少しでも文章を書いたことのある人なら誰でも、滑るように快調に書き進んでいた手がいつしか重くなり、そのうち行き詰まってしまった経験があるだろう。
     そして行き詰まったまま途中で放り出してしまった、未完結の文章がいくつもハードディスクの底に眠っている。
     まだ書き始めていない人が「何をどう書いたらいいのか分からない」というのは、まだ分かる。
     けれど、さっきまで散々書いていた人が、「何をどう書いたらいいのか分からない」状態に陥るのはどうしてか?

     初期の知覚研究が錯覚を研究対象にしたように、あるいは誤答の研究が問題解決の重要な部分を明らかにしたように、「書けない」ことの分析は「書くこと」の本質のようなものに光を当てるかもしれない。

     正解かどうか分からないが、答えの一つはこうだ。



    内なる仮想の読み手

     我々が何か書いているとき、話すときなどと違って、受け手がいま目の前にいる訳ではない。
     つまり話すことと違って、受け手(聞き手)からのリアルタイムの反応を受け取り、それによって何をどのように話すのかについて不断に調整する、といったことができない。
     フィードバックを受け取るために、書き手は、自分の中に仮想の読み手をつくり上げる。
     仮想の読み手は、書き手の内にいるが、機能的には書き手から一応独立している(仮想の読み手は、書き手の言いなりにならない)。
     書き手は、多くは無意識に、自分の内の仮想の読み手の反応を受け取って、何をどのように書くのかを、不断に調整していく。
     これが我々が執筆している間に生じていることである。

     仮想の読み手から得られるのは、多くはネガティブなフィードバックだ。
     「そっちじゃない」「それ、やりすぎ」「そんなのでほんとにいいの?」という否定的な反応があるからこそ、我々が書く文章は、そうひどくは道を踏み外さなくて済む。

     書き手自身の言いなりにならない仮想の読み手を構築するために、書き手は自分以外の言葉や思考や論理やルールや価値観、あるべき理想などを素材としてかき集める。
     仮想の読み手からのフィードバックのおかげで、書くことは真っ暗闇の中をデタラメに走り回るようにはならない。
     書いたものは支離滅裂でなく、完璧ではないにしてもいくらかのまとまりを持ったものになる。

    writeread in the brain

     仮想の読み手は、大げさに言えば、書き手の内側に仮構された社会だ

    あるいは、社会とは、内側に〈仮構された社会〉を持つ人たちによって/彼らのやりとりを通して、構築され維持されるのだと言ってもいい。

     そして、誰でもない仮想の読み手に読まれるように書くからこそ、そうして書かれた文章は不特定多数の読み手に対して開かれたものとなる。
     書き手以外の人にも、書き手がまだ知らない誰かにも、読むことができるものになる(可能性を持つ)。
     書いたものがただ物理的に存続するだけでは、書き言葉は集団や共同体や時代を越えて広がる可能性を持たなかっただろう。
     
     仮想の読み手が、書き手の言いなりにならないことは不可欠なことだが、しかし、良いことばかりではない。

     あなたの心の何処かから浮かび上がる、文章に対する自己否定的な思考や感情はもちろん、言いなりにならない仮想の読み手から生じてくる。
     「小学生向きの小説の書き方」で紹介した、書き手を苦しめ、その自由を奪い、最後には書けなくしてしまう「内なる編集者」もまた、この仮想の読み手の別名なのだ。





    書くことは何故苦しいのか?

     書くことは何故かくも苦しいのか?
     それは、書くことが半ば必然的に自己を分裂させるからだ。

     書く際に、前に進む力も、それを留める力も、我々の内側から生じてくる。
     一方向の情動ならば、我々を翻弄するにしても、我々をかくも激しく引き裂いたりはしない。
     互いに背き合う力が、書くことには必要だ。

     しかし、その力はしばしば、書くことに対して破壊的に作用する。
     書き手を苦しめ、書く手と心に鎖をかけ、すでに書き終えられたものすら廃棄させたりもする。

     事が書くことの本質に根ざすのであれば、回避することはできないのだろうか。
     イエス。
     しかし我々は何もできない訳ではない。


    ではどうすればいいか?

    (1)受け入れる

     一番手っ取り早く効果が高いのが(人気はイマイチだろうが)、仕方がないと受け入れることだ。

     実は、先程までの長い前口上は、そのために(何も失わないという意味で都合の良い解決策を断念するために)書かれている。

     書くことが要請する自我の分裂は〈仕様〉だと認めることは、あまりなぐさめにはならないが、皆が同じ状況にいることを気づかせてくれる助けにはなる
     そして、痛みに必要以上の関心を払うならば楽しむ機会をいくらか失ってしまうだろうということを、思い出させてもくれる。

    自分が本当に凡庸であると認めることは、思った以上に難しい。

     苦痛は決してゼロにはならない。
     が、それが何故かを知ることは、少しは苦痛を耐えられるものにする。
     本当に苦しいのは、苦痛そのものではなく、苦痛が無意味であることだから。

