびに、とてもきれいなのでびっくりするのでした。」
これらの文の綾は、物語の舞台となった時代や姫の容姿について、何の情報も付け加えません。語り手の「とにかくきれいだと思ってくれないと先が続かないよ」という願いは伝わりますが、お姫さまの顔はといえば、さっぱり想像がつきません。
この物語には必要がなく、またその方がよいからです。
《説明》は行動の模写というより注釈です。それは語り手によって作られたものであり、事件そのものではありません。
《説明》は、臨場感とは反対の効果を持つ表現、いわば言葉によるロングショットです。
出来事がいま生起しているすぐ傍らにいるかのように示す《場面》と異なり、《説明》は対象との間に距離を置いて表現します。
距離をおくために、複数の事柄を同時に捉えて、その間の関係を述べることもできます。この役目は、それぞれの事柄に接するように示す《場面》と補完し合います。
また距離をおくために、対象の詳細や(時には)個性に注意が注がれず、たとえばグリム童話の王さまの名前や容姿や支配する国名は語られず、「とある王さま」として扱われることになります。対象を抽象的に扱いたい場合、その一般的な意味づけや価値判断を行いたい場合になど使えます。
詳しく語れば情報過多になるような多くの出来事を、あっさり済ませて先に進むのにも《説明》は向いています。
先に引用した「アンナ・カレーニナ」の冒頭部分で、「こうした状態がもう三日ごしつづいた」ということで、語り手はこの間の興味の惹かれないあれこれについて詳しく述べることなく物語を進めます。
また距離をおいたため、登場人物の声は《場面》のように直接には聞こえなくなります。たとえば「アンナ・カレーニナ」の冒頭部分で、妻の発言は直接の言葉でなく、語り手を通じて伝えられ、物語に入り混じっています。
ロングショットの長回しが単調な映像を送り続けるように、《説明》ばかりを続けることは単調な印象を読み手に与える危険があります。
もちろん小説は常に込み合って賑やかな印象ばかりでできている訳ではありません。《説明》によって、あえて詳しく語らないことで、読み手に想像力を発揮する余地を与えることができます。
また後続の緊迫するシーンが連続する前に、あえて距離を置いた冷静な《説明》を挟むことは効果的かもしれません。
裏を返せば《説明》は葛藤を語るには向かず、むしろ葛藤が解消されるような視点から語るのに向いています。
確かに説明には弱点がありますが、説明抜きには(とくに大規模な)物語は成り立ちません。複数の互いに隔たった場面を結びつけ、あるいは引き合わせるのは、《説明》の、離れたところから対象を扱うアプローチが有効です。《説明》は、物語に大きな継続性と統一性を与える役割があります。《説明》よって、語り手はまた、ある場面から別の場面へ自由に移動する能力を得ます。
基本的に《説明》だけで組み立てられている昔話などのジャンルでは、退屈すぎないために(今では大げさに思える)修飾が加えられていました。
またヴィクトリア朝時代の作家たちは、今ではずうずうしくとられるだろう大胆さで、物語の途中で何度も登場し、外から物語について語り、読者にいろいろ要求さえして、物語を再開させました。
ロシア文学の大規模な物語を扱う小説でも、複雑な出来事を結び合わせたり、それらを理解するための背景を説明するのに、《説明》がかなり前面に出てきます。
しかし今日では、あまり《説明》に派手な振る舞いをさせることは好まれません。《場面》の比重が大きくなり、《説明》はなるべく目立たぬように使われるようになりました。
したがって《説明》以外の表現が使える小説では、《説明》の単調さを補完するために、無理に《説明》を飾り付ける必要はないでしょう。むしろ《場面》や《描写》とともに、それぞれの長所を出しあい、役割を分担しあう方がよいでしょう。
あまり出来事の生じない《場面》は、一本調子で物語を進めすぎる《説明》と同様に、退屈です。
《場面》を使い過ぎる前に《説明》を、《説明》を使いすぎる前に《場面》を、使うことを心がけるだけでも、小説全体にリズムが出てきます。
最初のうちは、プロットから《場面》で扱う部分と《説明》で扱う部分を先に決めておくのもよいかもしれません。
4 《描写》を克服しよう
史伝は説明なり。小説は描写なり。
(永井荷風「小説作法」)
《説明》が物語を足早に進ませるものだったのと反対に、《描写》は物語の中にスローモーションや時にはストップモーションを持ち込みます。
《描写》が言葉を尽くして詳しい様子を伝えようとする間、物語(で語られているもの)は動きをゆるめ、その地点で足踏みして、時にはピンで止められた昆虫標本のように、動きを止めます。
小説の文体は、《場面》の臨場感と《説明》の俯瞰、《説明》のロングショット/コマ落としと《描写》のクローズアップ/ストップモーションなど、を使いこなすことでリズムをもち、一本調子で退屈な語りから離脱します。
さらに《描写》は、(まともな)小説にはなくてはならない役目を果たします
女は白足袋のまま砂だらけの椽側へ上がった。歩くと細い足のあとができる。袂から白い前だれを出して帯の上から締めた。その前だれの縁がレースのようにかがってある。掃除をするにはもったいないほどきれいな色である。女は箒を取った。
「いったんはき出しましょう」と言いながら、袖そでの裏から右の手を出して、ぶらつく袂を肩の上へかついだ。きれいな手が二の腕まで出た。かついだ袂の端はじからは美しい襦袢の袖が見える。茫然として立っていた三四郎は、突然バケツを鳴らして勝手口へ回った。
(夏目漱石「三四郎」)
「茫然として立っていた三四郎は」とあるので、ここまでがスローモーションだよ、と分かりやすい箇所です。
三四郎はただ「茫然として立っていた」訳ではなくて、ここに《描写》されている女の人を「呆然と見ていた」のです。正確にいうと、ここに《描写》されているように、この女性を見ていたのです。つまり《描写》されているのは、女性の姿や動きではなく、三四郎の女性に向けるまなざしの方です。このすけべ。
現代では、映画だとかマンガだとか、映像で物語を楽しむことが多いので、《描写》というと無自覚に〈映像の代わり〉扱いされることが少なくありません。
作者の頭のなかにあるイメージをどう言葉に写しかえたらいいか、みたいなことを悩む人までいます。ああ、もっと表現力を、そしてボキャブラリーを、というのですが、映像と言葉は、それぞれが得意なことをさせた方がよいのです。
例えば「見ること」そのものを見ることはできませんので、「まなざし」のようなものは直接に映像化できません(だからこそ、どんな絡め手でそれを見せるかが映像作家の腕の見せ所なのですが)。言葉の力で成り立つ漱石作品を原作とする映画が、ほとんど失敗に終わっているのがその例証です。
逆に、映像を言葉に写しかえるだけだと、引用したような表現になりません。
掃除しなきゃならないほど、歩くと足のあとが残るほど汚れた縁側に、よく分からない模様の着物を着てぼけっと座っている、このふしぎちゃんの女性が、これまた汚れることに無頓着に白足袋のまま掃除をはじめても「(レースのようにかがられた前だれの縁が(細かい!))掃除をするにはもったいないほどきれいな色である」なんて、言ってやる必要もない、というか、本当にどうでもいいのですが、こうした細部の積み重ねが、ヒロインが一向に魅力的に見えないのに(普通はヒロインを読者にとって魅力的にすることで主人公が夢中になるのも無理ないという方向に持っていくのに)、三四郎が自分でも何だかよく分からんままに惹かれていってしまうことには納得させられてしまうのです。
そして、ここのところが納得させられないと、『三四郎』という小説は小説として成り立ちません。
グリム童話が「ずいぶんといろいろなものを見てきたお陽さまでさえ、そのお姫さまの顔を照らしてみるたびに、とてもきれいなのでびっくりするのでした。」といって済ませることができたこととの違いです。
まとめましょう。
《描写》は、作者のイメージを読者のアタマに写しかえるために書かれるのでありません。
説明(要約)が物語を進めるために書かれるのに対して、《描写》は物語に説得力を持たせるために、いえもっと強く、物語を成り立たたせるために、書かれます。
むしろこれを小説の定義としてもいいくらいです。
なぜ小説に《描写》が不可欠なのかといえば、小説とは、《描写》をフィクションの根拠とする文学であるからです。
物語全体がその上に成立するような最大の謎(なぜwhy)に対して、別の理屈やデータを外部から持ってくるのでなく、作品内の《描写》(どのようであるかhow)で応じるもの、と言い換えることもできます。
小説はもちろんウソ話(フィクション)です。
しかしウソなら何でもよいのかといえば、そうではありません。
小説書きがミューズに問われているのは、次のような問いです。
「汝、この偽りごとを何を持って贖(あがな)うや?」
小説書きは答えます。
「描写によって! 見ることができぬものさえ描く描写によって!」
そんなすごいこと初心者には無理?