     加えて、ひとつ良い知らせがある。
     このブログでも繰り返し(こことかここで)書いてきたように、不安や恐怖などの悪感情は、回避すればするほど悪化増強する性質がある。
     苦痛を受け入れることは、その反対の結果を生む。すなわち、それ以上ひどくならないという効果が得られる。


     以下に続く、長くないリストの方法は、苦痛を回避するために常用すると逆効果であるという認識を、利用の前提とする。
     
     
    (2)象徴的に殺す

     前に小学生向きの小説入門を書いた時は、こうした書くことについてのダークサイドについては触れずに済ませた。
     過保護で気の利かない、悪い意味での大人的な気遣いだったと思う。
     代わりに内なる編集者を象徴的に殺す儀式を置いた。
     概して、子供は大人より「ごっこ遊び」が得意で、本気で打ち込める。

     これは科学というより呪術に属するアプローチだが、呪術の本質を理解すれば、その効果は予測できる。
     呪術が扱うのは、融通無碍で様々に定義し直せる《状況》という奴である。
     状況を定義し直すことで、事実それ自体は変わらなくても、事実の意味は変わる。

     再録しよう。

     君のなかの編集者を追いだそう

     君が書いたものに、下手だとか、クソだとか、いろいろ言ってくる奴がいるだろう?
     そう、君の心のなかにいる奴だ。

     そいつは男だろうか、女だろうか? 若い?年寄り? 何を着て、どんな顔をしてる?
     姿を想像して、下の箱の中になるべく詳しく描いてみよう。

    InnerEditor.png

     描けた?
     そしたら、切り抜いて4つに畳んで、タンスの奥か、洗濯かごの底か、机の下の引き出しに突っ込むか、なんなら君のペットの犬小屋に預けてしまおう。
     さあ、これでもう、君が書くのを邪魔する奴はいない。



     バカみたいだが、強すぎる「内なる編集者」の力を、一時的にだが弱める効果がある。
     書けなくなっている人が書き始めるには、それで十分なことも多い。
     ポイントは、クソ真面目に本気で取り組むこと。時間は数分もかからない。



    (3)速さで振り切る

     反省的思考は、認知的リソースを消耗するから、それほど素早くはない。
     
     以前、紹介した以下の方法は、内なる仮想の読み手を一時的にであれ置き去りにするアプローチである。



     ポイントは、制限時間を設けることである。

     これも再録しよう。



    (1)このワークに取り組む時間を決める

     1セット15分とか20分でやってみる。
     もっとやりたくなったら、もう1セット繰り返せばいい。

     
    (2)タイマーをセット

     紙(ノート)と筆記具、あるいはパソコンとテキストエディタなど書くために必要なものを準備する。それからタイマーを自分で決めた時間でセットする。


    (3)タイマーが鳴るまで書き続ける

     スタート。自分が決めた時間が過ぎるまで、何でもいいから、とにかく書き続ける。
     
     手を止めてはならない。読み返してはならない。消すなんてもってのほか。
     
     言うまでもないが、書き誤りや句読点や文法、改行や段落なんて気にしない。漢字が出てこないならひらがなでもカタカナでいい。レイアウトなんか犬に食わせてしまえ。

     しつこく言うが、文章を評価するあらゆる基準を無視すること。
     パクリ、月並み(クリシュ)でどこが悪い。
     筋道立てる必要だってない。さっき書いたことと、今加工としていることが、いやそれどころか主語と述語がチグハグだって、単語の繰り返しだって構わない。
     〈自己満足〉なんて僥倖(すごいラッキー)は期待するな。不満足のまま進め。
     っていうか考えるな。ひたすら言葉を吐き出すのだ。
     

    (4)もうだめだ、書くことがない、となったら

    「もうだめだ、もう書くことがない」と書け。なんでこんなことしなきゃならないんだ、と思ったら、そう書け。とにかくタイマーが鳴るまで手を動かせ。


    (5)ヤバイところに突き当たったら

     怖い考えやヤバイ感情に突き当たったら(高い確率でそうなる)、「ようやくおいでなすった」と思って、まっすぐ飛びつけ。少なくとも書こうとせよ。
     おそらくは、それが書くことを邪魔してるメンタル・ブロック(か、それにつながるもの)である。
     同時にそれは、どこかで聞いてきたようなお行儀のいいコトバ以上(以外)を書くためのエネルギーの源泉になる。




    (4)思考を離れ感覚にもどる

     手の動きが止まり、指先から生まれる言葉より、頭の中をぐるぐる回る言葉が上回りだしたら、それをねじ伏せようと頭がヒートアップしてますます訳が分からなくなるなったら、スイッチを切り替えるために感覚に戻る手がある。
     
    ・涼やかな音がする小さな鐘を用意しておいて、その音に耳をすませる
    ・もふもふしたものを両手の中につつんで、もふもふする
    ・匂い袋を用意しておいて、匂いをかぐ

     そうして文章に戻る際にも、感覚器官が受け取った刺激を言葉に変換する一種の機械になったつもりで、言葉をしばらく出力していく(不要なら後で消せばいい)。
     自分の内側に言葉を探すのでなく、刺激を言葉に逐語変換するような感じで。

     慣れると、外部の刺激なしにも〈感覚器官モード〉に切り替えられるようになる。



    (5)アクターを増やす
     
     書き手としてのあなた v.s. 内なる仮想の読み手

    という1対1の関係が煮詰まる原因だとすれば、そしてどちらも取り除く事ができないのだとすれば、関係を変えるためにできるのは、減らすより増やすアプローチということになる。
     事態はよりややこしくなるので、書くために使える認知リソースが余分に消費される欠点があるが、しかし場合によってはデッドロックを回避する妙手になる可能性がある。
     

    (a)特定の読者を想定する
     ある意味、伝統的に活用されているアプローチである。
     不特定多数のまだ見ぬ読者を代替するのが〈内なる仮想の読み手〉だとすれば、ひとつの方法は、特定の読者を想定してその相手に向けて書くことである。特定の読者を味方につければ、〈内なる仮想の読み手〉からネガティブな反応が返ってきても「いや、こういうのが〈特定の読者〉は好きなんだ」「こういうのを求めてるのだ」と反論できる。
     利点はそのまま欠点にもなり、うまく扱えなければ、〈内なる仮想の読み手〉と〈特定の読者〉がタッグを組んで、書き手のあなたを責めさいなむこともあり得る。

    (b)架空の書き手を導入する
     読み手でなく書き手の方を増やすアプローチである。
     例えば誰か特定の人物のゴーストライターをやっているという想定で文章を書く。
     稚戯のようだが、本当のあなたなら書かない(〈内なる仮想の読み手〉が許さない)ようなことも書くことができるのに気付くだろう。
     これもまた文学では伝統的なやり口である。


    (参考文献)
     
    〈内なる仮想の読み手〉というアイデアは、岡本夏木『ことばと発達』やG.H.ミード『精神・自我・社会』を参考にした。

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    G.H. ミード,Georgr Herbert Meed,河村 望

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    時間がない人のための要約

    ・長い文章を書くにはアウトラインプロセッサが便利

    ・アウトラインプロセッサは、
    (a)文章の論理構造
    (b)(執筆中に直面する)文章の複雑さ・長さ
    の両方を、書き手が随時コントロールしながら執筆するための道具


    ・アウトラインプロセッサを使うと〈今できるところから〉書くスタイルがとりやすい

    ・《発想》《構成》《剪定》の作業を分けると効率が良い




    まず、

    ・何故この世界にアウトラインプロセッサなんてものが存在するのか

    そして

    ・アウトラインプロセッサが何をもたらすのか

    について解説し、その後、

    ・アウトラインプロセッサを使って書く実際の作業プロセス

    の一方法について説明する。



    アウトラインプロセッサとは?


     辞書的に言えば、アウトラインプロセッサとは、文章の構成(アウトライン)の組立てや章・節の構成・変更を容易にする機能を備えた文書作成支援ソフトウェアである。
     英語ではoutlinerという呼称が一般的である。

     以下ではまず、アウトラインプロセッサならば必ず登載されている基本機能について説明しよう。

    ※以下の説明はアウトラインプロセッサ機能を持ったテキストエディタやワープロソフトにも当てはまる
     

     
    章や節や段落などを階層化されたブロックとして扱える


     アウトラインプロセッサでは、インデント(字下げ)を使って、文章の部分部分をひとかたまりのブロックとして扱い、ブロック同士を階層化できる。
     例えば、章タイトルのブロックに下位項目としていくつかの節タイトルを従属させたり、節タイトルに下位項目としていくつかの段落を従属させることができる。

     下の3つの例で囲まれているものは皆ブロックである。

    block3.png


     下の例で「構成を考えることから文章書きに着手するのに便利」という項目には、

    ・元々、アウトラインプロセッサはこのためのもの
    ・(ある程度以上の長さの文章だと)最初から最後まで止まらず迷わず書き抜ける人はあまりいない
    ・既存の構成(フォーマット)を選択し採用することも含めて
    ・構成(アウトライン)は、文章(文)レベルでなく、単語レベルで作成可能
    ・書きたいことと書くべきことのバランス

    という5つの下位項目が従属している。

    block2.png


    下の例で、「アウトラインプロセッサを使うメリット」という項目には、
    ・構成を考えることから文章書きに着手するのに便利
    ・発想と構成の作業を分離できる
    ・(総じて)常に〈今できるところ〉から文章書きの作業に着手/再開できるよう支援するソフトウェア

    という3つの下位項目と、それらに従属する更に下位レベルの項目が、従属している。

    block1.png


     こうして文章の階層構造を持ったブロックの集まりとして扱うことが、アウトラインプロセッサとこれを用いた文章作成の中核である。
     
     そのため、アウトラインプロセッサでは、インデント(字下げ)で階層構造化したブロックごとに以下のような操作ができる。

    ブロックごとに表示したり隠したりできる

     このご利益は、文章の構造(アウトライン)だけをみたり、細部を表示したりできること

     例)各章の見出しだけを表示して、全体構造を見る

       outline-toplevel.png


     例)ある節だけ細部まで展開して、現在検討中の範囲(だけ)を表示する
     
       outline-detail.png

     