大丈夫、描写が下手な物書きはいっぱいいます。ほとんど説明と会話だけで済ませる人もいます(世の中には「街行く人の10人に1人は振り返って確認してしまうほど美しい女性」というのを描写だと思っている人もいるのです。これは説明です。しかも下手です)。プロでもいます。
ミューズは、債務超過になっても、ペンやワープロを差し押さえるほど度量が狭くありません。
5 小説の文章を身につけるには?
会話について触れたところで、「会話が他の部分より書きやすく感じるとしたら……小説だけでないさまざま物語に触れる際に最も意識してきた部分だから、それなりのストックが書き手の中にも蓄積されているから」と書きました。
同じことが《場面》《説明》《描写》のすべてについて言えます。
《場面》《説明》《描写》を、書けるようになりたいのならば、そうした部分に自覚的に意識を注いでストックとしていくべきです。
つまり少々大げさすぎるくらいに、自分が書くときはもちろん、他人が書いたものを読むときも《場面》《説明》《描写》を意識してみましょう。
といっても、普段の読書生活に支障をきたすかもしれませんから、特別にそうした機会を持つとよいと思います。
よくできた短篇を選んで、最初から、ここは《場面》か?《説明》か?それとも《描写》か?印をつけたりマーカーを使ったりしながら、ひとつの作品を〈腑分け〉してみましょう。
やっていくと、この3つの区別だけでなく、普段意識していなかったスムーズで自在な切り替や、それ以外にも小説が使っている様々な細かな工夫や技にも気づくようになっていきます。
細部を読み取ることができるようになるのが、細部まで書き手の意思の行き渡った文章を書く唯一の道です。
才能は、技術に御せられた狂気です。
狂気を学ぶことはできませんが、技術は学ぶことができ、また自分で高めることができます。
(参考文献)
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小説の技法―視点・物語・文体 レオン・サーメリアン,西前 孝 旺史社 売り上げランキング : 302030 Amazonで詳しく見る |
サーメリアンは、《場面》《説明》《描写》を学ぶ/実例として研究に値する作品として、それぞれつぎの作品をあげています。
・《場面》の実例として研究に値する作品
ヘミングウェイ短篇集 (ちくま文庫)
ヘミングウェイ,西崎 憲
筑摩書房
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「ヘミングウェイは研究に値する「場面の作家」である。行動の再創造を支えているのはその文体である。主題の選択という点ではむしろ狭い作家であるが、技法の面ではヘミングウェイは常に興味ある作家である。彼は、集中的で切り詰めた文章を必要とする短編小説において抜きん出ている。」(p.24-25)
・《説明》の実例として研究に値する作品
ポールの場合
柿沼 瑛子,鳴原 あきら(Narihara Akira),鈴木 薫,鳴原 あきら,純原 悠漓
密林社
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「ウィラ・キャザーの「ポールの場合」は、殆ど全てが《要約》あり、がっちりとした段落が連続していて、直接的な対話で途切れることはない。我々はポールが何気なく数語話すのをただ一度聞くだけで、二度と彼の言葉を聞くことはない。また、物語の中で他の登場人物が話すのを聞くこともない。それでいて感動的な物語であり、劇的な主題が非劇的な形式で扱われた一つの典型になっている。」(p.31)
・《描写》の実例として研究に値する作品
ボヴァリー夫人 (河出文庫)
ギュスターヴ・フローベール,山田 ジャク
河出書房新社
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「『ボヴァリー夫人』は注意深く無駄を省いて書かれているけれども、厳密な意味で言う劇的な物語が構築されるよりももっと雄大な叙事詩的規模で構築されており、その基本的な方法は場面と描写の組み合わせである。フローベルの場合、要約は殆ど同時に描写的である。この長編小説の魅力と迫力は言葉による絵画的描写にあり、我々の記憶に残るのは、登場人物が演じる場面よりもむしろその素晴らしい描写の方である」(p.58)
「『ボヴァリー夫人』における行動は、描写の段落によってたえず中断される。そして特に第一部について言えることであるが、対話によって展開される場面が相対的に少ない。しかしそれにも拘らず、この書物を読むとき、我々は「直接性」を感じる。描写的要約の方が場面よりもずっと生き生きしているのである。鮮やかに具象化され、綿密に観察された細部が全ての事柄に現実味を与えている。」(p.58-59)
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