     この機能によって、長く複雑な文章のうち、必要に応じて現在検討中の範囲やレベル(だけ)を表示し編集することができる。
     言い換えれば、複雑で長い文章を書く際、執筆者が取り扱える限度に、常に複雑さや長さをコントロールできる訳である。



    ブロック単位での編集が容易


     普通のテキストエディタやワープロの文書編集機能に加えて、ブロック単位でのコピー・移動・階層移動が行える。

     ブロック単位で階層レベルを上下に変更

    例)章を節に格下げ、節を章に格上げ

     ブロック単位で位置(前後)を入れ替え、移動

    例)1章の中にある節を、その中にある段落ごと、別の章に移動する

     ブロック単位でのコピー

    例)ある章を、その中にある節・段落ごとコピーする



    アウトラインプロセッサを使うメリット


     では、こうしたアウトラインプロセッサの機能は文章作成に何をもたらすだろうか?


    構成(アウトライン)先行の文章作成

     その名が予告しているとおり、アウトラインプロセッサは、構成(アウトライン)を考えることからはじめる文章作成をサポートするものである。
     
     ある程度以上の長さの文章だと、最初から最後まで止まらず迷わず書き抜ける人はそう多くない。
     行き当たりばったりの文章作成は書きなれた人にとっても危険が多い。
     何を書いていいのか分からなくなって行き詰まり、何を書いているのか分からなくなって踏み迷う。
     加えて必要に迫られての文章作成は、制限事項や必要事項がほぼ必ず着いてまわり、おまけに締切りが追ってくる。
     
     制限事項を守り、必要事項を盛り込み、締切りに間に合うよう速く、しかも少しでも楽に書くためには、既存の構成(フォーマット)を選択し採用することも含めて、まず文章のまず構成(アウトライン)を考えた方がよい。
     構成づくり自体は、最初から完成形の文章を書き始めることに比べれば、はるかに時間も労力も少なくて済む。
     というのも、構成(アウトライン)づくり自体は、文章(や文)を書かなくても、単語・フレーズのレベルで可能である。
     むしろ短い言葉で書いた方が、入替えや並べ替えがしやすく、ああでもないこうでもないと構成をいじりやすい。
     短く言葉でコンパクトに書くことで全体を一目で見る(一望する)ことが容易になる(アウトラインプロセッサのブロック単位の表示・隠し機能もこの一望性に貢献する)。
     また単語レベルで構成を考えると、つなぎ言葉など前後の文脈を規定する言葉は除かれ、位置・階層レベルを変えるだけで各項目の関係を組み直せる。
     文章作成の他の作業から構成づくりを取り出すことで、構成の作成・変更の作業を軽くし、文章作成全体の作業を軽減することになる。


    文章構成の一望化
     
     アウトラインプロセッサを使うことは、単に構成づくりの作業の分離を促すだけではない。
     文章作成の全過程で、文章の構成を念頭において作業することが容易になる。
     ブロック単位での表示・隠し機能を使うことで、全体の構成を俯瞰したり、細部に集中したりといった切替えが自在にできる(文章のズームアウト/クローズアップ)ので、《過度の複雑さのために構成》の作業が混乱・停滞する危険を減らす。
     またインデントにより構造化しつつ書くことになるので、常に何が文章の幹であり何が枝であるかが明確であり、また明確化することを求められる。すなわち文章の論理構造を自覚的に取り扱うことになり、そのトレーニングにもなる(俗っぽく言えばアタマが良くなる)。

     アウトラインプロセッサを使うことで、構成づくりの作業のはじめからおしまいまで、論旨の迷走や構成の破綻が起こりにくくし、起こった場合にも修正ができるだけ容易にできるように支援する。
     

    発想と構成の分離

     文章作成の他の作業から構成づくりを取り出したように、アウトラインプロセッサの使用は、発想と構成の作業を分離することを助ける。
     この二つを分離すべき理由は次の通りである。
     発想(思いつき)を促進するためには、できるだけ制約条件を外し、判断すること・結論を出すことを控えるべきである。
     構成はこれとは逆に、たとえば章・節・段落・文の包括(上下)関係や前後関係などを制約条件として、考慮に入れておこなわざるを得ない。文章の各部分は互いに依存し合い制約し合うから、このことは必然である。
     正反対の志向を持つ2種類の作業は、できれば分離して行った方が互いに邪魔し合う弊害が減じる。
     アウトラインプロセッサによる文章作成では、順序や階層レベルの変更を簡単にブロック単位でできることから、まず思いつくだけ書き出す(発想の作業)、しかる後、並べかえる(構成の作業)ことに専念する、といった作業の分離が行いやすい。
     後で見るように、本記事でも、そうした使い方を推奨する。
     

    〈今できるところ〉から着手する

     さらにもう一つ、アウトラインプロセッサは、人を最初から順番に書くことから解放し、〈今できるところ〉から文章書きの作業に着手/再開することを支援する。
     最初に全体の構成を考えて書くこと自体、文章を順番に書くことからの逸脱だったが※、文章を構成する部分を発想することも、それを並べ替えて構成をつくることも、粗い構成を細分化していくことも、それらを最終的に文章化することも、どれも文章の順序どおりに行う必要はない。

    ※建物を建てる際、北西角の一角を完成させてから他の部分を建て始める、といったことはしない。基礎全体を作り、土台を敷き、柱などの建方へと作業は進んでいく。構成を考えてから文章作成をはじめることは、これに比較できる。
     
     アウトラインプロセッサを使った文章作成では、文章の構成要素を階層化されたブロックとして扱うといったが、その階層はいつでも並べ替え・組替えが可能であり、また容易である。あとでいくらでも順番を変えることができるものして文章を書いていくのだから、「最初から順番に書く」ことに拘泥するのは無意味である。
     また、最初に全体構造を組み立てることから始めたが、アウトラインプロセッサを使っていれば、どれだけ書き進んでも最上位の章立てレベル以外を隠して、全体構造が一望できたところにいつでも何度でも戻ることできる。
     自分が書き出した込み入った文章に言葉のジャングルか迷路のように迷いだしたら、いつでも上空から迷路全体を俯瞰することだってできる。
     つまるところ、すでに大まかな構成はできているのだから(そして大まかな構成をやり直すことだっていつでもできるのだから)、好きなところ書きやすいところから書いていっても、どこにも行き着かず迷走することはない。
     
     
     以上が、何故この世界にアウトラインプロセッサなんてものが存在するのか、そしてアウトラインプロセッサが何をもたらすのかについて述べた一般論である。
     以下では、実際はどんな風にアウトラインプロセッサを使っているかを紹介するが、あくまで一個人の使い方なのでクセや偏りがあるはずなので、補完するために上記の一般論を先に置いた。




    アウトラインプロセッサを使った文章作成のプロセス


     アウトラインプロセッサを使ったは、次の三つのパートに分かれる。
     1.アウトラインづくり、2.アウトラインの剪定、3.文章化

     実際は、この3つを行ったり来たりすることになる(長い文章ほど往復する回数は多くなる。今回の文章程度だと2往復くらい)。
     


    1.アウトラインづくり


     アウトラインづくりは、基本的にトップダウンの作業となる。
     まず全体の構成をつくり、それを細分化・詳細化していくことで、アウトラインを成長させていく。
     
    (1)最上位レベル


    (a)既存のフォーマットの選択・採用


     最上位レベルの構成は、文章のジャンルや分野にある既存のフォーマットを使うことが多い。
     理由には、書き手側の利益だけでなく、読み手の利益も含まれる。すなわち、

    ・すぐ取り掛かれる(何から書き始めるのか迷わなくて済む)

    ・安定した効果を期待できる

    ・読み手の想定を裏切らず読みやすい


     逆に言えば、読み手の想定を裏切る必要のある文章を書く場合は、その限りでないことになる。
     しかし実際は、物語のようなものでも、最上位レベルに関しては、既存のフォーマットにしたがっていることが多い。
     
     先に述べたように、アウトラインはいつでも、どんなレベルでも変更可能だから、後で変えることになったとしても、最初は既存のフォーマットからスタートする手もある。
     
     過去記事で、文章の種類やジャンルごとに既存フォーマットについて述べたものは、以下の通りである。参考にされたし。


    ・実用文のフォーマット




    ・論文のフォーマット




    ・手紙文のフォーマット




    ・読書感想文のフォーマット




    ・物語のフォーマット
     




    (b)書きたいことと書くべきことを箇条書きする


     しかし既存のフォーマットは汎用であるために中身がない。
     様々なことに用いることができるよう、わざと空白にしてある。
     
     したがって、既存のフォーマットを使うにしろ使わないにしろ、何を書こうとするのか、書き手であるあなたが決めなくてはならない。
     そして、○○について書こうと決めたら、今度はそのためにどんなことを書かなくてはならないかについても考えなくてはならない。
     書きたいこと(want to write:WTW)と書くべきこと(need to write:NTW)は、アウトラインの必須項目である。
     既存のフォーマットは文章のおおまかな順序や構造を与えてくれるだけでなく、空白を書き手に差し出すことで、書きたいこと(WTW)と書くべきこと(NTW)を呼び出す呼び水となるものである。
     
     《発想》と《構成》の作業を分けて行う基本ルールに従って、まずは書きたいこと(WTW)と書くべきこと(NTW)を、思いつく限り書き出してみよう。
     長い文で書いてしまうと取り回しが悪い。
     この段階では、やや言葉足らずでかまわないから、単語かフレーズの形で思いつきを書き並べていく。もちろん順序は問わない。

     書きたいこと(WTW)と書くべきこと(NTW)以外に浮かんできたものも、とにかく書き出そう。
     現時点で不明なこと、書くに当たっての懸念、その他、書くべきでないことや、とくに書く必要でないことも出てくるに違いない。
     にごった井戸を澄んだ水が出てくるまで汲み上げるようなもので、無駄に思えるものを外に出した後に、採用すべき思いつきが出てくることも少なくない。
     
     書き出せるだけだしたら、軽く分類するなり、既存のフォーマットに当てはめるなりすれば、スタート地点としての最上位レベルのアウトラインは、とりあえずできたことになる。
     
     なお、不要にみえる項目も削除せず、(ゴミ箱)という項目をつくってその下位項目として移動しておくことをお勧めする。
     最終稿の中に生かされなくても(そして一見まぬけに見えても)、こうしたジャンク項目はひそかに書き手の知性と動機付けの水位を上げてくれているのだ。
     
     
     では、次の細分化の作業に入っていこう。


    (2)細分化の作業


     ここまで着たら、大まかな項目が箇条書きとして並んでいるはずである。
     これ以降、それぞれの項目を細分化・詳細化していくことで、アウトラインを成長させていく。
     
     大原則は〈今できるところから〉行うである。
     詳細化は、項目によって難易の差が大きい。向こう見ずに最難関から突破しようとせず、最も取り組みやすそうなところから手をつけることを勧める。
     
     細分化・詳細化には、今の時点では抽象的に、あるいはぼんやりとしか分かっていない/考えていない事項について、より詳しく何であるのか(あるべきか)を突き止め、議論を詳細化し深めていく必要がある。
     
     具体的には、それぞれの項目について、自問自答を行っていくことになる。
     つまり、いま詳細化しようとしている項目を「問い」として捉えて、その答えを、下位項目として追加していくのである。
     そうしてでてきた下位項目についても問答を行い、さらに下位項目を追加していく。
     この繰り返しでアウトラインの細分化を行っていく。
     
     どのような問答を行うべきかは、書いている文章やアウトラインの段階によって様々だが、よく使われる問いを並べてみると以下のようになる。

     ・「~とは何か?」-本質:定義を導く
     ・「言い換えると?」-説明・言い換えを導く
     ・「具体的には?」-説明・事例を導く
     ・「どんな例があるか?」-例示を導く
     ・「何故そう言えるのか?」-根拠を導く
     ・「その後は?」ー帰結・結果を導く

     作業の進め方は、最上位レベルでやったのと同様、《発想》と《構成》の作業をを分けて行うのがいい。

     まず《発想》の作業では、ここでも思いつく限りとにかく書き出していく。
     導きの問いを参考に、今のアウトラインの各項目に問いを投げかけ、あるいは問いの形にして、答えらしきものが浮かぶ限り書き出す。
     先に言ったとおり、無関係くさいものも、同考えてもハズレな答えも、とにかく書き出してしまった方がいい。
     うまい答えが出ないからと止まってしまうと、自分の中の検閲官に追いつかれてしまい、効率は落ちてしまう。
     そうした自己検閲をなるべく避けるために、《発想》と《構成》の作業を分けるのである。
     
     問答の答えを書き出し終えたら、《構成》の作業として、新たに書き並んだ下位項目をしかるべき順に並べ替え、不要な項目を削除せずゴミ箱項目に移し、作業中に他にも必要な項目が思い浮かべば追加していく。

     
     細分化は、今述べたように、何重にも繰り返す必要がある。
     一通りやり終えた後に、最初に手をつけた項目を見直すと、さらに細分化を続ける必要に気付くことがある。
     詳細化する過程で、書き手の理解が進み思考が深まったのである。
     
     言うまでもなく、この細分化の作業が、アウトラインづくりの中心であり、最も時間がかかるところである。
     


    2.アウトラインの剪定


    (1)アウトラインづくりは必ず行き詰る


     アウトラインづくりは、基本的にトップダウン、全体構成から細部へ進む作業になるが、そうそう一直線に下っていけば完成するものではない。
     
     大抵の場合、アウトラインが詳細になっていくと、どこかで行き詰ってしまい先に進まなくなる。
     たとえばいくつもの筋や要素が入り組んで見通しが極めて悪くなったり、本筋が何であるかが見えにくくなる。
     
     また手がける文章が長ければ長いほど、細部が出来上がってくると、最初に決めた全体構成のところどころに不整合や改善点が見えてくる事が多い。
     全体構成を決めたときには、文章を構成する細かい要素の隅々まで念頭において考えられた訳ではない。アウトラインを細分化する中で素材や構成と格闘しているうちに、そうした細部が持つ意味が見えてきたり、他の要素とのつながりが発見できることは少なくない。
     最初は必須に思えた要素がそれほど重要ではなくなくなったり、繰り返しが過ぎてうるさく感じるようになったり、不要部分や重複部分も目に付いてくる。
     もちろんすべての重複部分や不要部分を取り除けば済む訳ではない。冗長性のない文章は、踊り場のない階段のようなもので、読みづらく、かえって伝えるべきものを伝えにくくなる。
     
     重要なのは、この行き詰まりは、最初の目論見が甘かったことだけから生じているのではないことだ。
     今のあなたは、かつてのあなたと同じではない。あなたの知力は、このアウトラインに取っ組み合うわずかの間に、いくらか成長したのだ。だからこそ弱点に目が行き、改善すべき点に意識が向く。

     書くことは気付きを生む。
     人は理解したことを書くばかりでなく、理解するためにも書く。
     あるいは最初の理解を乗り越えるために書くのだとも言える。
     そうでなければ、今も書かれている多くの見返りのない文章は書かれぬままだっただろう。
     だから、これは良い徴候だ。つまり、ようやく本当に頭で考えることができる段階に来たということだから。
     
     細分化を進めてアウトラインが育ち切ったら(そしてアウトラインの繁茂が道をふさぎ出したら)、全体を見直す機会である。
     
     
    (2)剪定の作業


     樹木の剪定とは異なり、アウトラインの剪定は、取り除くだけではなく増補する必要も同じくらいある(アウトラインは樹木とは違い自力では成長しない)。
     それでもあえて剪定の比喩を使うのは、木の枝葉に近づきハサミを使った後、木から離れて全体像を見ることで成果を確認する、という作業が、ここでのアウトラインを整える作業に似ているからである。
     削除したり増補したりした後、その成果を評価するには、より広い範囲を見ながら行わなければならない。
     つまりアウトラインを整理する作業は、より上位の項目のレベルや全体構成のレベルにまで、繰り返し戻って確かめることが必要になる。
     
     上位レベルを参照しながら、次のようなことを確認する。
    論理的に破綻してないか?

    前後関係に問題はないか(まだ出てこない事項を参照したり前提にしていないか)?

    重複した部分はないか?→あればどれを生かすべきか?一方を「何章を参照せよ」にするか?複数生かすなら表現を変えるか?

    不要な部分はないか?→省略できないか?本文ではなく注記に回すか?


     こうしたことを確認しながら、アウトラインに対して移動と除去と追加を行っていく。

     
    (3)大きな変更が必要な場合


     部分的な手直しでは足りず、章立ての順序を入れ替えたり、一つの章を分割したり、また複数の章を合体したり、と大きく構成を変える必要が出てくるかもしれない。
     書かれている内容が同じでも、構成が変わると(順序の変更のようなものですらも)、文章はまるで異なったものになる。
     今まで手を掛けて育ててきたアウトラインほど、下手に手を入れたら台無しになりはしないか、と手を出しづらくなる。
     
     対策はいろいろあるが、一番簡易なのは、先のバージョンのアウトラインはまるごと残しておくことだ。
     こうしておけば、安心していくらでもいじり回すことができる。
     いじり倒してうまく行かなかったら、うまくいかなかったバージョンとして、それも残しておく。
     
     最終的にボツになるアウトラインにも、後で役立つヒントが含まれることがある。
     失敗をもたらした大胆な改造は、少なくともその時点では、少なくとも意図においては、採用すべきものがあったはずである。それを消してしまっては、心理的に、その良き意図ごと捨ててしまうことになる。
     失敗バージョンを残しておいた方が、あとでその意図をもっとうまく実現する成功バージョンが生まれやすい。
     
     
    (4)煮詰まったら違うフォーマットに変換してみる


     アウトラインプロセッサは、基本的にコンピュータの上で文書作成が完結するように作られたツールである。
     しかしユーザーはそれに縛られる必要はない。
     作業途中の文章がコンピュータの中にあるとつい忘れがちだが、ひどく行き詰ったら、あるいはいろいろ改変を試みてもうまくいかなかったら、手をつかって紙に構成を書き出してみるだけでも、思わぬ展望が開けたりする。
     箇条書きでもいいし、項目同士を線で結んでチャート化してもいい。表にまとめてみるのもいい。
     あるいは音声言語を使って誰かに概要を説明してみるのもよい。
     
     

    3.文章化の作業


     細分化と剪定を経て、アウトラインが十分に熟したら、単語レベルから完全な文・文章のレベルへ移行する段階である(実際は締切りが迫るとか外的な要因に促されて、文章化に進むことが多いが)。
     
     
     ここでも〈今できるところから〉着手する原則に従う。
     つまりアウトラインの文章化もまた、取り組みやすそうなところから、どんどん作業をしていい。最初からでなくてもかまわない。
     
     いきなり最終稿を作ろうとするより、ドラフト(下書き)のそのまたドラフト(下書き)を書くぐらいの感じで進めた方がスムーズに進み、手直しも案外少なくて済む。
     
     詳細化の作業がそうだったように、文章化してみることで、改めてアウトラインの過不足や順序の問題に気付くことも多い。
     つまり文章化を進めるうちに構成を変える必要はどうしても出てくる。
     丁寧にやるなら、1.アウトラインづくり や 2.アウトラインの剪定の段階にまで戻ってやり直すべきである。つまり《発想》《構成》《剪定》の作業をもう一度行うことになる。この章の最初に述べた「この3つを行ったり来たりすることになる」とは、このことである。
     大規模に変更する場合は特に、やり直した方が結局速く済む。




      
     今日は文章を書くことを、作業面から助ける提案を。

     知っている/やっている人には当たり前すぎる話だが、知ると知らないとでは執筆中の効率の面でも精神衛生の面でも大違いなので書く。


    コメントとは何か?

     プログラミング言語を用いてコンピュータに何か有用な作業をさせるための指示を書き上げることをプログラミングといい、書かれた指示のかたまりをソースコードという。
     ソースコードには、コンピュータが処理を行うときには〈ないもの〉扱いされる(つまり処理されることなく飛ばされる)が、覚え書きとしてコメント(comment)があちこちに挿入されることが多い。

     たとえばC++やJavaでは// 以降がコメントと見なされ、PerlやPythonでは、# 以降がコメントと見なされる。
     またHTML、Wikiでは、で括られた部分がコメントと見なされ、C、C++、Java、JavaScript、CSSでは、/* と */ で括られた部分がコメントと見なされる。

     重要なのは、コメントが、コンピュータには無視されるものであり、もっぱら人間のために書かれていることだ。


    Java のソースコードの例。

    // の後ろはコメントになる(緑の部分:行コメント
    /* と */ で括られた部分もコメント(赤の部分:ブロックコメント


     コメントが必要な理由は、他人が書いた場合や、自分が書いたものでも時間をおいてから読む場合には、なんでこんなソースコードになっているのか、その意図を理解するのが難しいからである。
     このためソースコードを書く人(プログラマー)は、このステップで何をしようとしているのか/何をさせたいのか、その意図などをコメントとして、ソースコードのそこ・ここに埋め込んでおく。



    思考過程を書き残す

     さて、人間が読むことになる文章を書く場合にも、このコメントを挿入しながら書いていくことを強力におすすめする。
     
     理由はコンピュータが読むソースコードの場合と同じ。
     たとえ書いた本人であっても、時間をおいてから読んだ場合には、本文だけを読んでもその意図を分からなくなる場合があるからだ。とくにいろいろ考え迷いながら、こんがらがりながら下書きを書いている場合はそうだ。
     文章のあちこちで、ここはどういうつもりで、本当は何を書きたくて書いているのか、思考の跡をコメントとして残しながら書くといい。
    「ここはもっといい例は無いのか?」
    「前の章と矛盾してる?」
    「ここまで言うのは言い過ぎでは?」
    みたいな本音とか頭の中のぶつくさ(ツッコミ、自己添削、悲嘆など)をメタ・レベルの記述として、本文とは区別できるようにして残しておくのだ。


    ◯思考過程をコメントとして残しながら書いている例
    #の後ろ(緑色の部分)がコメント

    comm-ex1.png
    Macintosh対応のCotEditorで、Perlのカラーリングを使用。




    選択肢をとっておく

     コメントをつかった書き方は、他にもよいところがある。
     最初から完成品を書こうとすると、これで本当にいいのかと、書く手が怖気づく。
     何通りもの書き方を思いついても、どれにすればいいか考え出し決めきれないと手が止まる。そんな時はすべて書き出しておいて「あとで選ぶ」とコメントしておけばいい。そして結局選ばれないものは、いつの段階でもコメント扱いしておけば、最終稿では本文に残らない。
     この、完全に消してしまうかわりに、コメント扱いすることで「ないことにする」のをコメントアウト(comment out)という。
     逆にコメント扱いをやめ、やっぱり使うことにするのをアンコメント(uncomment)といったりもする。
     コメントアウト/アンコメントをうまく使えば、迷って決め切れずに手が止まる事態を避けて、先に進むことができる。



    表に出せないことを書き残す

     コメントはさらに「本文には書いてはいけないこと」を忘れずにメモしておく場合にも使える。
     伏線だとか、表に出せない(出さない方がいい)設定などは、コメントとして残しておけば忘れないし、意識しながら書き進むことができる。
     話を面白くないものにする秘訣はすべてを語ることだと、ボルテールも言っている。



    アウトラインを流し込む

     書きながら挿入していくコメント本来の使い方とは少し違うが、あらかじめアウトラインができている文章(たとえば論文系の書き物)だと、アウトラインをコメントの形で流し込んで、その間に本文を挿入しながら書いていくこともできる。
     つまりアウトライン=意図(何を書くべきか?なぜ書くべきか?)の覚え書き、と考えてコメントとして扱う訳だ。
     アウトラインは最終稿でも章や節の見出しとして残ることも多いが、トピックセンテンスとして本文に溶け込むこともあり、また表に出る見出しには別の表現を使ったほうがよい場合もある。こうした場合は、アウトラインから持ち込んだフレーズはコメントアウトすればいい。
     何を書きたかったか/書くべきだったかはコメントの形で残るから、あとでもっと良いトピックセンテンスなり見出しに書きなおす場合や、複数の候補ができる場合にガイドとして役立つ。


    ◯アウトラインをコメントとして流し込み、そのあと本文を書いた例
    #の後ろ(緑色の部分)がコメント

    coom-ex2.png
    Macintosh対応のCotEditorで、Perlのカラーリングを使用。




     このように人間が読む文章の下書きには、コメントは様々な目的で使える。

    come3.png



     最初に述べたとおり、コメントはソースコードを書く際の作法だから、ソースコードを書くための多くのテキストエディタには、コメントに関する機能(選択部分をコメントしたりコメントを外したり、コメントになっている部分の色を変えたりする)を備えている。
     以下にフリーで利用できるテキストエディタをいくつか挙げた。

    Windows対応
    サクラエディタ
    TeraPad

    Macintosh対応
    CotEditor
    mi

    Windows、Mac、Linux対応
    Sublime Text
    GNU Emacs


     これらのテキストエディタは検索/置換に正規表現が使えるから、たとえば#で始まるコメント行をすべて消して最終稿をつくるには

    検索文字列


    置換文字列

    (置換文字列は空)

    として「すべて置換」や「一括置換」(Replace All)すればいい。